Clarence KingとMt. Whitney

Eastern SierraのOwens ValleyにあるLone Pineの町の西に座すMt. Whitney(標高14,491ft.)は、アラスカを除く米国49州の最高峰として知られ、毎年多くのハイカーがその頂上に挑みます。この山は1864年California Geological Surveyによって遠方から初めて測量され、推定標高約15,000ft.の合衆国最高峰(アラスカ移譲は1867年)として記録されました。当時の測量隊メンバーであったClarence Kingは、南からアプローチし、登頂を試みましたが、頂上付近で敗退してしまいました。7年後、シエラネバダに立ち寄ったKingは、ついにこの山の初登頂を果たします。しかしその2年後、それが別の山であったことがわかります。Kingは急遽舞い戻り、真のMt. Whitneyを目指し、ついに9月17日、頂上に達しました。しかし時すでに遅く、山は数パーティが登った後でした。以下は、Clarence Kingを中心としたMt. Whitneyの測量と初登頂にまつわる興味深い話のまとめです。


20070227A.jpg1864年5月24日、サンフランシスコを出発したCalifornia Geological SurveyのWilliam H. Brewer、Charles F. Hoffmann、Clarence King、James T. Gardiner、そしてRichard Cotterらは、San Francisco湾沿いを南下しPacheco Passを越え、San Joaquin Valley(現在のセントラルヴァレー)を横断し、Visaliaに至ります。そこから一行は、シエラネバダへ向かい、セコイアの巨木群(現在のGrant Grove付近)を抜け、6月下旬にはKings渓谷の南側の山域に入り測量を開始しました。7月2日の早朝BrewerとHoffmannは、キャンプ地の東に聳えるピラミッド状の山の頂を目指します。8時間の辛い登りの後、ようやく標高13,600ftの山頂に立った二人は、東側に広がる荒々しい13,000ft.級の山容に息を呑みます。
”Such a landscape! A hundred peaks in sight over thirteen thousand feet – many very sharp-deep canyons, cliffs in every direction almost rivaling Yosemite, sharp ridges almost inaccessible to man, on which human foot has never trod – all combined to produce a view the sublimity of which is rarely equaled, one which few are privileged to behold.” – Brewer, July 2nd. 1864
この日二人が登った山は、リーダーの名前を取り、Mt. Brewerと命名されることになります。測量を終えキャンプに戻ってきた二人から、東に連なる高い山々の話を聞いた助手のKingは、Cotterと共にそのひとつへの登山を試みる許可を願い出ます。そして二日後の7月4日、6日分の食料と測量器具を含め、40ポンドの装備を担いだ二人は、再度Mt. Brewerの頂上で測量を行うBrewerとGardinerと頂上の南側の肩で別れ、南東方面の懸崖へと進んで行きました。崖を下り12,000ft.付近で寒い夜を過した次の日、二人はKings-Kernの分水嶺を乗り越え、Kern Riverの上流地帯に2泊目のキャンプ地を定めます。そして3日目は月明かりの下を歩き始め、目の前に聳える目標の山の北東斜面に取り付き、12時ちょうどに標高14,360ftの頂に立ちました。20070227B.jpgKingはこの山を物理学者で山岳探検家の名前を取ってMt. Tyndallと命名します。水平儀を使って見回すと、二人が驚いたことに、自分たちの立っているところよりもさらに高い二つの山と、ほぼ同じ高さの二つの山が確認されます。特に南6マイルほどに聳える最高峰は、ヘルメットを切ったような形をしていました。この山はやがて調査隊の所長の名を取りMt. Whitneyと命名されることになります。
”To our surprise upon sweeping the horizon with my level, there appeared two peakes equal height with us, and two rising even higher. That which looked highest of all was a cleanly cut helmet of granite upon the same ridge with Mount Tyndall, lying about six miles south, and fronting the desert with a bald square bluff which rises to the crest of the peak, where a white fold of snow trims it gracefully. Mount Whitney, as we afterwards called it in honor of our chief, is probably the highest land within the United States. Its summit looked glorious, but inaccessible.” – King, Mountaineering in the Sierra Nevada
測量を終えた二人は、南西斜面を下り、夕方にはキャンプ地に戻ります、そしてさらに途中で一泊をして、無事3人の待つベースキャンプ地へと戻って来ました。その後Kingは、歯痛の治療のため一時山を下るBrewerをエスコートしVisaliaへと向かい、7月14日そこから二人の兵士とともに、今度は工事中のHockett Trailを使いKern Riverに入り、それを辿り北上、南側からMt. Whitneyを目指します。KingはWhitneyの南東数マイル付近で分水嶺を越え東側に回りこみ、急峻な東壁側から頂上を目指します。しかし、たどり着けたのは頂上までの高度差にして300〜400ft.程度を残すところでした。そのとき高度計は14,740ft.を示していました。これによりWhitneyの推定標高は15,000ft.と記録されることになります。
1870年、HoffmannはOwens Valleyを訪れ一帯の測量を行います。このとき隊は、Lone Pineの南西に聳える山をMt. Whitneyと定めます。測量が終わり、San Franciscoに戻りデータを整理し始めたHoffmannは、1864年の測量結果との矛盾に気がつきます。当時の測量が、1864年のMt. Brewerからの測定と、KingによるMt. Tyndallからの簡易コンパスの方位の2点のみであったことから、それらに誤差があったと結論づけ、今回の測量結果を採用することにしました。こうして誤った山(Mt. Langley)をMt. Whitneyとする地図の作成が進められ、2年後の1873年に公表されることになります。このときの助手Watson A. Goodyearは、当時地元の人々からSheep Mountainと呼ばれていたこの山が、実際のMt. WhitneyよりもややOwens Valley側(東側)に迫っており高く見えることから、隊はそれを最高峰と勘違いしてしまったと回顧しています。20070222C.jpg
1871年Kingは、San Franciscoから自分が指揮している測量プロジェクトが行われているWyomingへ戻る途中にLone Pineに立ち寄り、Paul Pinsonと馬の面倒見役の子供を雇い、Hoffmannの測量地図に基づいて、南東に聳える偽Mt. Whitneyを目指します。この頃Lone Pine付近は悪天候が続いていました。山麓で馬を降り、二人は松、ヒバに覆われた岩の尾根を登りはじめますが、途中で嵐に会い、ずぶぬれになってしまいます。次の日の朝は雲ひとつない空で明けます。頂上直下の雪の斜面でKingがすべるという、少し緊張する場面はあったものの、登山ルートはおおむね困難や危険のない登りが続き、二人は雲に覆われ見通しの利かない頂上に達することが出来ました。しかしそこには、インディアンが組んだと思われる矢の差し込まれた岩がつんでありました。ともかくも、Mt. Whitneyの頂上に達したと確信したKingは、登頂の証拠に名前を書いた紙幣を残し、下山の途に着きます。Kingはそのあとすぐに「Mountaineering in the Sierra Nevada」(1872年)を出版し、Atlantic Monthlyへの投稿記事とともに(偽)Mt. Whitneyの初登頂記が紹介されます。
”Above us but thirty feet rose a crest, beyond which we say nothing. I dared not to think it the summit till we stood there, and Mount Whitney was under our feet. Close beside us a small mound of rock was piles upon the peak, and solidly built into it an Indian arrow-shaft, pointing due west. I climbed out to the southwest brink, and, looking down, could see that fatal precipice which had prevented me seven years before. I strained my eyes beyond, but already dense, impenetrable clouds had closed us in.” – King, Mountaineering in the Sierra Nevada
Kingの(偽)Mt. Whitney初登頂から2年後の1873年7月27日、Hoffmannの1870年の測量で助手を務めていたA. GoodyearとM.W. Belshawは、Kingの上った山に登頂を果たしました。しかしそこで見たものは、北西6マイル方面に聳えるひときわ高い山でした。8月4日、Goodyearは早速このことをSan Franciscoで開かれたカリフォルニア科学院の会合で発表をし、最高峰のMt. Whitneyが別のところにあったことが知られることになります。連絡を受け取ったKingは、急ぎニューヨークからカリフォルニアへとやってきて、今度はシエラネバダの西側のVisaliaの町からSeamanとKnowlesと共に、1864年のようにHockett Trailを使い、Mt. Whitneyにアプローチします。Kern RiverからMt. WhitneyとMt. Langley(Sheep Mountain)の間の支谷を辿り、シエラの主稜線上に立ったKingは、北西に聳えるMt. Whitney、南東に聳える偽Mt. Whitney(Mt. Langley)、そして自分が辿った1864年の東壁ルートを確認しました。Mt. Whitneyの南西側に簡単そうな斜面を認めたKingらはKern River付近まで戻り北上、Mt. Whitneyの西側の谷(Whitney Creek)に回り込みます。登頂前日は、標高12,000ft.付近にキャンプ地を定めます。望遠鏡でルートを見上げたKingは、頂上までの数時間の簡単な登りだろうと安堵します。翌日(9月19日)、KingとKnowlesは11時ちょうど、何の困難に出会うことなく真のWhitneyの頂上に立つことが出来ました。しかしときすでに頂上には、先行2パーティらが残した積み石や、メモなどが残されていました。9年越しの希望がかなったKingですが、さまざまな思いが脳裏を駆け巡ったと思われます。
”This is the true Mount Whitney, the one we named in 1864, and upon which the name of our cheif is forever to rest.” - King, Mountaineering in the Sierra Nevada
そしてKingは残してあった登頂記録メモに、先行者たちへの敬意を表したメッセージを書き足します。
”Sept. 19th, 1873. This peak, Mt. Whitney, was this day climbed by Clarence King, U.S. Geologist, and Frank F. Knowles of Tule River. On Sept. 1st, in New York, I first learned that the high peak south of here, which I climbed in 1871, was not Mt. Whitney, and I immediately came here. Clouds and storms prevented me from recognizing this in 1871, or I should have come here then. All honor to those who came here before me.
C. King
Notice. Gentlemen, the looky finder of this half a dollar is wellkome to it.
Carl Rabe Sept. 6th, 1873”
このメモを確認したのは、1月後に頂上を極めたJohn Muirでした。MuirもHoffmannの地図に従って偽Mt. Whitneyに登り、そこで地図のあやまちに気付き南側から頂上を目指ます。しかし到達できず、頂上のすぐ近く(Mt. Muir付近)で寒さに震えてビバークをし、敗退します。しかしその数日後、今度は東側から直接アプローチし第5登に成功しました。
絵と写真について:
1:Hoffmannによる南西から見たMt. Brewerのスケッチ。高度10,800ft.より。
2:Mt. Tyndallから見たMt. Whitney(中央奥)
3:Mt. Brewer, Mt. Tyndall, Lone PineからMt. WhitneyとMt. Langleyへの方位。Brewer-Whiney(約14マイル)、Tyndall-Whitney(約6マイル)、Lone Pine-Whitney(約13マイル) Lone Pine-Mt. Langley(約11マイル)
Mt. Whitney登頂記録:
初期の登頂が何時、誰によって行われたかについては、地元Lone Pineでかなりもめたようですが、最終的には次のように落ち着いています。
(1) 8月18日 1873: Charles D. Begole, Albert H. Johnson, John Lucas
(2) 8月末 1873: William Crapo, Abe Leyda
(3) 9月6日 1873: William Crapo, William L. Hunter, Tom McDonough, Carl Rabe
(4) 9月19日 1873: Clarence King, Frank Knowles
(5) 10月21日 1873: John Muir
参考資料:
”Geology, vol I. 1865”, J. D. Whitney(1865)
”Mountaineering in the Sierra Nevada” Clarence King (1872・1874改訂版)/Univ. of Nebraska Pressより再版
”Up and Down California in 1860-1864: The Journal of William H. Brewer” William H. Brewer(1930)/Univ. of California Pressより再版
”History of the Sierra Nevada” Francis P. Farquhar(1965)/Univ. of California Pressより再版
”Exploring The Highest Sierra”James G. Moore, Stanford Univ. Press
”The Life and Letters” John Muir (by William Frederic Bade` 1924)

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