Tioga Road

タイオガロード(Tioga Road)は、ハイシエラ(High Sierra)、もしくはハイカントリー(High Country)と呼ばれるヨセミテ国立公園の高山地帯を、東西に横断する全長46マイルの山岳道路です。巨大な岩壁群と、滝の景観が見所のヨセミテ渓谷とは、全く趣の異なる三千メートルを越える山々、氷河によって作り上げられたドーム群、それらを取り囲む森林、湖、メドウなどの複合した景観を楽しむことが出来ます。以下シリーズで、Tioga Road沿いの見所・要所をまとめていきたいと思います。
[注意]:Tioga Roadは積雪のため、初夏から秋にかけての半年ほどしか開通していません。また道路開通・閉鎖の時期は積雪によって大きくずれますので、旅行計画には注意が必要です。


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[写真:Tioga Roadへの交差点]
まず初回はTioga Roadの西側の基点となるBig Oak Flatとの交差点です。此処はBig Oak Flatの公園料金所からCA120を8マイルほど進んだ地点、Merced Groveの少し先にあります。初めてヨセミテを訪れるときは、ヨセミテ渓谷に向かうことに気をとられ、気づかず直進してしまう所ですが、一度Tioga Road沿いでの楽しみ方を知ると、此処で左折する回数のほうが増えてしまいます。


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[写真:Gas Stand]
交差点のすぐ横にはガソリンスタンド(年中無休、24時間セルフサービス)があります。燃料に不安がある方は、此処で給油をしておきましょう。


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[写真:Crane Flatのメドウ]
交差点を曲がり、木立の中を半マイル弱も進んでいくと、やがてメドウが現れます。このあたりはCrane Flatと呼ばれています。John Muirは『My First Summer in the Sierra』(1911年)の中で、”It often visited by blue cranes to rest and feed on their long journeys, hence the name.”と、そこを訪れる鶴が名前の謂れであると書いています。余談ですが、Josiah Whitneyは、『The Yosemite Book』(1868年)の中で、El Capitan(エルキャピタン)がインディアンによって”Totokonula”と呼ばれており、それは冬にこの岩壁を越えて渓谷に訪れる鶴の鳴き声を真似た呼び方だと説明しています。 現在でも鶴が見られるのでしょうか。


T1
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[写真:Tuolumne Grove駐車場]
メドウのすぐ先には、セコイアの森Tuolumne Groveの駐車場があります。ヨセミテ国立公園にはセコイアの森が3つあり、最も有名なのは公園南端WawonaのMariposa Groveですが、他の二つはここと前述のMerced Groveです。両者ともMariposa Groveに比べかなりスケールが落ちますが、ヨセミテ渓谷やTioga Road周辺を訪れるついでに、セコイアの木を見てみたいという方には便利なスポット です。特にTuolumne Groveは駐車場から歩いて1マイル、高度差400ft.とアクセスの便がよく、一年を通し、週末にはかなりの人と車で賑わいます。
ところで、1833年に現在のTioga Roadにかなり近いルートでシエラネバダを横断し、ヨセミテ渓谷を初めて遠望した白人はJoseph Walkerの探検隊のメンバーですが、その一人Zenas Leonardは後に公開した日誌(1839年)の中で、”In the last two days travelling we have found some trees of the Red-wood species, incredibly large – some of which would measure from 16 to 18 fathoms round the trunk at the height of a man’s head from the ground.”と、巨大な木の発見を書きとめています。これがTuolumneなのかMerced Groveなのかは知るすべはありませんが、最初のセコイア発見の記録として知られています。


T2
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[写真:旧Big Oak Flat RoadとTioga Road]
Tioga Roadは、Tuolumne Grove駐車場(標高約6,170ft.)のすぐ先から、樹林帯の中の小さな尾根筋を幾度も回りこむようにして高度を上げていき、やがて平らな尾根の上(標高約7,000ft.)に出ます。ここは旧Big Oak Flat Roadと交差するところで、道路の左側にロードサイドマーカーT2が立っています。左側の旧道はCrane Flatへと下り、さらにTuolumne Groveを通り過ぎBig Oak Flatの公園入り口へと続いています。右側は、Tamarack Flatのキャンプグランドへのアクセスロードとして現在も車両通行が可能になっています。しかしその先は、徒歩でのみ通行可の廃道となり、Tamarack Creekを越え、El Capitanの西側の斜面を辿り渓谷へと下っていきます。この道路は1874年に開通した古いものですが、1940年には、現在の主要道路であるBig Oak Flat Roadが開通し、El Capitan近くで大きな岩崩れがあったこともあり、1943年に閉鎖されてしまいました。


T3
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[写真:Gin Flat]
T2マーカーの100メートルほど先はGin Flatと呼ばれ、T3マーカーが立っています。舗装された駐車場には簡単な案内板があり、Tioga Road、旧Tioga Roadの歴史が述べられています(”YOU ARE HERE”と書かれた現在位置の表記場所が誤っていますので注意)。旧Tioga Roadはヨセミテ国立公園(1890年制定)よりも歴史が古く、1883年にTioga Pass付近の銀鉱山への補給路として建設されました。しかし鉱山事業は数年で破綻してしまい、1915年、Stephen T. Mather(1916年よりNPS初代長官)は私費と集めた募金で道路を買い取り、政府へ寄付しました。Linda W. Greeneの『Historic Resource Study:Yosemite』(1987年)によると、Ginの名の由来は、昔此処を通過したワゴンからジンの酒樽が転がり落ち、それを見つけた労働者らが飲んで酔っ払い、いつまでも帰らず捜索騒ぎになったことにあるとのことからです。此処から先Tioga Roadは、TuolumneとMerced水系を分ける尾根に沿うようにして東へと進んでいきます。
Crane Flat/Tuolumne Grove駐車場(T1)—<3マイル>—Old Big Oak Flat Rd.(T2)—<0.1マイル>—Gin Flat(T3)


T4
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[写真4.1:T4マーカー]
Gin Flat(T3)から尾根沿いに1マイル進むと、T4マーカーのある未舗装の駐車場が右手に現れます。Yosemite Associationの『Yosemite Road Guide』には、1833年にWalker隊が、この尾根を通過したであろうと書かれています。今でこそTioga Roadを使い、車で1時間もあれば横断できるヨセミテですが、当時は獣道に近いようなインディアントレイルしかありませんでした。その上、Walker隊が山を越えたのは10月後半で、すでに初冬の嵐が通り過ぎ、かなりの積雪が残っていました。隊の記録係Zenas Leonardの日誌には、Mono Lakeを出てから食料も尽き、倒れた馬の肉を食べながらかなりの苦労をし、3週間をかけてヨセミテ越えをしたと書かれています。[注意:隊の横断についての案内板があるとのことですが、現在見当たりません。]


T5
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[写真:South Fork Tuolumne River(西向きに撮影)]
ここから道路は、わずかですが下り気味に尾根沿いを進んでいきます。そして1マイル強ほどで、突然右側に開けた谷が現れます。これはTamarack Creekの源流部で、大きな山火事の被害の跡が残っています。木は殆ど焼けてしまい、枯れた立木(Snag)が数多く見られます。そして日当たりがよくなってしまった斜面には、潅木がいっぱいに生えています。此処でHetch Hetchy方面とTamarack Flat CGを結ぶほとんど使われていないトレイルが横断し、谷の下流、Tamarack Flat CG方面には、『Devils Dance Floor』という面白い名を抱いたドーム状の山を望むことが出来ます。此処からTioga RoadはTuolumne水系の斜面に回りこみ、1マイル強ほどで長い直線部が現れます。その最低部にはSouth Fork Tuolumne Riverを越す橋が架かっています[写真4.2、進行方向の逆向きに撮影]。この沢は、Tioga Roadが開通してからしばらくの間、かなりの勢いで水が流れ、車を停めて見入る人々がよく見受けられます。
Gin Flat(T3)—<1マイル>—Walker Party(T4)—<2.6マイル>—South Fork Tuolumne River(T5)


T6
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[写真: T6 Smoky Jack]
South Fork Tuolumne River(T5)から1.8マイル進んだところに、Smoky Jackと呼ばれるT6マーカーがあります。ここは両側に林が迫り日当たりが悪く、ちょうど道路のカーブにあたり、簡単に見逃してしまいます。もし左側になだらかで広い岩の斜面が出てきたならば、すでに時遅しです。 Yosemite Road Guideによれば、ここには以前簡易キャンプ施設があったとのことで、確かに右側、木々の陰に平地が見えています(現在は岩でふさがれ侵入不可)。
Smoky JackはJohn Conellのニックネームで、1868年末から1869年5月末にかけて、John MuirがセントラルバレーのLa Grange・Snelling近くで羊飼いをしていたときの雇用主です。Muirは1872年に簡単な旅行記”Rambles of a Botanist Amoung the Plants and Climates of California.”を書き、その中でConnelが豆を主食とし、朝食のあとは汁のこぼれる豆をポケットにつめて昼食としていたこと、このため着ているオーバーオールやブーツは豆の汁を吸ってかなり分厚い物となっていたと、その奇異な習慣について書いています。どのような所以でこの人物の名がここに付けられたのかは、不明です。


T7
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[写真: T7 Red Fir Forest、進行方向逆向きに撮影]
T6を過ぎ、1.3マイルほど進んでいくと、道路の両側には立派なRed Fir(Abies magnifica:樅)が目立ちはじめます。Muirは『The Mountains of California』の中で、Magnificent Sliver Firとも書き、その見事なまでの対称さは、シエラネバダの巨木のなかで群を抜いており、その紫がかった赤い樹皮から簡単に見分けられると書いています。『National Audubon Society Field Guide to North American Trees』によると、Red Firは高さにして18-37メートル、直径30cmから1.2メートル、主に標高6000?9000フィート地帯に見られ、ヨセミテではかなりポピュラーな木だと書かれています。そしてMuirの文を真似るかのように、昔の山岳旅行者たちは、香りのすばらしいこの木の枝を切って重ね、ベッド代わりにしたと書いています。
South Fork Tuolumne(T5)—<1.8マイル>—Smoky Jack(T6)—<1.3マイル>—Red Fir Forest(T7)
注意:Smoky JackとRed Firの間の距離1.3マイルは、ガイドブックの数字をそのまま転用したものですが、間違い(近すぎ)があるように思えます。

Wapama Falls

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Hetch-HetchyのWapama Falls(写真中央、落差約1,300ft)にはかなりの水量がありました。小さな駐車場も満車状態(30台くらい)で、滝へ向かいハイキングをする人が結構いました。

Chinese Camp の民家

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120号ルートでYosemiteに向かうと、Oakdaleの町を過ぎて108号Sonora方面と分岐した先にChinese Campという小さな町があります。120号沿いにも数軒の民家が並んでいて、そのうちの一軒は庭先に着せ替え人形を置いて通行者を楽しませてくれています。人形の衣装は時事ネタを反映したものが多く、大統領選挙時には候補者になったり、ボンズの量産ホームランが注目され始めたら彼になったり、スペースシャトル打ち上げ時には宇宙飛行士になったり、ほぼ毎週着替えています。上の写真は今年10月下旬のもので、ハロウィンを控えてウィッチに仮装しています。付近に停車する場所は無いので、今度はさて何になっているか、と予想しながら通りがてら鑑賞してください。線路を越えて材木置き場のすぐ先、ヨセミテ方向に向かって道路右手にあります。

Crane Flat Lookout

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Crane Flat西側の丘の上には、今は使われていない(と思われる)火の見櫓、ヘリポート、そして無線の中継器があります。写真は、たまたま待機していたヘリコプター、消火用のと特大水バケツを準備しているスタッフ、パイロット、そして観光客です。後ろの山(Gin Flat方面)にはコントロールドファイアの煙が上がっています。

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オバタ・レイク

Obata Lake
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先日のJohnson Peak登頂のハイキングで、密かに楽しみにしていたのが「オバタ・レイク」です。
Tuolumne Meadowsの南方、Johnson Peakの麓には無名の湖が2つありますが、そのうち奥の湖が関係者の間で「オバタ・レイク」と呼ばれています。チウラ・オバタ(小圃千浦)が1930年に描いた「Lake Basin in High Sierra」の湖がこの湖だといわれています。
この絵はY.A.の発行する「Obata’s Yosemite」にも掲載されています。

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ル・コンテ記念館

Le Conte Memorial Lodge
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 ル・コンテ記念館は創設期のシエラクラブの活動に貢献し、1901年にヨセミテヴァレーで亡くなった地質学者ジョセフ・ル・コンテを記念して1903年につくられました。チューダー朝デザインの花崗岩+木造の建物です。

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IV. Lyell渓谷とMt. Lyell

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Pursuing my lonely way down the valley, I turned again and again to gaze on the glorious picture, throwing arms to inclose it as in a frame. – John Muir「In The Heart of The California Alps」
1863年7月1日、BrewerとHoffmannは、前日一緒にMt. Danaを登り終え、Big Oak Flatへと戻っていくWhitneyと別れ、Tuolumne Meadowsの奥にある谷の探査に向かいます。この日二人は、谷の再奥まで進みました。翌日、7時間かけて斜面を登り、樹林帯を越え、昔に「氷河で磨かれた」と思われる岩場を登り、雪渓を詰め、最高峰を目指します。しかしながら、頂上直下30メートルほどのところで行き詰まり、登頂を断念してしまいます。彼らによりこの山は、英国の地質学者の名前を取ってMt. Lyellと名付けられました。1871年8月29日、John Boies Tilestonが、このヨセミテの最高峰(13,114ft.)に初登頂します。1872年にはMuirが、Mt. Lyellのそれを含め、ヨセミテの高山に残る雪が雪渓ではなく、氷河であることを発表しました。
Tuolumne Riverは、Tuolumne Meadowsの東端でDana ForkとLyell Forkの二つに分かれます。現在Dana Fork沿いにはTioga Roadが、Lyell ForkにはJMT[註]が通っています。Lyell谷は、Tuolumne大渓谷と様相は全く異なり、幅が0.5マイルほどの底が平らで、空の広がった明るい谷です。ここではTuolumneの川幅はかなり広く、うねりながら静かに流れています。7マイルほど進んで、初めてMt. Lyellの遠望が可能となります。すぐに平らな谷は山裾に突き当たってなくなり、其処からは急登が始まります。登るほどに風景は変わり、アルペン的になってきます。Donohue Passへ向かうJMTをはずれ、緩やかなな谷を進んでいくと、Lyell氷河が目の前に広がります。かなりの長距離(往復20マイル強)になりますが、初夏の日が長く、草がまだ緑のときに、ハイキングやバックパッキングなどで訪れてみたい一帯です。
写真上(1):Lyell渓谷から望むMt. Lyell(白い山)

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III. Tuolumne Meadows

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This is the most spacious and delightful high pleasure-ground I have yet seen. The air is keen and bracing, yet warm during the day; and though lying high in the sky, the surrounding mountaints are so much higher, one feels protected as if in a grand hall. – John Muir「My First summer in the Sierra」
ヨセミテには、白人たちが訪れる遥か以前から、シエラを横断するトレイルがありました。これはMono Trailと呼ばれるインディアンの通商路で、Mono LakeからBloody Canyonを登り、Mono Passを越え、Tuolumne Meadows、Tenaya Lakeを経由、Porcupine Flatから、Yosemite渓谷やBig Meadow(Foresta)方面を結んでいました。1833年秋にヨセミテ渓谷を覗き見たJeseph Walkerらは、初めてTuolumne Meadows付近を通った白人と考えられています。1852年、マリポサ大隊のヨセミテ渓谷探査(1851年)に続き、再び酋長のテナヤを追うMoore中尉は、Tenaya Lakeを越えTuolume Meadowsに入り、一帯を探査、鉱脈を発見したりしました。こうしてTuolumne Meadowsの存在は人々に知られるようになります。まず、鉱山師たちがこの道を使い、Mono側へと越え始めます。1863年、California Geological SurveyのBrewerは、Hoffmannと共にヨセミテ渓谷からMono Trailを使ってTuolumne Meadowsに入り、Soda Springsにベースキャンプを構え、一帯の測量を行いました。そのときには、既に週に一度、荷物を積んでハイシエラを越えるMule Packがあったと書き残しています。1869年の夏には、Muirが羊飼いとしてこの地(正確にはDelaney Creek沿いのMeadow)に一ヶ月近くキャンプを設営し、合間を縫ってCathedral Peakへ初登頂、Mt. Dana登山、Mono Lake、Lyell渓谷方面への探訪などをしました。そのとき書きとめた日記は、後年(1911年)加筆修正が加えられ、「My First Summer in the Sierra」として発表されます。1883年にはTioga Road(ワゴン道、現在のTioga Roadはその一部を共用)が開通するものの、Tioga Pass近くの銀山Great Sierra Mineはすぐに閉山してしまいます。その後Tuolumne MeadowsではSoda Springs付近にJohn Lembertの私有地が認められたり、キャビンが建てらたりします(1912年にはSierra Clubへ売却)。また1901年にはSierra Clubの最初のアウティングの場所にも選ばれました。1915年には、一年後にできるNPSの初代長官となる、Stephen Matherを初めとする有志らによりTioga Roadが私費で買い上げられ、ヨセミテ国立公園に寄付されました。こうして車でのアクセスも可能となり、Tuolumne Meadowsは夏のキャンプ地としての利用が高まっていくことになります。
Tuolumne Meadowsは、標高8,500ft.付近にある長さ4マイル、幅1/4〜1/2マイルほどの草原地帯で、Tuolumne Riverがうねるように流れています。周りは10,000ft.を越える山々やドームに囲まれていますが、メドウとの間にはLodgepoleの林の斜面が広がり、垂直の岩壁に囲まれた圧迫感のあるヨセミテ渓谷とは異なった、開放感のある、ヨセミテ国立公園唯一の「風光明媚」な高地の宿泊地となっています。しかしながらホテル等の近代施設はなく、キャンプ・キャビンなどによるプリミィティブな滞在となります。ここでの最大のアトラクションは、メドウのランドマークでもあるLembert Dome[1,2,3]、Pothole Dome、Soda Springs、Dog Lakeなどへの散策です(地図)。時間がとれれば、Glen Aulin、Cathedral Lakes、Budd Lake、Young Lakes等を訪れることもお勧めします。
写真1(上):Tuolumne Medowsの西側から見たCathedral山群(南)。左からUnicorn Peak、Cockscomb、Eacho Ridge、Cathedral Peak、そしてFairview Dome。

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