小圃千浦とヨセミテ

Chiura Obata and Yosemite




小圃千浦「ヨセミテ、宵の月」1930



 チウラ・オバタ(小圃千浦/1885-1975 カリフォルニア大学バークレー校名誉教授)は戦前からヨセミテを日本画で描きつづけた画家である。ヨセミテへのスケッチ旅行をきっかけに認められ、カリフォルニア大学バークレー校の美術部教授を務めるが、第二次大戦中は不幸にも日系人強制収容所へ拘留されてしまう。しかし生きる希望を失わず、収容所内で美術学校を開き、ここからその後多くの日系人アーティストを輩出することになる。
 チウラは岡山に生まれ、仙台で美術教師をしていた兄六一の養子となり仙台で育つ。14歳で家出し東京で邨田丹陵(むらた・たんりょう)の弟子となり、3年後若干17歳で日本美術院正会員になるが、1903年18歳で単身渡米する。サンフランシスコで舞台美術や邦字紙のイラストなどで生計を立て、1912年には妻ハルコと結婚する。1927年カリフォルニア大学バークレー校の美術部教授ワース・ライダーにヨセミテ渓谷へのスケッチ旅行に誘われたことが、チウラの大きな転機となった。(この仲間の中には写真家アンセル・アダムスもおり、ふたりは親友となる。)
 チウラはシエラネバダ山中にキャンプし、2ヶ月間魔物にとりつかれたように制作に打ち込み、150枚ものスケッチを描いた。バークレーに戻り、ライダー教授により大学で日本画デモンストレーションの機会を与えられるが、多くの学生が押し寄せたため、チウラは大学の講義をもつようになる。
 同年個展「ヨセミテ・シリーズ」を開催し、大きな評価を得るようになる。その後日本でも浮世絵版で有名な高見澤商店による木版画で「ヨセミテ・シリーズ」を出版している。
 1941年日米は開戦。西海岸では日系人11万人が適性外国人と見なされ、強制収容所へ送られた。チウラもタンフォラン収容所に送られるが、「いかなる状況下にあっても、教育は食糧同様に重要だ。なかでも芸術は、もっとも建設的な教育だと信じる。」との信念のもとにミネ大久保、日比松三郎・久子夫妻などとともに「タンフォラン美術学校」を収容所内に創立した。同美術学校には6歳から70歳以上、600人もの人たちが受講したという。その後トパズ収容所に移り、そこでも美術学校を開校する。
 終戦後チウラは大学に復職、バークレー校で名誉教授となる。その後の人生は日本の自然と文化をアメリカ人に紹介することに捧げ、また毎年ヨセミテでのキャンプとスケッチは欠かさなかった。
 ヨセミテの大いなる自然はチウラのアーティストとしての感性をさらに磨き、また生きる希望を与えたといってもいいだろう。
 チウラの孫娘Kimi Kodani Hillはバークレー市内に住み、チウラの作品を散逸から守り管理している。画集「Obata’s Yosemite」(1995,Yosemite Association発行)の発刊にも尽力し、現在は同会の理事として活躍中である。このファミリーは4世代にわたってヨセミテに通いつづけ、キャンプ&ハイキングを愛する素晴らしいひとたちだ。
 またいま、カリフォルニア大学バークレー校植物園にはチウラとハルコ・オバタ夫妻を記念した日本庭園とゲートがある。(写真は1942年タンフォラン美術学校で教えるチウラ)

(参考:下嶋哲朗「アメリカに生きた日系人画家たち〜希望と苦悩の半世紀1896-1945」日本テレビ放送網1995)
参考WEBサイト
The Great Nature of Chiura Obata

にしむら@ヨセミテ大好き!






西村仁志(にしむらひとし)
京都生まれ京都育ち。20代から環境教育や自然体験に興味をもち、何かしたい思いがふつふつと湧いて、周囲の心配をよそに1993年勤め人をやめる。アメリカへの一人旅のあと、無職で家族とたのしく暮らしていたら「環境共育」と”Colors of Nature”のキーワードに出会い、個人事務所「環境共育事務所カラーズ」を開業。環境共育と市民参加のコーディネートがお仕事。2006年からは同志社大学大学院総合政策科学研究科准教授を兼業。
1995年からヨセミテに通いはじめて、その奥深さと楽しさにすっかりハマってしまっている。妻と1女1男あり。
(写真はマウント・ホフマンにて)
1995 妻同行。4マイルトレイルを歩く。ミラーレイクへの乗馬ツアー。
    マリポサグローブ。ツォロミーメドウズ、モノレイク行き。
1996 ハーフドーム登頂
1997 家族同行。ヨセミテ滝、イーグルピーク登頂。
1998 ツォロミーメドウズで1週間キャンプ。
    ランバートドーム、マウントホフマン、クラウズレスト、マウントデナ登頂
    グラニットレイク周辺クロスカントリーハイク
1999 ツォロミーメドウズで1週間キャンプ。
    グラニットレイク周辺クロスカントリーハイク、マウントホフマン登頂
    ライエル渓谷(ジョンミューアトレイル)ハイキング。
2000 6月 アッパーパインキャンプ場で4泊5日キャンプ。
    ラフティングなど、お気楽に過ごす。
2000 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。長男同行。
    Budd Creek、Budd lake、カシドラルピークをめぐるハイキング。
    グラニットレイク周辺クロスカントリーハイク
2001 6月 アッパーパインキャンプ場で4泊5日キャンプ。家族同行。
2001 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。モノパスへのハイキング。マウントホフマン登頂。
2002 6月 アッパーパインキャンプ場で4泊5日キャンプ。特筆すべき行動はないがタイオガパスを越えマンモスレイクス+ホットクリークへ。
2002 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。20 Lakes Basinへのハイキング。マウントホフマン登頂。
2003 6月 アッパーパインキャンプ場で5泊6日キャンプ。公園内のほぼすべての車道を走破した。
2003 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。テナヤピーク周辺ハイキング。マウントホフマン登頂。
2004 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。コネスベイスン、カシドラルレイクをめぐるハイキング。
2005 6月 アッパーパインキャンプ場で5泊6日キャンプ。
2005 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。グラニットレイク周辺クロスカントリーハイク。ジョンソンピーク登頂。
2006 8月 ツォロミーメドウズで4泊5日キャンプ。乗馬したり、周辺ブラブラでお気楽キャンプ。
2007 3月 マリポサ3泊でヴァレーの散策とスノーシューハイク。
2008 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。ドッグレイク周辺ハイク〜ランバートドーム登頂。Mt.ホフマン登頂。
詳細な経歴書はここにあります。
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加藤則芳「ジョン・ミューア・トレイルを行く」を読む

Noriyoshi Kato “John Muir Trail”
 
この本のもとになった作家−加藤則芳さんのジョン・ミューア・トレイルの旅についてはNHK-BSで「アメリカ自然保護の父ジョン・ミューアの道を行く」(1995年9月)として放映されたもの。ちょうどその夏に私は初めてのヨセミテへの旅へ出かけて帰ってきたばかりだったので、この映像は鮮烈なものだった。
 ジョン・ミューア・トレイルは、この本でも詳しく紹介されている通り、ヨセミテ渓谷から、セコイア国立公園まで延々340キロにわたって整備された原生自然トレイルである。
 加藤さんは実はこの前年にもこのトレイル全行程踏破を試みているが、両足首の疲労による捻挫によってあえなく「痛恨のリタイア」を喫している。このことも包み隠さず、この失敗で得た教訓を活かして、2年目のチャレンジを図って成功したのだ。
 よく誤解されるのだが、「バックパッキング」と「キャンピング」はイコールではない。「キャンピング」は巨大トレーラーのキャンピングカーでの生活までもが含まれるが、「バックパッキング」には妥協がない。自分の背中に背負える分だけの装備が全てで、まさに家を全部背負って歩くわけだ。私自身は重い荷物を持って歩く「バックパッキング」はあまり好きではない。キャンプ場に定住して毎日軽装デイパックで、あちこち歩き回るスタイルがいい。トレイルでも軽快で楽しい。しかしこの本を読むと、重い荷物を背負ってでも出かけてみようかとという誘惑にかられる。
 この本でも紹介されているが、ヨセミテのトレイルやキャンプ場で出会うのはアメリカ人ばかりではない、ドイツ、フランス、イギリス等からきた欧州人もいっぱいいる。日本人はどうしているかというと、日帰りツアーバスでヨセミテ滞在時間は3時間。自分の足で歩くのはレストランとギフトショップの中だけという悲しい旅だ。
 話が横道にそれたが、この本は実践資料類も充実しており、ヨセミテ国立公園はもちろん、シエラの山々をバックパッキングで歩きたい、キャンプしたい方の必読書としてお勧めする。この本をたよりにシエラの山々を歩きまわる楽しい人たちが増えてほしいものだ。もちろん”ヨセミテ国立公園大好き”もよろしく。(平凡社・2200円)

Oakdaleの中華料理屋「Pearl Palace」


 ヨセミテをチェックアウトしてベイエリアへの帰り道に120号線を使うと、OakdaleかEscalonあたりでランチタイム(もしくは早めの夕食)になる。ファーストフード店はいろいろあるのだが、それでなくともヴァレーではサンドイッチやらハンバーガーばかり食べているので、チャイニーズにはつい惹かれてしまう。
 この「Pearl Palace」はオークデールの街中、120号添いにあるので、分かりやすい。店の見た目はボロいが、安くてボリュームがあり、うまい。もちろんパーキングあり。

11回目のヨセミテの旅(2002.8/20〜9/1)



Helen LakeからNorth Peakをのぞむ

毎年8月はTuolumne Meadowsのキャンプ場に5泊するのが通例になっている。しかし今年のこの時期の旅はHawaiiにしようかどうかという迷いがあって、キャンプ場予約開始日の4/15に予約を入れることができなかった。その後もぐずぐずしていると「ついに今年はヨセミテに行けるよ」とYさんから連絡があり、その言葉に後押しされて、遅蒔きながら5月になってからプランを開始した。
キャンプ場の予約状況をみているとやはりTuolumne Meadowsの8/23,24の週末は予約はすでにいっぱいになっていた。そのため今回はWawonaのキャンプ場に2泊し、その後Tuolumne Meadowsに3泊という変則的な日程で行くことになった。

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10回目のヨセミテの旅(2002.5/28〜6/7)


タイオガレイク

ほんとうはこの年2月に10回目のヨセミテとなるはずの旅を計画していたのだが、9/11テロのあおりをくって、最終決断が延び延びになって結局中止してしまった。
記念すべき10回目は3ヶ月遅れの5月にようやく実現した。そういえば前回の9回目のヨセミテは帰りにハワイ島に寄って帰ってきたので日本の帰国は9/7。事件はその4日後だったので、もうすこしで足止めを食って帰れなくなるところだった。(ハワイに足止めなら大歓迎だが。)
今回は、たつろうさん、けいこさん、えいこさん、橋本ファミリー4名にあさやんと私という総勢9名の賑やかな旅だ。

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9回目のヨセミテの旅(2001.8/21〜30)


マウント・ホフマン頂上にて

8/21

台風11号の襲来で当初乗るはずの関空発UA810は欠航。UAと電話で連絡を取り合うがその後もキャンセル待ち。当日19時成田発UA826ホノルル乗り換えで行けることが分かり、取り急ぎ京都駅から新幹線で出る。
ダイヤは大幅に乱れており、おまけに満席でデッキに立つ。なんとか間に合う時間に東京に着けるはずが、大雨のため浜松で足止め。結局1時間ストップして、この計画もお流れ。翌日成田出発でサンフランシスコで合流予定のケンちゃんに連絡をとり、この日は千葉のケンちゃん宅に泊めてもらうことになった。

8/22

朝9時、ケンちゃんと一緒に成田空港へ向かう。京成電鉄で約45分と便利がいい。この時点でUA852サンフランシスコ便(1600発)はキャンセル待ち。UA838サンフランシスコ便(1725発)も同様であった。そして頼みの綱UA826ホノルル行き(乗り継ぎでサンフランシスコへ)はOKが出ていたのだが、なんと欠航になっていた。(ショックー)ケンちゃんはUA838を無事チェックイン完了。(いいなー)
翌日関西発の臨時便はOKが出ているが、もう成田では後がない。もう関西には戻りたくない。
カウンターでは15時にもう一度来いと言われる。ケンちゃんと一緒に昼食をとり(喉を通らないが)、一緒にラウンジで時間待ち。
1500、ケンちゃんを残しもう一度カウンターへ。(ケンちゃんのUA838はこの時点で3時間遅れに)
3〜4席空席がありそうだということでとりあえずゲートに行ってくださいといわれ、荷物を預けて「やったー」と出国手続きを済ませ、ゲートに向かう。ラウンジのアライさんにも「乗るよ」と電話。
ところがゲートのカウンターでは、「その後その空席は埋まってしまいました。チェックインしてゲートに現れない人が出れば別ですが・・・」、そしてゲートの係員はぼくの荷物を降ろす指示を電話で出している。
「ガーン!話が違うぞー!」
という間に搭乗が始まる。横で祈る気持ちで待つ。
待つこと約10分。また係員が電話でやりとりしている。「その1席使ってもいいですか?」と聞こえる。「ニシムラ様!」と呼ばれる。「乗っていただけます。」「ありがとうございます!」
他にも数人待っていたようだが、これはプレミアメンバーの威力だ。
そしてその席はビジネスクラスだった。ラッキー×2。
この日2回目の朝9時30分、サンフランシスコに無事到着。レンタカーを借り出して駐車場に停め、まずはマーくんが関西空港から到着。そして国内線でロスアンジェルスから到着のヒロミちゃん、ミホちゃんを出迎え。3時間遅れのケンちゃんを皆で食事をしながら待ち、ついに午後3時まえに全員集合してバークレーに向かった。
アウトドアストアR.E.I.で買い出しのあとホリデイインエキスプレスにチェックイン。

8/23

朝起きて7時、同室のケンちゃんとロビーに朝食に降りる。コーヒー、ジュース、マフィンやドーナツ。8時出発の約束をしているがあと3人はいつまでたっても降りてこないので内線電話してみるとまだ寝てた。(6月一緒に行ったIさんもそうだったので必ずモーニングコールしないとね)
出発はやや遅れて8時10分。ほぼ予定通り1200クレーンフラットのガソリンスタンドに到着し昼食。
タイオガロードに入り、オルムステッドポイント、テナヤ湖、ビジターセンターにストップして、1430 ツォロミーメドウズキャンプ場にチェックインした。
テントを設営して、ほっこりとしていたら赤色の4WDがサイトにやってきた。マリコさんとボーイフレンドのタカさんだ。(ふたりとも20代)5月頃からぼくにメールをくれていて、今回はサイトを訪ねて来ることになっていた。
全員の紹介をして、いろいろ長い話をしていたらもう夕方。マリコさんとは翌日ハイキングに一緒に行く約束をして二人は下山。ストアに食料やビール、薪を買いだしに行く。
この日はキャンベルの野菜スープ。夜は焚き火を囲んでみんなでしりとり大会。寒いな〜。7度くらい。

8/24

6時に起床してお湯を沸かしていたら、タカさんに送られてマリコさんやってくる。タカは仕事でヴァレーへ。マリコさんも一緒に朝食を食べる。マンモスには唯一のスーパー「ボンズ」があって、その話をいろいろしてくれる。
今日はモノパスへのハイキング。マリコさんは話好きで、皆といろんな話が弾む。ぼくのこともえらく持ち上げてくれる。(「にしむらさんは京都のジョンミューアです。」)
景色がきれいで高低差の少ない楽なコースで、2日目の小手試しには最適。
昼食後、峠を越えてモノレイクを望むポイントまで歩く。
1500に帰着。ライエルフォーク川の水浴びの場所とやり方もみなさんに伝える。(今回はキャンプサイトが川に近い)今回はゴーグルがあるので潜ってみると綺麗なニジマスがつかめそうなところにたくさんいた。
なんとこの日はショップが停電で閉鎖。こまった。もう薪もないし。タイオガパスリゾート(クルマで15分)に買い出しに行く。
1830からマーガレット・アイズラーのフルートのレンジャープログラムに皆で参加。参加者は毎年は多くても20〜30人ほどだが、今回は50人以上いた。すごい人気!
サンセットとフルート演奏に感動していた。
キャンプサイトに戻って、皆一緒に夕食。タカも仕事を終えて合流。今日ガイドのプログラムで使ったというブラックベアの皮を見せてもらう。
火を囲んで、みなでしりとり。

8/25

今日は朝から麓の街リーバイニングでお洗濯と買い物。またまたマリコ&タカと1130にモノレイクのビジターセンターで待ち合わせ。モービルガスステーションで一緒にランチを食べた後、モノレイク湖畔を見に行く。ハエが水面に黒々といる。「ケンちゃん、あそこに浮いて」と女の子達は容赦ない。
マリコ&タカは明日からサンフランシスコへ行くということで、ここでお別れ。ありがたいことに薪をたっぷりといただいた。
午後は休息、昼寝、川遊びなど自由。
なんと夜2130にカズさんグループが隣のサイトに到着。彼らの分もサイトを予約しておいたのだ。カズさんご夫妻のほか友人含め計7名。大騒ぎしてテント3張たてて就寝。

8/26

今日はマウントホフマン行き。朝ご飯と片づけを簡単に済ませて、0800に出発。0820メイレイクの駐車場にクルマをとめ、まずはメイレイクをめざす。0850到着。(結構早い)
休憩を終えて0900にまた歩き出す。皆なかなかの健脚でバテる人がいない。3度ほどの休憩だけで1030にあっさり頂上に着いてしまった。(このペースは後日私のハイキングの師匠もびっくりしていた)
ここから見るとヨセミテ渓谷は山火事の煙が充満している。その向こうでは4ヶ所程から煙が上がっているのが見えていた。
ほんとは頂上でランチと思っていたが、これではキャンプに帰れてしまう。早く帰ってメドウのグリルでハンバーガーを食べようという提案をしたら、みんなもそうしようということになり急ぎ下山。
午後はまた川遊びその他。
夕食はカズさんグループと合同。こちらは焚き火でチキンを焼くのとシーザーサラダ。カズさんグループはパスタやカレーほかいろいろ。途中ケンちゃんがサンセット見に若者たちを連れて行く。帰ってきたらまた食べて、こんどはスターウォッチングに出かけていく。その間ぼくはワイン飲みっぱなし。

8/27

残り日程が少なくなると、みな早朝の時間も惜しんで散歩に出かけている。ケンちゃんはもうどこか山の中に消えている。
ちょうど出るタイミングが合い、ミホちゃんと川をさかのぼる散歩へでかける。帰ってきたらヒロミちゃんがコーヒー入れてくれていた。うれしー。
今日はヨセミテ渓谷へ。タイオガロードを下っていくと、「わー」っと歓声が上がるところでも、なんと煙っていて何がなんだかわからない。降りきってトンネルビューまで上がり、クルマを降りるが、またまた何にもわからない。「ほんとはここから、こんな景色が見えてね」って言っても始まらない。ひどいもの。
ほんとはグレイシャーポイントへと思っていたがこれはキャンセル。
まずはブライダルベール滝をみて、(6月と比べるともう水量はチョロチョロ)、クルマをカリービレッジに置いてハッピーアイルへ。調子が良ければヴァーナル滝の下まで行こうかなと思ったが、いまいち皆の士気があがらない。「さきにピザ食べよう!ごちそうします。」ということでカリービレッジに戻る。
おいしいピザだったが、またまた士気が上がらない。
どうも暑いのと、景色が良くないのと、人が多いこと。それもいかにも観光客っていう人びと。ツォロミーの涼しさやハイカーやキャンパーの素朴さにすっかり慣れてしまうと、ヴァレーはいかにも俗世間なのだ。
そんな中ヨセミテ・ミュージアムではいい出会いがあった。いつもなら先住民のおばさん(ジュリア・パーカーさんとか)がかご編みの実演をしているところで、この日はレンジャーのシェルトン・ジョンソンが民族楽器の笛を何種類も持ってきて解説しながら吹いていたのだ。いろいろやりとりもして、楽しい出会いだった。
いちおうビジターセンター、アンセルアダムスギャラリー、ビレッジストアと一巡して、アワニーで休憩。ミホちゃんが「私たちのキャンプに帰ろう」という。やっぱりここに居場所がないのだ。
すこし空気が澄んできたので、エルキャピタンを見た後、もういちどトンネルビューを見に行く。こんどはバッチリだった。良かった。
夕食はキャンプに帰ってから、デリで買ったサンドイッチを切ってみんなで分けて食べた。

8/28

また皆早起きで、どこか朝のお散歩に。今日はメドウの真ん中で朝焼けを拝む。もうこれで最終日。
残りの食料を食べきって、食器やコッヘルも後片づけ。シュラフやテントもたたみ、荷物をまとめる。
結局出発は1000になってしまった。カズさんグループも。
途中オークデールのマクドナルドで昼食。1500バークレーの師匠宅に一同立ち寄ってお茶をいただきながら5日間の報告。そしてベイブリッジを渡ってサンフランシスコへ。ミヤコインのチェックインは1600だった。
1700 友人のオサム&アキコ夫妻日本よりミヤコインに到着。彼らは翌日からモントレー&ヨセミテへの旅だ。ジャパンタウンの中華料理屋で皆で夕食。あとでカズさんグループもやってきて総勢なんと14名になった。
カズさんグループを送り、翌日の朝ご飯を買い出しにスーパーへ。

8/29

キャンプの癖で早起き。ケンちゃんと部屋で朝食をとり、朝のお散歩へ行く。
メールチェックしたら、「EVN」さんからメールが入っている。「空港近くのモーテルにいるので、会いませんか」という内容。
0830オサム&アキコ夫妻を送り、ぼくらは0900に出発。空港でみなでお茶して、ゲートへ向かう皆を見送って解散した。
「EVN」さんに電話し、昼食を一緒にすることになった。サンマテオのダウンタウンの日本料理店。いろいろ旅の話をし、今夜よければルームシェアしましょうということになり、半額を出して泊めてもらうことになった。「レッドルーフイン」という宿で約70ドル。
この日は1830にすやまさんの家に集合となっている。「EVN」さんも同行。
「せーちゃん」「カネゴン」もやってきて、一緒に夕食しながらヨセミテの話しました。その間、「EVN」さんはほとんどすやま家のベビーシッターでした。

8/30

朝6時起床。「EVN」さんもこの日はゴルフということでつきあって早起きしてくれる。支度をして、「EVN」さんに見送られて出発。ありがたいことに空港までは10分もかからない。レンタカーを返却して、UA国内線カウンターにいく。早朝からもうたくさんの人が来ていて、「プレミアメンバー」用の列に並ぶが、こっちはこっちで長い行列。もしかすると一般の行列のほうが短かったかも。無事チェックインをすませて身軽になって、やっと朝食へ。ゲート近くのカフェでマフィンとカプチーノ。
出発時間まで1時間以上あるのでメールの返事をかきためる。
今回は日本には帰らない。このままハワイ島のコナへ行く。次の旅が始まる。

8回目のヨセミテ行(2001.5/29-6/2)

今回は家族+ゲスト4名という構成で行ってきました。

サンフランシスコ空港は新国際線ターミナルが完成しています。(2001.5/29)

今回は全員で8名と人数が多いのでハーツレンタカーで大きなバンを借りました。14人乗り。出発前にバークレーのホリディインエキスプレスで撮影。(2001.5/30)

バークレイから580号〜120号を使ってヨセミテに行きますが、途中の街エスカロンでいつもこのフルーツスタンドに立ち寄ります。いまどきの旬はチェリーとストロベリーです。(2001.5/30)

クレーンフラットのゲートです。1年間有効のナショナルパークパスを買って入場します。(2001.5/30)

ピクニックランチをしたクレーンフラットの森の中でSnowPlantを見つけました。(2001.5/30)

滝の水量はピーク。エルキャピタン近くの寿命の短いリボンフォールも流れています。(2001.5/30)

ヴァレーでは低公害エンジン+エアコン付きの新しいシャトルバスが走っています。(2001.5/30)

ミラーレイクへのハイキングに出かけました。(2001.5/31)

BBSでもおいしいと評判のカリービレッジのPIZZA PATIOです。行列ができています。(2001.5/31)

焼き上がりはほれこの通り。トッッピングで具を指定するのを忘れないように。(2001.5/31)

マーセド川でラフティングを楽しみました。カリービレッジでレンタルもあります。この楽しみは水量の多い時期だけ。(2001.5/31)

なかなか優雅でしょう!ハーフドームやヨセミテ滝など川からのビューポイントが次々と現れます。(2001.5/31)

ときには岸辺にボートを寄せて、水遊びです。(2001.5/31)

「あこがれの」アワニーホテルのメインダイニングで、はじめて朝食をとりました。雰囲気を楽しむだけなら朝食で十分かも。(このホテルは夕食はドレスコードがあります。)(2001.6/1)

グレイシャーポイントです。(2001.6/1)

ミストトレイルのハイキングで、ヴァーナル滝の上まで上がりました。水しぶきを浴びて気持ちよかったです。この時期ならではのハイキングですね。(2001.6/2)

日本+ベイエリアの友人たちとキャンプディナー。大勢で楽しみました。(2001.6/2)

7回目のヨセミテ行(2000.8/21〜30)


カシドラルピークをめぐるハイキング
今回は、3名の同行者に加えて小学校2年生になる息子、悠希が一緒にいく。彼は3年ぶり2回目のヨセミテだが、キャンプは初めて。さてどうなることやら。

8/21(月)
大阪伊丹から羽田。さらにリムジンバスに乗り成田空港から出国。サンフランシスコへ。
エイビスでレンタカー(ミニバン)借り出し、一路バークレーへ。
セール中のSierra Designsでダウンベスト。R.E.I.バークレー店で寝袋、マットなどを買う。(友人宅泊)

8/22(火)
オークランドに先週にオープンしたばかりの”Chabot Space & Science
Center”を見学。(友人宅泊)

 

8/23(水)
朝のラッシュアワーを避けるため6時に友人宅発。ベイブリッジ混雑しているが、まだそれほどでもない。
フォートメイソンのユースホステルへH君を迎えに行く。
8時ユニオンスクエアのクラウンプラザへNさんを迎えにいく。ここまで順調。
再びベイブリッジを渡り、580号でカストロバレーへ。BARTのカストロバレー駅前で10分遅れでKさんをピックアップ。
その後も120号線を順調に走り、12時には国立公園ゲートに到着。
クレーンフラットの森の中でランチ。
120号線(タイオガロード)さらに東へ向かいTuolumne Meadowsキャンプには2時30分に到着。

8/24(木)
2日目で少々キツイのだが、バッドレイクとカシドラルピークをめぐる日帰りハイキングにでかける。
バッドクリーク、バッドレイク(ここはオバタチウラが描いた湖)そしてカシドラルレイクを回って帰る。

Budd Lake
この日はみな疲労こんぱい。
元気な人は夕方のレンジャープログラム”Music for Parks”へ出かける。

8/25(金)
リーバイニングへ降りる。ランドリーで洗濯の間に近くのショップを見て回る。
モノレイク・ビジターセンター。
ゴーストタウンBODIEまで足を伸ばす。遠かった〜。

BODIEの町並み

夜はいつもの通り、火を焚いて、ビール飲んでお話し。悠希は焚き火をいじっていると元気。

キャンプファイヤー

8/26(土)
早朝雨
845発
ゲイラーレイクスへの半日ハイキング。途中レンジャープログラム一行と出会う。

Granite Lake
1320帰着
ハンバーガー食べてLyell Fork川で水浴び。悠希は川で大あばれして遊ぶ。
スポーツショップで偶然Mさん(東京の中学校の先生)と出会う。前に山梨で会ったことがある人。
キャンベルの野菜スープ+アルファ米でリゾット おいしかった。
夕方のレンジャープログラムに参加。”A Place for Music”オーケストラにいたことのあるレンジャー、マーガレットのフルートのプログラムだ。
これは夏のTuolumneの定番プログラム。
この日は快晴で西の山に日が落ち「サイコー!」

レンジャープログラム”A Place for Music”から

8/27(日)
6時30分出発でヴァレーへ降りる。お湯の出るヨセミテロッジで洗面、カフェテリアで朝食。エルキャピタン、トンネルビューを経てグレイシャーポイントへ。
降りてきてカリービレッジのピザで昼食。スモールでもでかい。(3人分はいける)
ここで解散自由行動。
ヴィレッジに移動し、お土産を物色。Nさんとアワニーホテルへ行き、テラスでビール。(おきまりのコース)
17時デリ前で集合。おなかが空いていないので、デリでサンドイッチとサラダを買い、帰路につく。
19時帰着。ビール、ジントニックで酒盛り。

8/28(月)
キャンプ撤収。9時20分に出発。
1420カストロバレー。その後、皆をバークレー、サンフランシスコに送り届け解散。
この日はサンフランシスコ・ジャパンタウンで夕食。

8/29(火)
8/30(水)
レンタカー返却し、UA809で関西空港へ。息子と二人ビジネスクラスへアップグレードでリッチな気持ちで帰国。

6回目のヨセミテ(2000.6/2-11)


6/2(金)
関西空港〜サンフランシスコ(UA810)。レンタカー(AVIS)借り出し、大韓航空で来る3人と合流。サンフランシスコ・ダウンタウンには向かわず、HWY101を南へ行き、「COYOTE POINT MUSEUM」の見学へ。その後ダウンタウンへ向かい、お連れ様はユニオンスクエア近くのカートライトホテルにチェックイン。私はベイブリッジを渡りバークレーの友人宅に宿泊。

6/3(土)
バークレーを出発。ナパバレーへと向かう。ユンヴィル周辺のワイナリー4つを巡る。試飲もさせてもらうがなにぶん運転手なので…。ユンヴィルの「VINTAGE INN」に宿泊。おいしいワイン飲んで寝る。

6/4(日)
ナパバレーを出発。途中ソノマ、サウサリートに立ち寄りサンフランシスコに到着。ジャパンタウンの「MIYAKO INN」にチェックイン。ここで今回ヨセミテに行く6名が全員集合。近くの中華料理屋でいっしょに夕食。

6/5(月)
朝8時に「MIYAKO INN」を出発。ベイブリッジを渡りHWY580に入るが途中道を勘違いして、オークランド市内に降りてしまい、またもういちど乗り直した道が24号で、Walnut Creekを経て580号に戻るべく680号に入るが、こんどは580号へのジャンクションをミスするなど散々で、おそらく30分以上のロス。帰りは単純にサンフランシスコのサインを見ていけばいいのですが、行きは途中の町の名前を(ナビゲーター共々)よく頭に入れて走らないとこんなことになる。
マンテカを経て、120号沿いのフルーツスタンド「GICO」で野菜、フルーツの仕入れ。BIG OAK FLATのエントランスからヨセミテ国立公園へ入園。クレーンフラットのガソリンスタンド&売店近くの森でサンドウィッチの昼食。
ヨセミテ渓谷に降りるが、そのまま奥には入らず、41号線に入って、「トンネル・ビュー」(ホームページの表紙写真のところ)を見に行く。
アッパーパインキャンプ場にチェックイン。今回のサイト27番は、スペースが広く、シャトルのバスストップやカリービレッジに近いなかなかいい場所でした。
一緒にヨセミテビレッジへお買い物。6時前にサイトに戻る。今回はバークレー在住の友人たち5名も近くのサイトで一緒なので、この日は「チリビーンズ」で交流会。デイタイムが長く、8時過ぎまで明るい。

6/6(火)
朝食後、今日はクルマに乗りグレイシャーポイントまで上がる。8時40分出発。ヨセミテフォール〜エルキャピタン〜グレイシャーポイントへ。
お昼にカリービレッジに着き、TさんYさんSさんはランチと買い物。Kさん親子とサイトに戻り、昼食(カレーマルシェ)。午後2時、Kさんのお嬢ちゃんの「とびひ」を診てもらいに診療所へ行く。受付で氏名、住所などを記入。看護婦さんに呼ばれて体重計に乗り、子供用の診察室に行く。(ぬいぐるみや絵本などがおいてある。)
医師は女性で、丁寧に問診、触診をしてくれた。Kさんは英語がよくできないので、通訳お手伝い。抗生物質入りの軟膏を出してもらう。診察料と薬代で134ドル。カードやチェックでの支払いも可能。診断書や処方箋、レシートなど、旅行傷害保険の請求に必要な書類を全部くれた。
15時30分ラフティングへ。Kさん親子の申し込みのサポートに行くつもりが、12歳以上の「漕ぎ手」が2名必要とのことで、急遽自分も参加することになった。大人12.75ドル、子供10.75ドル。スタッフの諸注意のあと、自分でマーセド川までゴムボートを運ぶのだが、これがシンドイ。水量がとても多くゆったりと楽しんだ。
この日夕食は日本組担当で山梨名物の「ほうとう」。

6/7(水)
今日はTさんYさんSさんの20代女性3名はハーフドームへ。早朝6時45分に出発していった。
Kさん親子と私はタイオガロードを通り、オルムステッドポイント、テナヤ湖、ツォロミーメドウズ(ランチ)を経て、タイオガ峠のエントランスまで行く。ここはもう標高3000mで残雪もたくさんあった。ツォロミーメドウズのビジターセンターでは毎年レンジャープログラムでフルートの演奏を聴かせてくれる国立公園レンジャー、マーガレット・アイズラーと再会。
キャンプ場に戻りハウスキーピングキャンプにシャワーと洗濯に出かけ、お昼寝。午後6時にハーフドーム組が無事帰着。

6/8(木)
未明からひどい雨と雷。皆のテントはなんとか無事。しかし朝食はヨセミテロッジまで出かけることにする。洗面所もお湯が出るし、雨の中、気分転換にはいい。アメリカ組とこの日お別れし、私たちはワワナ〜マリポサグローブ方面へ。
マリポサグローブでヨセミテ・アソシエーションの会長スティーブン・メドレー氏と待ち合わせ。再会を喜びすこしお話。マリポサグローブはまだ雨だったがトラムツアーに寒さに震えながら参加。なんと上のほうは「雪」だった。


キャンプサイトに戻り昼食。午後はフリータイム。(私はアワニーホテルでビール。)夕食はヨセミテロッジ・マウンテンルームで野菜の補給。夜キャンプサイトで火焚いてワイン飲んでいたらクマ出現。

6/9(金)
早朝お散歩。草原に靄がかかり幻想的。キャンプサイトの後片づけ、チェックアウトを経ていよいよ出発。最後のお買い物をヨセミテロッジで済ませ、午前10時出発。帰りは順調に飛ばし、午後2時にはバークレーへ。友人宅に寄ってキャンプ道具一式を預け、巨大アウトドアショップREIに立ち寄ってサンフランシスコへ。「MIYAKO INN」にチェックイン。
フィッシャーマンズワーフで遊び、ノースビーチ(イタリア人町)でおいしい夕食。
深夜のKAL便で帰るKさん親子を見送り。

6/10(土)
ホテルをチェックアウト。残留するYさんに見送られ出発。ガソリンを補給してレンタカーを返却。ANA成田便で帰るTさんSさんの搭乗を見届けて、UA809のゲートへ向かう。チェックインの際に座席の指定がなくおかしいなと思っていたら、20名以上のオーバーブッキングがあるらしい。翌日の同便のビジネスクラス+ホテル代+国際電話代+200ドル現金又は500ドルのUA利用権でボランティア募っているが、日曜日中に帰らないと、月曜日には仕事の予定が入っている。うーん残念!

6/11(日)
満席のUA809で関西空港に無事帰国。