1865年にJosiah Dwight Whitneyがまとめた調査の記録ですが。
GoodleのライブラリーからPDFを落とせるようになっています。
ヨセミテ関連は403ページ付近から。
セコイア、キングス方面は377ページ付近から。
http://books.google.com/books?id=Db0QAAAAIAAJ&source=gbs_similarbooks
古い記事ですが
https://yosemite.jp/mt31/archives/000731.html
カテゴリーアーカイブ: 地学
California Geological Survey 設立150周年
Professional Paper 160
いつの間にかNPSのWebに、Matthesの論文”Professional Paper 160”がUPされていました。
とりあえずこのページは必見です。ヨセミテ問題(『渓谷がいかにして生成されたか』)の経緯に興味のある方には、イントロを読まれることをお勧め。プレートテクトニクス理論も存在しない1900年代初期の研究成果をまとめたものですが、今でもよく引用されるヨセミテ関連の重要な文献です。数多くの写真(白黒)とさし絵、そして氷河に覆われていた頃のヨセミテの地図(予想)が掲載されていますので、スキャンの価値はあります。
過去の関連記事。
ヨセミテ渓谷における岩崩れの可能性
1999年、USGSのWieczorekらにより”Rock-fall Potential in the Yosemite Valley, California“という報告書が書かれています。この中にはかなり精密な地図(サイズは7MB強)が掲載されており、当時(1999年)に至る渓谷での岩崩れの跡、被害が及ぶ可能性のある地帯などが記されています。今回のAhwiyah Pointは、過去に岩崩れがなかった所のようです。
有名な2003年冬のCurry Village裏の岩崩れの報告書はこちら。絵と写真だけでも必見。
タイトル”Rock-fall”は、”落石”ではなんとなくイメージがわかないので”岩崩れ”にしました。
三角点:Glacier Point
Glacier Pointの三角点マーカーが、まさにGPの先端部(写真上:下部の岩の上に見える円盤)にありました。マーカー(写真下)には標高や、設置年月(1905年7月11日)などが書かれています。
USGSの資料(下)によれば、最初に測量をしたのは1905年(Urquhart氏)ですが、1956年に”Recover”されたと書いてあります。これは1956年にタブレットが埋められたことを意味するのでしょうか。此処からEagle Point(現在のEagle Peak、Three Brothersの最高峰)、Clouds Restへの方位は、それぞれ295度6分23秒、61度1分1秒だそうです。
マーカーのレプリカは、ここでまだ取り扱っているようです。
USGS Lecture: When Rocks Fall and the Land Slides
USGSによる、ヨセミテ渓谷の岩崩れに関するビデオがあります。お勧めの部分は
12分24秒〜 : 1850年〜1870年代の岩崩れの記録(C. King, J. Whitney, J. LeConte, G. Clark, J. Muirらの記録などから)
21分30秒〜 : ヨセミテ渓谷の形成の話
28分〜50分 : 最近の岩崩れについての説明と危険地域の解析。特に1996年のHappy Isle岩崩れについて詳しく述べています。
ビデオ(50分強)
USGS Western Region – Evening Public Lecture Series
”When Rocks Fall and the Land Slides”
By Gerald F. Wieczorek, Geological Engineer, and Raymond C. Wilson, Landslide Geologist
*Hear why California makes an ideal environment for landslides.
*Learn about rock falls, debris flows, and other landslides.
*There have been more than 500 documented rock falls and other slope failures in Yosemite National Park – what triggers these? How do park rangers deal with this hazard?
* John Muir gave a remarkable account of an 1872 rock fall in Yosemite Valley
* Large rock falls in Yosemite can generate ”air blasts” potentially dangerous to campers and hikers
* How did ancient glaciers help create the rock-fall hazard in Yosemite?
Professional Paper 160 :各ヨセミテ渓谷形成説のまとめ
ヨセミテ渓谷の形成論に(とりあえず)決着をつけたMatthesの論文の、イントロの部分をスキャンしました。1930年までの諸説について簡単にまとめています。PDFファイルで各600KBほどのサイズです。そのうち消すかもしれませんので、興味のある方はダウンロードしておいて下さい。過去の関連記事はこちら。
表紙 内表紙
イントロ: page 3 page 4 page 5 page 6 page 7
以下は、最初にヨセミテ渓谷の形成について述べたWhitneyの『Geology』(1865年)の一部コピーです。ハーフドームの形成に関する意見は同じですが、この時点ではヨセミテ渓谷には氷河が入っていたことを認めていました。数年後に『The Yosemite Book』(1869)を書いたときには、氷河論(Muirの氷河論ではなくBlakeもしくはKingの見解)を否定します。
表紙 メンバー page 421 page 422 page 423 挿絵1 挿絵2
コピー入手先。
USGSプレゼンテーション:Clarence King
写真:The 1864 field party of the California Geological Survey (Charles Hoffmann absent). From left to right: James T. Gardner, Richard D. Cotter, William H. Brewer, and Clarence King. Gardner is holding a sextant used for mapping and astronomical location; Cotter is armed with musket, dagger, and pistol; both Brewer and King have mercury barometers – used to measure altitudes – slung on their shoulders; and King holds a geologist’s hammer. (U.S. Geological Survey Library)
あまりヨセミテは登場しませんが、USGSの面白いプレゼンテーションビデオを見つけました。
タイトルは”Mapping the American West: Clarence King and the 40th Parallel Survey”で、スピーカーはJames G. Moore氏(Geologist)です。 時間は約50分。1863年の夏、California Geological Survey(Whitney隊)のHoffmannとBrewerらはヨセミテでの測量を行いました。その時Mt. Hoffmann、Danaへ登頂しますが、Mt. Lyellへは不成功に終わります。その後Mono Lake、Sonora Pass、Carson Pass、Lake Tahoeを越えてSacramentoに戻ったBrewerは、San Franciscoへ向かう蒸気船に乗船し、そこでYale大学を出て間もないClarence KingとJames Gardinerに出会います。
氏の話はそこから始まり、一行のLassen Peakを始めとするカリフォルニア北部の探査(1863)、1864年の南シエラ(現在のKings、Sequoia NP、Inyo NF)と制定されたばかりのヨセミテ渓谷州立公園での測量、1867年からKing自らが率いたアメリカ西部・北緯40度付近での測量(the 40th Parallel Survey)について触れられます。そしてMt. ShastaやWhitney登山の逸話のあと、USGSの設立(Kingは初代所長)で話が結ばれています。
[註]話は変わりますが、文献から推察できるように、MuirはWhitney隊の記録をかなり意識していました。Tuolumne渓谷、Kings渓谷、Middle Fork Kings River、Mt. Ritter、Mt. Tyndall、Mt. Whitney、Mt. Shasta、ヨセミテの氷河(跡)、セコイアの群生などと、隊が調査・指摘・登山しようとした場所をことごとく追いかけています(Tyndallは間違った山を登りましたが)。
140号岩崩れの報告書
Professional Paper 160 : 1930年
1865年、California Geological ServeyのJ. D. Whitneyは、地盤沈下によるヨセミテ渓谷の形成説を唱えました。Whitneyが発表した2年後の1867年には、William P. Blakeが渓谷は主に水による浸食で形成され、最後に氷河による浸食が入ったという説を唱えましたが、専門誌上で発表されたに過ぎず、一般の注目を浴びるには到りませんでした。一方、Whitneyの説は彼の一般向けの著作”The Yosemite Book”(1869年)や”Yosemite Guide Book”(1870年)によって有名になりました。Whitneyは、(Blakeの)氷河による浸食説を否定し、以前は認めていたヨセミテでの氷河の存在すらも否定するようになります。1871年、John Muirはヨセミテ渓谷が氷河のみの浸食によって形成されたという説を思いつきます。同年夏、Muirと共にヨセミテ・ハイシエラの旅行をしたU. C. Berkeleyの地質学者LeConteは、Muir説の氷河の浸食に、ある程度は同意しましたが、それ以前の水の浸食の影響も指摘していました。1874年、Muirは自身の研究の結果を雑誌に投稿し、それが一般の注目を浴びることになります(しかし後年には、カリフォルニア全土が氷河に浸食されたという極論を唱えるまでに到ります)。California Geological Serveyのメンバーでもあり、US Geological Survey(USGS)の初代所長となったClarence Kingは、氷河の流入があったことは認めるものの、その浸食の効果については殆ど無かったものとし、Whitneyのような地盤沈下の立場をとりました。他にも、多くの研究者たちが、それぞれの解釈や自説を発表します。例えば1899年にIsrael C. Russell(University of Michigan)は、氷河浸食説を否定し、Whitneyの地盤沈下説を支持しました。1899年にはHenry W. Turner(USGS)が、渓谷は岩の節理に働いた水による侵食と風化により形成されたもので、氷河の作用は殆どなかったと唱えます。また、同じUSGSのHenry Garnettは、氷河の侵食による形成説を唱えています。他にも多くの学者がそれぞれの説を唱えました。このように諸説が繚乱してまったのは、氷河や氷河流入以前の時代に関する、信頼のおける調査結果がなかったことにありました。1913年、シエラクラブなどの一般からの要求もあり、USGSはこの問題に決着をつけるために、ヨセミテ全域や周辺のハイシエラで、システマチックで徹底的な調査を開始する事にしました。その担当となったのは、主に岩の調査をしたFrank C. Calkinsと、氷河の歴史や、その浸食の進展について調べる事になるFrancois E. Matthesでした。長年にわたる調査の成果は、Matthesによりまとめられ、1930年にUSGSから”Geologic History of The Yosemite Valley:Geological Survey Professional Paper 160”というタイトルの論文として発表されました。これにより、60年にわたる論争に終止符が打たれることになりました。Matthes説の骨子は、広くなだらかな谷が形成されていたシエラ全体が数度にわたって隆起し、Merced Riverにより谷の浸食が進み、やがて深いV字谷が形成された事。そして、氷河期の到来で、そこに幾度かに渡って氷河が入りこみ、その浸食作用で、現在のように両側が垂直に切り立った渓谷が形成されたというものでした。その後の発見や調査結果により修正は加えられたものの、Matthesの説は現在でも、ヨセミテ渓谷の形成に関する通説として認められています。