BUZZ OFF:蚊よけシャツ

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一般論ですが、雪が多かった年のSierra Nevadaでは蚊が大発生します。先月末から(去年のREIの大安売りで手に入れた)ExOfficio社のBuzz Offシャツのフィールドテストをしてきました。結論:これはなかなか有効です! 蚊が近づいてきても、すぐに逃げ去っていきます。仕組みは簡単で、除虫菊系の(蚊の嫌う)成分が、繊維の中に含まれているためです。蚊には刺されたくない、といって蚊よけスプレーを使うのは臭くていやだという方には、お勧めです。服自体に臭いはありません。25回ほどの洗濯で効果がなくなるようですので、蚊のシーズン中、毎週末使ったとしても、2年は持ちそうです。私はキャンプ地での着替え、もしくはハイキング後の駐車場で使いました。
ちなみに投稿者はExOfficio社とは全く関係がありません。

California Geological Survey

ヨセミテの黎明期に活躍したCalifornia Gelogical Survey(初代局長J. D. Whitney)ですが、今年で設立125年を迎えます。カリフォルニア州政府のウエブにページがあります。設立時のロゴはなかなかいいですね。ページの下には次のように書いてあります。
© 2005 State of California. Arnold Schwarzenegger, Governor. Conditions of Use Privacy Policy

High Sierra Camp 閉鎖

San Jose Mercury新聞によると、yosemiteの5つのHigh Seirra Camp(Glen Aulin, May Lake, Sunrise, Vogelsang, Merced Lake)は、雪の為営業はしないとの事です。これらは、くじ引きで選ばれた4,300人の幸運な人しか宿泊できない、キャビンです。勿論自前のテントを持って行って泊るのはOKです。
Tuolumne Meadowsの売店、ガススタンド、グリルは7月1日より営業開始予定のようです。またWhitewolf、Tuolumneのロッジは7月8日からのようです。

Professional Paper 160 : 1930年

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1865年、California Geological ServeyのJ. D. Whitneyは、地盤沈下によるヨセミテ渓谷の形成説を唱えました。Whitneyが発表した2年後の1867年には、William P. Blakeが渓谷は主に水による浸食で形成され、最後に氷河による浸食が入ったという説を唱えましたが、専門誌上で発表されたに過ぎず、一般の注目を浴びるには到りませんでした。一方、Whitneyの説は彼の一般向けの著作”The Yosemite Book”(1869年)や”Yosemite Guide Book”(1870年)によって有名になりました。Whitneyは、(Blakeの)氷河による浸食説を否定し、以前は認めていたヨセミテでの氷河の存在すらも否定するようになります。1871年、John Muirはヨセミテ渓谷が氷河のみの浸食によって形成されたという説を思いつきます。同年夏、Muirと共にヨセミテ・ハイシエラの旅行をしたU. C. Berkeleyの地質学者LeConteは、Muir説の氷河の浸食に、ある程度は同意しましたが、それ以前の水の浸食の影響も指摘していました。1874年、Muirは自身の研究の結果を雑誌に投稿し、それが一般の注目を浴びることになります(しかし後年には、カリフォルニア全土が氷河に浸食されたという極論を唱えるまでに到ります)。California Geological Serveyのメンバーでもあり、US Geological Survey(USGS)の初代所長となったClarence Kingは、氷河の流入があったことは認めるものの、その浸食の効果については殆ど無かったものとし、Whitneyのような地盤沈下の立場をとりました。他にも、多くの研究者たちが、それぞれの解釈や自説を発表します。例えば1899年にIsrael C. Russell(University of Michigan)は、氷河浸食説を否定し、Whitneyの地盤沈下説を支持しました。1899年にはHenry W. Turner(USGS)が、渓谷は岩の節理に働いた水による侵食と風化により形成されたもので、氷河の作用は殆どなかったと唱えます。また、同じUSGSのHenry Garnettは、氷河の侵食による形成説を唱えています。他にも多くの学者がそれぞれの説を唱えました。このように諸説が繚乱してまったのは、氷河や氷河流入以前の時代に関する、信頼のおける調査結果がなかったことにありました。1913年、シエラクラブなどの一般からの要求もあり、USGSはこの問題に決着をつけるために、ヨセミテ全域や周辺のハイシエラで、システマチックで徹底的な調査を開始する事にしました。その担当となったのは、主に岩の調査をしたFrank C. Calkinsと、氷河の歴史や、その浸食の進展について調べる事になるFrancois E. Matthesでした。長年にわたる調査の成果は、Matthesによりまとめられ、1930年にUSGSから”Geologic History of The Yosemite Valley:Geological Survey Professional Paper 160”というタイトルの論文として発表されました。これにより、60年にわたる論争に終止符が打たれることになりました。Matthes説の骨子は、広くなだらかな谷が形成されていたシエラ全体が数度にわたって隆起し、Merced Riverにより谷の浸食が進み、やがて深いV字谷が形成された事。そして、氷河期の到来で、そこに幾度かに渡って氷河が入りこみ、その浸食作用で、現在のように両側が垂直に切り立った渓谷が形成されたというものでした。その後の発見や調査結果により修正は加えられたものの、Matthesの説は現在でも、ヨセミテ渓谷の形成に関する通説として認められています。

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Missing in the Minarets

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1933年7月末、サンフランシスコの若手弁護士Peter Starr(Walter A. Starr Jr.)は、単独で2週間のシエラネバダへ探査に出かけました。当時Peterは完成したばかりのJohn Muirトレイル、及びシエラの山々のガイドブックを作っていました。8月7日に、パリセード山群近くのGlacier Lodgeで待ち合わせをしていたPeterの父Walterは、予定日を数日経ってもやってこない息子に何かが起きたと確信し、捜索願いを出しました。やがて、Peterの車がMammoth Lakes近くのAgnew Meadowsで発見されます。目撃証言から、Peterが付近で遭難した可能性が高まります。そして、Ediza Lakeをベースキャンプにし、Ritter-Banner-Minaret山群で、当時の有名な登山家Norman ClydeやEichorn、Dawsonらも含む大規模な捜索が開始されました。PeterがMt. Ritterに残したメモや、アイゼン、ピッケル、カメラなどがベースキャンプそばで見つかったものの、Peterの行方は依然わからず、やがて捜索は打ち切られることになります。Norman Clydeは、あきらめずただ一人山に残り、単独でMinaret付近での捜索を続け、ついに8月25日にPeterの遭難現場を発見しました。そして、そのニュースはメモリアルサービスを準備中のStarr家に、当日夜遅く伝えられました。
当時の(綺麗な)モノクロ写真、関係者へのインタビュー、詳しい調査に基づいて書かれたドキュメンタリーです。山の遭難というと暗いイメージが思い浮かびますが、そのような感じを全く与えない、すばらしい本に仕上がっています。遭難から一年後、Peterの遺稿は父Walterの手により仕上げられ、”Starr’s Guide to the John Muir Trail and the High Sierra Region”として発行され、その後多くの人々に愛用されるようになりました。
Missing in the Minarets
The Search for Walter A. Starr, Jr.
William Alsup著
Yosemite Association出版
ISBN: 1-930238-18-5 (softbound)
ISBN: 1-930238-08-8 (hardbound)