ジョン・ミューア『ヨセミテ』― 自然が生んだ大聖堂を描いた書物

 ジョン・ミューア(John Muir, 1838–1914)は、アメリカを代表する自然保護思想家であり、探検家でもありました。彼の生涯の歩みは、シエラネバダ山脈と深く結びついており、特にカリフォルニアのヨセミテ渓谷は、彼にとって「魂の故郷」と呼べるほど特別な場所でした。1912年に出版された著書『ヨセミテ』(The Yosemite)は、その長年の経験や観察、そして自然への深い愛情を結晶させた作品であり、今日でも多くの人に読み継がれています。

自然誌と文学が溶け合う独自のスタイル
 『ヨセミテ』の最大の特徴は、科学的な観察記録と詩的な描写が見事に融合している点にあります。ミューアは植物学や地質学の知識を駆使して、谷を取り囲む花崗岩の断崖、氷河が刻んだ谷と湖、滝の流れ方や音の違いまでを詳細に記録しました。同時に、それらを単なるデータとしてではなく、読者の感性に訴えかける文学的な言葉で表現しました。彼にとってヨセミテは、測量や分類の対象であると同時に、「自然が自ら築いた聖堂」でした。

氷河の谷としてのヨセミテ
 当時、ヨセミテ渓谷がどのように形成されたのかについては学者の間で議論がありました。ミューアは、自らの観察に基づき「氷河の浸食によって谷が刻まれた」という説を強く主張しました。彼は、谷壁に残る研磨痕や巨大なモレーン(氷河堆石)を証拠として挙げ、その科学的見解を多くの人に伝えました。この点でも『ヨセミテ』は、自然観察の記録にとどまらず、学問的な意義を持つ著作となっています。

五感で描かれた自然の響き
 ミューアは、滝や川の流れを「自然の音楽」と呼びました。轟音を立てるワパマ滝や、羽毛のように落ちるブライダルベール滝を描くとき、彼は視覚だけでなく、音、光、風までも文章に織り込みます。水のきらめき、森を渡る鳥の声、夜の星明かりに照らされた花崗岩の輝き――そのすべてが「自然の交響曲」として描かれるのです。

読者を旅へと誘うガイドブック的要素
 『ヨセミテ』はまた、読者を実際に現地へ誘うための案内書のような側面も持っています。グレーシャーポイントへの登山、ネバダ滝やヴァーナル滝をめぐるハイキング、ホフマン山やクラウズ・レストからの展望――ミューアは自らの体験をもとに、最も魅力的な行程を丁寧に紹介しています。これは単なる旅行記ではなく、自然と一体になって歩くことの歓びを伝える「招待状」ともいえるでしょう。

精神的価値としての自然
 何よりも重要なのは、ミューアが自然を「利用するもの」ではなく「共に生きるもの」として捉えた点です。ヨセミテの森や谷は、木材や水源といった経済的価値以上に、人々の心を癒やし、生命の根源とつながる場所だと考えました。彼にとってヨセミテは、人間が造った大聖堂よりも荘厳で神聖な「自然の神殿」でした。

自然保護思想への影響
 『ヨセミテ』は、単に美しい風景を紹介するだけの本ではありません。そこには「自然は守られるべき大いなる存在である」という強いメッセージが込められていました。この思想はやがてアメリカの自然保護運動を推進し、国立公園制度の確立へとつながっていきます。ミューアの筆によって描かれたヨセミテは、多くの人々に「守るべき宝」としての自覚を与えたのです。

SUNSET AFTER A STORM, YOSEMITE VALLEY, CALIFORNIA; 1970

20101120
1970年10月23日、Warren HardingとDean Coldwellは、El CapitanのEarly Morning Light壁の初登をめざし、数週間分もの食料を持ち、岩壁に取り付きました。
11月に入ると秋の嵐がヨセミテを通過し、NPSは11日に彼らの救助を決定します。友人でもありクライミングパートナーでもあるRowellにも、救助に参加を要請する電話がかかり、Jim Bridwellと共にベイエリアからヨセミテへと向かいます。Crane FlatからValleyへと下っていくと、雲間からEl CapitanとHalf Domeが見え出してきました。今までに無いベストなシーンと感じたRowellは、3分ほど立ち止まり、200mm望遠で2枚の写真を撮りました。「Mountain Light」には、その写真を撮るにあたってユニークだと感じた二つの要素を述べています。
“First, the two most striking granite forms of the valley, Half Dome and El Capitan, appeared side by side , although they are actually at opposite ends of the valley. Second, each was lit with splendid, but very different, light. Together, the two factors gave the formations the separate character they have in real life, an effect that doesn’t usually come across in photos. Usually, images show the great rocks lit in similar light as part of a two-dimensional scene, thereby failing to convey the power of the landscape, which I saw coming alive. With El Capitan in red sunset light and Half Dome in blue shadow under a cloud, this image is a kind of visual archetype of the Yosemite experience.”
同じ時に同じ場所を通りかかったなら、まずほとんどの人が車を止めて撮影をすると思いますが、Rowellのようなことをどれだけの人が意識するのかは興味深いところです。 上の写真は、4冊の写真集を並べたものです。左上から時計回りに「Mountain Light」(初版1986年、これは1995年 Sierra Club Books版)、「THE YOSEMITE」(1989年、Sierra Club Books版)、「THE YOSEMITE」(2001年, YA版)、「California THE BEAUTIFUL」(2002年、Welcome Books版)です。面白いことに、年が進むにつれて、どんどん赤色が強くなって(着色されて?)きています。 さてValleyに到着したものの、救助はNPSの先走りだったため、その日に中止になります。Hardingらは順調に登り続け、11月18日に報道陣が並ぶEl Capの頂上にたどり着きました。

LAST LIGHT ON HORSETAIL FALL

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Galen Rowellの、ヨセミテ写真の中で有名なものの一つに、「LAST LIGHT ON HORSETAIL FALL, YOSEMITE’s “NATURAL FIREWALL”, CALIFORNIA; 1973」があります。同氏の写真集”Mountain Light” に撮影時にまつわる裏話が書いてあります。ごく簡単にまとめると:
とある夕方、岩登りの後に友人とドライブ中、いままで見たことも聞いたことも無い現象を見かけ写真を撮ろうとしましたが、光はすでにあせてしまいました。しかし次の日の夕方、レンジャーのRiegelhuth氏(後のチーフレンジャー)を乗せてドライブしているときに、再び滝が光るのを見かけます。
”Excuse me Dick, The Light is wild on Horsetail Fall, and if you do not mind, I’m going to race over there and try to get a picture.”とRowellは話し、制限速度の2倍ほどで運転してスポットに到着、300mmのレンズのついたカメラをもって、チェーンフェンスを乗り越え、撮影場所を探します。赤い水煙の入る構図は完璧でしたが、足りないものがありました。滝を見ていたRiegelhuth氏はフェンスまで近寄ってきて「何か足りないものは?」と尋ねます。”My Tripod. It’s in the backseat.” 氏から三脚が手渡され、光が消えてしまうまでに、数枚の写真を撮ることが出来ました。
Michael Fryeによると、1940年にAnsel Adamsは、午後の光のもとで、滝の白黒写真を撮っていたようです。ですが日没時、オレンジに輝く滝をカラーで撮ったのは、Rowellが最初だと書いています。

ヨセミテ国立公園は10月1日に120周年を迎えます

NPSのニュースリリースに「Yosemite National Park Celebrates 120th Birthday on October 1」という記事が出ています。
ヨセミテ国立公園は、イエローストーン、セコイアに続き3番目の国立公園として1890年に誕生したというわけです。今回はとくに大きなイベントは行われないようですが、これは2014年に「The Yosemite Grant」(連邦議会での議決とリンカーン大統領のサインによって1864年に指定。実質的に最初の国立公園制度ともいえる。)の150周年イベントを計画しているということのようです。

ヨセミテ国立公園の環境学習施設の将来

ヨセミテ国立公園で、国立公園局と連携して学校団体を中心に宿泊型の環境学習プログラムを提供している「Yosemite Institute(YI)」という施設があります。(現在はNatureBridgeというNPOの一拠点です。)
http://www.naturebridge.org/
ヨセミテヴァレーから車で約30分ほどのClane Flatにあります。
ここでは日本ネイチャーゲーム協会が「ヨセミテ自然学校」というツアーをながく開催されてきたパートナー先でもありますので、ご存じの方も多いと思います。
この施設は第二次大戦前後の国立公園施設(CCCという、青年労働奉仕プログラムのために作られた)を利用して1973年から運営をされてきました。老朽化も進み、自然環境への影響やユニバーサルアクセスという観点からも現在の基準に合わなくなってきています。
そのため国立公園局(公園管理事務所)では2002年からこの施設およびプログラムの移転先や環境影響、その他の代案検討をスタートし、この度最終の報告書をまとめています。(結果として1.現状維持、2.現キャンパスの改善、3.新キャンパスへの移転 という3つのオプションが示されています。)
年月をかけて慎重なかつ多角的なプロセスで検討されたもので、施設関係の方々には参考になると思います。
以下のページから、多くの関係pdf書類にアクセスできます。(英語)
http://www.nps.gov/yose/parkmgmt/eecampus.htm