Wilderness(ウィルダネス)という、ごく一般的に使われている単語があります。簡単には、人の手の入っていない、ありのままの自然が残された領域をさします。アメリカの殆どを占めていたWildernessですが、開拓や近代文明の発達とともに、次々と失われていきました。ヨセミテもしかりで、1890年に国立公園として制定されたものの、トレイル網の拡大、Hetch-Hetchyダム(1923年完成)や現在のTioga Road(1961年開通)の建設等に見られるように、Wildernessが次々と失われてきました。1964年、Lyndon B. Johnson大統領によりWilderness Actと呼ばれる法案が署名され、Wildernessを将来に残していくための制度ができ、その保護・管理は四つの政府機関:Deptartment of Interior(内務省)のNational Park Service(NPS)、Bureau of Land Management(BLM)、U.S. Fish and Wild Service及びDepeartment of Agriculture(農務省)のForest Service(FS)にまかせられています。Wilderness地区指定をしてしまえばそれでよいというものではなく、野生動物・魚、過去とのしがらみをも含む商用目的の放牧、森林火災、(条件付の)伐採、既存の歴史・考古学的遺産、レクリエーション(既存のトレイル、バックパッキング等)などと多方面にわたる管理が必要となっています(詳しくはwww.wilderness.netを参考)。
投稿者アーカイブ: toshi
Johnson Peak登頂!
朝のTuolumne Meadowsは3〜4度ぐらいまで冷えていました。天気は雲ひとつない快晴。
参加者全員が、無事3,300メートルの頂に立つことができました。皆さんお疲れさまでした。
頂上にて。後方左側、雪のついた山は、ヨセミテの最高峰Mt. Lyell。
8時45分にキャンプ場を出発、1時間弱でElizabeth Lakeそばの分岐点(2.3マイル)に到着。其処からトレイルを外れ、道のない樹林帯を登って行くと小さなメドウ(写真)が出現。遠くに見える山はMt. Conness。
頂上(後方)アタック前に、湖の横で休憩。
頂上に続く尾根。
頂上は少しやせています。
Johnson Peakの南西600メートル程のところにある無名の湖。遥かかなたにはMatthes CrestやEcho Peakが見えています。
今日はTuolumneでHiking
今日は(8時半に)Tuolumne Meadowsのキャンプ場に集合し、裏山のJohnson Peakに登ってきます。参加者は、西村さん一行、投稿者の小林さん、すやまさん(family)、そして私たちです。Johnson Peakはキャンプ場のすぐ南にあります(地図)。Elizabeth Lakeまで約2マイル、其処からクロスカントリーで頂上を目指します。報告は16時間後にいたします。
California Newt
上はチョコレートや茶色、腹は赤や黄色のイモリ(Newt)です。林の中の池や流れ水のそばで見かけます。動きは鈍く、見つかると立ち止まったりします。
California Mountain Kingsnake
赤や白の環状の模様が入った蛇です。なんとガラガラ蛇など他の蛇を捕まえて、食べてしまうそうです。
Columbine
この花もShooting starのように湿地帯で見かけられます。ハミングバードが好きな花だそうです。
IV. Lyell渓谷とMt. Lyell
Pursuing my lonely way down the valley, I turned again and again to gaze on the glorious picture, throwing arms to inclose it as in a frame. – John Muir「In The Heart of The California Alps」
1863年7月1日、BrewerとHoffmannは、前日一緒にMt. Danaを登り終え、Big Oak Flatへと戻っていくWhitneyと別れ、Tuolumne Meadowsの奥にある谷の探査に向かいます。この日二人は、谷の再奥まで進みました。翌日、7時間かけて斜面を登り、樹林帯を越え、昔に「氷河で磨かれた」と思われる岩場を登り、雪渓を詰め、最高峰を目指します。しかしながら、頂上直下30メートルほどのところで行き詰まり、登頂を断念してしまいます。彼らによりこの山は、英国の地質学者の名前を取ってMt. Lyellと名付けられました。1871年8月29日、John Boies Tilestonが、このヨセミテの最高峰(13,114ft.)に初登頂します。1872年にはMuirが、Mt. Lyellのそれを含め、ヨセミテの高山に残る雪が雪渓ではなく、氷河であることを発表しました。
Tuolumne Riverは、Tuolumne Meadowsの東端でDana ForkとLyell Forkの二つに分かれます。現在Dana Fork沿いにはTioga Roadが、Lyell ForkにはJMT[註]が通っています。Lyell谷は、Tuolumne大渓谷と様相は全く異なり、幅が0.5マイルほどの底が平らで、空の広がった明るい谷です。ここではTuolumneの川幅はかなり広く、うねりながら静かに流れています。7マイルほど進んで、初めてMt. Lyellの遠望が可能となります。すぐに平らな谷は山裾に突き当たってなくなり、其処からは急登が始まります。登るほどに風景は変わり、アルペン的になってきます。Donohue Passへ向かうJMTをはずれ、緩やかなな谷を進んでいくと、Lyell氷河が目の前に広がります。かなりの長距離(往復20マイル強)になりますが、初夏の日が長く、草がまだ緑のときに、ハイキングやバックパッキングなどで訪れてみたい一帯です。
写真上(1):Lyell渓谷から望むMt. Lyell(白い山)
III. Tuolumne Meadows
This is the most spacious and delightful high pleasure-ground I have yet seen. The air is keen and bracing, yet warm during the day; and though lying high in the sky, the surrounding mountaints are so much higher, one feels protected as if in a grand hall. – John Muir「My First summer in the Sierra」
ヨセミテには、白人たちが訪れる遥か以前から、シエラを横断するトレイルがありました。これはMono Trailと呼ばれるインディアンの通商路で、Mono LakeからBloody Canyonを登り、Mono Passを越え、Tuolumne Meadows、Tenaya Lakeを経由、Porcupine Flatから、Yosemite渓谷やBig Meadow(Foresta)方面を結んでいました。1833年秋にヨセミテ渓谷を覗き見たJeseph Walkerらは、初めてTuolumne Meadows付近を通った白人と考えられています。1852年、マリポサ大隊のヨセミテ渓谷探査(1851年)に続き、再び酋長のテナヤを追うMoore中尉は、Tenaya Lakeを越えTuolume Meadowsに入り、一帯を探査、鉱脈を発見したりしました。こうしてTuolumne Meadowsの存在は人々に知られるようになります。まず、鉱山師たちがこの道を使い、Mono側へと越え始めます。1863年、California Geological SurveyのBrewerは、Hoffmannと共にヨセミテ渓谷からMono Trailを使ってTuolumne Meadowsに入り、Soda Springsにベースキャンプを構え、一帯の測量を行いました。そのときには、既に週に一度、荷物を積んでハイシエラを越えるMule Packがあったと書き残しています。1869年の夏には、Muirが羊飼いとしてこの地(正確にはDelaney Creek沿いのMeadow)に一ヶ月近くキャンプを設営し、合間を縫ってCathedral Peakへ初登頂、Mt. Dana登山、Mono Lake、Lyell渓谷方面への探訪などをしました。そのとき書きとめた日記は、後年(1911年)加筆修正が加えられ、「My First Summer in the Sierra」として発表されます。1883年にはTioga Road(ワゴン道、現在のTioga Roadはその一部を共用)が開通するものの、Tioga Pass近くの銀山Great Sierra Mineはすぐに閉山してしまいます。その後Tuolumne MeadowsではSoda Springs付近にJohn Lembertの私有地が認められたり、キャビンが建てらたりします(1912年にはSierra Clubへ売却)。また1901年にはSierra Clubの最初のアウティングの場所にも選ばれました。1915年には、一年後にできるNPSの初代長官となる、Stephen Matherを初めとする有志らによりTioga Roadが私費で買い上げられ、ヨセミテ国立公園に寄付されました。こうして車でのアクセスも可能となり、Tuolumne Meadowsは夏のキャンプ地としての利用が高まっていくことになります。
Tuolumne Meadowsは、標高8,500ft.付近にある長さ4マイル、幅1/4〜1/2マイルほどの草原地帯で、Tuolumne Riverがうねるように流れています。周りは10,000ft.を越える山々やドームに囲まれていますが、メドウとの間にはLodgepoleの林の斜面が広がり、垂直の岩壁に囲まれた圧迫感のあるヨセミテ渓谷とは異なった、開放感のある、ヨセミテ国立公園唯一の「風光明媚」な高地の宿泊地となっています。しかしながらホテル等の近代施設はなく、キャンプ・キャビンなどによるプリミィティブな滞在となります。ここでの最大のアトラクションは、メドウのランドマークでもあるLembert Dome[1,2,3]、Pothole Dome、Soda Springs、Dog Lakeなどへの散策です(地図)。時間がとれれば、Glen Aulin、Cathedral Lakes、Budd Lake、Young Lakes等を訪れることもお勧めします。
写真1(上):Tuolumne Medowsの西側から見たCathedral山群(南)。左からUnicorn Peak、Cockscomb、Eacho Ridge、Cathedral Peak、そしてFairview Dome。
II. Tuolumne大渓谷
Snach a pan of bread and run to the Tuolumne. How blessed it would be to be banished to the Canyon!(略)The Canyon has something grand and good for everybody. – John Muir「Muirの日記より」
Hetchy Hetchy渓谷とTuolumne Meadowsの間は、Grand Canyon of the Tuolumne Riverと呼ばれ、最大高度差5,000ftにも達する大渓谷が20マイルにわたって続いています。ヨセミテ国立公園には数多くの渓谷がありますが、ここだけが”Grand Canyon”という名を冠しています。この谷の探査を初めて行ったのはCalifornia Geological SurveyのClarence Kingです。Whitneyの「The Yosemite Book」に拠れば、Kingはこの大渓谷をTuolumne Meadowsから下っていきましたが、途中狭隘な谷に阻まれ、其処から先Hetch Hetchyまでは未探査のままとなってしまいました。その後、Kingが敗退した谷は、ヨセミテガーディアンのGalen ClarkとともにMuirが初遡行し、後にMuir Gorgeと命名されます。Muirは1870年代初期に、幾度かに分けてTuolumneの探査を行い、Hetch HetchyからMt. Lyellに到るTuolumneの全区間を歩いた最初の人となります。
Muirがその完成を望んだとされる大渓谷内のトレイルは、1925年に完成しました。この全トレイルを歩くための最短ルートは、White Wolf(西側)とTuolumne Meadows(東側)を結ぶもので、全長30マイルほどあります。ルートのほぼ中央にはMuir Gorgeがあり、そこからGlen Aulinまでの間が渓谷の核心部といえるでしょう。深いV字状の谷底には、巨大なボルダー、プール、原生林が次々と出現し、飽きることがありません。Tuolumneの三大瀑布(下流からWaterwheel、LeConte、そしてCalifornia Falls)はヨセミテ渓谷の垂直に落ちる滝とは異なり、斜めに流れ落ちていくTuolumneの水のエネルギーを、まさに水際で堪能する事ができます。滝が巻き起こす水煙は光を浴び、虹がいたるところに現れます。California FallsとGlen Aulinの間は、谷が突然U字状となり、長さ1マイル、幅1/4マイルほどの平らな谷底が広がります。初夏には、アスペンの白い幹と緑の葉、取り囲む灰色の岩壁と青い空のコントラスト、そしてそれらを映す水でたいへん綺麗なところです。谷の東端にはGlen Aulin High Sierra キャンプ場があり、夏にはBackpackerやTuolumne Meadowsからのハイカーでにぎわいます。その上流側にはWhite Cascade及びTuolumneの2滝があり、ここでもまたTuolumneの水が轟音を立てて流れ落ちています。初夏、水が溢れるTuolumne大渓谷への探訪は忘れられない思い出になる事でしょう。
写真上(1):California FallsとWildcat Point。
I. Hetch Hetchy Valley
”Imagine yourself in Hetch Hetchy on a sunny day in June, standing waist-deep in grass and flowers(as I have often stood), while the great pines sway dreamily with scarcely perceptible motion.” - John Muir, 「The Yosemite」より
Hetch Hetchy渓谷は、ヨセミテ渓谷がマリポサ大隊により探査される1年前の1850年、ハンターのJohn Screechによって発見されました。Whitneyの”The Yosemite Book”や、Muirの”Hetch-Hetchy Valley: The Lower Tuolumne Yosemite”による紹介があったものの、ヨセミテ渓谷に比べて、スケールに見劣りがするためか、訪問者も少なく観光化が進むことはありませんでした。それゆえ、ヨセミテ渓谷とはまったく異なる運命をたどることになります。1901年には、慢性の水不足に悩むベイエリアの水源となるべく、ダム建設の候補地に挙がります。Muirを会長とするSierra Club?どが中心となり反対運動をしましたが、最終的には1913年には連邦により建設の許可がおり、1923年には現在のO’Shaughnessyダムが完成し、谷底は水没してしまいました。
Muirはその著作で、Hetch Hetchy渓谷がヨセミテ渓谷に酷似しており、El Capitan、North Dome、Cathedral Rockに位置・形状ともに相当する岩壁があること、またBridal VeilやYosemite Fallsに勝るとも劣らない滝があると書いています。これらはTueeulala Falls及びWapama Fallsと呼ばれ、ダムの上から望む事ができます(夏には枯れてしまうので、初春と初夏の間が滝を見ることができる時期です)。Hetch Hetchy Domeのすぐ左側で、湖に大量の水を放出しているWapama Fallsは、その上半分が岩壁の影になっており、全貌を見るためには、ダムから片道2マイル半ほどのハイキングが必要です。滝の真下にある橋からは、高度さ1700ftの岩壁を段々状に流れ落ちる水の轟音と飛沫を楽しむことができます。更に湖岸を3マイルほど進むと、Rancheria Creekに至り、緩やかな斜面にできたRancheria Fallsの流れを楽しむ事ができます。写真家Galen Rowellは、その著書「The Yosemite」の中で、二つの渓谷を比べ、ヨセミテ渓谷は人で、Hetch-Hetchyは(ダムの)水で溢れていると面白い言い方をしました: ”I found myself actually preferring Hetch Hetchy’s flood of water over Yosemite Valley’s flood of people.” 確かにHetch Hetchyは、「水」と「岩壁」に囲まれながら、もう一つのヨセミテの歴史に思いをめぐらせることができる、静かな場所に違いありません。
写真1:O’Shaughnessyダムの上から見るHetchy Hetchy渓谷。写真ではよくわからないが、中央にWapama Fall、その左にはTueeulala Fallsが見えている。かなり短い間ではあるが、3本目の滝も出現する。Wapamaのすぐ右はHetch Hetchy Dome。湖の右側の岩峰はKolana Rock。