III. Tuolumne Meadows

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This is the most spacious and delightful high pleasure-ground I have yet seen. The air is keen and bracing, yet warm during the day; and though lying high in the sky, the surrounding mountaints are so much higher, one feels protected as if in a grand hall. – John Muir「My First summer in the Sierra」
ヨセミテには、白人たちが訪れる遥か以前から、シエラを横断するトレイルがありました。これはMono Trailと呼ばれるインディアンの通商路で、Mono LakeからBloody Canyonを登り、Mono Passを越え、Tuolumne Meadows、Tenaya Lakeを経由、Porcupine Flatから、Yosemite渓谷やBig Meadow(Foresta)方面を結んでいました。1833年秋にヨセミテ渓谷を覗き見たJeseph Walkerらは、初めてTuolumne Meadows付近を通った白人と考えられています。1852年、マリポサ大隊のヨセミテ渓谷探査(1851年)に続き、再び酋長のテナヤを追うMoore中尉は、Tenaya Lakeを越えTuolume Meadowsに入り、一帯を探査、鉱脈を発見したりしました。こうしてTuolumne Meadowsの存在は人々に知られるようになります。まず、鉱山師たちがこの道を使い、Mono側へと越え始めます。1863年、California Geological SurveyのBrewerは、Hoffmannと共にヨセミテ渓谷からMono Trailを使ってTuolumne Meadowsに入り、Soda Springsにベースキャンプを構え、一帯の測量を行いました。そのときには、既に週に一度、荷物を積んでハイシエラを越えるMule Packがあったと書き残しています。1869年の夏には、Muirが羊飼いとしてこの地(正確にはDelaney Creek沿いのMeadow)に一ヶ月近くキャンプを設営し、合間を縫ってCathedral Peakへ初登頂、Mt. Dana登山、Mono Lake、Lyell渓谷方面への探訪などをしました。そのとき書きとめた日記は、後年(1911年)加筆修正が加えられ、「My First Summer in the Sierra」として発表されます。1883年にはTioga Road(ワゴン道、現在のTioga Roadはその一部を共用)が開通するものの、Tioga Pass近くの銀山Great Sierra Mineはすぐに閉山してしまいます。その後Tuolumne MeadowsではSoda Springs付近にJohn Lembertの私有地が認められたり、キャビンが建てらたりします(1912年にはSierra Clubへ売却)。また1901年にはSierra Clubの最初のアウティングの場所にも選ばれました。1915年には、一年後にできるNPSの初代長官となる、Stephen Matherを初めとする有志らによりTioga Roadが私費で買い上げられ、ヨセミテ国立公園に寄付されました。こうして車でのアクセスも可能となり、Tuolumne Meadowsは夏のキャンプ地としての利用が高まっていくことになります。
Tuolumne Meadowsは、標高8,500ft.付近にある長さ4マイル、幅1/4〜1/2マイルほどの草原地帯で、Tuolumne Riverがうねるように流れています。周りは10,000ft.を越える山々やドームに囲まれていますが、メドウとの間にはLodgepoleの林の斜面が広がり、垂直の岩壁に囲まれた圧迫感のあるヨセミテ渓谷とは異なった、開放感のある、ヨセミテ国立公園唯一の「風光明媚」な高地の宿泊地となっています。しかしながらホテル等の近代施設はなく、キャンプ・キャビンなどによるプリミィティブな滞在となります。ここでの最大のアトラクションは、メドウのランドマークでもあるLembert Dome[1,2,3]、Pothole Dome、Soda Springs、Dog Lakeなどへの散策です(地図)。時間がとれれば、Glen Aulin、Cathedral Lakes、Budd Lake、Young Lakes等を訪れることもお勧めします。
写真1(上):Tuolumne Medowsの西側から見たCathedral山群(南)。左からUnicorn Peak、Cockscomb、Eacho Ridge、Cathedral Peak、そしてFairview Dome。

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II. Tuolumne大渓谷

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Snach a pan of bread and run to the Tuolumne. How blessed it would be to be banished to the Canyon!(略)The Canyon has something grand and good for everybody. – John Muir「Muirの日記より」
Hetchy Hetchy渓谷とTuolumne Meadowsの間は、Grand Canyon of the Tuolumne Riverと呼ばれ、最大高度差5,000ftにも達する大渓谷が20マイルにわたって続いています。ヨセミテ国立公園には数多くの渓谷がありますが、ここだけが”Grand Canyon”という名を冠しています。この谷の探査を初めて行ったのはCalifornia Geological SurveyのClarence Kingです。Whitneyの「The Yosemite Book」に拠れば、Kingはこの大渓谷をTuolumne Meadowsから下っていきましたが、途中狭隘な谷に阻まれ、其処から先Hetch Hetchyまでは未探査のままとなってしまいました。その後、Kingが敗退した谷は、ヨセミテガーディアンのGalen ClarkとともにMuirが初遡行し、後にMuir Gorgeと命名されます。Muirは1870年代初期に、幾度かに分けてTuolumneの探査を行い、Hetch HetchyからMt. Lyellに到るTuolumneの全区間を歩いた最初の人となります。
Muirがその完成を望んだとされる大渓谷内のトレイルは、1925年に完成しました。この全トレイルを歩くための最短ルートは、White Wolf(西側)とTuolumne Meadows(東側)を結ぶもので、全長30マイルほどあります。ルートのほぼ中央にはMuir Gorgeがあり、そこからGlen Aulinまでの間が渓谷の核心部といえるでしょう。深いV字状の谷底には、巨大なボルダー、プール、原生林が次々と出現し、飽きることがありません。Tuolumneの三大瀑布(下流からWaterwheel、LeConte、そしてCalifornia Falls)はヨセミテ渓谷の垂直に落ちる滝とは異なり、斜めに流れ落ちていくTuolumneの水のエネルギーを、まさに水際で堪能する事ができます。滝が巻き起こす水煙は光を浴び、虹がいたるところに現れます。California FallsとGlen Aulinの間は、谷が突然U字状となり、長さ1マイル、幅1/4マイルほどの平らな谷底が広がります。初夏には、アスペンの白い幹と緑の葉、取り囲む灰色の岩壁と青い空のコントラスト、そしてそれらを映す水でたいへん綺麗なところです。谷の東端にはGlen Aulin High Sierra キャンプ場があり、夏にはBackpackerやTuolumne Meadowsからのハイカーでにぎわいます。その上流側にはWhite Cascade及びTuolumneの2滝があり、ここでもまたTuolumneの水が轟音を立てて流れ落ちています。初夏、水が溢れるTuolumne大渓谷への探訪は忘れられない思い出になる事でしょう。
写真上(1):California FallsとWildcat Point。

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サイトのヘッダー写真(2)

「サイトのヘッダー写真について」で8枚公開しましたが、その後また次々とつくってしまいました。気まぐれで換えていきます。

bloghead9.jpg「オルムステッドポイントからクラウズレストを望む」

bloghead10.jpg「テナヤレイク」

bloghead11.jpg「タイオガパス付近から」

bloghead12.jpg「Tuolumne Meadowsのロッジポールパイン林」

bloghead13.jpg「Tuolumne Meadowsの夜明け」

bloghead14.jpg「ユニコーン・ピーク(左)とカシドラル・ピーク(右)」

bloghead15.jpg「朝焼け/ユニコーン・ピーク(左)とカシドラル・ピーク(右)」

bloghead16.jpg「ヘッチ・ヘッチー渓谷」

Hiking Yosemite NP

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2000年(4月)に出版されたHiking Yosemite National Parkですが、
今年6月出版の2ndエディションで内容がかなりグレードアップしました。
ヨセミテハイキング入門には初版でも十分な参考書になりましたが、
今回の版ではトレイルマップ、TOPOデータ、写真が一層充実しました。
定価は$15.00くらいしますが、なぜかamazon.comで$10.47とお手頃価格で売られています。
オススメの一冊です。

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I. Hetch Hetchy Valley

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”Imagine yourself in Hetch Hetchy on a sunny day in June, standing waist-deep in grass and flowers(as I have often stood), while the great pines sway dreamily with scarcely perceptible motion.” - John Muir, 「The Yosemite」より
Hetch Hetchy渓谷は、ヨセミテ渓谷がマリポサ大隊により探査される1年前の1850年、ハンターのJohn Screechによって発見されました。Whitneyの”The Yosemite Book”や、Muirの”Hetch-Hetchy Valley: The Lower Tuolumne Yosemite”による紹介があったものの、ヨセミテ渓谷に比べて、スケールに見劣りがするためか、訪問者も少なく観光化が進むことはありませんでした。それゆえ、ヨセミテ渓谷とはまったく異なる運命をたどることになります。1901年には、慢性の水不足に悩むベイエリアの水源となるべく、ダム建設の候補地に挙がります。Muirを会長とするSierra Club?どが中心となり反対運動をしましたが、最終的には1913年には連邦により建設の許可がおり、1923年には現在のO’Shaughnessyダムが完成し、谷底は水没してしまいました。
Muirはその著作で、Hetch Hetchy渓谷がヨセミテ渓谷に酷似しており、El Capitan、North Dome、Cathedral Rockに位置・形状ともに相当する岩壁があること、またBridal VeilやYosemite Fallsに勝るとも劣らない滝があると書いています。これらはTueeulala Falls及びWapama Fallsと呼ばれ、ダムの上から望む事ができます(夏には枯れてしまうので、初春と初夏の間が滝を見ることができる時期です)。Hetch Hetchy Domeのすぐ左側で、湖に大量の水を放出しているWapama Fallsは、その上半分が岩壁の影になっており、全貌を見るためには、ダムから片道2マイル半ほどのハイキングが必要です。滝の真下にある橋からは、高度さ1700ftの岩壁を段々状に流れ落ちる水の轟音と飛沫を楽しむことができます。更に湖岸を3マイルほど進むと、Rancheria Creekに至り、緩やかな斜面にできたRancheria Fallsの流れを楽しむ事ができます。写真家Galen Rowellは、その著書「The Yosemite」の中で、二つの渓谷を比べ、ヨセミテ渓谷は人で、Hetch-Hetchyは(ダムの)水で溢れていると面白い言い方をしました: ”I found myself actually preferring Hetch Hetchy’s flood of water over Yosemite Valley’s flood of people.” 確かにHetch Hetchyは、「水」と「岩壁」に囲まれながら、もう一つのヨセミテの歴史に思いをめぐらせることができる、静かな場所に違いありません。
写真1:O’Shaughnessyダムの上から見るHetchy Hetchy渓谷。写真ではよくわからないが、中央にWapama Fall、その左にはTueeulala Fallsが見えている。かなり短い間ではあるが、3本目の滝も出現する。Wapamaのすぐ右はHetch Hetchy Dome。湖の右側の岩峰はKolana Rock。

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Tuolumne

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ヨセミテ国立公園は、Merced川とTuolumne川による二つの水系から成り立っています。公園内最大の観光スポットであるヨセミテ渓谷は南側のMerced水系に、一方、ハイシエラでのアクティビティの中心地ともいえるTuolumne Meadowsは、Tioga RoadとTuolumne川の主流の交わる処にある高地の草原地帯で、その名が示すようにTuolumne水系に属しています。ここから下流へは、Hetch-Hetchy渓谷(ダム湖)へと続くTuolumne大渓谷が、上流方面にはヨセミテの最高峰であるMt.Lyellへと続くLyell Canyonがあります。この流れに沿ってトレイルがあり、ヨセミテ渓谷とは全く雰囲気の異なる渓谷歩きを楽しむことができます。以下4回に分け、Tuolumneの簡単な紹介をしたいと思います。
ヨセミテ国立公園中央部の地図(National Geographic社Topo!より作成):左から右側へ青丸で、[1]Hetch Hetchy渓谷、[2]Grand Canyon of The Tuolumne River、[3]Tuolumne Meadows、そして[4]Lyell渓谷一帯を示しました。草色の線は分水界でTuolumneとMerced水系を分けています。Tioga Roadは赤線で、分水界を縫うように東西に走っています。

White Heather

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この花も高い所で良く見かけます。
小さくて愛らしい花です。
20 Lakes Basinに多く咲いています。

Sky Pilot

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10,000ft以下では見かけない高山植物です。
Mt.Danaの山頂付近には夏たくさん咲いています。

エルキャピタンへの実験シャトル

8/9から21の2週間、これまでシャトルバスがなかったヴァレーの西方面へのシャトルバスの運行実験が行われます。8:00am-7:00 pmの間の毎時1便の運行です。
ビジターセンター、ヨセミテロッジ、エルキャピタンピクニックエリア、エルキャピタンメドウ、4マイルトレイル登山口の後、ビジターセンターへと戻ります。
期間中に利用された方は、ご感想をBBSにお寄せください。

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The Yosemite Book

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1869年に、California Geological Survey(カリフォルニア地質調査隊、Whitney隊)のJosiah Dwight Whitneyにより書かれた「The Yosemite Book」は、当時最も権威のあるヨセミテに関する案内書でした(これは豪華版で、後に写真なしの普及版「The Yosemite Guide Book」が幾度か改定、再販されます)。副題”A Description of the Yosemite Valley and the Adjacent Region of the Sierra Nevada, and of the Big Trees of California”に示されるように、ヨセミテ渓谷とその周辺、そしてマリポサのセコイアについて紹介されています。序章では、ヨセミテ渓谷が州立公園となり、調査隊が測量をするに到った経緯、マリポサ大隊のヨセミテの発見以降の話、インディアンによる地名の呼び方等についてまとめられています。2章でアメリカ全土から始まりカリフォルニア・シエラネバダに到る地勢・植生が述べられたあと、ヨセミテ渓谷(3章)、ハイシエラ(4章)、そしてBig Tree(5章)についてかなり詳しく書かれています。学者の書いた本で、かなり堅苦しいところもありますが、まだ地図の空白部が残る頃のヨセミテを知る貴重な一冊です。250冊しか刷られなかったこの本は、出版時の価格が10ドルという高価本で、現在では1万ドルを軽く越えるオークション価格が付いています。OctavoのCD本(写真)はJim Snyder(ヨセミテ国立公園の史家)のかなり興味深い前書きや、Carleton WatkinsとW. Harrisの写真や地図を含む原本の全ページの超高解像度写真が付いており、古地図・モノクロ写真に興味のある方にとってはお勧めしたいアイテムです。
Whitney隊の関連本として、メンバーのWilliam H. BrewerとClarence Kingが書いた二冊が挙げられます。「Up and Down California in 1860-1864」を書いたBrewerはWhitney隊の初期メンバーで、彼の本は1860年から1864年にわたる調査行の日記集です。ヨセミテに関しては、1863年の6−7月に、HoffmannとともにBig Oak Flatからヨセミテ渓谷に測量に入り、その後Mt. Hoffmann、Mt. Danaなどの登頂やSoda Springsを拠点として行ったTuolumne Medows一帯での調査、そしてBloody Canyonを下りMono Lakeへとぬけた時のことが書かれています。
一方Kingは、その著書「Mountaineering in the Sierra Nevada」の”Around Yosemite Walls”及び”A Sierra Storm”の章で1864年秋のヨセミテにおける体験を書き綴っています。エール大を卒業してから1年ほど経ったClarence KingとJames Gardnerは、1863年8月末にSacramentoでBrewerに合流します。そして翌年彼らは南シエラでの測量(Mt. Brewer、Mt. Tyndallの登山を含む)を終えた後、Gardner、Cotterらを伴いヨセミテ渓谷を訪れます。目的はヨセミテ渓谷がカリフォル二アに譲与された事を受け、その境界の測量を行うためでした。この二章は、Mt. HoffmannやYosemite Creek、ノースリム一帯での登山、ヨセミテの最初の冬の嵐からの脱出について書かれています。この本は、現在ではMuirのRitter登山記とともにシエラ登山記の古典となっています。