先に公表した論文「アラン・チャドウィックの菜園プロジェクトとカリフォルニアのオーガニック運動への影響」
http://doi.org/10.15097/00002852
にまつわる話を書きます。
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この本「ニッポン放浪記:Living Carelessly in Tokyo and Elsewhere: A Memoir」の著者のジョン・ネイスン氏は1940年生まれのアメリカ人日本研究者、作家、映画監督。ハーバード大学で、エドウィン・ライシャワー(後に駐日大使を務めた)から日本語・日本文化を学ぶ。卒業後1961年に来日し、東京大学に三年次編入で入学。(日露戦争以降、入学試験を受験し正規学生として入学した外国人はいなかったらしい)
友人の紹介で東京芸術大学に在学中だった小田まゆみさん(後に私がお世話になることに)と国際結婚した。
翻訳の仕事の縁から三島由紀夫に出会い、『午後の曳航』の英訳を行い、また大江健三郎の『個人的な体験』なども翻訳している。(その関係で、後に大江のノーベル賞授賞式に同行)その他、安部公房や勅使河原宏とも交友した。
アメリカに帰国後はプリンストン大学教授となるが、結婚生活の破綻から退職してカリフォルニアに移住し、映画制作の仕事に転身する。
勝新太郎と京都で会う話があり「ホテルフジタ」の名前が出てくるが、ここは私達夫婦が披露宴をとりおこなったところなので懐かしい。(いまは廃業して、その場所はリッツ・カールトン京都になっている)
本題に戻る。本書のカリフォルニアのエピソードではサンフランシスコ禅センター、グリーンガルチ農園とミューア・ビーチ、リチャード・ベイカー師の名前が出て来る。ベイカー師は、グリーンガルチ農園を拓くにあたって私が論文に書いた園芸教育家のアラン・チャドウィックを招いた人物だ。
チャドウィックはここに晩年滞在し、亡くなるまでの五ヶ月をここで過ごすわけだが、まゆみさんはここでチャドウィックと出会っている。
チャドウィックはグリーンガルチでも庭づくりに没頭する一方で、禅修行を行うことはなく,また修行者の日常の座禅ルーティンについても不満を持っていたわけだが、彼から指導を受けた人たちはその後、禅とガーデニングを統合させていった。
まゆみさんはその後ハワイ島に移住され「Ginger Hill Farm」を拓かれた。かつてここを訪ねた長男のザッカリーさんのエピソードが書かれている。
「あそこは休暇で行くところじゃないよ。お母さんは一日じゅう働いていて、ほかの人にもおなじようにさせようとするんだ。でも無理だよ。ぜったいに無理」
しかし、いまはザッカリーさん夫妻がカリフォルニアから移住し、まゆみさんの後を継いでファームの運営にあたっている。