加藤則芳オフィシャルサイト”Backpacker’s Almanac”

「ジョン・ミューア・トレイルを行く」でおなじみの作家・加藤則芳さんがオフィシャルBlogを立ち上げられました。
2005年4月1日スタートで、東海岸のアパラチアン・トレイル3500kmの旅に出られます。
加藤則芳オフィシャルサイト “Backpacker’s Almanac”
以下、加藤さんから頂いたメールです。
加藤さんから、こんなふうにこのサイトを見ていただいているのはとても光栄です。
これも、執筆者のみなさん+ヨセミテファンのみなさんのおかげです。

続きを読む →

Half Dome初登頂:1875年

”The Yosemite Book”(1869年版)でWhitneyに登頂不可能(”rising to the height of 4,737 feet above the Valley, perfectly inaccessible, being probably the only one of all the prominent points about the Yosemite which never has been, and never will be trodden by human foot.”)と言わしめたハーフドームでしたが、その初登は意外にも早くやってきました。以下はMuirの文[1,2]にもとづく初登の記録です。 
 バレーの住人John Conwayは、岩登りの得意な自分の子供たちをHalf Domeに向かわせます。鉄釘を岩の割れ目に打ち込み、それにロープを固定しつつ最後の斜面(現在のケーブルルート、斜度46度)を登らせるつもりでした。子供たちは300フィートの高さまで達しましたがそこから先は岩にドリルで穴を開けない限り突破できないことがわかります。そこでConwayは、子供たちに撤退を命じます。その数年後(1875年)、同じバレーの住人George C. Andersonは、彼らが残したロープを辿り、最高到達地点まで達します。そこからは、5〜6フィート間隔で岩にドリルで穴を穿ち、ボルトを打ち込んでいきました。ボルトはロープの固定と足がかりとして使われます。そして数日後(10月12日)、ついに頂上に達しました。Mt. Shasta[3]の旅から帰ってきたばかりのMuirは、11月10日に第9登[4]を果たしました。面白い事に、切れおちている崖による視覚への影響のせいか、ドームの上から見る渓谷の眺めは、そこより低い場所に比べて劣ると書いています。また彼らしく、頂上にある植物の事が書かれています。
 Muir本人としてはHalf Domeが手付かずの状態であってほしかったようですが(”For my part I should prefer leaving it in pure wilderness…”)、1919年にシエラクラブによって600フィートのジグザグの階段状トレイルが前衛のドームに、最後の部分には800フィートの長さの2本のケーブルが恒久的に建設されることになります[5]。

続きを読む →

120号

2005-1-15.jpg
Big Oak Flatゲート〜Merced Grove〜Crane Flat付近の道路(写真)には結構雪が残っていました。
チェーン規制こそありませんでしたが、雪上の運転となるので注意が必要です。 渓谷内の道の一部は朝には凍っていました。 Badger Passへの道路にもチェーン規制は入っていませんでした(一部雪あり)。
Big Oak Flat(Grovelandの西)への近道Old Priest Road(急登)は一週間前からクローズになったとのことです。

Yosemite 近況

road0109.jpg
雪のため(加えて雨による道路凍結のため)、ヨセミテバレーに出入りする道路は
140号〜エルポータルロード以外の全てが今朝は通行止めでした。
バレーからトンネルビューにも行けませんでした。
バジャーパスのスキーエリアも閉鎖中です。
雪が降りすぎて閉じてしまうとは…。

Tuolumne Meadowsでの積雪

ちょうど一年前、Tuolumne Meadowsでの積雪(Snow WC:雪が含む水の量に換算)は14.62インチでした。今日は14.38インチです。 今年の冬は雪が多いと思っていましたが、意外にも現時点では同じくらいです。 ちなみに去年の最大積雪(19.78インチ)は、3月3日に記録しました(後半はあまり雪が降りませんでした。ので、Tioga Roadは5月中旬に開通しました)。
降水量データ