Facebookグループ「ヨセミテ国立公園大好き!」

みなさま
WEBサイト「ヨセミテ国立公園大好き!/yosemite.jp」およびFacebookページ「ヨセミテ国立公園大好き!」をご覧くださり、ありがとうございます。
このたび「ヨセミテ国立公園大好き!」をグループとして設定いたしました。
https://www.facebook.com/groups/1119721768166780/
ヨセミテに毎年、毎月、毎週通っている方、いつかはヨセミテにと憧れている方など、どなたでも参加できます。ヨセミテのことを楽しく語りましょう。

みなさんで健全なグループをつくっていくために、いくつかのルールを設定させていただきます。

【グループへの参加について】
・Facebookは実名主義のSNSです。実名登録の方のみ参加できます。(参加には承認が必要です。)

【投稿について】
・一度にたくさんの投稿はご遠慮ください。
・多様な価値観の人々が集い、互いの価値観を認め合えるようなフラットなグループです。投稿の内容には十分ご配慮ください。
・みなさんの共感を得るようなポジティブな投稿を希望します。
・必ず投稿しなければならないものではありません。読んで楽しんでらっしゃる方も多くいらっしゃいます。

【ネチケットについて】
・グループ外での友達申請は一声メッセージを添えましょう。
・あくまでこの場は公の場所です。楽しく交流しましょう。

管理人:にしむら@ヨセミテ大好き!

(ハワイ島大好き!の濱田さん作成のルールを参考にさせていただきました)

スライド&トーク「ヨセミテ国立公園を語る」

スライド&トーク「ヨセミテ国立公園を語る」
西村仁志(環境共育事務所カラーズ)
2018年5月26日(土)18:00〜パタゴニア京都ストア

ヨセミテ国立公園はアメリカ・カリフォルニア州にあり、全米の国立公園の中でも高い人気を誇っています。3,029平方キロ(京都府の約3分の2)もの広大な面積のなかに、壮大な渓谷風景をもつヨセミテ渓谷、世界一の大きさと数千年もの寿命をもつ樹木ジャイアントセコイアの森、高原、標高4,000mを超える山岳地帯など多様な環境があります。
ヨセミテはフリークライミングの発祥の地でもあるとともに、キャンプやバックパッキング、ハイキング、パークレンジャーによる自然解説など、多様なアウトドアの楽しみが可能です。20年以上ヨセミテに通い続ける西村仁志がヨセミテの魅力、行き方、楽しみ方を語ります。(参加無料・申込不要)

西村仁志プロフィール
環境共育事務所カラーズ代表・広島修道大学人間環境学部教授
WEBサイト「ヨセミテ国立公園大好き!」主宰
1993年京都にて「環境共育事務所カラーズ」を開業。環境教育やまちづくり・市民活動などの事業の企画運営に関わる。ヨセミテには1995年に初めて訪れて以来、毎年キャンプを開催しこれまで100名以上の方々をガイドしてきた。
「ヨセミテ国立公園大好き!」https://yosemite.jp
問い合わせ:hit@yosemite.jp

会場:パタゴニア京都ストア:京都市下京区四条通富小路東入る
http://www.patagonia.jp/patagonia-kyoto-japan/store_164344596.html

 

Johnson Peak登頂(2017.8.27)

ヨセミテ国立公園Johnson Peak登頂(11,045ft/3,367m)の動画です。2017.8.27。 歩き始め(キャンプ場)が2600mですから、高低差は700m余り。距離は往復は12〜13㎞くらいではないかと思います。8時出発,15時帰営でした。 高所には残雪がたっぷり。草原ではクリーク(小川)が深く各所を流れており、渡るポイントを見つけるのに難儀すること度々でした。 山頂付近は岩場になります。

国立公園局を含む国の機関の業務がストップ

連邦議会(上院)でつなぎ予算案が否決されたため、国立公園局を含む国の機関の業務がストップしました。
ヨセミテ国立公園でも一部を除いて業務がストップしています。
詳細はリンク先記事をご覧ください。
(1/20〜22まで閉鎖。その後業務は再開されています。)

Stephen T. Mather

アメリカの国立公園制度は1872年のイエローストーン、あるいはそれに先立つ1864年のリンカーン大統領によるヨセミテグラントに始まる。しかし公園管理の仕組みが実質的に整っていくようになるのはそれらの半世紀もの後、1916年の国立公園局(National Park Service…NPS)の設置以降である。
NPSの初代長官のStephen Matherは自然愛好家で、しかも経営手腕に優れたビジネスマンから転進した逸材だ。
着任のきっかけは、当時Matherが訪れたセコイヤ国立公園、ヨセミテ国立公園の管理状況がひどかったこと。当時の連邦政府内務長官のFranklin LaneはMatherの友人だったので「せっかくの国立公園の管理は全くなってない、なんとかしろよ」と手紙を書いたら、 Laneから「それならきみがワシントンDCに来て国立公園の仕事をしてくれないか」と返事が来た。それでさっさと事業を整理してワシントンDCに乗り込む。
Matherは新聞記者の経験もあり政界にも通じ、ロビー活動で上・下院議員への国立公園の重要性を訴え、その管理組織としてNPSの設置を議会で認めさせたのである。
Matherの功績のひとつは国立公園へのアクセスを大衆化させたことだろう。イエローストーンにせよ、ヨセミテにせよ、凡そそんな場所は都会から離れた、ものすごい山奥にあって、1900年代に入っても馬車にゆられて何日もかかるような旅は、庶民のものではなかった。
Matherはまず大陸横断の鉄道会社と組んで、「See America First」と銘打った国立公園への旅を売り出す。そして「山小屋」レベルのものしかなかった国立公園内の宿泊施設から、プールやテニスコートなども備えるプレミアクラスのリゾートホテルの建設を行った。
また、この時代は自動車の大量生産がすすみ、マイカーが一気に庶民にまで普及し、そしてインターステイツハイウェイが整備されていく時代でもある。次にMatherは複数の国立公園をハイウェイでつなぎ、次から次へと国立公園を訪ねる旅を可能にした。行く先々でスタンプを押し、ワッペンを買い、御朱印帳のように国立公園を「収集」する楽しみはMatherによって仕掛けられたものだ。