水谷修氏の「本当に学生たちが支払ったお金に対して、恥じることのない教育ができましたか」に対して

影響力もある有名な「夜回り先生」の投稿に対し「違うな」というのを書いておきます。

まず、水谷氏が問う「本当に学生たちが支払ったお金に対して、恥じることのない教育ができましたか」という問いですが、私はお金に対して、あるいは対価として教育をしているわけではないと思いますから、そもそもこの問いはどうかと思います。

そして、学生は一方的な被害者(消費者)で、大学は頑なにキャンパスを閉ざし、教員はリモートで出鱈目な授業をやっているかのような意見は、いただけません。

結論からいうと、今回、すくなくとも私が経験することになったリモート授業は今までと同様もしくはそれ以上に濃密な、質の高い学びになったと思います。

先週で、前期の授業が終了しました。200名近い「環境教育論」は、学生は私のナレーション音声を聴きながら講義資料(パワーポイント)を見てオンデマンド受講です。ゼミナールはZoomを使った同時双方向。学生の発表とディスカッションです。

少なくとも私の担当したこれらの科目では、学生からの授業への感想は、これまでと同じか、あるいはそれ以上に満足度が高そうでした。「単位が欲しいからおべんちゃらを書いている」のではないです。

90分の講義科目ではナレーションは60分で聞き終えます。もちろんちょっと戻して聞き直したりとか、一回止めて一息入れたりもあるでしょう。(約30分づつ前半後半に分けてますので)
残りの時間は課題です。私からの1~2の「問い」に答えるものです。この問いはもちろんその日のテーマに関連するものですが、単なる「穴埋め」とかではない、そして「正解がない」、自分の頭で考えないといけない問いです。
昨年までも、講義終盤の15分から20分を使って、これをペーパーに書かせていました。しかし今年は、昨年までに提出されていたものに比べて、文章の「質」がものすごく高いのです。ひとつは、紙に記入ではなくキーボードやスマホでの記入なので推敲しながら、しっかり書いているということが要因だと思います。
二つ目は、学生の集中力です。これまで大教室で遠くのスクリーンに表示されていたプレゼン資料をみながら、遠くのスピーカーから流れる教員の講義を聴いていたわけです。横から友人に話しかけられたら、そっちに気が行きます。
しかし今回は自分の目の前にディスプレイがあります。イヤホンや目の前のスピーカーから聞こえてくるし、周囲の雑音もありません。
もちろん、この「集中」は、疲れます。実は準備をするほうの私も、疲れました。

教員はこうして毎回全力で授業の準備をし、学生もむっちゃ集中して受講し、問いに応える。大学の、あるべき本来の姿です。つまり、この学びの営みは教員と受講学生相互の作用によって意味あるものに成し遂げられたのだと思います。

この災禍は、こうやって学生も教員がともに努力して一緒に乗り越えていかねばならないという理解は、残念ながら水谷氏にはなさそうです。これは学生やその親を「消費者」としてしか見ておらず、大学の学び=授業料の対価という理解のようにみえます。

たしかに1年生はキャンパスにも入れず、友達も、頼れる先輩もできず、楽しみにしていたサークル活動やアルバイトもできませんでした。しかしこれは徐々に開かれつつあります。(後期は対面授業を再開せよとの文科省通達もあり、まさに「Go to トラベル」ならぬ「Go to キャンパス」という、「アクセル、ブレーキ同時踏み」になっていきます。)

学生のみなさんは、キャンパスが開いたら、くれぐれも気を付けながら、大学に通ってください。感染のリスクは挙げるときりがありません。通学の電車やバス、学生食堂でのマスクなしの談笑、サークル部室での三密、飲食店でのアルバイトや、20歳過ぎたら居酒屋や友達のアパートで飲酒も可能です。自分で旅行にも行けます。小中学校の子どもと違い、自由で、行動範囲も限りなく広いのです。

それから、誤解をただす必要があるのですが、「休学」というのは正規の休学手続きを経て、もとから(わずかな数万円の休学費を払うことで)授業料その他を払わず学籍が維持される制度です。少なくとも私が教員をつとめた、つとめる2つの大学、そして家族が通った別の大学でもそうでした。
つまり、休学した学生にはもとから返還すべき授業料はありません。

*ただし、今年4月に入学した1年生は、入学したとたんに前期の休学をすることはできないと思います。

*もうひとつ追記、勤務先の広島修道大学では学生全員に「学修継続支援金」(学部生には8万円)、さらに困難な学生には「緊急生活支援奨学金」、加えて国(文科省)からは「学びの継続」のための『学生支援緊急給付金』も措置されています。