「環境教育論」で富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル展示室見学

2020年度「環境教育論」で公害教育について取り上げました。その中で学生の皆さんには富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル展示室の見学をしていただきました。その感想をまとめています。167名分あります。

富山県立イタイイタイ病資料館http://www.pref.toyama.jp/branches/1291/
「バーチャル展示室」へ進んでください。

1.富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学を行い、印象に残ったことを挙げて感想を書いてください。
イタイイタイ病の原因となるカドミウムが流れていた川は住民が日常生活でよく使うものであり、生活と密接に関係していたのを考えるとぞっとしました。また、イタイイタイ病は過去のものではなく、今も苦しんでいる方々がいることを知ることができました。
コメを育てたり、川魚をとって食べたりと人びとは神通川と深くかかわりながら暮くらしていた中で明治時代の中頃から稲の生育不良、大正時代から原因不明の病気が現れ始めるなどイタイイタイ病院が起こり始めた歴史を知りました。 またそこから住民たちが立ち上がり、カドミウムが原因だとして裁判を起こすなど行動を起こし住民たちが束となり裁判に勝ち、汚染された水田の土壌復元工事などの「汚染農地対策」が実施されるなどの改善が行われ、住民たちの努力が実を結んだと感じました。また公害の恐ろしさも学ぶことができ、ルールを明確に定めて、公害が再び起こることのないように努める必要があると強く感じました。
神通川流域に異変が現れ、稲の生育不良などの被害が出るようになり、やがて全身が激しく痛んだり、原因不明の病気が現れていった。その被害者の証言として、息を吸うとき針千本か、二千本で刺すように痛い、痛すぎて自殺願望を持つ人や、辛すぎて涙も流したりないと言っていて、これらの証言が一番印象的だった。この人達も何も知らずに川の水を利用しただけで、こんなに沢山の苦しい思いをしていることにとても大変な思いだったんだなと思った。
イタイイタイ病の原因であるカドミウムは稲に吸収されてそれを収穫した人が食べることで体内に蓄積されていくことが分かりました。そして土壌を復元するために埋め込み客土工法と上乗せ客土工法が行われたことも分かりました。
富山県は法制度が整う前から被害者への公費による医療救済をしていたというところが印象に残った。日本ではなんらかの事件が起きた際、事後的な対応がされることが多い。実際イタイイタイ病も裁判で住民側が勝ってから原因究明や対策などがされた。このような日本で、法制度が整う前から行動できるというのはとても素晴らしいことだと思った。
イタイイタイ病資料館のバーチャルを見学して、イタイイタイ病がどのように発症されたか、由来など様々な事を知れてよかった。このような現状はもう起こしてはならないと感じた。現在公害病が起きていないということは専門家の立入調査が行われているからです。このような専門家の立入調査の参加人数は約六千人と書いてあり、多くてびっくりしました。一度壊した環境を戻すのは労力、時間、多額の費用が掛かることを知りました。環境は人間自ら壊しているということを人々が自覚し、一人一人の心がけが非常に大事だと思いました。
当たり前だと思うが、イタイイタイ病発生前→発生後→原因究明→現在の対策というように歩く方向で時系列になっていること。
こうすることによって、イタイイタイ病発生前の暮らし、なぜ起こってしまったのか、現在はどのような対策をしているのかなどが見やすく、わかりやすくなっている。動線に沿って見やすくなっているのはいいと思った。
今までこういうサイトを覗いたことが、勉強をするみたいで嫌だなと考えていて、ほとんどと言って良いほど無かったのですが、実際に覗いてみると、とてもわかりやすくまとめられていて、すごくスムーズに、そして深く公害病のことについて学ぶことができました。
イタイイタイ病の概要が、自分の中ではやはり1番印象に残りました。
イタイイタイ病という名前は知っていたが、その病状は今まで知らなかったので、今回のバーチャル見学により正確な病状を知ることができた。またその病状が想像していたモノよりも悲惨であり、また患者が35歳以上の女性がほとんどという事が印象に残った。感想としては、35歳以上の女性、それも出産経験者が多いというこの特定の人々を狙ったかのような公害病は許されるものではない、また人々の生活が川と密接しているような地域において川に汚染物質を垂れ流すという殺人に等しい行為はかならずなくしていかなければならないと感じた。
二度と公害をくり返さず美しく豊かな環境を未来に引き継ぐことこそが私たちの使命という文が印象に残った。環境は壊される時間は一瞬だけど再生するには膨大な時間や労力やお金がかかる。持続可能な社会を目指している世界では公害が起こってはその目標に遠ざかっていくと思う。今生きている人が公害が起こる原因を作らないことはもちろんのこと、未来へ公害がどのくらい恐ろしいものなのかを引き継いでいく必要があると改めて感じることができた。
イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、まず、行くことができない中でこういったバーチャル見学ができるシステムがあることはとても素晴らしい事だと感じた。さらに、イタイイタイ病の脅威や神通川に住んでいた人達の被害の全貌などが事細かく記されておりとてもわかりやすい仕組みとなっていた。
印象に残った点は、川という身近なところから怖い病気が発生してしまう恐ろしさです。今は、技術が発展して事前にわかるかもしれないですが、昔は生活するにあったて、川が絶対にに必要になるし、そういうことが起こるとも思わないと思うので、こういうことがあり、つらい思いをしてくれた人がいて、初めて今自分たちが安全に暮らせているんだなと気づかされました。
「イタイイタイ病」という病名で世の中に知られるようになり、その名前の由来は、患者があまりの痛さに耐えられず「イタイ、イタイ」と泣き叫ぶことであるというのが印象に残った。神通川流域で、農業や漁業を盛んに行って何も悪いことをせずに普通に生活を営んでいた人々が多くの被害を受けていて、とても残酷だと思った。農業や漁業などで生活していく上で最も利用されて重要な水の汚染のため避けることができず、広い範囲で被害をもたらし、人々に多くの苦しみを与えた企業はすぐに罪を認めて償って欲しいと思った。
神通川の水を昭和の初めころまで洗濯、炊事だけでなく飲み水としても使っていてすごいなと思いました。大正時代には、神通川の中下流域に全身が激はげしく痛いたむ 原因不明の病気が現れはじめ 一度かかると治らない奇病として、流域住民に恐おそれられていたそうです。今まで飲んでいたのに急に原因不明の病気にかかってとても怖いことだなと思いました。もし今普通に飲んでいる水道水がこのような原因不明の病原体を持っていたらと考えると恐ろしいです。水は生きていく中で必要なものなのできれいなものを飲みたいと思いました。
見学をしていてとても印象に残ったことは、イタイイタイ病n発生と被害の実態のところです。そこでは、被害をうけた流域住民の方々のイタイイタイ病を患った時の証言がのっており、イタイイタイ病の苦しさを物語っていると同時に、原因不明、治すことも無理である奇病に対する恐怖をまざまざと感じとりさえできるような気がしました。
特に印象に残っているのは、イタイイタイ病の病状についてです。私はイタイイタイ病については詳しくは知りませんでした。病状の欄を見て非常に驚きました。咳や、躓くだけで骨折したり、日常生活でも痛いなど、苦痛でしかないと感じました。もし、現代でこのような状況が起きてしまったら日本中で大問題となってしまうと感じた。
富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、とくに印象に残ったところは、美しい水と大地を取り戻してきた環境被害対策である。大学に入り、一年生の時から授業内で公害問題に対して扱うことが多く、成り立ちや被害実態などはある程度認識していました。しかし、どのような対策を行っているかに関しては明確に知ることが無く、この度バーチャル見学を通して知ることができました。立入検査は毎年1回、鉱山全体を一斉に調査する「全体立入調査」と、 年6~7回、詳細に調査を行う「専門立入調査」が実施されていることに驚きました。専門立入調査は2ヶ月に1回の頻度で行っていることになり、地元住民は安心して生活ができていると思いました。また、原因企業は多くの取り組みをしており、地元住民の声を聴き、多くの施設を作成していることに関しても驚きました。特に緑の復元は森林が成長するのに多くの時間がかかります。これを見るといかに企業がこの問題に対して取り組んできたかわかるのでとても印象に残りました。
モデルや写真などを利用していて、小学生などでも理解できるように作られている工夫が見られた。また、イタイイタイ病が流行る前の漁業などの背景も鮮明に再現してあったと考える。そのことから、イタイイタイ病がどれほど恐ろしい病気なのかより分かりやすかったと考える。工場排水は特に海を汚してしまうので対策を講じなければ島国で水産国の日本には致命的であると考えた。
夏休みにイタイイタイ病の被害や克復の歴史を紹介したガイダンス映像などの見学ツアーを開催するなど、コロナなどの影響もありながら、小学生たちを対象にしたこのようなイベントは小学生たちにとっても、いい影響を与えると思います。
川の恩恵を受けながら暮らしていた住民が農業被害と同時に公害病にかかるということが恐ろしいと感じた。公害が起こった後というものがあまり学んだことがなかったため、印象的だった。土壌をすべて入れ替えるなど、安全なコメを育てるための土壌改善を行っていたということに驚いた。
 イタイイタイ病資料館のバーチャル見学で印象に残ったことは、イタイイタイ病にかかってしまった人の証言である。「痛くて痛くてかなわんで、はってでも行けりゃ、川へでも入って死ぬんやけれど。」という言葉を見て、そのようなことを考えるほどつらい状況なのかと思いました。痛みが強すぎて、動くこともできなくて自分で死ぬこともできないということがどれほどつらい状況なのか自分には想像もできないほどに大変だと思います。このような悲劇を二度と起こさないためにも、環境を守るということにもっと関心を持ちたいと思いました。
イタイイタイ病は人々が当たり前のように使う、しかも賑わっていた川で起こったので被害は大きかっただろうなと思った。印象に残ったのは、おばあちゃんが「わずかな娑婆の間でも苦しまなくてはいけない」と言っているところがイタイイタイ病の恐ろしさを表している。また、市民がかなり訴えてやっと国や世間から問題として扱われるようになった背景が当事者から考えるととても苦痛な日々だっただろうなと感じた。勝訴したが、疾患している人からしたら保証はされても病気が治るわけではないのでこれからを考えるととてつもない苦労しているだろう。意外だった点が二つあって、一つ目が神岡鉱山はもう休山しているが輸入した亜鉛などの加工をしているらしく今でも亜鉛などの業界に残っていたことで公害発生時点ではその地域では全くやってないものだと思っていた。二つめは、今でも毎年川の立入検査をしていることだ。もうかなり前のことで時代も変わり基準も変わり完全に解決しているのかと思っていたらいまでも調査を行っていてもう二度と公害は繰り返さないという気持ちが伝わってきた。
私が富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして印象に残ったのは②イタイイタイ病の発生と被害の実態に記述してある事柄である。自分はイタイイタイ病は昭和のみの様な短期間で起こった出来事なのだろうと思っていた。しかし、実際は明治中期から異変があらわれ、昭和初期まで被害が続いたという事を初めて知り、非常に印象に残った。イタイイタイ病による問題が起こって以降も健康被害などの問題が未だにある事は知っていたが、それ以前も長期にわたって問題視されていた事も知り、自分が思っていた以上に長期的な問題なのだなと思った。イタイイタイ病を含めた公害問題はこれからも起こり得る可能性はあるので決して歴史上の問題として軽視してはいけないなと改めて思った。
イタイイタイ病の最も残酷な点は、生きたまま一生苦しむ病気である点であることを再確認しました。ただその地域で生活を送っただけで病気に感染することは恐怖だと感じました。この問題は、企業だけが原因ではなく規制などを行わなかった国の責任も大きいと感じました。
私は、イタイイタイ病患者の証言の「息を吸うとき、針千本か 二千本で刺すように痛いがです」という言葉が印象に残った。生物は生きるうえで呼吸をするわけだが、その呼吸をするたびに激痛が走るというのはどれだけ苦しいことか。痛いのが嫌だから呼吸をしない、というわけにはいかないため、嫌でも痛い思いをしなければならない。考えただけで胸が痛くなるような状況である。また、イタイイタイ病の症状についてはよく知らなかったのだが、病気が進行すると寝返りを打ったり、笑ったりしただけで骨折するほど骨がもろくなるらしく、イタイイタイ病の患者は笑うことさえも許されない状態になると考えると、この病気の理不尽さを痛感した。
イタイイタイ病はその名の通り患者がイタイイタイと泣き叫ぶことから名の由来となっていることがわかりました。イタイイタイ病は息を吸うとき針千本か二千本で刺されるような痛みがあり、一度かかると治らない奇病であるためとても怖いなと思いました。
イタイイタイ病の被害者とその家族が健康被害の解決と救済のために住民たちが団結して三井金属鉱業に対し運動を行うことに対し、住民たちの問題解決への行動は凄いと思いました。
同じようなことが起こらないように発生源対策や汚染農地対策への努力が長年続けられてきたことで改善されていることに対し、人間の結束力や行動力は素晴らしいと思いました。
 私が印象に残ったことは、被害者の証言です。この証言を読んで、イタイイタイ病にかかると私たちが想像もできないくらい苦しいということが強く伝わってきました。水道が普及する以前までは、川の水をそのまま生活用水として使用していたことにも衝撃を受けました。私たちは普段当たり前のようにきれいな水を使用しているので、とてもありがたいことだと改めて思いました。また、1967年から2011年にかけてイタイイタイ病患者は196人であり、そのうちの4人しか生存されていないという事実にも驚きました。イタイイタイ病は致死率が非常に高く非常に危険な病気であることが分かりました。
イタイイタイ病は、息を吸うときに、針千本を飲むような痛みが襲ってくると証言がありましたが、そこまでの尋常ではない痛みを、当時は痛み止めなどもなく耐えるしかないということに驚きました。その後、原因がカドミウムであることがわかり、住民や専門家の方が鉱山へ立入調査を毎年しながら、施設の改善を行なっていた。その結果、カドミウム濃度が国の環境基準を大幅に下回り、住民や専門家の方達の努力が、地球の、地域の役に立って良かったと感じました。
大正時代にこれがどうしてなるのか原因不明となっていてどうしてなるのかわからないことほど怖いものはないなと思った。その後に病気の原因が発表され鉱山から排出されたカドミウムによるものとわかり、そこから住民が立ち上がったことにより裁判で勝訴するなどしてこの公害をとめたけどまだ苦しんでいる人もたくさんいるので国が支えていかなければならないのかなと思った。
富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、特に印象に残ったのは②のイタイイタイ病の発生と被害の実態のところで、「イタイイタイ病」の名前の由来や、イタイイタイ病を発症した時の特徴がかなり詳しく書いていて、見ることもつらかったです。発症の特徴に女性が多く、特に35歳から更年期ごろにかけて、出産の経験がある人に多く発症していると書いていて、もし自分の母親がそこにいたらイタイイタイ病にかかっていたかもしれないと考えると、少し怖いと思ったし、実際にイタイイタイ病で母親を亡くした人はいっぱいいたと考えるとかわいそうだと思った。
まず最初に思ったのは、実際に行かなくても勉強できる事がすごいということだ。このご時世だからこそ適した方法だと感じた。公害病に関しては社会の時間で何度も取り上げられてきたがこんなにしっかりとした資料や画像を見るのは初めてだ。でもやはりちゃんと実物を見てみたい気もした。神野川など豊かに人が暮らしているのにそれを気にせずに公害を起こすとは無神経というか人として最低だと感じる。いかに自分のことしか考えていないのかがわかる。
イタイイタイ病になった被害者を救うために遺族や住民が自ら三井金属鉱業に対して補償要求をしたり国や県に救済要求をする姿勢が感動した。富山県は法制度が整う前から被害者への公費による医療救済を行うなど積極的にやって今でも流域住民の健康管理を実施しているのは良いと思った。このことから住民の協力もあり神通川がもとの姿に戻るのには沢山の努力があったからだと感じた。環境問題は地域住民と行政が密接に関わらないと解決するには難しい。また、問題が起こっていると分かっていても僕であれば裁判をしたり補償要求をしたり行動に移すことができなかったと思うので神通川流域に住んでいる住民は行動力があると思った。今度はイタイイタイ病資料館にバーチャルではなくて実際に行って学びたい。
明治中頃から現れ始めたイタイイタイ病の症状がヒトにとってかなりむごたらしい症状で、転んだだけで骨折や意識はあるが「イタイイタイ」を発言するなど拷問に近いものだと感じた。また解決する際に住民が一致団結して裁判に臨み、勝訴したことも素晴らしいと思った。現在でもだいたいのメカニズムが判明したが完全ではないことが少しひっかかった。
普段から川を利用していろんな用途に安全だと思って使っていたら、そこにまさかすごく危ない菌が入っているなんて思わないと思いました。しかも、その症状が、肺に針が千本、二千本刺さるような痛みだときき、どれほど痛いのかと考えましたが、想像すらしたくなかったです。そんな病気が街に出てきたら、どれだけ心配になるのか、怖くてたまらないです。しかも、原因などの特定や対策もおそく、最悪だと思いました。ぎ
私がイタイイタイ病に関する資料を見て、最も印象に残ったことは症状の重さである。腎臓に障害が出ることから始まり、症状が進行するにつれて骨軟化症が起こり、次第に痛くて動けなくなるというのは、想像するだけでゾッとする。しかも、この病気を生み出したのが人間ということにさらにゾッとする。今でも苦しんでいる方がいることから、原因企業は許されないことをしたと思うが、裁判後の公害対策に真摯に取り組んだ点は、評価されるべきだと思った。
画面が灰色で埋め尽くされてるだけで見れませんでした。
工業が進み我々の生活が豊かになるうらで人間に害を与える危険があることを理解しないといけないと考えた。
昔から神が通る川と呼ばれ、米を育てたり川魚をとったりと生活に必要とされていた川が、明治時代に神岡鉱毒によりイタイイタイ病が広まったということがわかりました。
症状としては、腰や肩に鈍い痛みがでる→太ももや上腕部に神経痛→杖に頼っても歩けなくなり、つまずくと骨折してしまう→寝たきりになり、寝返りや笑ったりするだけで骨折してしまう→意識は正常のまま、痛みをったえながら衰弱しきって死に至る。となっており、イタイイタイ病という名前は今までの授業で受けて知っていたけど、このような症状が出ると言うことをしって、改めてイタイイタイ病は本当に恐ろしい病気なんだなと思いました。
イタイイタイ病の被害や影響を見てまだ医療の発達がされていないような地域で、このような普通とは違う奇病が発生したのは、村の人たちにとってとても恐ろしかったと思います。
それも年齢が35歳以上の女性であったこともあり、家族の母親くらいの人たちがかかりとても不安だったと思います。
イタイイタイ病の住民たちの結束、住民と企業との原因の探り合い押し付け合いといった原因究明をすることの難しさ、イタイイタイ病の症状の表現として息を吸うと針に刺されたような痛みが全身に走ったりと症状に詳しく知れたので良かったです。イタイイタイ病などの公害は人間環境学部にいるとよく学習するテーマになるので学習の造形を深めていきたいです。
バーチャル見学室2のイタイイタイ病の証言が印象に残った。イタイイタイ病というのは聞いたことがあってなんとなくはわかっていると思っていたが、息を吸うと針1000本で刺されるように痛いや、川へ入ってでも死にたいという証言をみてあらためてよりイタイイタイ病の怖さを知ることができた。
富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、私が印象に残ったところは、イタイイタイ病と被害の発生と言うところです。イタイイタイ病は全身の骨がもろくなって重症化すれば笑ったりつまづいたりするだけで骨が折れ最後は寝たきりになり衰弱して死んでしまうという病気で考えただけでもむごい病気だと思った。またそれが人間が垂れ流したカドミウムによって引き起こされた病気というのを知ってさらに怖いなと感じた。
私は②のイタイイタイ病の発生と被害の実態が1番印象に残りました。被害は人にだけでなく、農漁業にも多大な影響があり、とても深刻な問題だったのだなと感じました。②の項目はイタイイタイ病について1番詳しく書いてあり、症状や特徴などを見ていると、イタイイタイ病になる前になにか改善できることがあったのではないかと感じました。そして、⑤の美しい水と大地を取り戻してきた環境被害対策も印象に残りました。イタイイタイ病の裁判後、「発生源対策」や「汚染農地対策」が実施されて、清流を取り戻していることを知り、とてもすごいことだと感心しました。
イタイイタイ病の特徴について、寝込んでからも意識は正常なまま「イタイイタイ」と苦しみ、食事も取れずに衰弱しきって死んでいくというところが印象に残ったというか、衝撃を受けました。普通に生活している何の罪もない人がこの病にかかるという理不尽な状況に置かれており、さらに、この病を発症するのは、圧倒的に女性が多いということを知り、なおさら理不尽ではないかと思いました。また、普通に生活していてもこの病にかかるのだから防ぎようがないのではないかと思いました。それと同時に「カドミウム」という鉱毒は人を死に至らせる恐ろしいものだとも思いました。こんなにも恐ろしい鉱毒を当たり前のように川に流していた企業は症状が出てから対処したのではもう手遅れであるし、この時代は、あまり今ほど公害問題について敏感でなかったのかもしれませんが、国も一定の規則を作り企業側に注意喚起を行うくらいは出来たのではないかと思いました。今は、公害問題に対して国も企業側も敏感になっているので、この当時のようなことは起きないけれど、イタイイタイ病など公害病で苦しんだ人達のことを、当時の日本でこんなことがあったということを絶対に忘れてはいけないと思いました。そして、このことを教訓に私たちが今何事もなく平穏に生活できていることもまた忘れてはならないと思いました。
私がイタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして印象に残ったことは、住民の皆さんが裁判で戦う姿や原因企業との取り決めの際のストーリーです。
初期は栄養失調や疲労で調査が終わっていたため、住民の皆さんの努力がなければ公害として認められなかったのだろうと思いました。
公害について知識がほとんどなかっただろうにも関わらず一致団結して勝訴に導いたことに感動しました。
私が印象に残ったところは、1967年に初めて患者が認定されて以来、2011年末までで、患者に認定された方は、196人で、生存されている方は4人。
また、経過を見ることが必要とされている要観察者に判定された方は336人となっているというところです。
40年近く経ってからも認定される人がいるということは、それまで苦しんでいたということです。国や政府がもう少し早い段階で対処しておけばこのような被害が出なかったのではないかと考えます。また、イタイイタイ病以外の公害病で差別問題も発生したと聞きます。最近では東北大震災による原発事故により差別問題が発生しました。国や政府の対応であったり、国民の対応など、昔の事例についてもっと学び対処し、同じことを繰り返すのではなく、改善するべきだと思いました。
大正時代頃から神通川流域で多くみられるようになったイタイイタイ病は一部では地方病、もしくは悪行の報いでかかると考えられていた業病と考えられていたことを初めて知った。また昭和30年代まで多くの県民は存在さえ知らなかったかも知った。またイタイイタイ病の歴史だけでなく対策や未来に向けてのこともありいいなと思った。
私は、イタイイタイ病は昭和の公害だと思っていたのが実は明治時代ごろから気配があったということに驚きました。
さらに、イタイイタイ病の症状が思っていたよりも凄まじいものだと知りました。中学生くらいで習った時は、名前のせいもあってか恐ろしさを感じませんでしたが、資料館の病状やかかった人の経過を見ると、想像もできないほど酷い物だと分かりました。
今は割とクリーンな時代なので感謝したいです。また、二度と人のためにも自然のためにも二度とあってはならないと思いました。
イタイイタイ病は、よく授業で耳にしてきたが発症の特徴までは詳しく知らなかった。寝返りや笑ったりするだけで骨折引き裂かれるような激しい痛みに襲われると知り考えただけでも恐ろしい病気というのが分かる。
私も、骨を折ったことがあるがものすごい痛みだった。当時の人はその痛みを死に至るまで味わっており、しかも圧倒的に女性が多かったことを考えると、とても悲しく悔しい気持ちになった。
イタイイタイ病の原因となったカドミウムは神通川を汚染したが、この神通川は自然豊かで多くの人の暮らしを支えていたことが分かった。神通川が汚染されたことで多くの人がイタイイタイ病になってしまったわけだが、その痛みは名前の通り息を吸うだけで針を千本か二千本刺されたようなものだそうである。人は1日に数えられないほどの息を吸うしましてや睡眠中も息をしているので痛みを想像するだけで心が痛んだ。人々から生活と平穏を奪ったイタイイタイ病の恐ろしさを再確認した。
今まで公害病は原因や症状、影響などしか学んでこなかった為、原因究明後の発生源対策や汚染農地対策などの取り組みが印象に残りました。
イタイイタイ病を解決する為に被害者や原因企業だけでなく、様々な人々が熱心に取り組み解決してきたということを知り、イタイイタイ病は被害者、原因企業だけの問題ではないのだと強く実感しました。
神通川流域で長い期間被害が起こっており、その被害も甚大であったこと。特に全身が痛み、すぐに骨折しやすくなるというのはもはや殺人ではないかと思った。企業が利益を求めるために多くの人々を危険な状態にしていたという事実は忘れられてはいけない日本の歴史であると思った。
 イタイイタイ病の症状は時間が進むにつれてますます悪化して、寝たきりの状態となり、寝返りや笑ったりするだけで骨折や引き裂かれるような激しい痛みに襲われる。さらに、死ぬまで痛いという意識を持ちながら体が衰弱していく特徴があることが印象に残った。感染してから死ぬまでずっと苦しめられるので本当に苦しい病気だと感じた。
 大きな被害を被った住民と公害を引き起こした原因である企業が共に協力して、神通川のカドミウムの濃度を国の環境基準を大きく下回る数値を達成したという点が印象に残った。公害を引き起こした原因である企業と被害者である住民が共に協力して解決することは素晴らしいことだと感じたためである。
イタイイタイ病の原因が分かるまで約六年もの年月がかかっていたことに驚きました。それまでは様々な諸説が出ていて、実際に公害で苦しんでいる人たちは何が原因かが分からないまま過ごしていたと考えるととても怖い出来事だと思い知らされました。
カドミウムの慢性中毒によって内臓に悪い影響が与えられることにより、骨の密度が低くなってしまうというところが印象に残っている。イタイイタイ病という名の通り、相当痛いだろうなと思った。人間が起こした事態で人間をこんなことにしてしまう怖さを感じた。
イタイイタイ病というのは大正時代頃発生した公害病だが、1972年以来毎年、住民や専門家からなる調査団の立ち入り調査が行われているということで、二度と同じ公害病を起こさないように徹底されていることが印象に残った。
イタイイタイ病のことを歴史に沿って見れるようになっていたのが印象に残りました。
神通川の様子なども知ることができ、分かりやすかったです。
イタイイタイ病にかかると寝返りをするだけで骨折になるということに驚いた。息をするだけで痛いというのを見て生きるのが相当つらいものだと感じた。
また、一度カドミウムを含んだ土壌は土壌そのものを変えないと以前のように戻らないということに驚いた。時間がたてばなおるものではないことを知り、この作業がいかに大変なのか分かった。
イタイイタイ病については歴史の授業等で何度も学んできたのでその症状についてや原因のカドミウムについても知っていたが、改めて歴史としてのイタイイタイ病ではなく、公害の一つとして単体でしっかりと原因から解決までを辿るとまた違った印象や新しい発見があった。歴史とて学んだときは、公害が起こったということと、その場所、原因となったものくらいしかわからなかったが、公害に対して被害者住民がどのように立ち上がったのか、相手企業とどのように交渉していったのか。そして、今現在その場所がどのように回復しているのかをしっかり知ることができた。公害被害が起きた場所をもとの状態に戻すのは容易なことではなく、日本を含め世界的にもあまり聞いたことがないが、神通川は川の汚染解決だけではなく農地の汚染もしっかり調査を行い、どれだけの時間とお金をかけようとしっかりと取り組み現在の状態まで回復したと言うのは、しっかり公害というものに誰もが真剣に向き合えば、地道でも解決につながるのだと感じた。
 資料館を進行方向に進んでいくにつれて、原風景からイタイイタイ病の発生とその原因、続いてそれに対する究明や暮らし、最後に対策と順序を経て理解しやすいような構造になっている。このような資料館があることで、普段の生活では触れることのないようなことに触れることができ、理解することで今後、同じような被害が起こらないように、幸せな街づくりへの大切な一歩であるなと感じた。
呼吸をするだけでも針で刺されるような痛みがするという証言が自分の中でとても印象に残りました。僕たちが普段無意識に行なっている呼吸などでも猛烈な痛みを伴うのは想像しただけで心が苦しくなりました。もう2度と同じような事が起こらないように願っています。

 印象に残ったことは,やはり今よりもっと自然を活用して生活が成り立っていたのだということです。水道ができる前の話であるということだったので当然ではあるのかもしれないですが、川を利用し,家の近くまで引っ張ってくることを全国的に行っていたという点からそう感じました。
感想は,そのような生活スタイルだったからこその公害であり、初期の段階では住民の視点ではなかなか予知し対策できるようなことではなかったと考えました。普段当たり前に使えているものから病の原因となるものが混じっているとなるなどなかなか考えられないからです。そのことを思うと全く公害とは呼べないのかも知れませんが,自分たちもスマートフォンから発している人間に有害な磁力波などがあるとわかっていながらも使い続けてしまうということは過去の先人の人たちの苦労や努力,掴み取った結果,今も苦しんでいる人のことを分かりきっていない行為なのかもしれないです。
富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、印象に残ったこととしては、この公害が時流に振り回されて起こってしまった痛ましい事件であると感じたことである。理由としては、今回拝見した資料館にはイタイイタイ病の原因であるとともに、神岡鉱山がわが国の高度経済成長に一定の成果をもたらしたことも記載されている。今まで私が習ってきた公害被害の構図である企業が加害者、市民が被害者という構図は変化こそしないものの、高度経済成長期の情勢でなおかつ公害についての知識が少ないという状況であれば、この痛ましい事件が発生する可能性は高いと考えられ、この出来事がなければ公害のことを人々が知らない世界があると考えると、人間は失敗しなければ学ばないという一種のサガのようなものを感じざるを得なかった。だからこそ我々は学ぶためにこの出来事を後世に伝える必要があるとより一層感じた。
 神通川の水がイタイイタイ病によって汚染され住民たちの健康を脅かしたが結束と復興に立ち上がり裁判を勝ち取りイタイイタイ病の被害者たちの救済にあたった。環境被害対策によってもとの姿を取り戻してきたという流れを見て私はこの公害があったことで流域住民や環境対策の発展とこれからの世代に新しく発展を推進していけると考えた。もちろん平和な健康的だけで過ごしていることが一番だが苦難を乗り越えた場所にしかない発展があると考えた。
神通川は、米を育てたり魚をとったりするなど人々が生活していく中でとても大切にされているものでした。バーチャル見学をして神通川があり、それからイタイイタイ病がどのような形で流れ込んできたのかわかりやすく説明がされていました。バーチャル見学の中でとても印象に残ったのは、住民と企業との間で裁判が行われていたことや、今現在でも健康調査を行い人々の健康に気をつかっていることがとても印象に残りました。イタイイタイ病は環境汚染から人々の健康を害した者であり、多くの人々が苦しんでしまいました。そのため私たちは、川や自然を大切にし工場などから汚染物質を排出しないように心がけていかないといけないと思いました。
富山県立イタイイタイ病資料館は、公害の被害を受ける前の神通川周辺の暮らしの様子、イタイイタイ病の発症、原因究明、患者を救う取り組み、現在の取り戻すことができた環境被害対策と、出来事順に展示されていて見易かった。
印象に残ったのは、イタイイタイ病の初期の原因が過労や栄養失調だと思われていたことが印象に残った。なぜ、外部からの影響だと最初に疑わなかったのかと思った。また、イタイイタイ病の症状も想像できないような痛みやしんどさが伝わった。発生源対策で毎年調査が入ることで少しでも早めに対処することができるので良い取り組みだと思った。
イタイイタイ病の歴史について学んだ。神通川は昔から神が通る川としてその
流域は豊かな水にめぐまれていた。その流域付近い住む集落の人々は神通川の水を農業や漁業、生活用水として利用していた。しかし、明治時代末期から神通川で水が白く濁る、稲の育ちが悪くなり川魚が死ぬなどの現象が起こった。神通川の異変はいつしか多くの人に知れ渡り、その原因は鉱山の排出する鉱毒の混ざった水であると考えられた。患者の多くは子供がいる農家の母親であった。寝たきりになることで家事が出来なくなり、看護する人も必要になる。その分農作業をする人が減るため人手不足となった。さらには医療費もかさむため、患者の家族は経済的にも苦しい思いを強いられることとなった。その後、萩野医師により、この奇妙な病気の原因がカドミウムであることが社会問題となる。カドミウムが人体に摂取されると、腎臓と肝臓にとどまる。肝臓では他の物質に変化し無害化するのに対し、腎臓では再吸収に障害が起きる。それにより、骨の形成が妨げられ骨軟化症が起き類骨が増加する。その結果、体重や身体の動きの不可に耐えられず、骨折が起きる。つまり、神通川にカドミウムが流出することで、流域で生活している住民はカドミウムを知らず知らずの内に体内に摂取してしまい、それが腎障害を引き起こしていたということである。萩野医師がイタイイタイ病を広めて半世紀以上が経過しても、患者と認定された人は 196 人しかいない。また、その内生存者は 4 名しかおらず、当時の様子を知る人は年々少なくなりつつある。新たな公害問題を生み出さない為にも、イタイイタイ病について私達は忘れてはならないいうことを学んだ。
息を吸えば針千本、二千本で刺すような痛み、動けるなら川に身を投げたい都市を選びたくなるほどの痛みや苦しみを伴うイタイイタイ病の実態は痛ましく、何の関係もない人が被る被害ではないと感じました。
最も印象に残っているのは「神岡鉱山の現在」の状況や汚染された土地や水質改善に向けた取り組みについてである。イタイイタイ病の直接的な原因となったカドミウムが亜鉛を生産する過程で発生し、製錬所や廃石などの堆積場から出る排水に含まれているとされており、カドミウムの処理が適切に行われているかなどをチェックするためにも住民たちと原因企業との間で結ばれた「公害防止協定書」に基づいて毎年のように立ち入り調査が行われていると知り、以前と同じ被害が出ないための行いや人々の強い繋がりと絆を感じた。現在の神岡鉱山は鉱石の採掘を休止し、輸入鉱石や廃バッテリーから亜鉛・鉛などを生産しているという点から環境を考えた対策や要らなくなったものを再利用し別のものを作り出すなど今の世の中に合った行動がとられていることにとても感心した。
また土壌の復元工事が行われ、カドミウムによって汚染された土地、農地が改良されたことでそこで育つお米に含まれるカドミウム濃度は基準値を下回る結果となり、安全な農作が可能になっていることや休廃坑などから流れ出る水の処理や水質調査、施設の建て替え、工場の排煙への対応等を徹底することで荒れた山肌は徐々に緑を取り戻し、水質や大気の改善で住民の暮らしに安全と快適をもたらすことができてきていることから、環境はもちろん住民のことを考えた取り組みが継続して行われ、多くの人が関わり合うことで可能となる支え合いができるている感じた。
イタイイタイ病の特徴、という項目が印象に残った。過程もそうだが、意識は正常なまま衰弱し切って死ぬ、というところに恐ろしさを感じた。公害の恐ろしさを思い知った。
イタイイタイ病の発生と原因について大きな興味を抱いた。
もともとイタイイタイ病については、知ってはいたのだが、原因については学校では教えてもらえていなかった。だからこそ今回原因を知ることができてよかった。もう二度と同じようなことはないようにしたいと思う。
私が昔住んでいたところの近くにある川は、とても汚れていた。今考えるとすごい怖かったと思う。
印象に残ったことは、昔から神通川は、清らかで豊かな水に恵まれ、水道が普及する以前は用水によって家のそばまで引き込まれた川の水をそのまま生活に利用しており、多くの家庭で炊事や洗濯、飲み水としても使っており人々の生活ととても深く関わっていたこと。しかし、ある時から農業被害が目立つようになり、人体にも原因不明の病気が現れ始めた。
イタイイタイ病は体が激しく痛く病気というのはこれまでの学校生活で勉強していたが、バーチャル見学の証言で、とても痛いから這ってでも行けるのならば川にでも入って死ぬのに。という言葉を読み、自ら死を選ぶほど耐えるのにしんどいものなんだと改めて思った。イタイイタイ病などの公害病が流行り始めた当時は原因がすぐにわかるわけではないからまず原因を突き止めて改善しながら薬ができるのを待つ、となるとどうしても元気になった自分の姿を想像することはたしかに難しいかもしれないと思った。
川に近い場所で農林の水産業、生活をを行っている地域で公害が発生すると非常に危険な状況を招くことになっていた。そこで暮らす人々は知らず知らずのうちに汚染された水を利用していることが最も恐ろしいと思った。企業による配慮がないことによって関係のない人の健康が脅かされることはあってはならないとも思った。工業が進むことで自然の中では発生しないような危険な物質も生まれ、工業化は便利になる反面常に危険があることを知って生活すべきだと感じた。

被害にあった方達の声で、息を吸うと針、千本か二千本刺されたぐらい痛いってのを見てとても痛々しい気持ちになった。イタイイタイ病は聞いたことがあったけどイタイイタイ病の事についてあまり知らなかったのでイタイイタイ病の特徴を知れて恐ろしい公害の病気なんだなと改ためて認識した。かけがえのない自然を未来へと言う所で、原因となった企業、被害住民、行政が協力しあって克服したと言うのを見て、協力し共に克服して行くことは大切なんだと思った。原因となった企業も、住民と裁判になった時に反発していたけど協力して解決しようとする姿勢は素晴らしいかったと思った。このバーチャルは良くある原因となった企業を責めてるだけの奴とかと違って良く出来ていると思った。
昔は川の水をそのまま生活に利用していたことに驚いた。そのまま使うことができるほどきれいな川だったのに汚染されたことを知った。富山県を流れる河川で最大なことを知った。小さな川の水が汚染されて大きなところに流れていってしまったのだと思っていた。
 針千本飲ますという歌があるが、息を吸うとこのように痛いのは想像ができない。私はひどい骨折をしたことがないので骨折と聞くだけで痛い。それなのに骨折を繰り返すようになるのが特徴と書かれていて耐えられないだろうなと思った。意識が正常なのも苦しいと思う。衰弱して死を迎える死に方が一番つらいと思う。死ぬときは一瞬で意識がなくなる方がいいとずっと思っているのでこの死に方は嫌だと思った。
 三井金属鉱業はこんなにも大勢の被害者が出ているのに認めないのはおかしいと思った。裁判をされる前に認めるべきである。
 私が生まれたときは蛇口をひねったら水が当たり前のように出ていたので水道が普及されたのは変な感じに思う。環境改善として普及されたことを知った。カドミウム濃度が基準値よりあきらかに数値が多かったことが分かった。また、コメなどの農作物も作ることができるようになって良かった。しかし、現代の人は神通川付近で収穫したと知ったらまだ抵抗があると思う。
 学校の授業で何回も習ったことがあったが知らないことが多かった。アヒルのように尻を振って歩くというのや毎年健康調査を実施していることなどだ。繰り返さないためにも詳しく知っていないといけないと改めて思った。
証言のところの当時のイタイイタイ病の患者の人たちのリアルな言葉を見て、それほどまでに恐ろしく、辛かったのだと印象に残りました。どこか過去の出来事として実感がわかない部分もありましたが、はってでもいけりゃ、川へでも入って死ぬんやけれど。の言葉で死ぬほうがましなほどなのかと思い、とても恐ろしく感じました。二度とこのような病気が蔓延しないように私たち次世代の人間が頑張らなければ、と思いました。
痛い痛い病院資料館を見て私は次のように思った。まず、無知であることは怖いことだと思った。なぜなら、イタイイタイ病は公害病であることから意識して、このことに対して対策をしたら病気にかからないからだ。
だが、私はこのように思った。
普段の生活や農業などに当たり前のように使われていた神通川が住民の知らないうちに汚染されてしまったことに恐怖を感じた。イタイイタイ病の痛みの表現が生々しく感じ当時の人々の苦しみや今現在でも後遺症に悩む人々の苦しみが伝わってきた。
今回のバーチャル見学をして,改めて自分達人間が普段当たり前に快適に生活するためにどれほど地球に負担をかけているか,環境へ影響を及ぼしているかが分かった。本当に人間なのかと疑ってしまうほど別物になっていたので公害は,とても恐ろしいものだと改めて考えさせられた。しかし,今回のことを可哀想だった等だけで終わらせるのでは,なくきちんと対策しこのようなことが二度と起きないようにみんなで意識し対策していくことが大切であると考える。そしてこのような資料館は,後世の人たちに伝えるためにもとても大切である。
まず印象に残ったこととして、人々が生活の基盤として使っていた神通川が汚染されていたということです。私はこの資料館を見る前は、川が汚染され、その水を使って農業をしたことでイタイタイ病が広がったという漠然的な知識しか持っていませんでした。しかし、神通川は農業だけではなく川魚を獲ったり、飲み水や洗濯でも使用するなど古くから人々が神通川を信頼して使っていたことを初めて知りました。だからこそ、神通川が原因で人々の体調が悪くなったなど、最初は思いつかなかったと考えます。また、神通川が汚染された原因が企業にあると判決された後、最初は神岡鉱山から排出されたカドミウムと人体への影響の因果関係はないと主張していましたが、時間が経つに連れて原因企業と住民が協力をして神通川とその農地を再生しようと試みたことが印象的でした。原因企業、住民、行政が協力した結果、広大な汚染農地は豊かに実る田園地帯に甦らせることに成功しました。さらに、神通川もも清流を取り戻しカドミウム濃度も環境基準を大幅に下回るところまで回復させることができました。これらは、人々の努力があってこその成果であり、一度誤った行いをしてしまい壊れてしまった自然でも取り戻すことが可能だと分かりました。しかし、ここに至るまでに多くの人が協力したことや何百億円にも費用がかかったこと、現在も公害が原因で苦しんでいる人がいることは、今を生きる私たちも知っておかなければならないことだと改めて実感しました。
昔は水道の水でなく、神通川の水を使っていたことから、私はその流域の人々が自然豊かな暮らしをしていたと感じた。イタイイタイ病に関して「息を吸うとき、針1000~2000本刺されたようだ」と証言されていることを知り、とても恐ろしい公害であることを改めて感じた。イタイイタイ病の原因についての研究では、カドミウムが原因であることはすぐには分からなかったことから、私は少し以外であると思った。現在では企業と住民の努力により、神通川は安全な川に戻ったことから、環境問題に対して積極的に取り組んでおり、とても素晴らしいことだと思った。
印象に残ったことは、汚染されてしまった神通川が地域の人たちの努力によってふたたび自然豊かな美しい川に戻ったことだ。自分たちを苦しめた川を離れるのではなく地域に残り、川をきれいにし、病気と闘ったのは勇気がいることだと思った。公害を繰り返さないために、様々な対策や点検を行っていることが素晴らしいと感じた。
私は富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をしてみて印象に残ったことは、イタイイタイ病の発生と被害の実態のところである。公害というのはとても恐ろしものであるというのはわかっていたが、実際にイタイイタイ病にかかった人の証言などを読んでいてとても胸が締めつけられるような思いと、また、自分が被害を受けたと考えた時『 何で自分だけがこんな目に会わんといけんのんだ』と、とても怒りを覚えると思う。そのような人達の現状など知って貰うためにも、このような資料館があることによって少しではあるが被害者の心の救いになるのではないかと思うし、公害の恐ろしさをよりリアルに発信することができるのではないかと思うので良いと思う。
もともと神通川は人々に食の恵みをもたらすほどの人間の暮らしと深い関わりを持っていたが明治中期に入り神通川流域で異変が現れ最初は農業被害が発生し次第に人体に影響が及ぶようになりその時の表現が印象に残った。息を吸うときに針を千本か二千本で刺すように痛いという表現からこれまでに感じたことのないほどの異常な痛みだったことがうかがえる。名前は知っていたが痛みの程度までは知らなかったので痛すぎて川に入って死にたいけどまず川にすらいけないくらいに痛いという表現から死んだほうが楽と思えるほどの絶望感が与えられるという事実を知った。腰や肩、ひざなどの痛みから症状が重くなると骨折を繰り返すようになるなど普通ではありえない症状であり、発症の特徴として男性よりも圧倒的に女性の発症が多く特に出産経験者が多いということからなぜこのような偏りがみられたのか不思議である。現在は発生源対策などの長年の努力の結果、神通川とその流域はかつての美しい姿を取り戻すことができたが公害があった事実は忘れてはならないと感じた。
イタイイタイと叫びながら死ぬことしかできないところに惨い印象を持った。治すこともできず、ただ歩いたり寝返りを打つたびに骨折を繰り返し、痛さで死んでしまうといったこの状況を人が作り出したということが許せないと思った。今後二度とないような取り組みを行わせるようにして欲しいと願うばかりである。
私がバーチャル見学をして印象に残ったのは原因企業と住民、そして行政がお互いの意見を素直に聞いて、各々が元の暮らしや風景を取り戻すために尽力している点である。原因企業が実態を真摯に受け止めて改善するために住民からの意見を取り入れながら様々な対策に乗り出したことで、汚染される前の風景をよみがえらせることにつながったのではないだろうか。感想としては、想像していた以上に症状が重かったことに驚いた。見学をする前は骨折をしやすくなり体中の骨が折れる病気だという認識だったが、患者の死因が骨折をして寝たきりになった後で衰弱して亡くなるというものだったと知り衝撃を受けた。高校までの授業で公害について学んだ時は遠い地域で昔に起こった出来事という印象を持っていたためあまり関心を持っていなかったが、今後同じ過ちを繰り返さないためにもその過去に起きた公害から学ぶ姿勢を大切にしたい。
イタイイタイ病は、大正から昭和20年代にかけて、富山県の神通川流域で起きた公害病のひとつである。かん者の人たちは体じゅうがはげしく痛み、「イタイ、イタイ」と苦しんだことからこの名が付けられた。この病気の原因となったのが、神通川上流にある神岡鉱山から流れ出たカドミウムという金属。カドミウムは川や農地を汚染し、水やコメをとり続けた人たちに病気は広がっていった。カドミウムでよごれた土地を元にもどすまでには、40年という長い年月と400億円以上という金額が必要だったことがとても印象を受けました。
私は公害について知らないことも多く、公害と聞くと昔に流行った病気であって、今の私たちにはあまり馴染み深い問題である印象はなかった。しかし、毎年立ち入り調査が行われていたり、未だに病気で苦しんでいる人がいた。流域住民の健康調査も行われていることを知り、健康管理の大切さを実感した。そして、離れて暮らす私たちも公害が過去の問題であると思わずに理解していく必要があると思った。「イタイイタイ」と泣き叫ぶ様子からイタイイタイ病と名付けられていてどれほど苦しいのかを想像した。病気にかかってしまうと、治療もできず痛みに耐えるだけの生活は言葉にできないほど辛いと思った。被害地域では被害者の家族や住民たちの必死の訴えにより、解決や救済が行われていた。そのおかげで原因が分かり、患者の救済や環境の復興が始まった。水も汚染され、私たちの生活から水道が使えなることは想像できないしとても不便である。汚染された状態から当たり前のように水道が使えるようになるまで相当の苦労があったと感じた。また、土壌汚染も深刻であった。しかし今では、多くの関係者のおかげで豊かな田園地帯となっている。住民、企業、行政のが自然環境を取り戻そうとした取り組みが、実を結んだことに感動した。被害を受けた住民の人たちは、原因企業への怒りがたくさんあったと思う。しかし、今では協力し良い信頼関係を築きながら自然環境を守っている。住民が受け入れる気持ちももちろんであるが、原因企業側の反省や努力によってこの関係を築き上げることができたのだと思う。今後二次被害が起こらないよう、良好な関係がいつまでも続き美しい自然が守られてほしい。また、人間に直接的な被害がなかったとしても一度失った自然を復活させることは困難である。地元の人たちだけではなく、すべての人たちが公害を知りこれから自分たちにできることについて考えなければならない。
私が印象に残ったことは、イタイイタイ病の恐ろしさについてだ。神通川流域で一気に感染が広がり、不治の病であったので、当時の住民の恐怖は計り知れないものである。私が当時神通川流域に住んでいたと考えるととても恐ろしくなる。
イタイイタイ病について、痛い痛いと言いながら、ご飯も食べれずに衰弱しをしていくという様子について初めて知り、驚いた。また、対策工事などがつい最近まで行われていたことについて、知らなかったしその間も被害者をはじめとした人がこの問題を真剣に考え続けていたことを改めて実感することができた。
印象に残ったことは、突発的に病気として取り上げられたのではく、徐々に病気として決定されたということです。最初はきれいな場所が、人間のせいで汚れ、そこに住んでいる人たちを苦しめる。ここから、感じ取れることは、もともとそこに住んでいた人たちは、命の他にも、そこにあった美しいと土地でさえも失われたということです。
被害者の痛いたくて痛くてかなわんで、はってでも行けりゃ、川へでも入って死ぬんやけれどと言う言葉がとても印象に残り頭から離れませんでした。
神通川は米、魚全てにおいて生活の中心にあった川だった。この裁判に506人もの住民側が参加したということに驚き印象に残ります。イタイイタイ病は、カドミウムの慢性まんせい中毒によって、 まず腎臓じんぞうに障害しょうがいが発生し、次に骨軟化症こつなんかしょうを引き起こす。これに、妊娠にんしんや授乳じゅにゅう、内分泌ぶんぴつの変調、老化、栄養としてのカルシウム等の不足などが原因げんいんとなって病気を進行させると考えられる。その仕組みについては、まだ解明かいめいされていない部分がありますが、腎障害と骨障害、 なかでも骨粗そしょう症を伴ともなう骨軟化症はイタイイタイ病の大きな特徴だ。ここも印象に残りました。ここまで病気が重なればイタイイタイと言うに決まってます。骨が弱ってちょっとした衝撃で折れる。常に恐怖とも戦わないといけないですね。
イタイイタイ病という名前は知っていたがバーチャル見学してどういうものか分かった。一番印象に残ったのはイタイイタイ病の発生と被害の実態である。
痛いとは知っていたがそんなに痛く最後は意識がハッキリしたまま死に至るなんて想像するだけで怖い。
戦争などのためにひとの体を犠牲にするのはとても恐ろしいなと感じた。
息を吸う時に針が刺さるような痛みを感じるというのは、生きた心地がしないと思うし、生きること自体がとても辛く感じてしまうと考えたらとても胸が痛くなった。

今コロナの感染で何が原因で感染したのか分からないという事件もあるし、特効薬が開発されていないため伝染ることは死ぬことと考えることもできる。それを考えたらイタイイタイ病もすごく深刻な病だったんだなと思った。
当時の日本は経済成長が最優先事項で、まさか経済発展によって人工的な病気をつくりだしてしまうことなど、予想もしなかったと思う。
だからこそ原因不明で、裁判で勝訴が決まるまでは誰に責任があるのか分からなかった。けれど企業側も非を認め、それからの汚染対策や患者への配慮は迅速であった。
 住民が問題を訴え企業側が非を認めて改める、これは変容する時代の中で住民が公平な暮らしを築くための対抗手段を示してくれているように思えた。
まだ,イタイイタイ病の原因が知られていないときは,奇病と呼ばれ,助からないものと思われていた,という文を読んで,改めて知識や科学的根拠はあらゆる場面において重要であると感じました。
一番印象に残ったことはイタイイタイ病の症状についてです。今までは4大公害の一つだという認識しかしてなかったけど、症状がどんなのか初めて見て本当に恐ろしかったものなのだと感じました。実際の証言を見て、自分から死ねるのなら死にたいと言っている人もいてとても恐怖を感じました。
工場による水害によって地域の魚は食べれるものではなくなり、誤ってそれを食べた人の中には死人が出るほどであった。その中で、地域の人が結束し、裁判に打ち勝つことができたという事例には本当に驚いた。
広島でも原爆による放射能の影響で、他県の人からは冷ややかな目で見られたのと同じように、当時富山の人々も同じ境遇であったんだろうなと感じた。
自然界に普通に存在しているカドミウムが人間にとてつもない被害をもたらしていることに怖さを感じました。しかも名前の由来にもなっている通り、かなり痛いということで、自分の身になって考えるととても恐ろしいです。そんな公害であるイタイイタイ病も現在では調査などを続けて、二度とこのような公害が起きないようになっていったら嬉しいです。
イタイイタイ病を引き起こした原因は神岡鉱山から排出されたカドミウムであったが、最初は原因が不明であり、誰もわからなかった。ここから、利益ばかりを求め、危険性について何も考慮していなかったことが分かる。今では公害が起きないよう対策が取られているが、初めからそうしていれば苦しい思いをする人々はいなかった。企業は計画を実行する前に、もし実行した場合、何が工場から排出されるのかなど、様々な危険性を考え、対策をしなくてはいけないのだということがバーチャル見学を通して分かった。
イタイイタイ病は、息を吸すうと針はり二千本で刺さすように痛たい。川へでも入いると、死ぬように痛い。という所がほんとに怖いところだと思った。環境汚染はほんとに良くない。
普段から普通に使用している川が、イタイイタイ病の原因とわかった時は、そこに住んでいる住人はとても怖かっただろうなと思った。
神通川で魚をとったり、米などを育てていたため、神通川が原因とわかったてから、生活が大変になったことがわかった。今回、イタイイタイ病の名前は知っていたけど、あまり詳しくは知っていなかったので、詳しく知ることができてとてもよかった。
印象に残ったことは、原因究明、健康と暮らしを守る動きのところで公害防止協定によって美しい神通川を取り戻すきっかけとなったことで、地域全体が一体となり、環境保護に取り組もうとする姿勢に感動しました。
 私はこの見学を通して印象に残っていることは実際に被害にあった人の生の声である。イタイイタイ病は小学生の頃から学んでいるが、あまり詳しくは知らなかった。しかし、今回このような経験を通してイタイイタイ病にかかった周辺地域の状況や症状について詳しく知ることができた。そして実際に症状にかかった人の声を聞いて、本当にこの事件はひどいものであったと知った。全身が本当に動けないくらい痛いということや簡単に骨折することなどが分かった。
 
小学生の頃に、水俣病について詳しく学びました。
今回、同じ公害であるイタイイタイ病について学ぶことができて、公害の怖さを再確認することができました。
息を吸うたびに針を刺されるように痛い症状を想像するととても心が痛み、神通川を通して、田んぼや魚をとって食べたり、水を引いて飲み水にするなど当たり前の生活が変わっていしまったことがとても悲しく思いました。
また、バーチャル見学というものを知らなく、パソコンで資料館に行った気分になれるし、気軽に学ぶことができるので素晴らしいと思いました。
私は富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、イタイイタイ病と被害の発生、という記事が印象に残った。この病気は、人間が垂れ流したカドミウムによって発症された。全身の骨が弱くなり、重症化すると笑ったりつまずいたりするだけで骨が折れるとある。日常での動作により骨が折れると知り、とても驚いた。また最後には寝たきりになり衰弱して死んでしまう。この病気の名前を耳にしたことはあったが、ここまでひどい病気だとは思わなかった。またさらに、人間により引き起こされた病気であるため、人間のすることは時に恐ろしいと感じた。
バーチャル展示室の“②イタイイタイ病の発生と被害の実態”の部分で神通川流域の地域の方の証言で「わずかな娑婆だと思っておりますけれども、こんな苦労をせんならんかなと思うと、残念やら悲しいやらわかりません。どれだけ涙を流しても足りません。」という言葉を聞いて、原因不明の病にかかり、病に一度かかると治らないと恐れられていた中で身体的にも、精神的にも辛い心境だったのではと思いました。イタイイタイ病に発病した方の証言を聞くと公害の恐ろしさや風化させてはならないことを改めて感じました。
バーチャル展示室の“③原因究明、健康と暮らしを守る動き”の住民たちの結束部分で1966年(昭和41年)にイタイイタイ病対策協議会を結成してから、1972年(昭和47年)に第二審で三井金属鉱業に対して全面勝訴するまで約6年間も公害と裁判で戦い続けていたことに驚きました。それと同時に裁判の争点として、三井金属鉱業側はカドミウムによる人体への影響やその仕組みが解明されないと 因果関係があるとはいえないと主張していたことを受けて、公害での加害者側の企業は一向に因果関係を認めないという言動は他の公害においても類似していると思いました。
 富山県立イタイイタイ病資料館をバーチャル見学してまず印象に残った点は、イタイイタイ病に関して全5項、19項目によって情報が細分化されていた点です。
 日本史や総合的な学習の時間で触れてきた内容ですが。教科書や資料集にもここまで詳しく書かれておらず、当時の新聞や写真をじっくり見たことがありませんでした。
 全体の文量もさることながら、当時の写真や新聞の記事も豊富に記載されているだけでなく、病状のフローのども図式化されてており、非常に見易い印象を受けた。
バーチャル見学をして最初に思ったのが、神通川はもともとすごく綺麗な川で住民たちから愛されていたという事実があるから企業への批判が集中したんだと感じた。そんなに愛されていなかったり利用されてなかったらここまで問題にはなってない気もする。
次に、富山県の対策が凄いと思った。法が整備される前から独自の条例のようなものを実施しており、また、それに対して被害者からの不満がないというのも凄いと思った。ただ1つ疑問に思ったのがイタイイタイ病は国の定める4つの条件全てに対応してないと認められないというのが厳しすぎると思った。
企業も業績が関わっているから簡単には後に引けなかったのだろうが裁判でもし企業側が勝っていたら日本は大変なことになっていたと思った。
毎年立ち入り検査が実施されているというのは非常にいいことだと思うし原発事故があった福島も毎年立ち入り検査をすればいいと思った。(しているのかは分からない。)
本当に大人でも激痛が走り、骨が折れていくというのはすごく辛かったと思うし今後こういう病気は絶対に起こってはならないと思った。
 裁判に勝ててよかったと思いました。裁判に勝ててなかったら今もなお続いてたかもしれないと思うと恐ろしいです。意識がある中苦しんで死ぬのはとても嫌だと感じました。そして、病患者として、認定された人196人の中で2011年時点で4人しか生存してないというのを見て、少ないと思いました。
 中でも印象的だったのは、原因のある工場側が最終的には一緒になって、労力と高いお金で良い環境に戻していったというところです。原因が自分たちにあったことを認めた上での行動です。今ではやり方を改めリサイクルなどをしているということだったので感心しました。
 イタイイタイ病の証言の中にあったはってでも行けりゃ、川にでも入って死ぬという言葉が出るくらいにはつらいもので、這うことすらできないほどの痛さということが印象に残った。そこまでの痛みを伴うのに意識は正常ということがとても酷なことだと感じました。
 神通川流域の35歳以上の女性がほとんどの感染者ということや、原因研究の初期では栄養失調、過労があがっていたことからも時代背景がある程度関係しているのかも、と思いました。
 そして、流域住民が団結して勝訴を勝ち取ったという話では国内では今までにないくらいの原告数を叩き出し、大規模の裁判になったことから、この問題がどれほどの被害をもたらしていたのかを思い知った。
今まで、イタイイタイ病の特徴については考えたことがなかったので、症状が出てから死に至るまでの過程は特に印象に残りました。寝返りをうったり、少し笑っただけで激しい痛みに襲われ痛みを訴えながら衰弱して死んでしまうなんて、私にとっては1番苦しくて悔しい死に方だと思いました。なのでこのような病気が今後起きた時のための対策が必要だと思った。
富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、印象に残ったことは、いきなりイタイイタイ病について解説をするのではなく、神通川の文化や暮らしにスポットを当てている点である。豊かな自然を持っていた神通川周辺の生態を知ることで、被害の規模を実感することができた。二点目に印象に残った点は、イタイイタイ病患者の証言である。針を刺すような痛みが出るという症状は知っていたが、「はってでも行けりゃ、川へでも入って死ぬんやけれど。」という証言でそれほどの苦痛が伴うものであったことが認識できた。公害病によって人の尊厳を奪うことも公害問題の一つであると感じた。三点目が、イタイイタイ病の発生原因やその対策について科学的に解説している点だ。これによって、問題について悪と正義の二元論ではなく、二度と同じことを起こさないためにきちんとした「理解」をすることができると感じた。また、イタイイタイ病だけでなく他の公害病についても紹介している点も印象に残った。公害問題の課題は共通するものであり、問題の根深さを知ることができた。
きちんと農地などで、この公害を踏まえた対策をしている。
バーチャル見学をして、イタイイタイ病の特徴は、症状が重くなると骨折を繰り返し痛みが全身を襲う特徴があり、寝込んでからも意識の正常なまま苦しみ死に至ってしまう症状について印象が残った。これまでイタイイタイ病について学ぶことがあったが、このバーチャル見学をして、イタイイタイ病と住民たちとの関係や健康被害の解決を求めて裁判を起こしていたことなど、歴史を感じることができた。今でも、この公害病を起こさないために発生源である神岡鉱山で立ち入り調査などをしていることを知り、改めてイタイイタイ病がどれだけひどい公害病であったかを感じることができた。
イタイイタイ病資料館のように公害病が起こる起こるまでから起こった後までの歴史を知ることができ、ただ公害病が起こったという学び方では公害病について全然学べれていなかったことがよくわかった。
二度とイタイイタイ病を起こさないため、被害を受けた住民たちは、専門家などの協力を得て今日まで神岡鉱山への立ち入り調査や改善要求などを行って、カドミウム汚染の発生源である神岡鉱山での対策を進めていることが印象的でした。こうした活動によって神通川とその流域はかつての美しい姿を取り戻していて、長年努力した結果なのだと思いました。
イタイイタイ病の場合、神通川に深く関わりを持っていた人が影響を受けていると書いてある。米を育て、魚を獲るといったことをこの神通川で行っていたがこのような暮らしはここだけではなく、全国的に見られたとのことから、他の川からイタイイタイ病のような症状が出る可能性も否めなかったと考える。いつも通りの生活をしていただけなのに公害により急激に暮らしの変化が訪れているため、やはり公害はかなり大変なことで、さらには全国的に神通川と同じような暮らしを行っていたことから、どこでも起こりうる可能性があり、改めて怖いことだと考えた。
 イタイイタイ病の原因に関する諸説として、1956年に「栄養失調」があげられていたが、被害地域は模範農村として幾度も表彰されている。そのため、他の地域の農家の生活様式と変わらず、栄養失調が原因であるとは考えられなくなっていった。
 35歳以上の女性が被害に遭ったことに関して、現在からは想像難い苦痛が被害女性を襲っていた。原因不明の病にかかった女性は、当時、家族内における立場に苦悩した。医師の萩野昇によると、家事はもちろん畑仕事が不可能である女性は、夫や子どもに迷惑をかけないよう、人が立ち入らない傾向にある納屋に移動し、生活していた。そして納屋に母親がいることを、家族が忘れるということさえ起こった。
 企業の活動は、経済発展のために必要であったことを考慮すると、一面的に「健康被害を起こした企業が悪い」とすることは誤りである。しかし、被害に遭った方々に健康被害を受ける筋合いは1つもなかった。
骨粗しょう症を伴う骨軟化症であること。
骨粗しょう症だけでもしんどいのに、骨軟化症までもが合わさっているので、とてもしんどいものだったのだろうなと感じました。息を吸うだけでも痛みが出て、笑うと骨折してしまい、意識は正常なまま、痛みを訴えながら、衰弱しきって死に至るというのがすごく印象に残っており、公害の悲惨さを知ることができました。
神通川の恵みは川に住む魚だけでなく農業用に用いられる農業用水や、炊事や洗濯などといった生活用水として用いられていた。そして、原因のわからないまま人体被害を受けていたことが印象にのこった。このことに私は普通の生活をしている人が環境汚染により苦しめられることはとても悔しく思った。人間がとる行動が人間を苦しめ、さらに他の生物も苦しめていることは変えなければならないと思った。
特に印象に残ったものとしては、イタイイタイ病の症状についてがある。
名前こそ知っていたが、例えば女性が圧倒的に多く患うことだとか、骨がすぐ折れるようになることだとか、意識は正常のまま衰弱して死を迎えることについては知らなかった。
自分が考えていたものより数倍むごたらしいもので、また原因解明前に”業病”とあることから、患者に対する風評被害や誹謗中傷が予測できるものであり、当事者にとって非常につらいものであったことがうかがえ、公害に対する問題意識が増した。
また、国が公害を認めたケースとして、最初にあげられる病気がイタイイタイ病であることも初めて知った。貴重な礎であるということを認識し、同じことを繰り返してはならないと感じた。
息ができないくらい痛みが襲ってくることが印象に残りました。
死ぬなら楽に死にたいです。
神通川でうるおされた大地というところです。なぜなら神通川の流域は神通川の水を洗濯だけでなく飲み水としても利用しておりさらに数多くの魚が生息しており漁業がとても盛んになり昭和に入っても全国有数の漁獲高があり、神通川流域は恵まれていたと言えます。なのに神岡鉱山から排出されたカドミウムが原因でイタイイタイ病が発生してしまいました。神通川によって栄えた地域が神通川によって衰退していくのが何とも言えない感覚になりました。
イタイイタイ病の特徴が印象に残りました。イタイイタイ病が川に流れる有害物質の影響で発症したことは授業で習ったのですが、性別や年齢で違いがでるのは初めて知りました。女性に多く発症しさらに35歳から更年期頃にかけてで出産経験者にみられる症状だとは思いませんでした。イタイイタイ病にかかるとつまずいたり転んだりするだけで骨折し、意識は正常なまま衰弱しきって亡くなるので怖い病だなと思いました。
 私が印象に残ったのは、イタイイタイ病の特徴についてです。腰や肩、ひざなどの痛みから始まり、症状が重くなると骨折を繰り返し、全身を襲う痛みがあると知りました。イタイイタイ病という名称は聞いたことありましたが、症状を理解していなかったためとても恐ろしいと感じました。その中でも、意識は正常のままなので、食事も取れずに衰弱して死を迎えるという点に圧倒されました。この病気にかかってしまった人の中には、苦しすぎて楽になりたいと考えてしまった人もいるのではないかと思いました。
 写真も掲載されており、表情や姿勢を見ると少し胸が苦しくなるような感覚になりました。このような状況を同じ人間によって作り出されてしまったのが残酷な現実だなと考えさせられました。
昔、このような苦しい思いをしている人がいたと考えるととても胸が痛くなりました。公害の恐ろしさとこれからこのような問題がないようにしていきたいと思います。
証言の中で、息を吸うだけで、針千本か2千本で刺すように痛みが出るとあり、それほど過酷なものだったんだと感じ、想像よりもはるかに大きな痛みがあることを知りました。
イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、印象に残ったことは当時の写真や新聞、実際の協定書や誓約書を見ることで当時の悲惨さや公害病の恐ろしさについて、詳しく理解できたこたが印象的だった。私達の年代はイタイイタイ病などの公害問題の当時の詳細について様々なことを学校などで学んできたが、教科書や話しでしか知ることが出来なかった。今回、実際に当時の資料などをみてどんなことがあって、どのような人達がその痛みを味わっていたのかを間近でみたような感覚になった。やはり、公害病というものが将来的に起こることが許されないことであり、誰にも味わって欲しくないものだの思った。
イタイイタイ病は今まで小中の授業などで聞いたりしたことはあったが今回このバーチャル見学をして症状についての特徴がとても印象に残った。
症状の証言の中に、息を吸っただけでのどに針が二千本も刺さったような痛みがあるなどの証言を見てとてもひどいものなんだと思った。
また、症状が出やすい人の特徴もあることが分かった。
イタイイタイ病の被害の深刻さが印象に残った。被害者の証言も印象に残った。さらに加害者である企業が過去の過ちを反省し、問題を改善しようとしている姿が印象に残った。このようなことから、公害事件は絶対に二度と繰り返してはいけないと改めて思った。
小学校のときからイタイイタイ病などの4大公害の勉強をしていて。大学になっても勉強できるとは思っていなかった。バーチャルのところがあるのは初耳で、人生で一回は行ってみたいと思った。今までは紙の上で学習していて、興味はあまり湧かなかったけど、バーチャルのやつをみて、これなら自然と興味が湧く!ってなりました。
イタイイタイ病は昭和30年代まで多くの県民はその存在さえ知らなかったと書いてあり、知らない危険が身近な生活に潜んでいたのに気づかずに生活していたというのはとても恐ろしいことだなと思いました。イタイイタイ病(四大公害の一つ)は原因も分からないため地方病や業病と考えられており、公害自体発見が遅れる場合が多いので早期発見、企業が隠蔽しないためにも国や住民の監視の目をしっかりと持つことが大事だなと思いました。
イタイイタイ病は寝込んでからも意識は正常のまま「イタイ、イタイ」と苦しみ、食事もできずに衰弱しきって死を迎えると書いてあり、意識がある中でひたすら痛みに苦しむ姿を想像しただけでもぞっとして公害の恐ろしさを改めて感じました。人々は神通川と深く関わり合いながら暮らしていたと書いてあり、神通川が人々の暮らしの支えになる一方で一つ間違えればとても危険な形になるといった自然と人の暮らしは密接につながりがあるなと感じました。そのためにも自然を守っていき自然と上手く生きることが重要だなと思いました。立ち入り調査では定期的にカドミウムや排水、排煙などチェックしており、立ち入り調査の結果や住民たちの要望を踏まえ、様々な施設改善を行っていると書いてあり、国だけではなく住民も環境に対する関心を持っており、企業の環境に対する影響をしっかりと評価するという取り組みは素晴らしいなと思いました。住民と地方自治体、企業が連携して環境影響を考えるというのはこれからの持続可能な社会を実現するうえで大切になるだろうなと思いました。
私の印象に残ったところは、③の原因究明・健康と暮らしを守る動きのところで、当時のイタイイタイ病に対する住民の動きや心情について詳しく載っていて、公害が起きた時どのように行動するのか、住民が結束することが大事だなと思いました。
資料館のバーチャル体験で印象に残ったことは、「①神楽川とともにあった暮らしの原風景」だ。神楽川がその周辺地域の全ての生活に関わっていることを知り、この川が被害に合えばすぐにイタイイタイ病はあっという間に多くの被害を出すと安易に予想できた。生活水だけでなく、漁業や農業にも使われていて、自分たちの生活に欠かせないものが、このような被害に合えばこれ以降怖くて使えない、トラウマになってしまうだろうと感じた。そして、初めてこの川からイタイイタイ病がこの地域に広まったと知り、衝撃的だった。
この後の②から⑤と進めていくと、しっかりと起こったことが順に進められていてわかりやすかった。
 「イタイイタイ病」の名前の由来は、あまりの痛さに耐えられず、 患者が「イタイ、イタイ」と泣き叫ぶことからこの名が付いたことが印象に残っている。私は骨折や肉離れなどの怪我はしたことがあり、骨も筋肉も痛いというのは想像できない、想像するだけで痛くなりそうだ。もし自分がなったらと考えたら、死んだ方がましなんじゃないだろうかと思ってしまうと思う。
 富山県の神通川流域の歴史について詳しくわかりました。これまで私は祖の地域について詳しくは知らなかったのですが、今回詳しく知ることができました。例えば、昭和初期まで生活用水として川の水を地域住民が使っていたこと。かつては日本有数の川魚の捕獲量があったこと。周辺地域には農業用水確保などのための水路や用水路が発達していて、多くの田んぼや畑があり、そこから実り豊かな米がとれていたことを知れました。ここから、地域住民は日常生活において神通川から様々な形を通して大きな恩恵を得て日々を暮らしていたことがわかりました。また、かつては自然が豊かで田んぼに多くのコメを実らすほどの周辺地域に肥沃な土地の維持を支え、多くの川魚などの多くの生命を支えていたことがわかりました。
イタイイタイ病という名前自体は知っていたけど、あまりの痛さに耐えられず、患者が「イタイ、イタイ」と泣き叫んだことが病名の由来となっていたことが初めて知りました。また、35歳以上の女性の発症が多いことが特徴だということが分かりました。イタイイタイ病は骨折をくり返すのが特徴で、全身を痛みが襲い、動けなくなるという恐ろしい病気だということが印象に残りました。イタイイタイ病の原因は、初期の研究では過労や栄養失調だとされていたが、1961年にカドミウムが原因だったということが理解できたました。また、1968年に厚生省が健康被害の発生を公表するまで、国から何も説明がなかったということに驚きを感じました。もっと早く国が対応していれば被害が減っていた可能性があったと考える。このイタイイタイ病の原因となったカドミウムは、自然界に広く存在していて、亜鉛鉱石などに高い濃度で含まれていることが分かりました。イタイイタイ病は水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくと同時期に裁判が行われていたことが初めて分かりました。流域住民の健康を守るために、住民健康調査を実施していたことが理解できました。また、昭和30年台後半から40年台にかけて、水道が整備され、普及されたことが分かりました。イタイイタイ病のような公害をこれから出さないようにするために、住民によって対策や調査がされていることが印象に残りました。このように、イタイイタイ病で起きた恐ろしい出来事を忘れず、次に生かすことがこれから必要になっていくと考える。
富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をしてイタイイタイ病が発生した地域がどのような環境だったのか知ることができた。また、改めてイタイイタイ病の恐ろしさを感じた。実際にイタイイタイ病の患者さんの証言を見て「どれだけ涙を流しても足りません」という言葉が本当に心に刺さり印象に残りました。
私が印象に残ったことは②のイタイイタイ病の発生と被害の実態の所である。
息を吸うとき針千本か、二千本で刺すような痛みや、川へでも行けたら死ぬといった証言を見て想像もつかないような痛みなんだと感じるとともに怖くなった。
寝たきりになり、寝返りを打つだけでも骨折し、痛みを訴えながら死に至るというのは恐怖でしかない。
バーチャル見学をして、自分の知らなかったことを知れたり過去にどんなことがあり、どういう風な対策をしてきたかが分かるとてもいい機会だった。
川の水を引きこんだ農業用水を昭和のはじめ頃までは、多くの家庭でその水を炊事や洗濯だけでなく、飲み水としても使っていたことに驚きました。川の水を飲み水として使うのは、今では考えられないため、川の水が最初はとても綺麗だったのだろうなと思いました。それが急に汚染され始めた地元の人々は、耐えがたいものだっただろうなと思いました。
また、イタイイタイ病は、 昭和30年代まで多くの県民はその存在さえ知らなかったことにも驚きました。メディアやSNSで、世界中の情報が知れる今はとても便利だと感じました。
そして、寝こんでからも意識正常なまま「イタイ、イタイ」と苦しみ、 食事も取れずに衰弱しきって死を迎える症状が、恐ろしいなと思いました。意識が正常なまま苦しむというのは生き地獄だと思います。
私が想像していた以上に、イタイイタイ病の症状がひどく、対策がとても時間がかかっていました。高校までで学ぶ内容はざっくりとした症状や病名だけだったので、有害物質の恐ろしさを詳しく知れて良かったです。
証言のところで「息を吸うとき、針千本か、二千本でさすように痛いがです。」や「痛くて痛くてかなわんで、はってでも行けりゃ、川へでも入って死ぬんやけど」、「わずかな娑婆だと思っておりますけれども、こんな苦労さんならんかなと思うと、残念やら悲しみやらわかりません。どれだけ涙を流しても足りません。」など実際イタイイタイ病になってしまった人たちの言葉が書かれていて現実味が増し、その公害について考え、また第二波が来ないように心がけていきたいと思えた。イタイイタイ病の由来やら、これからどうするべきなのかなどをこのバーチャル見学でわかるようにまとめられていて、より深く知るためにまとめた中のものをよりわかりやすいように小分けにしてあるのが詳しく自分の知りたいことを知れていいと思った。1966年に被害者とその家族、遺族が健康被害の解決と救済を求めるために「イタイイタイ病対策協議会」を結成したとあったが、住民たちの行動が実り運動が成功してよかったと改めて思った。
 はって川にでも入れば入水できるという証言に、今まで痛いとは言っても骨折のようなもので、治るまでの辛抱だと思っていましたが、まさか死ぬ方がましと思うほどの痛みとは想像していませんでした。ショックを受けました。
発生源対策に、2011(平成23)年までに200億円以上の費用がかかっているという事実にびっくりしました。さらには総事業費は400億円を超こえているとなると相当住民全体の団結力や町づくりへの思いが強かったのだと思います。
バーチャル見学には、神通川と人々のくらしや、イタイイタイ病の由来などかなり細かな部分まで見学することができた。昔は、いわゆる公害問題が数多く発生していたことから、いかに人々の暮らしに大きな影響を受けたか、またさまざまな影響をもたらしたかがよく分かった。今は公害問題は、かなり少なくなってきているが私たちひとりひとりの協力があってこそだと考える。
最後のかけがえのない自然を未来にという言葉がとても印象に残りました。
なぜなら、元々は神通川のきれいな水を使って生活していたのにも関わらず、ある企業の行動によって農民の方々は被害を受けた。かけがえのない自然の恵みが一瞬で公害という病原体と変わってしまった。そんなかけがえのない自然は人間の手によってどうにもできてしまうため未来絵残すことが簡単ではないことを考えさせられたからです。
イタイイタイ病を発症する患者に診られる特徴が詳しく書かれていた点が印象に残った。
このことを見学してみてイタイイタイ病の大きな特徴が骨粗しょう症を伴う骨軟化症であることを学び、将来イタイイタイ病を発症しない以前に、骨粗しょう症の疑いがないように骨を強くするよう心がけようと思った。
私は見学の中で③の原因究明、健康と暮らしを守る動きが気になって何回も繰り返し読んでしまった。工場などの排気で公害になることはもってのほかだが、被害を受けてしまった人の遺族が結束し、イタイイタイ病対策協議会を設立して救助陳情の運動を行い、裁判を起こして住民たちが勝利したことは1人ではできないことだと思う。裁判を動かすのは本当に難しいと知っているので被害者遺族の人達が挫けるのではなく、この公害の現実を日本国民にもっと理解してもらうための結束は大きく公害問題の規則や条例を変えることにつながったとおもう。以上のことが私が1番印象に残ったことだ。
住民と原因企業もの取決めが印象に残りました。その感想は住民の被害防止や被害の大きさが伝わるほどの強い意志を感じられました。現在の神通川の美しさは、この頃の方の強い気持ちを表しているようです。企業との誓約書などを交わして今後の被害防止に努める気持ちが感じられ、住民の方と企業の方で再発防止に取り組んだことが分かった。
イタイイタイ病の発生と被害の実態のところが1番印象に残りました。息を吸うとき、針が千本か二千万で刺すように痛い。川は入って死にたい。涙をどれだけ流しても足りない。など、言葉だけでもすごく辛い病気だということがわかります。一度かかると治らない奇病で恐れられていたと書いてある名がとても印象的です。このように、後世に語り継がれる病気の一つが、新型コロナウイルスだと思います。危機感を持って今を過ごしたいと考え直す良いきっかけになりました。
私が富山県立イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして印象に残ったことは、イタイイタイ病を患った人たちの証言の中の、息を吸うだけで針が千本か二千本で刺されるように痛いという部分です。イタイイタイ病になり、症状が重くなると、つまずいて転んだだけでも骨折して、最後には、寝たきりとなり、寝返りを打ったり笑ったりするだけでも、骨折し、引き裂かれるような激しい痛みに襲われ、意識は正常なまま、痛みを訴えながら衰弱しきって死に至ります。私は産業が発展していく中、神岡鉱山からの排出物が原因で今まで農業を中心に様々な用途で大切に使われていた水が知らぬ間に、毒となっていてそれを知らずに使用していた人が病気を発症し、その原因が1番身近な生活用水の中に潜んでいたということはとても怖いことだと考えました。このような公害を起こさないためにもしっかりと調査を行っていく必要があると考えた。
印象に残ったことは特定の地域で起こり、女性中心で、症状が重くなると死に至るということである。今では珍しい病気の広がり方で、症状も酷くて怖い病気だなと感じた。
環境汚染は世界的に問題になっており、日本でも深刻な問題となっている。そのため、そこからの復活の過程に興味をもった。ここでは、イタイイタイ病裁判の後、汚染農地対策が実施され、土壌復元工事などが効果を発揮し、神通川とその流域が美しい姿を取り戻した。一度は自分たちの目先の利益を追求し、環境に配慮できない生産が行われていたが、環境の大切さに気付くことで、それを取り戻そうとする姿勢が素晴らしいと感じた。
印象に残ったことはイタイイタイ病の被害の実態です。イタイイタイ病は神通川の中下流域に全身が激しく痛む原因不明の病気で、一度かかると治らないものというのが非常に怖いなと感じました。かかった人の証言でも息を吸うとき、針千本か二千本で刺すように痛いというものでイタイイタイ病の恐ろしさがとても伝わり印象に残りました。
バーチャル見学をして印象に残ったことは、イタイイタイ病にかかった人々の証言です。息を吸う時に針千本、二千本くらいで刺されたくらいの痛みがするという証言や、「痛くて痛くてかなわんで、はってでも行けりゃ、川へでも入って死ぬんやけれど。」という証言から、イタイイタイ病という病気がどれだけ恐ろしい病気だったのかということが伝わってきました。さらに詳しい症状を見ていくと、寝込んでからも意識は正常なまま「イタイ、イタイ」と苦しみ、食事も取れずに衰弱しきって死を迎えると書かれていて、当時イタイイタイ病にかかったしまった人達がどれだけ苦しんでいたのかを知ることができました。
イタイイタイ病の症状や証言を見て今まで自分が思っていたより痛みが酷そうで多くの方がこの病気にかかったことを想像すると絶対に再び公害を起こしてはいけないなと思いました。
富山県立イタイイタイ病資料館は四大公害病の一つであるイタイイタイ病をきっかけにできた施設であり、イタイイタイ病の恐ろしさを今の子供たちにも知ってもらいたいという気持ちからできた施設と聞きとても共感し感動しました。
やはり昔の病気というものは年月が経つにつれて忘れていくものなので形にして伝えていく事で恐ろしさというものを今の子供たちに伝えていけると思った。
資料だけではなく、当時のビデオや写真などもありとても良いと思った。
イタイイタイ病の発生から問題解決後の住民の健康のことまでいろいろ書いてありとてもすごいと思った。
患者に見られる医学的な特徴について
イタイイタイ病は主に骨が軟化する病とは知っていましたが、腎臓にも深刻なダメージを与えるとは知りませんでした。
そして未だに病の仕組みが解明されていないことに、この病気の恐ろしさをさらに感じました。
 イタイイタイ病資料館のバーチャル見学をして、印象に残ったことはイタイイタイ病の発生した際の証言が印象に残りました。イタイイタイ病は明治時代中頃から奇病として恐れられていて、なられた方の証言では、息を吸う時、針千本か二千本で刺されたように痛いと書かれていました。痛さの度合いが超えられていて、とても生々しい証言だと思いました。
 さらに、イタイイタイ病の特徴に関して非常に印象に残りました。イタイイタイ病の特徴は、腰や肩、ひざなどから痛みが始まり症状が重くなると骨折を繰り返すようになるのが特徴で全身に激しい痛みが襲うことです。笑ったりしただけでも骨折するなんてとても恐ろしい病気だと思いました。死に至るまでも意識は正常なまま、衰弱し切るため恐ろしいと思いました。
神通川の流域では昔、多くの家庭でその水を炊事や洗濯ばかりでなく、飲み水としても使っていたほどきれいでそれが普通とされてきたこと。
イタイイタイ病は出産経験のある女性が多く、カルシュウムの不足している人や内分泌ぶんぴつの変調、老化が原因となって病気を進行させるということ。
そしてまだ解明されていない部分があるということ。
明治以降の軍需にこたえるため、鉱石が大量に掘られていたという事実。
現在は元のようなきれいな森へ戻り、長い年月や費用をかけ、企業側と住民の協力のもとよみがえっているということ。
私がこのバーチャル見学を通して、一番印象に残ったものが、実際にイタイイタイ病になられた方が発言した言葉です。私はとても悲しく、そして何よりイタイイタイ病を含む公害への恐ろしさを感じました。環境汚染の怖さを目の当たりにした気分になり、もし、公害病に自分自身がなった時を想像すると、とても怒りや不安に耐えられないものだと思いました。また、この現状に対して、町、県、企業が積極的に取り組んだことで汚染された川が綺麗になったことに対して、改善されたことへの喜びや最初から無くせたという悲しさがありました。まだまだ日本には公害で苦しむ人もおられるので、私たち1人ひとりが気付けるとこから行動していきたいです。
 私が印象に残ったことは住民と企業で被害者への賠償の他に公害防止協定が結ばれたことである。
 公害防止協定により、神岡鉱山では途切れることなく毎年立ち入り調査や環境の視点から見た施設改善を実施している。これは市民や行政が監視役となり、企業が公害問題が引き起こさないようになる。そして市民と行政と企業で独自のコミュニケーションを作ることができ、よりより環境保全に取り組むことができる。神通川でのさらなる環境保全は他の地域の環境よりも豊かである。
 一度はカドミウムによるイタイイタイ病という公害病を起こした地域だったが、被害者の補償、公害防止協定を経て公害病が起こる以前の豊かな自然を取り戻すことができた。ただ、豊かな自然を取り戻すには膨大な時間と労力がかかる。そうならないためにも行政や市民は公害に対する意識を持ち、企業は排出する物質が公害を引き起こさないか常に確認をしなければならない。
企業という大きな相手であるにも関わらず、被害住民たちやその関係者など多くの人が協力して裁判を起こし、勝訴したこと。普通だったら1つの村が企業と戦うには力の差があるため厳しいと思う。でも、3年もの間諦めずに戦い続けたことによって勝てたことは、他に公害で苦しんでいる人たちにも大きな勇気を与えたと思う。ここで公害の恐ろしさを全国に広げ、危機感を持たせることができたから、今のような環境に配慮した企業が多く存在するのだと思った。
 私が印象に残ったことは神通川とともにあった暮らしの原風景である。見学した限り、神通川は米を育てたり、川魚を獲って食べたりと深く暮らしと関わっていた。このように川の水や魚を普段のように使用した結果、誰も予想もしていないイタイイタイ病という症状が現れ、多くの人を苦しめた。私は普段通りに川を使用したらイタイイタイ病になるといった、いつの間にか私たちの身近に原因が潜んでいたという点がとても恐ろしく感じた。それと同時にもう少し配慮をした作業はできなかったのかという怒りもあった。もう一つ印象に残ったことは、今の神通川は美しい姿を取り戻してきているといったことである。発生源対策として立ち入り検査や、汚染農地対策として土壌復元工事を行うといった対策がされており、少しづつ戻ってきていることは良かったと感じた。多くの費用も掛かり、多くの人を苦しめた公害は今後発生させてはならないなと見学を通じて感じた。公害を発生させずに、良い環境を残すことは今の私たちだけでなく、後の世代の人のためにもなってくると私は考えているため、様々な想定や対策をしたうえで作業し、最善の注意を常に払っていてほしいと思った。
神通川の周辺では本当に多くの人々が魚の収穫を行ったり、農業をしたり、生活用水に使用していたりと川の恵みを使用してその地域が成長していったのだなと思いました。しかし、イタイイタイ病の発生によってそれらの生活が脅かされた。またその病気の原因も発生当時は過労や栄養失調と呼ばれていたため、対策におくれが生じたと考えられます。これは、現在のコロナウイルスのように初めは大したことないと軽い感じで考えていたが、事が大きくなってきて対策などを考えている現在の日本と少し似ているのかなと感じました。今後は何事でも起こりうる悪いことを予想し、何か悪影響などが起こった場合にすぐに対策を行えることが必要だと思いました。
私はこのイタイイタイ病資料館のバーチャル見学で印象に残ったのは特に住民と企業による環境被害対策です。カドミウムを排出した亜鉛や鉛を生産する神岡鉱山では専門家やイタイイタイ病の被害を受けた住民やその原因を作った企業が一緒に毎年立ち入り調査を行い、改善に取り組んでおり、鉱山から排出される坑内水の処理や鉱石のくずである廃さいや排水の水質検査や工場から出る排煙の抑制などの様々な調査の中で住民の意見を取り入れたたりすることでカドミウムへの対策をしっかり行っている。それが結果として、神通川のカドミウム濃度を大幅に下げることを実現させた。これらの環境被害対策に住民や企業が共に取り組む姿勢に感動し、二度とこのような被害を起こさないという強い気持ちが双方にあったからできたと思った。
イタイイタイ病は小さいころから学習してきたが詳しく勉強したのは初めてだった。印象に残ったことはイタイイタイ病の症状についてだ。初期段階で腰、肩、ひじに鈍い痛みがある。最終的には痛みを訴えながら死に至る。溺死ややけどのように苦しみながら死に至ることは本当に苦しい。だが、過去に公害によって経験した人がいるので公害についてあまく考えてはいけないと思った。

患者家族や支援者、医師、行政等様々な人からの意見を聞くことで多様な視点から公害問題について考えることが非常に印象に残った。公害の主な原因としては、企業の経済を優先する考えがもとになっていると考えられるが、被害者などの声を聞くことで企業側の考えも改善されると考えたため。
またこうした体験を通して、イタイイタイ病であることに気が付くことができる方もいると聞き、この体験が如何に重要であることや当時のイタイイタイ病に関する情報開示が不十分であった可能性があること等が分かった。

2.公害の経験をふまえ、私たちと産業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあい方」について、どのように考えますか
技術が進歩するのは私たちの生活をより豊かにするが、長期的な目で見ると後に公害になりかねない場合もある。まずは環境のことを第一に考え、次の世代に繋げる活動をしなければならないと思いました。
科学技術の発展は人間社会を形成する上で必要不可欠なものであると考えると同時に、利益や利便性の追求だけを追い続けた先に公害が発生した歴史を忘れてはいけないと考えます。 我々消費者の立場からも環境のことを考え、買い物をするなど1人1人が環境を守る意識を持つ必要があると考えます。
また産業文明、科学技術の発展は今後も大きく発達していくものになると思いますが、ルールを明確に定め、環境を守る、汚染しない開発ができる世の中を整える必要があると感じています。
公害で過去にたくさんの被害を出してきて、未だに健康被害に苦しんでいる患者さんもいます。その中で、企業側は利益も当然考えながら、その過程で二次被害が出ないような工夫や努力をしていかなくてはいけない。そして、有害な物の扱い方などをより厳しくする。そうすることにより、地域が再生へと向かっていくと思う。
二度と公害を繰り返さないようにし、公害が発生しない技術を発展させ環境にやさしい産業を築いていくべきだと思います。
これから科学技術とうまく付き合っていくためには、企業の情報開示が一番重要なのではないかと考える。公害やその他環境問題について、周辺住民や私たち一般市民はほとんど情報を知らない。私たちが普通に暮らしていても情報が耳に入ってくるようなシステムを作り上げる必要があると考える。
今後もさらに科学技術が進歩するが、健康で安心して暮らせるまちづくりを作るために多くの人に、過去の公害の事実を知ってもらい、一人一人がルールを守り心掛けるということが非常に大切だと感じました。
環境負荷のない、または少ない形で経済を発展させることが重要。私たちに出来ることは、ゴミはゴミ箱に入れる、洗剤を使いすぎないなど環境に悪影響を及ぼす行為をしないことが大切。
産業を発展させることだけを考えるのではなく、私たちの日常に異変が及ばないかを1番に考えて、慎重に扱っていくべきだと改めて感じました。そうでなければ、今回の授業で学んだように、私たちの生活を台無しにしてしまうような事態に陥ってしまいかねないので、どんな事項よりも優先すべきなのじゃないかなと個人的に思いました。
今後さらに化学技術が発展し、産業、システムがどんどんと変化してくこの時代において、私たちと化学技術はこれまでの公害問題、環境問題をふまえてお互いに信頼しあえる関係を築かなければならない。公害などは高度経済成長の影響を受けて発生した。確かに高度経済成長は日本を経済大国へと押し上げる大きな要因となったが、その裏にはさまざまなダメージが発生しており、その影響は現代にも大きな爪痕を残している。これらを踏まえ、高度経済成長期以上に化学技術が発達する中で、自然環境と我々と化学技術がバランスよく調和した関係を築くことが最も重要だと考えられる。今すでにある自然はこれ以上開発せず今あるものでこれからのことを考える、このような持続可能な考え方がこれからの世界に求められているのではないかと考えられる。
過去の公害を見ると企業は汚染物質を適切な処理をしないで環境に流し、企業のことしか考えていないとみることができる。産業や科学技術が発達していく中で人が暮らしやすい世の中にすることはいいことだと思うが、企業などは第一に環境のことを考え、市民の身体に悪影響が出ないことが絶対条件だと思う。市民は、講義のスタディツアー参加者の感想にもあったように、自分がこれからできることは何かを考え、公害は過去の問題ではなく現在も続いている問題であることを認識しなくてはいけないと感じた。
まず、第一に人の安全と安心を第一に考えていくことが重要である。また、そういった公害を二度と起こさないような科学技術とシステムの改善をすることが望ましいつきあい方であると考える。
今回習った、公害のような大勢の人が被害にあい、つらい思いをしないためにも、これから新しいことにとらわれて、様々なものを作り上げて人々に悪影響を与える前に、まず人々が安全に何事もなく暮らしていけることを前提として、物事に取り組むべきだと思います。
私たちは、産業や科学技術の発展のために新しい技術や価値を求めて産業活動を行なっていくと思う。その際に、二度と公害が起きないように確実な安全性が重要となる考える。だから、例えば企業が行う開発や事業などのあらゆる活動において情報を全て開示して、安全性を確かめることができるように企業と私たちが情報交換を行うような関わり方をするべきだと考える。
公害の経験を踏まえてやはり清潔さを保つことが大切だと思います。いつも使っている水道水が汚れていたら何人もの人が被害を受けるので徹底し続けるべきだと思います。また、もし感染する病原体が入っていたらもっと大ごとになると思います。起こった場合情報の確認も大事だと思います。情報を確認することで未然に感染するのを防げると思います。工場からの汚染が海や川などに流れ込むことにより汚染されて魚も死にますしそれを食べる人間にも被害がでて人間が人間を殺すことになります。このようなことにしないためにもごみをポイ捨てしないなど気を付けていく必要があります。
産業文明も科学技術もシステムも日々進化していて、しかし公害の原因足りうる物質が出てこないとも限らないなかで私たちは、いかにそういった物質を排出しないよう努力していくかが、公害の被害を最小限に抑えるために必要なことで、産業文明などとの「望ましいつきあい方」だと考えます。
大前提として生態系や人類に悪影響を及ぼすものではないことであると考える。また、一つの企業だけでなく、多くの企業、市民などが協力し合っていくことが重要であると感じた。
過去に起きたイタイイタイ病や水俣病などのような公害を今後二度引き起こさないようにしていくことも重要であると考える。
公害とは、産業文明、科学技術、システムなどを今よりもより良いものにしようとして発生するものである。公害を引き起こさないためには、地元住民との連携が必要になってくると思う。工場があるだけでも住民にとっては、よく思われないことであるので、良好に付き合っていくためには、住民との連携が必要である。そして、もし何か異変があった場合でも早く対処がすることができ、蔓延を防ぐことができる。このように地元住民と連携することによって、多くの利点が生まれる。
このほかにも、企業にとっては地元住民に対してどのような企業であるのか知ってもらう機会にもなる。
以上のことから、業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあい方」は企業が地元住民と連携することだと思う。
進化された科学技術によって、次々と便利な発明がされる中公害の可能性がなくなったわけではないと考える。このことから慎重な研究を重ね、完全に安全性が保証された商品が世に出ることが科学技術との良い付き合いになると考える。
これ以上自然環境を悪化させることにならないよう、一つ一つの企業が意識を持って取り組むことに尽きると考える。
 正しい知識を理解した上で産業文明と科学技術と付き合っていくことが大切だと思います。
企業が環境に対する意識をより高く持ち、これまでの生産性を主にみる技術から、環境と社会問題を組み込んでいった新たなシステムを作り出していき、我々が環境を意識している企業が当たり前だというような市場を展開していくことも重要だと思った。
公害が起こってしまったことを今後の、環境への対策に活かしていかなければならないと思う。公害があったという事実を変えることはできないので、その失敗を二度と繰り返さないためにも、現代の科学技術を技術の発展だけでなく環境を守るために今ある技術を最大限に活かすべきだと思う。そして、科学技術をさらに発展させて、環境を悪化させないだけでなく今までよりさらにいい環境にするために改善を推進していくことが大切になってくると思う。
私たちと、産業文明・科学技術・システムとの「正しい付き合い方」は、私は依存しすぎないことだと考える。やはりその技術が革新的でこれからの生活が変わるレベルのものでもどのようなデメリットがあってデメリットは世間的・環境的にはどうなのかをしっかり考えて採用していかないと公害のような事故・問題が起こってくる。個人的な例として原発は依存しすぎて利益重視で行動してしまったがために「3.11」の事故が起こってしまったのではないかと考える。やはり、産業文明・科学技術・システムを扱う場合、「想定外でした」という言葉は使ってはいけない。その言葉が許されるなら何をしても許されてしまうので想定外がないレベルまで技術が進歩してから扱うべきである。依存していまうと問題が発覚してしまってもシステムを利益や利権などで止められない状況になることもあるのでほどほどの距離感やリスク管理をしていくべきだ。
公害の経験をふまえ、私たちは、産業文明、科学技術、システムに積極的に触れ合うという事が望ましいと私は考える。私たちは、科学技術などの発展が著しい時代で暮らしている。そして、公害問題が起こった時代もまた技術の発展が著しい時のものであった。従って、似たような時代で公害問題のような事が再び起こらないように、これから起こり得る問題を事前に把握していく必要がある。事前に把握する為には積極的に産業文明、科学技術、システムとふれあう事をすべきである。身近な存在だと自覚し、あらかじめ産業文明、科学技術、システムのメリットとデメリットを知っておく事が望ましい付き合い方だと考える。
発展途上国が産業や経済を発展させるうえで、このような公害は必ずついてくるものであると考えます。中国なども公害が問題となっていますが、これは日本も過去に通った道です。日本は、これから確実に先進国の経済発展から取り残されます。そこで一度、先に発展していく国で起きた問題を考えることで防止ができると考えます。
まず、企業側には何か問題が起きたときそれを包み隠さず話す必要がある。そうでないと私たち一般人は異変を察知するのが遅れてしまうため、例えば事故が起きたときには素早く呼びかけ、対策をすることが大事だと思う。逆に私たちは、企業が何をしており、また何を作っているかを知ることで、その企業の安全性やリスクなどを考えることができる。
今までの公害から学び、今後同じようなことが起きなように最先端の技術を取り入れていくことが大事であると思います。 例えば、ICT技術を活用することです。
工場などで使われる機械を「見える化」することで、廃棄物や汚染物質が出ていないかなど機械の状況を常に把握できるようにしていけば今後、公害が発生するリスクは減ると考えます。
 私は、企業側、住民側など様々な視点から公害について考えていくことが必要であると考えました。産業や科学、システムを発展させていくには、どうしても環境や地域住民に被害を与えてしまうというリスクがあると思うので、それをいかに変えていくかが重要であると考えます。企業側は、どのような物質を使っているか、どのような方法で行っているのかという情報をきちんと住民側に示すと信頼を得られるのではないかと思いました。被害者、加害者の関係ではなくお互いに良い関係をつくることも重要であると感じました。
公害の原因は、主に企業の利益だけを考え、低コストで高効率である最新の技術を使用して、それによって生まれる地球に悪い排気ガスや成分を海に垂れ流したりなどが原因になっている。環境に悪い物質がなるべく出ない方法で物作りなどをするべきだと考える。また、そのような物質が出たとしても、それを地球に良い処理方法を確立させてから扱うべきだと考える。また、こういったシステムを各企業に浸透させていくべきである。
しっかりと住民に配慮し全く出さないというのは無理かもしれないが、ほどんど影響はないぐらいには配慮しながら生産などを行えばいいと思う法律で多分今はその基準を超えたらその会社は責任を問われると思うのでこの事件をしっかりと日本は重く見ているのかなと思った。
公害の経験を踏まえ、私たちと産業文明、科学技術、システムへの依存に気づき、産業文明などに頼らない生活をしていかなければならない。また、工場などから出る廃棄物の量や廃棄物の有害性を知って、対策をしたり、廃棄物が出ないような政策をする必要がある。
最近では公害はあまり聞かなくなって色々な企業が地球に優しい取り組みを行っている。地球に優しいということは人間にも優しいということにつながってくると考える。しかし技術やシステムだけが変わるのではなく私たち自身も変わっていかなくてはならない。技術には人間が、人間には技術が必要なのだ。お互いがお互いに寄り添えるようになるのが好ましいと考える。
公害について学ぶ際に、過去の公害問題について学ぶのも大切だと思うが、今回の新型コロナウイルスのようにまた新たな公害が発生する確率もあるので広い視野をもった視点で考えないといけないと思った。公害は今の子供たちは社会の教科書でぐらいしか学ぶ機会がないので地域の方との交流や意見交換、発表、現地観察を増やしていくと環境問題に関心を持つ人がもっと多くなると感じた。企業の環境規制についての問題は、行政が環境監査を行う確率を高め、罰金を適正な金額に設定してどの企業にも不満が起こらないように環境規制を遵守してもらうことが重要だと思う。どうしても環境規制にかかる遵守コストが高い場合は行政が資金援助したり、環境規制を行うことによるメリットを高める必要があると思った。
例えば高度経済成長を例にすると大規模な発展のようによい部分と同時に公害の発生のような負の部分が存在、つまり正と負は必ず同時に存在するということを理解し、この負の部分に早めにスポットライトを当てることが大切なのではないかと思う。AIの普及化なら人間がより楽になるのと同時に人間が必要とされる場面が減るということを意味しているように一概に技術の進歩を喜んで受け入れるのは危険だと私は考えている。
科学技術を進歩させていくのはもちろん良いことですが、人々の暮らしの危険を犯してまでも科学技術などを進めていくべきなのかなと考えました。人々の暮らしを良くしていくのが科学技術であるのに、逆に犯してしまうのは違うなと考えました。
私たちは産業や科学技術の発展によって豊かな生活を確立したが、それによって一部の人たちの健康が害されることはあってはならないことだと思う。私たちは公害病の経験をふまえ、企業は何か事業を起こす際に環境アセスメントを徹底しなければならないと思うし、私たち消費者も新しい技術を過度に求めずに、地域の伝統や昔ながらの道具を大切にする意識を持たなければならないと思う。
公害が常に身の周りで常に起こる可能性があることを理解すること,地域内での産業,企業で情報を共有すること,地域内,地域間での対話や協同をしっかりとおこなうことなどを理解したうえで付き合うべきだと考えた。
やはり公害が起きないようにするためには、企業側は公害を起こさないようにし、地元の人と信頼関係を築くことが大切であり、県では健康被害対策を継続的に実施するなどといった住民や企業、行政がお互いに協力しあって行けばいいのではないかと思った。
自分たちが豊かな生活を送るために産業文明や科学文明を発達させているのにもかかわらず、それが原因で人々が苦しめられてしまうのは根本がおかしくなってくるので、地球にもとからある自然を基本として大切にしていくことが重要だと思います。
科学技術はとても便利なものであるが、便利なものは使い方を間違えれば危険なものになったりする恐れがあるので科学技術の発展などは便利なものだからといって頼りきるのではなく、程よい付き合い方をしていくのが望ましいと考える。
産業文明、科学技術、システムにおいて、公害、環境といったことを念頭においての発展が必要だとおもう。
産業文明と科学技術を発展させることは私たちの暮らしをより豊かにする為に、必要だと思う。しかし、そこで生産によってでた廃棄物を垂れ流しにしたり排気ガスを空気中に漏らして私たちが暮らす自然を壊したり、健康上に問題をきたすようになってしまえば元も子もない。よって、あくまでも私たちの健康、環境を最優先にした産業を気づいていくのが望ましい付き合い方だと感じた。
 公害を防ぐためには、犠牲にしなければならないこともありますが、やはり人の命のことを最優先に考え望ましく付き合っていくべきだと考えます。歴史としての認識ではなく”今ここ”を伝える取り組みが早急にされていて、若い世代への公害教育が必要とされています。私たちはイタイイタイ病を経験したわけではありません。そのため、一人一人が昔の話という認識ではなく、現在も起きるかもしれないという危機感を持つために教育が必要だと考えられます。
今現在でも、完璧に公害がなくなったとは言えず、一定の量、基準値を守って空気中等に排出している。完璧に公害をなくすというのは不可能だが、私たちにできることは、できるだけ環境を汚さない生活を心がけることだと思う。ごみを出すにしても、最後は最終処分場で焼却されて灰になる。その焼却の過程で空気中には環境に良くない物質が散漫されている。そこで、私たちが少しでもごみの量を減らすことで、空気中に流れ出る公害を減少させることが可能になるのではないかと思った。私たちと産業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあい方」をするには、まずは、私たちが今起きている環境問題について関心を持つことから始まり、そして自分たちにできることは何だろうと、何とかなるだろう、何とかしてくれるだろうという考えではなく、まずは、自分ができることから始めるということが重要になってくるのではないかと考えた。
私たちが便利な生活を送るには、公害とは必ず向き合わなければならない問題かもしれません。しかし、産業文明、科学技術や化学物質については無知であることが事実です。
何が体に悪くて何が大丈夫なのか、ある程度のことを知っていかないといけないのではいけません。そのために、自分が住んでいる地域の工場について関心を持つことが大事なのではないかと思いました。
現在科学技術の発展が進んでいる中、世界の環境問題に対する意識も上がっています。企業も活動を続けていくためには住民の支持も必要です。そのようなときに、住民目線の対応であったり、環境に配慮した行動をすべきであると考えます。また公害による被害が出ないように最大の注意を払い、住民に不安を持たせないような取り組みが必要であると考えます。さらに、私達住民は過去にこのようなことがあったという事実を伝え続けていくべきです。そうすることでより意識し、同じことを繰り返すこともなくなると考えます。
産業文明、科学技術、システムが発達することはいいことだが自然や動物、また私たち人間自身が影響を受ける場合はその科学技術などは用いるべきではない。やはり健康や環境を第一に考えるべきである。
人が産業、科学技術を発展させていっているので、人しか制御できない。人が汚水や、大気汚染の処理をめんどくさがり自然に出してしまえば、帰ってくるということは公害の経験を得て分かったことだと思う。
だから人がしっかりと産業文明、科学技術の上に立ち、飲み込まれないようにするのが望ましいつき合い方だと考える。
科学技術に頼る所は頼っていいと思うが科学技術をしっかりと人間がコントロールしていかないといけない。今は、科学技術のおかげで、昔に比べて、とても便利な世の中になっている。しかし、事故は決してなくなっていない。例えば、3.11の福島第一原発事故。人工物が作り出したもので、大きな被害を生み出した。これは、絶対にあってはならないことだ。
今から、どんどん科学技術は発展していくことが考えられるが、しっかりと人間がコントロールし飼い慣らしていかなければいけないと私は思う。
科学技術が発展して生活がますます豊かになっていくその裏で、環境に与えるている影響を無視してはいけないと考える。私たちは新しいものが出るとすぐに食いついてしまって利用したくなる。その製品やサービスが環境にどのような影響を与えているかなど考える人はほとんどいないはずである。様々な公害問題により商品を製造する側もある程度は配慮しているが、利用する側ももう少し環境に意識を向けるべきである。常に環境に意識を向けながら産業文明、科学技術、システムと付き合っていくべきだと考える。
現在の私たちは産業文明、科学技術、システムに依存して快適な生活をしている。しかし、これらの事柄は公害などといった被害を及ぼす可能性がある。現在公害は過去のものであると感じられてしまうが福島第一原発の事故などの様に今も起こりうる災害であり、私たちと関係のないものではない。こういった公害を防ぐためにも、公害に対し教育等を通じて認識をし、産業文明等に対し、意見を述べる事の出来る人材を育てていく必要がある。企業側も公害反対運動等の意見を取り入れるように話し合いの場を設け、公害問題と向き合っていく付き合い方をする必要がある。
企業が利益を追い求めることは当然である。だが、環境破壊は企業としての存在意義が問われる。産業革命はこれからは、環境革命として、環境に向き合ったシステムへの転換をはかるべきだろう。そのための科学技術の研究が必要である。環境アセスメントや環境への取り組みの公開義務などをもっと厳格化していくことが望まれるだろう。
 公害の経験をふまえ、産業文明、科学技術、システムとの望ましい付き合い方について私は、住んでいる住民に情報を開示し、お互いの同意を得るために定期的に議会を開くことが大切であると考える。情報を開示することで地域の環境にどのような影響がでるのか、住民に影響はなのかを確認することで公害を未然に防ぐことができると考えるためである。
授業で扱われていたように、公害を学ぶから、次は公害から学べることを探していくことが大事だと思います。公害から、こういう原因があって事件が起こった、など、公害で起きたものを調べて、もうこのようなことが起きないようにいろいろな視点から考えて世界全体で考えていくべきだと考えています。
技術が発達することは良いことだと思う。その時にしっかり人間に対してのデメリットはないか、自然界に対してのダメージはないかという部分を研究した上で進めていかなくてはいけないと思う。
新しい技術などを導入することには多くのメリットやデメリットが多く存在すると思うが、それが人とどのように関わるか、また、関わることによってどのような影響があるかよく考え、近隣住民などが不安などを感じないため、導入する側は十分に安全性を説明するべきだと思う。
被害を受けた方たちの話だけでなく、失敗をしてしまった会社の方の話を聞いているの見て、いろいろな面から物事を見ることが必要だと感じました。なので、システムを使う人と作る人の意見がお互い理解できるようになれば良いと考えました。
まず、工場を建てる時などどのような汚染物がでるかを把握するべきだと考える。イタイイタイ病の原因のカドミウムが出ることを知っていればこんなことにはならなかったかもしれない。だから、何が出るかを知り、それを防ぐためにはどうするべきかを考える必要がある。
今はもう公害を知らない時代ではなく、どのような産業の発展にも注意を払わなければ公害という問題がついてくるということが世界的に認識されている時代だと思う。産業の発展、科学技術の発展、全て人々の生活を豊かにするのに必要だと思うが、それに伴うくらい側面にもしっかりと目を向けていかなければならない。
ただ発展させていくことを目的とするのではなく、その発展は果たして本当に必要なものであるのか、過去に似たような技術発展で何か問題は起きていないかという徹底した調査の実施。そして公害という経験を持っている国だからこそ、その事実をしっかり受け止め、二度と同じような問題を起こさないためにも、ちょっとした原因になるかもしれないものも全てしっかりと調査をし、影響が出るかもしれない地域住民の人にも必ず説明をして承諾してもらうことなど、できることをしていくことで、より良い産業や科学技術の発展との付き合いを築いていけると考える。

 我々が生きていく上で公害が起こるのも、住みやすい街、生きていく為に必要なものを作り出す為にその過程で思いもよらぬ事が起こってしまう誰も悪影響と分かっていてやっていることではない。これからもっと日本を発展させていくには、様々な科学技術が発展していく必要がある。技術者の方々は、万全の準備、確認をし、進めていって欲しい。公害になるかもしれないと少しでも可能性があるのであればすぐにやめ、その調べていくことが大切である。
日本は、過去に公害問題が起こったということをしっかりと教訓にしており、何か新しい事や物をする際には、その地域の人のことを第一に考えるという精神はとても素晴らしい事だと思うので、今のままのやり方で僕はいいと思います。
産業文明は私たちの住む日本の経済を豊かにするために必要であるし,科学技術もまた私の生活を豊かにしてくれるものだとは考えています。すなわちこれらは私たちが現代を生きていくために必要なものになっているということです。しかし、生きていくのに必要なもので一番大事なのは自らの健康な体です。こう考えた時,どのように産業文明,科学技術と付き合っていかのかということですが,公害の被害を考えたときに人間にとっての害となるのも我々を豊かにしてくれている産業文明,科学技術になるということを頭に入れておかなければならないのです。昔の人々の生き方や,これまでの先生の講義でもみんなが誰でも始められる環境に配慮する生き方ということが存在している以上,授業にも出てきた依存。これをしなくとも我々人間は生きていけるのではないかということに気づくべきであると考えます。だいだらぼっちでは自分たちより年下の子たちがお風呂を薪で沸かしているのです。今のような生活スタイルでなくても生きていけることの証明はできていると感じました。
私が考える、私たちと産業文明、科学技術、システムとの「望ましい付き合い方」としては、これら、経済を支えるこれらの重要な仕組みが今まで犯した間違いをすべて洗い出し、極力我々がこれらの仕組みを信用できるようにすることである。これまで産業文明、科学技術、システムが我々民間人、地域住民を危険にもたらしたことは、今回学んだ公害などで証明されているだろう。しかし、結局のところこれらの仕組みは我々に様々な恩恵をもたらしてくれたことも全く変わりがない。そのため、我々はどうあがいてもこのシステムの恩恵にあずかることでしか未来を切り開くことができず、これらを信用しなければならないだろう。未来の間違いは予測はできても完全に予測できるものではない、しかし過去の間違いは確実なものだ。このため、これらの仕組みを信用することができるようになるために我々が努力して、過去の間違いを全て洗い出し正していくのが産業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあい方」なのではないだろうか。
 公害地域の今を伝えるスタディツアーは、再生はどこまで進み、課題は何か、現地の見学などから得た知識でワークショップで参加型として学んでゆく。参加者は発信者として、伝えていくことを目指し、公害地域再生センターは地球環境再生機構「地球環境基金」から の活動助成を得たことや公害問題への取り組みに環境教育、地域づく り、企業の社会的責任などが重要であり、自分には何ができるか、自らが行動する存在がつながりあい、被害を受けた大人が若い世代の新しい発展を推進していくことが望ましい。
公害の発生原因や被害拡大の要因等について知っておくことや、そこからの問題解決や地域再生の取り組みについても知っておく必要があると思いました。これらを知っておくことで人々が公害を学ぶことにつながると思いました。その学んだことから、多角的視点や批判的な視点を獲得することができ、産業文明や科学技術、システムへの依存に気づくことができる。科学技術などの進歩をさせるためには様々な方法があるが、自然災害などによる化学物質の排出はいつ、どのようになるか誰にもわからないが、そういった危険性を秘めているものには人々があまりいないところで行っていくべきだと感じました。
我々の生活や文化の発展には開発などが必要なことだと考える。産業文明を発展するにはこれまで以上の技術が必要となる。そうなると、たくさんの資源を使う。そうなると有害な物質が出ることがある。しかし、発展の為だからと言って有害物質の排出を許容するものではない。有害物質は公害病を引き起こすことがあるからだ。人に対しての影響だけでなく、近隣の環境にまで影響を及ぼしかねない。なので「望ましいつきあい方」としては、定期的な点検、条約や法令の設定、個人でできる取り組みを行い、つきあうことが良いと考える。
日本が敗戦か らしだいに復 興 し経 済 成長 を遂 げていく中で 、科学技術は常に経 済発展 の原動力で あり、豊 か な生 活 を生み出す源泉 で あった。 なので、日々豊 か にな っていく経 済 発展に目を奪われて 、その陰で密かに進んで いた公害には 、 目が向かなか った。だが、公害問題があることで科学技術は必ず しも経済発展の源泉で はなく、時には環境破壊の元凶にもなることを人々は実 感した。科学技術の発展で環境破壊が悪化するのでは意味がないと思っている。

公害の経験を踏まえ、有害物質をそもそも出さないのが一番ですが、過去の公害の背景にはわかっていながら自然と開発を天秤にかけて、開発を取った過去があるので、引き際が一番大切なのではないかと思います。
高度経済成長や重化学工業等の発展で多くの公害問題を引き起こしていることは明らかである。様々なシステムの導入や科学技術の発達で人々の暮らしの充実度が高まったことは確かではあるが、その反面で環境に与える悪影響も大きいのである。
フロンガスの発生でオゾン層、オゾンホールが破壊されてきていることが明らかになっているが、これを明らかにしたのが「人工衛星」であるとされており、人々がみることのなかったところの問題点を発見し、解決に向けた対策ができているのも人工衛星のおかげであるといえる。このように科学技術を環境保全の活用に向けることの重要性を感じる。
技術で競い合い、高め合っている国々など物づくり精神のある国々では、科学技術の対象が人間であることが多く、良い製品が作られてきてはいるが、環境に与える影響が少ないものはあっても環境への影響が良いものはあまりない。自然環境や人体に与える影響が考えられていない商品はいくら性能がよくても一概に良い商品であるとは言えないだろう。
以上のことから産業全体や一部の企業、また最先端の科学技術や新たなシステムの対象を環境保全に向けることが大事であると考え、最先端の技術を活かし環境汚染を未然に防ぐなどの取り組み、対策を行なっていくことが「望ましいつき合い方」であるように感じる。
使えるものは使うべきだが、何に影響が出るのかとか、何をもたらしどんな弊害があるのか、把握することが大事。一概にこれはダメ、というように押し通すのではなく、その過程が大事。
あまり科学に頼らないという考えは、少し考えが甘いと思う。今の時代では科学に頼らない生活は不可欠だ。それに加えて、今の環境はとても汚れてしまっている。そこで、環境を守るということで、望ましい付き合い方をできる一歩になると思う。
工場から出るカドミウムが川に排出され、農業用水によって水田に運ばれ、その土壌に蓄積され、このカドミウムに汚染された農地で栽培される稲がカドミウムを吸収しその米を食べる人間の健康に影響を及ぼしている。これらは、人間だけでなく、動物などにも影響が出ていると思う。工場をなくすというのは、我々人間からすると恐らくできない話だと思う。ならば、工場から悪影響な物質が出ないように今より厳重に心がけることはできると思う。外に流すとしても、これは生物に影響はないものなのか、ちゃんと調べてから行動するべきだと思う。
公害に対して正しい知識を持っている人が増えることで、公害によって引き起こされる
自然環境、健康被害の影響を理解して生活すことが重要だ。そのためにも義務教育から公害問題について学んでいくことが必要であり、従来の公害を学ぶことから公害から学ぶことのシフトチェンジすることが重要となる。公害について理解があれば企業は公害を起こすようなことはできないだろうし、公害を発生させる企業が出てきた場合にはしっかりとした対処も可能になるかもしれない。公害の経験を失うことなく次の世代につないでいくことが望ましいつきあいだと考える。
私たちは、過去の経験を生かして、目先の自分の利益だけを求めるのではなく自然環境の事、地域住民の声も聞きながら産業文明、科学技術、システムと付き合って行くのが望ましいと考える。過去、公害問題で何回も問題になっているので企業側はバランスを考える事が大切、住民も企業側がおかしい事をしていたら声を上げて自ら訴える事も大切である。
産業を発展させることは重要だが限度があると思った。人間が被害にあうほどの発展は求めていない。人が安全に暮らしていくことができるための産業が人を危険にさらしては意味がないと思う。科学技術より命のほうが大事。バランスよくつきあっていかないといけない。
システムや科学技術の進歩においてどんな理由があろうとも、公害は発生させてはいけない。環境への配慮を考えなければ効率もいいし、作業効率もはかどるが、決められたルールの中で、私たちの生活をより豊かにする、というのが当たり前だが難しく、望ましい付き合い方だと考える。
科学技術が発達することは良いことだと考える。なぜなら、生活が豊かになっていくからだ。しかし、このようなメリットには大きなデメリットがあることに対して目を背けてはいけない。このことを意識して今後は付き合っていくべきである。
産業を発展させるため誰かを犠牲にするのではなく、環境、自然、地域の人々を大切にしながら全員が幸せになれるような発展をさせていくべきである。
確かに,自分達の生活が快適になることは,良いことであるが地球の資源や地球の自然などは,有限なものであるのできちんと後世の人たちのことも考えながら地球と相談しながら進めていくべきだと考える。例として太陽光発電などの再生可能エネルギーの普及などがこれの行動の一つとして挙げられる。
私たちと産業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあい方」は、人間がこれらの技術に「頼りすぎない」つきあい方が望ましいと考える。なぜなら、新しくて便利なのものに頼りすぎてしまうと人々は何が悪くて何が良いのかの区別がつかなくなってしまうからだ。言い方を変えると、人々が自分で考えることを放棄するといってもよい。まずは、安全面を確保することを最優先にしなければ、過去に起きた公害を再び引き起こしかねない。しかし、リスクを恐れてばかりで新しいものに手を出さないと経済や人々の生活が発展することも無くなってしまう。だからこそ適度な距離を取りつつ、誰を救うために科学技術を利用するのか、システムを構築していくのかを考えていかなければならない。そして、公害のように、人の身勝手な行動により永続的に苦しみを与えるような惨劇は誰も得をすることがない。被害者は痛みや後遺症で苦しみ、親族や友達もその姿を見て辛い想いをしてしまう。一方、加害者側の企業も賠償金や責任を負わなければならない。過去に起きた公害は、今の私たちからしてみると他人事のように思ってしまうかもしれないが、誰もが被害者になる可能性があったのだ。産業文明、科学技術、システムが進化することは、私たちの生活を一変させることができ新たな視点で物事を見ることが出来るようになる一方で、その背後に潜んでいる問題を見落とすという意味では視野が狭くなっているとも言える。だから、私は新しい技術に頼りすぎず、最終的な善し悪しは人々の頭で考えることが望ましいつきあい方だと考える。
公害がこれから先二度と起こらないように、企業は積極的に住民に安全である情報を開示するべきである。現在では科学技術が進歩しているが、過剰な産業構造は環境保全のために控えるべきである。住民と事業が対話などで協働し、環境に良い地域づくりをすることが大切である。私たちはこれからの産業システムの課題を改善し、持続可能な社会を築いていくことが重要である。
一度起こってしまった公害があるので、それを教訓にし繰り返さないように様々な対策を講じながら、私たちは産業文明と付き合っていく必要がある。産業文明を発達させようとして、環境汚染をすることがないように企業自身で点検していくことが必要だ。しかし、私たち地域の一般市民も関心を持ち、企業が暴走しないように注意していくことが大切だと考える。
私は、公害についてたくさん学んできた中で改めて、公害についての恐ろしさや公害で今もなお苦しんでいる方々がたくさんいることを知った。公害にで苦しんでいる方々のためにももっと、多くの方々に公害についての恐ろしさなどを発信していくべきだと思うし、また、新たに公害で苦しむ方々がいなくなるようにするためにも対策や予防などを発信していくべきだと考える。また、公害の加害企業にも対策してもらえるように交流などを行って被害者の意見を取り入れて行くべきだと思う。
日本の急激な経済成長による犠牲として人間や自然に及んだ悪影響が公害でありこれからの経済発展の在り方によってはまたお味様な悲劇を繰り返してしまうこともあり得る。今現在公害に苦しんでいる被害者もいるなど公害が一時的な被害ではなく継続的な被害であるとともに直接的な被害者の身内が差別される二次的被害を及ぼすこともある。産業や科学技術と正しい付き合い方をすることが公害の再発防止には効果的だと感じるが、企業の行動理念は常に利益を追い求めるのでその結果環境に望ましくない物質を排出して今うかもしれない。かといって企業の生産を落とすことになると他国との経済格差が生まれてしまうため規制をかけるのも難しい。そのためあらかじめ企業団体と生産活動を行う地域の住民の入念な話し合いが必要だと感じる。企業側が情報の非対称性を改善するために情報公開をし、住民を安心させることでお互いの関係性に信頼が生まれ望ましい関係性になれると考える。また科学技術も進歩しており、工場の排気ガスから特定の化学物質を取り除くことのできる装置などもあり企業の環境面の安全性の証明にもなるISOなどから住民の信頼を得ることができ、お互いが安心して過ごせるような付き合い方が理想だと考える。
しっかりと環境と向き合って行えばいいと思う。過去の失敗を生かし、二度と同じことが起きないようにすればイタイイタイ病で亡くなった方々も少しは報われると思うからだ。
レジ袋有料化に伴って環境に関する関心が今高まっていると思われる。このいい流れのまま自然環境に対しての知識を小さい時から学ぶような体制を作っていってほしいと思った。
私はその「望ましいつきあい方」とは、利益や発展を追求することに依存するのではなく、発展させると同時にその行為を行った結果どのような未来が考えられるのかについて一度立ち止まって考えることだと思う。公害の経験から利益の追求だけを行うと人間に悪影響を及ぼすことを私たちは学んでおり、それを現在自分が暮らしている地域に当てはめて考え、依存している部分とどうつきあえば後世に今ある環境を残せるのかについて様々な視点から見つめ直すことが大切だ。
石油や石炭などの化石燃料を大量に採掘してエネルギーや素材として利用し、強力な科学技術を開発して自然界のあらゆるものを人類の物質的繁栄のためだけに無制限に利用しようとしてきた。さらに、地球の生命にとって有害な放射能を大量に生み出す原子力発電までも開発しましたが、その問題点は2011年に発生した東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故によって誰の目にも明らかとなった。このことから、大量消費社会から循環型社会への切り替えが重要になってくると思う。
公害を学ぶ機会はあっても、公害から学ぶという取り組みをする機会はあまりなかったが、公害地域とは離れていても、公害を知るだけでなくその先を考えていかなくてはならないと感じた。私たちは、より快適さを求める生活のために産業文明や科学技術に頼りすぎてはいけないと思う。原因企業側は地域再生のために社会的責任を意識しながら活動する必要がある。そして、被害地域や患者団体と良い関係を築きつつ、自然環境を守り続けていかなくてはならない。またその他の企業も同じような失敗を繰り返さないよう、環境汚染について考えながら活動していくべきである。
技術を発展させることは重要なことであるが、それにより環境に害が出て犠牲になる人々が出ることは許されないことである。持続可能な社会を形成していくため、環境に害のない方法を模索し、少しずつ技術を発展させていくべきである。
公害の経験から、産業革命・科学技術・システムと私達の生活は深く関わりがあることを知っておく必要がある。企業は企業のCSRや地域との付き合い方の重要性を正しく認識し、私たちは人ごとと考えるのではなく、しっかり監視して常にこの問題について頭の片隅に留めておく必要がある。
望ましいつきあいかたとしてやはり、今取り組まれているリサイクル等をあげる。必要な資源を最低限に抑えることは前提として、産業や科学を通し、持続可能な社会を実現することが大切だと考えます。
発展することはよいことであるとおもう。
しかしそれに伴うリスクを検証して、しっかりと管理した上で付き合っていくべきだと思いました。また、原因不明の病気が流行した場合は国があらゆる面か迅速に対応して事態の収束につとめるべきだと思いました。企業だけではなく、国も巻き込むべきであると考える。承認しなければ、事業を展開できないなどの処置を施し。
私が生まれるまでに日本で大きな公害が四つ起きている。まぁ起きないと言うことを言い切ることはできません。産業文明と科学技術を進歩していかなければならないのは仕方ありません。しかし、そこで健康被害が出るか出ないかしっかり調べてからじゃないとまた同じことを引き起こしてしまうことになる。第一に健康、環境への安全を考えてから文明を進化させていかないといけないと思います。
私たちが一方的に依存せず対等な関係にたち互いを監視して公害を起こらないようにする
排水溝などからカドミウムがはっせいしていないか、工場内からカドミウムが盛れだしていないかなどを確認し、徹底的にイタイイタイ病が再発しないよう工夫するべきだと思った。
 前述でもふれたが経済発展や科学の進歩に伴って新たな環境問題が起こることが予想される。だからこそ人類は目先の利益だけ求めるのではなく、あらゆる事象において環境にかける負担や地域への配慮を詳細に調べ、関係者すべてと情報を共有することが必要だと考える。
暮らしが豊かになることは良いことであるが,公害のように,その発展に対して苦しむ人もいるのであれば,改善が必要であると考えました。世界一貧しい大統領が言っていた,電化製品はもっと長持ち出来るように作れるけれど,企業が利益を得たいがために,寿命を短くしているということとも関係があると思いました。
これから公害のようなことが起こらないとは必ずは言い切れないと思う。日本は公害の経験を踏まえてそれなりに対処はするようにはしていると思うが、何かしらの影響でまた起こる可能性は十分あると思うので、これから進化していく産業文明、科学技術、システムについては細心の注意を払って扱っていかないといけないと感じた。
科学技術が発展していく中で、ついてくる問題はたくさんあるがその中でも一番私たちの生活と関わってくるのは環境問題である。汚水の垂れ流しや、有害ガスが昔は規則が緩かったために無造作に外にほうしゅつされていた。今ではそのようなことはなくなったが、まだ地下への汚水垂れ流し問題や、 少し変わるが原子力発電所など、問題はたくさんある。
科学技術が発展することは私たちの生活においてもとても良いことだと思うが、良いことばかりに目をやると、実は一番大切にしなければいけない環境を破壊してしまう原因になってしまうと思います。
現在では、産業がどんどん発展しており、それに伴い公害問題が起きてしまうと思います。かといって産業の発展を止めるのも日本の経済にとっても好ましくないので、公害が起きかねない場合はしっかり調査などをし、住民との話し合いをしっかりとして、お互いの安全のため産業をしていって欲しいです。
科学技術を促進させることで産業が発展し、利益が出るなどたくさんのメリットがある。しかし、メリットばかり考えず、デメリットになる部分もしっかり考えないといけない。科学技術の様々な危険性を考慮して対策をしたとしても、科学には不確実性が伴うため、絶対に安全であるという保証がない。よって産業を発展させるための計画や人体や環境への悪影響を対策するシステムに関する情報は住民に公開し、住民からの許可を得てから実行に移すべきである。
公害が起きてからでは取り返しはつかなくなるため、産業文明、科学技術、システムとは慎重に付き合わなければならない。
産業文明、科学技術の発展はとてもいい事だと思うが、それと共に公害についても、しっかりと話し合い、改善しないといけない。
産業文明や科学技術、システムを発展させていくには、少なからず、自然に影響が出るかもしれないが、その被害を最小限に抑えながら、発展させていくことがとても大切だと思った。
不完全燃焼は大気汚染を増すので、車のスピードを出さないように心掛けることが大切
 企業の一方的な利益を求めるだけではなくて、科学技術や物の生産によって周辺地域に与える影響を考えなければならない。企業と住民の双方が理想であるが、多少は両方が譲り合わなけらばならないと考える。
現在、物凄いスピードで技術が進化している日本で科学や産業はなくてはならないものではあるのですが、そのような科学の発展により、工場が近くにある地域の人々に煙などの公害や騒音があることは、仕方がないような気もします。しかし、私達の想像をはるかに超える科学が生まれている日本なら、そのような公害を出さないようにするという技術の発展も進むべきだと思います。
世界でもトップを走る日本だからこそ、公害に対する技術も発展していき、起きてしまった公害の問題がもう2度と起きないようにすることが大切だと思います。
産業文明と科学技術を発展させることは私たちの暮らしをより良くするためには必要だと思う。しかし、生活の豊かさだけを求めて行った行為は、時に自然を壊したり人間の健康に被害を及ばしかねない。イタイイタイ病がいい例である。そのため、必要最低限の自然と健康を守った上で産業を気づいていくべきだと思う。
産業文明、科学技術が進歩しつつある中で公害のような有毒物質が流出しないよう、企業の社会的責任(CSR)における公害防止対策の業務の再認識を図るとともに、企業側は公害防止ガイドラインなどの規定を順守すること。また公害防止ガイドラインにもあるように自治体や地域住民とのコミュニケーションを通じたヒアリングを充分に行うことなどが産業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあい方」であると考えます。
 産業文明、科学技術の進歩によって環境に負担を掛けるだけでなく環境問題を改善することも可能になってきた。以前は、大量の農薬を消費して生産されるコットンが人体への被害や生態系への影響が疑問視されてきたが、現在は農薬を使用しないオーガニック・コットンの農法の確立や、リサイクルに対する意識の改善によって環境負荷は以前よりも抑えられている。
 このことから私は、日々進歩する科学技術に対し使用者たる我々が思想や考えを確立させ、学びながら利用することが求められると考える。優れた科学技術やシステムを活かすも殺すも我々利用者の操作次第である。環境をより良くする、正しく安全に利用する、といったことを心掛けながら利用することで、産業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあいかた」を実現させることが可能になる。
 
産業や科学技術、システムの発展はものすごくいい影響を与えてくれると思うしとても大切である。しかし、発展ばかりに気を取られそれにより自分たちの健康や暮らしが脅かされるのは間違っている。
この実験をやればこういう危険を及ぼす可能性がある、この生産は環境に影響を与える、という風に予めおおよその予想や防止策を練って行うことが大事であり、もし起こってしまったら財源を割いてでも問題解決に取り組む必要がある。
産業などの発展はより豊かになっていくがその反面影響を及ぼすのが当たり前だ。いいことばかり起こっていたらこの世の中で生きていくのは難しくない。公害とは違うが、現在新型コロナウイルス感染症が世界で蔓延している。これも国と富山県と地域の人達のようにしっかりと団結することが必要であるが、大した政策は実施されずそれを守らない国民もいるというのが事実である。これは全く団結していない。
「望ましい付き合い方」とはお互いがお互いを尊重しあい優も劣も五分五分であることが絶対条件である。
早く新型コロナウイルスが終息して海外旅行に行きたい。
今までの公害の経験を忘れずに、イタイイタイ病などのように、元の環境に戻せたことで、風化されるんではなくこの経験を忘れずにみんなに知って欲しいです。そうすることで一人一人が気をつけることができ、また同じ公害を2度と繰り返すことのない世の中になって欲しいです。
公害の経験を踏まえてのシステムとの望ましい付き合い方として考えることは、システムを発展させる場所では、その近辺に住む住民への配慮と理解を忘れないことだと考えた。産業や科学のシステムを導入することは間違いなく生活を豊かにするしかしではある。しかしそれには代償も必ず必要になってくる。そこで大切になってくるのが近辺の環境に与える負荷がどれくらいのものか、そしてそれらの環境負荷に対してどのような対策をとるかだ。イタイイタイ病の事件の後のアフターケアとして、美田を取り戻すために行った土壌復元工事のようにできることを行ったり、また如何にして近辺住人に影響ががでないようにするかを考えてそれを事項氏、そのような姿勢や配慮などを通して住民からの理解を得るかということが望ましい付き合い方と考えました。
私が思う公害の経験を踏まえた、私たちと産業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあい方」は、日々選択により地球に住む1人1人の人間を含むすべての生き物が生活を破壊されることなく、満足して、幸福に生きていくことを達成するような社会を実現していくことが大切だと考える。
産業文明、科学技術、システムは、時として公害問題を引き起こす。しかし、産業文明、科学技術、システム自体を否定することは、望ましくないと考える。なぜなら、公害問題を解決するに科学技術は不可欠だからである。今日までに、公害問題が減少した要因には、有害物質の除去技術などが大きな役割を果たしたと考えられる。よって、私は、科学技術を否定するのではなく、正しい知識を持って接することが「望ましいつきあい方」であると考える。正しい知識を持っていれば公害が起こるリスクを予見して対策を取ることが可能であり、仮に起こってしまった場合は、それにいち早く気が付くことができるようになる。公害問題を含む環境問題を解決するためには、一人一人が科学技術や問題について正しい知識を持つことが重要であると考える。
企業もステークホルダーとの交渉が必要
科学技術の進歩や産業を発展させることで、自分たちの生活は豊かで便利なものになるがそれに代わって、その科学技術の利用の仕方によって公害を引き起こしてしまう可能性があることを考えなければいけない。科学技術の進歩が社会に影響していく上で、重要なのは安全性の面を考えることで、豊かな生活を望みすぎず公害などを起こさないことを前提として科学技術などと共存していく必要があると思う。実際に原子力発電の問題があるが、これらの技術は、科科学的な知識や様々な理論から生まれたもので、一般の私たちでは技術に無知なためあまり理解できるものではないが、これらの技術に対し、私たち自身もしっかり向き合い、理解していくことが重要であると思う。
私たちと産業文明や科学技術は、公害などの被害を二度と起こさないよう自分たちの生活の向上を求めるだけでなく、これらの社会への影響を考えていくことが望ましいつき合い方であると考える。
産業文明、化学技術、システムへの依存が公害につながった事に気づき、公害を歴史としての認識ではなく、若い世代への新しい公害教育が必要だと考える。
文明、科学技術の発展は人間にとっては便利なことが増え、良い事だと思う。だが、公害のようなことになっては元も子もない。発展するにはなにかしらの犠牲が生まれるため、その犠牲をどれだけ減らせるかを考え、人々にとどまらず自然環境に対しても被害を極力出さないことが望ましいつきあい方だと考える。公害のような被害が出てからでは遅いため、将来を常に考え、行動をとっていかなければならない。
 科学技術は、互いに対立する性質である相反性をもつ。1円玉に利用されているアルミニウムは、地殻中に酸化アルミニウムとして存在するが、加工のために単離(混合物や化合物を純粋な物質にすること)を行う必要がある。酸化アルミニウムの単離には、電離分解が用いられる。そして、アルミニウム缶1つを製造するために必要な電気は、300ワット時とされている。そのため、アルミニウムは電気の缶詰と呼ばれている。電気の消費は、発電を促し、環境に悪影響を与える。
 アルミニウムやその合金の利用は、社会にとって有用であるが、過度の使用はマイナスに働く。そして、アルミニウムの有用性は短期的に現れるが、発電による環境汚染は短期的に現れない。そのため、アルミニウム消費が促される。産業文明や科学技術、システムとのつきあい方は、有用性に魅せられ過ぎず、適度に利用することが「望ましいつきあい方」である。
社会が発展していくことも大切だが、一番に守るべきものを忘れないようにしていくこと。
公害の危険は、過去の公害が終わったから終わりではなく、また新しい種類の公害の発生や過去の公害の被害者の現在まで及ぶ被害など様々あるが、産業、科学などについては様々な科学者により判断を仰ぐことなど、より厳しい基準を設けることで公害発生の根本的な対策を講じ、また公害発生時にはより速く、丁寧に判断し対策を講じなければならない。
公害を完璧に予測することは不可能である。現在では人体にとって悪い影響はないとされている物質や技術についても、たとえばアスベストのようにのちのちになって影響があるということがわかるケースも存在するからである。
そのことを前提として、極力公害による人体や、環境に対する被害を防止したり、あるいは軽減するためには、国民、企業、行政が一体となって環境保護に取り組むべき、という意識を共有することが必要だと感じた。そうした取り組みをないがしろにして、個人の欲求や経済活動を優先することは、防げたはずの公害を見て見ぬふりをしたり、軽減できたはずの環境汚染に対する対処を遅延させ、状況を悪化させたりする大きな要因となるからである。したがって、これからの”ふつう”として環境保護を社会に浸透させる必要があるし、そのための環境教育だと感じた。
そのうえで、多角的な視点をもって、相互批判できる環境と仕組みを作り出すことによって、より公害や環境破壊といった問題が起こりにくい社会を作り出すことが必要である。環境教育とは、すなわちそのような相互批判の機会を提供するための根幹となるものであり、これをなくして国民による積極的な環境保全は見込めないものであると感じた。
したがって、教育による環境へのリテラシー向上を図ることが、今後持続可能な社会を作り出すにあたっての必要条件であるし、望ましい付き合い方への第一歩である。
リスクとその対策をしっかりと考えるべき。
産業が発達していくのは良いことだと思いますが、公害問題は過去の問題ではなく「現在にも続いている」問題あることを認識し、地域住民と企業がきちんとした場を設けて交流するなど関わり合いを持つことが大切であると考えます。また科学技術が進歩すればかなりずしも生活が豊かになるわけではないことも念頭に置いて進歩を続けていってほしです。
公害が起きたときに行方不明者がでたらインターネットを使って名前を公開したらいいと思います。名前を公開することでその人と一緒にいる人がネットを通して教えてくれて、家族に状況を伝えることができみつかってない地域を集中的に探すことができるからです。
 私たちの暮らしをさらに豊かにするためにも、産業文明や科学技術の発展は必要になってくると思います。しかし、私たちのために行うその行動が私たちを傷つけてしまっては意味がないと考えます。
 一度環境が壊されたとき、そこに生きる人びとにはかり知れない影響が及ぶこと、その再生には膨大な時間・労力・費用が必要なことを学びました。イタイイタイ病に関わってしまった人たちのためにも、こういった状況を二度と繰り返してはいけません。人びとのことを第一に思い。公害を繰り返さず美しく豊かな環境を未来に引き継ぐ産業が望ましいつきあい方だと考えます。
人体に少しでも害を与える空気を出す産業や技術を一から見直して、人々が健康で暮らせてなおかつ産業界を発展させていきたいと思います。それに少しでも役に立てるようにこれから知識をつけていきたいと思います。
これから先、科学技術などの進歩はどんどん進化する中で公害の経験を踏まえて、環境にそぐわない進歩の仕方はしないように注意しながら考えていかないといけない思います。
公害については企業が生産性の向上を追求することが要因となり発生するものだと考えた。公害の経験を踏まえ、生産活動をするにあたって技術やシステム、資源の面から、我々市民の事を第一に考えるような付き合い方にしなければならないのではと懸念した。一方でそれでは経済が回らなくなる可能性も出てくることはわかってはいるが、私達人間という基盤があっての経済といものだと考える。公害だけではなく生産活動から問題を出さないように安全性を明確にしたうえで技術とシステムと付き合わなければならないと思う。
公害を起こさないためにも十分な環境への配慮を行っていくこと。
開発、生産の前の段階で十分な対策ができているのかを考える。
目先の利益や欲求だけに囚われず、その周りの環境や人々を十分に意識、配慮して、産業、科学技術、システムを発展していくべきだと考える。このことを徹底していけば、公害事件は起こらないと考える。
企業は自分たちの利害を優先するのではなく、まず環境に悪影響を及ぼすのかなど周りを見ることが大事と思いました。この世の中はこの先何十年、何百年と続いていきます。今、害を及ぼすとこれからさきどうなるか、自分の孫が生きるときにはどーなるのかなど考えることが大事だと思います。
公害は産業文明の発達、科学技術が大きく進歩してシステムが確立されるなかで環境については関心を持たず置いてけぼりになり対策をしなかったからこそ起こったことであり、市民が企業に関心を持っていなかったことも原因の一つだと思います。そのため、これからは望ましい付き合い方として産業文明の発達、科学技術の進歩、システムの確立がしていく中で環境は生活をあらゆる形で支えており、常に人々の暮らしと密接にかかわっていることを意識して地方自治体と市民と企業が連携をとり産業文明の発達、科学技術の進歩、システムの確立そこに環境保全をいれて四つのバランスを保っていくことが望ましい付き合い方として大切だと思います。
人の生活は常に自然に支えられ関わっており、その中で環境と人のつながりを意識して産業文明、科学技術、システムを向上していけば、より生活が安心で豊かなものになり環境も考えた持続可能な社会の実現に向けて有効だと思いました。
産業文明、科学技術、システムが発達したおかげで今の社会は成り立たっているが、だが人間は産業文明、科学技術、システムの負の面を考えず、四大公害が起こったのだと思う。なので、今後のつきあい方としては新しい技術をただ、受け入れるのではなく悪い面も理解し、多角から物事を見て若い世代に伝えていくことが望ましいつきあい方だと思う。
私は「望ましいつきあい方」について、科学技術などに依存せず、望みすぎずできないことだけ産業文明などに頼るくらいが丁度良い付き合いかたではないのかと思う。
科学技術などの発達により、人間の仕事がなくなることだけでなく、医療技術の発達など色々なニュースが飛び交っている。しかし、被害を受けている環境は、何も喜ばしいことはない。さらに、これ以上進めば人間にも被害が及ぶ。これを防ぐために、人間が科学技術などに依存しない様にしなければならないと思う。
対策としては、政府が具体的な対策を明確に提示することが解決への一歩なのではと私は考えている。
 環境に優しい電化製品や車などが増えている。これらのように環境に優しい商品の需要を上げ、企業は環境問題の対策せざるを得ないぐらいのシステムを作っていく必要があると思う。その環境に優しい物を作るためには科学技術が必要であると思う。
私たちは、産業文明や科学技術やシステムとうまく付き合っていくには地球環境や守っていく点で利用していくことがいいと考える。なぜなら、産業文明や科学技術やシステムはどれも人間が生み出したものであるから、どれも人間がきちんと管理しようと思えばどうにかうまく人間の手で管理していくことができると考えるからだ。どんなものでも正と負の面がある。そこから、人間が産業文明や科学技術やシステムを利用する際にも、必ずどちらかの面をうまく扱う必要がある。そのため、どれを扱っても人の裁量や扱い方次第といえるから、人が常に善の側すなわちすべての調和をうまくとるよう人々が協力していくことが必要だと考える。
これまでの公害で起こったような被害を再び発生させないようにするために、産業や科学技術、システムを監視していくことが必要だと考える。産業などで排出される有害物質などは企業が責任を持って、処理や管理をし、地域の住民との連携をしていくことで信頼関係を築くことが必要になっていくだろう。また、科学技術は経済を支えているが、危険性があることや誤った使い方をすると人間の生命や健康被害などを引き起こす可能性がある。公害の経験を踏まえて、適切な科学技術の使用をしていくことが必要だろう。経済性を優先するのではなく、人間の命を大切にしていくシステムづくりをしていくことが重要だと考える。これまでのような公害被害をを再び起こさないようにするためには以上のようなことが必要だと考える。
公害問題は、産業振興や経済発展を目指すという社会的背景があった。戦後程ではないが現在も日本は産業や科学技術の発展に力を入れている。そのため、いつ新たな公害問題が発生してもおかしくない。そこで、定期的に水質検査を行なったり工場からの汚染物質の排出を防ぐなどの施設管理を徹底的に行うことで、現在の産業文明や科学技術などとうまく付き合っていくことができると考える。
公害は過去のものであるという認識をするのではなく、今後も起こりうることであるころを自覚し、過去に起こった出来事はこれからも伝えていくべきだと考える。
また、発達していく産業文明や科学技術なども便利なことは活かしつつも、大きな公害問題や健康問題を引き起こさない限度での付き合いをするべきであると考える。頼りすぎる生活をするのではなく、自分ができることは自分でしたり、対策を考えたりと賢い使い方をするべきである。
自然に依存しすぎず、人間との関わりや、企業との対話を大切にし、横のつながりを意識することが重要だと思います。企業活動や社会のありようを見つめ直すことによってうまく産業文明、科学技術、システムと望ましいつきあっていけると考えます。
公害は戦後の高度経済成長期に全国各地で工場や鉱山を発生源とした急激な環境汚染と環境被害が公害を引き起こしたとされ、今では排水技術や産業文明などででた有害物質などを処理する能力が昔よりは向上しているとはいえ、環境問題などは未だに続く問題であるためこれからもそういった技術の進歩を産業文明、科学技術などが進化していき、私たちもポイ捨てなどにより環境を汚したりしているため、やめてリサイクルなど資源を無駄にしないようにしていくといいと思った。私たちと産業文明、科学技術、システムなど互いに環境に対してまだ非があるところはたくさんあるので改善していき、公害の起こりにくい環境を作っていくべきだと考える。
 その三つとも構成するのは自分達である。よって、全てにおいて以下のよう気を付けなければならない。
 科学技術では自分の作り出したものに下調べと責任を取りつつ、産業文明ではそれを勉強しながら使い、システムを一々変えていく。
公害にはどういう形であれ「持続性」があり、私たちの生活にまとわりつき、蝕んでいきます。便利な社会を目指すことは人類にとって豊かなことではあるが、それと同時進行で公害と向き合って行かなければならないと私は考えます。
公害は、さまざまなものに影響を与えてしまった。産業文明や化学技術、システムは日々変化し続ける。この中で、私たちはいかに環境問題と立ち向かうか、またどうしたら地球温暖化を中心に環境問題を悪化させないようにするか、考えていく必要がある。また、環境と上手に関わるためには、私たちひとりひとりが協力していかなければならない。例えば、リサイクルに協力する、なるべく買い物袋を購入しないようにするなど明日からでも出来ることを見つけて少しづつ取り組むことが大切だと考える。
今後科学技術の向上や産業文明は進歩していくと考えるのが普通だと思います。しかし、その進歩に自然にいいものだけを使ってるとは限らないためどこか地域を区分するのも考えられるのかなと思いました。区分が難しい場合は、住んでいる住民の信頼を得られる行動を企業がしていけば需要と供給が成り立つかなと思いました。
公害問題は過去の問題ではなく現在にも続いている問題であり風化させてはならないので、産業文明などに依存していることに気づくとともに地域の人々と協力し公害の発生の問題解決、そして地域再生の取り組みを行うことが良いと考える。
科学技術をさらに発展させ、環境に良い製品をつくる。それを作るための排気ガスなどは極力抑えれるように努め、なるべく人が住んでいない所で、そこで働く人には給料を多く支払い公害が二度と起きないようにすべきだ。最初にも述べたようにまずは技術の進歩を急速に行い、健康に気づかってつきあい方をクリーンにすることがいいと思う。
現在にも続いている公害被害は、科学技術の発達によりゼロにできると考えているので、今後は産業文明を壊すことなく、科学技術を大いに利用して公害をなくしていけると考えています。そのためには公害教育というのは必須だと考え、住民の知識の向上がないとゼロには持っていかれないと思います。公害教育を無くすことなく、公害はなくしていかれると思います。
高度経済成長期など、劇的な変化が起きる時に公害が起きてしまっている。この経験から今後は学ばなくてはならない。生産性を高めるばかりでなく、環境についても考える必要がある。失敗は成功の元と言う言葉のように、過去の過ちを未来に活かすことが大事である。
私たちは、便利さや豊かさを全てお金で手に入れるのではなく、新しい価値を創造する視点が必要であり、公害の事について忘れない為にも、過去の公害を振り返る事も必要だが「今ここ」を伝える力というものが必要とされている。現在では原因企業がこれをしたらどのようになるのかと地域再生にむけた原因企業の役割が必要とされている。例えば、イタイイタイ病の地域、富山では原因企業と患者団体の間で「緊張感ある信頼関係」が構築されているように、お互いが互いを牽制しつつ関係を維持していく事で公害が起きない社会になっていく。この「緊張感のある関係」を社会全体が認識していく必要があると考える。
公害のことについて、あたりまえだと思っていることにも、もう一度考え直し人間論というものから離れ、多角的に見ていく必要がある。
私たちは、産業文明、科学技術、システムなどの制度に依存しすぎているので、それをもう一度考え直す必要がある。
公害の経験を踏まえて、農業では害のない農薬を使用したり、工場から排出される有害物質を適切に処理したりすることが大切だと考えた。
公害の経験から、元の環境を取り戻すには多大な労力がかかることを学んだため、コストがかかっても、環境に優しい生産システムを導入する必要があると感じた。
また、科学技術を積極的に発達させ、地球温暖化の食い止めだけではなく、昔のような住みやすい環境を取り戻そうとする考えが必要だと考える。
イタイイタイ病の発生原因ともなったカドミウム汚染を二度と起こさないために、排水への対応や廃さいへの対応など、調査や原因改善を精力的に行っていくことが大切ではないかと考えました。
産業や科学技術が進化していくのにつれて、工場などが増加していき、有害な物質なども発生することが考えられるが、今まで起こってきた公害問題や、公害反対運動を行なってきた人々、公害のせいで病気にかかってしまった人々、患者の人を救ってきた人々の経験や記憶を活用して、科学技術の進化と公害対策を両立していく必要があると考える。
日に日に科学技術が進歩して便利なものが増えていくが一番大切にすべきなのは安全性でそれをクリアして初めて次の段階へ進んでいくべきだと思います。公害が発生して待った際には加害者は素直に罪を認めて患者認定を渋ることなく責任を果たしていかなければいけないと思います。
いま世界ではどんどん科学技術が進展しておりそれにつれてやはり環境に悪いものはどんどん出てくると思うが、環境科学を進行するにつれ環境に被害をあたえる物質を浄化する装置などを作るなど、環境もことも考えながら技術を進めていくべき。
経済発展、人命保護どちらの面もちょうど良いバランスを保ちながら行うことが良いと思う。ただ、過激に主張するのではなく多角的に見て広い視野を持つ人物を育成することが大事になっていくと思う。
 公害の経験を踏まえた上でも、今後世の中はどんどん便利になると思うが、便利になればなるにつれて危険な場面はどんどん出てくると思う。産業文明、科学技術、システムとの「望ましい付き合い方」は、発展を断ち切らずに対策を万全にすることであると思う。世の中の発展を止めてしまうと衰退してしまうので、止めることはせず対策を重ねていくことが大切だと思う。現在でも「公害防止協定書」に基づいて立ち入り調査等が行われていたりするので、今後もこういった調査等をどんどんやっていき、改善できるところは改善していくことが大事であると考える。
少数人数が改善を試みたとしても、何も考えず行動する人が多ければあまり意味がなく感じるため、やはりたくさんの人の協力がないと自然の破壊は進んでいく一方だと思う。そのため、7月から始まったレジ袋の有料化のように日本全体で問題に取り組んでいき、メディアでも多く取り上げ、事の重大さを実感した方が良いと思う。
私はバーチャル見学に書かれていた、[緊張感のある信頼関係]が今の日本や世界に必要なものだと考えます。科学技術が進んで行く現在の世界ではさまざまなものが産まれています。しかし、その裏では少なくともリスクが存在します。また、後から出た問題に対して企業はその責任と取る必要があります。逆に消費者にとってはどこに問題が隠れているのかを心の中に持っておく必要があります。そうすることで、企業と消費者、町や県などに緊張感のある信頼関係が気づくことができ、環境汚染に対してお互いに協力することが出来ると思います。
私は産業文明、科学技術、システムとの「望ましいつきあい方」は知ることが重要だと考える。公害教育においても公害病やその患者、原因企業について知ることで身近な問題として捉えることができる。また、市民からみた産業文明や科学技術の視点だけでなく、企業側からみた視点も知ることで新たな考え、意見が生まれる。
 そのためには知る機会を増やすべきである。公害教育に関して言えばスタディツアー・フィールドワークや原因企業との対話など実際に出向き、直接体験することで教科書では学べない公害について知ることができる。
産業や科学技術の発展は必要だが、そのために周りの環境を破壊したりしていいわけではない。もし、新たな科学技術が発見できたとしてもそれと同時に公害の発生、環境破壊が起きてしまったらその科学技術は使うことができなくなる。すると、ただ被害を出しただけになってしまう。そのため、使用した液体や物質などを適切に処理することが可能かどうかをしっかりと検証し、その上で四大公害病のようなことにならないよう産業や科学技術に慎重につきあっていくことが大切だと思う。
 私は国の発展も私たちが生きる上で大切なことだと考えているため、何もしないほうが良いとは言わない。私は望ましいつきあい方として、いきなり資源を取るのではなく、少しづつ使用していくべきではないかと考える。継続的に自然から資源を得ることができれば科学技術も進歩していくと考える。そのためにも、やたらな採取を行ったり、ただ資源を得るだけでなく、得た分を返すようにするべきである。それはいまの私たちだけでなく、後の世代の人のためにもなると私は考えているからである。
やはり産業などを発展させるためには環境にやさしいなど、正しい科学技術を発展させることが大切だと考えます。そのためには公害などに対しての学習をきちんと行うことが必要だと思います。また、学習だけではなく実際に被害にあった場所の人などから話を聞いたりすることなどで公害問題は終焉を迎えていないことをきちんと知ることも重要だと思いました。産業では環境への影響が少ないかを環境監査などで調べること、科学技術は発展させより環境負荷の少ないものを生み出すことなど環境にやさしいシステムを作り出すことが大切だと思います。
1960年代の公害教育では被害の発生原因や被害拡大の要因や発生した地域の実情などを知り、それらの問題に向けての解決策やその地域の再生など公害に対しての認識を高める事を目標に教育を行っていたが、それが現在ではその公害教育が過去のものとして扱われている。そこで公害教育の在り方を変える必要がある。実際に公害が発生した地域に行き、そこの残された地域社会などの問題を企業や支援者や行政などが意見を交換し、交流を行うことで過去の公害として認識されるだけではなくなる。また、多角的、批判的な視点で産業文明や科学技術、システムなどこれらの望ましい付き合い方を模索し、先ほど述べた対話や連帯が今後の公害教育に必要になる。
科学が発展し便利になった一方、大気汚染など公害も大きく問題となっている。なので、新しい製品の開発や発展に力を入れるのではなくできるだけ環境にいい商品を作ることを心掛ける。そして私たちは環境に負荷がかからない使い方をしなければならないと思う。
科学技術は人々の生活に大きく貢献しているが、使い方を誤れば環境だけでなく生命にも悪影響をおよぼす。私たち消費者は、買う前や使う前、捨てる前にどのように行動するべきか今一度考えるべきである。