先日公表した論文「アラン・チャドウィックの菜園プロジェクトとカリフォルニアのオーガニック運動への影響」(http://doi.org/10.15097/00002852)にまつわる話の続きです。
1967年からUCサンタクルーズの学生菜園プロジェクトの指導者であったアランは、大学執行部へ自然科学系の教員たちからの圧力がかかり、1972年解雇されてしまいます。
そこで、サンフランシスコ禅センターのリチャード・ベイカー老師からの招聘をうけサンタクルーズから「グリーンガルチ農場」に移ります。ここはSF禅センターが新たな禅道場として、ゴールデンゲートの北のマリン郡に土地を入手し、整備を進めていたところでした。ジョン・ミューアにちなんだMuir Beachに隣接した谷間の地です。チャドウィックはここで最初のガーデナーとして菜園づくりを任されることになったのでした。
SF禅センターは、写真2枚目の鈴木俊隆老師が、日系コミュニティから出て、それ以外の人々のために1962年に開設した禅道場で、老師は『Zen mind, Beginner’s mind(初心・禅心)』を著すなどアメリカにおける禅指導者の草分けです。アランが着任する前年に鈴木老師は亡くなり、高弟であったリチャード・ベイカー師が後継者となっていたのでした。
さて、グリーンガルチ農場では、アランはまた菜園づくりに明け暮れますが、手伝いに入る若い禅僧たちは、座禅の時間になると作業を止めて道場に行ってしまいます。アランはいつもこれに腹を立てていたのでした。(彼自身は禅修行をしなかったので)そんなことで、アランは結局1年足らずで、次に誘いが来たプロジェクトに移ります。しかしグリーンガルチの最初の菜園は彼によるものであることは間違いありません。
写真に育苗ハウスの写真があります。アメリカの有機農場ではよく見る風景なのですが、こうした苗箱を用いて密に植える手法はアランがフランスで修得し、アメリカに持ち込んだ「French Intensive」という農法です。
アランは病を得て1979年12月にグリーンガルチに戻ってきます。これもリチャード・ベイカー老師からの誘いでした。ここで最後の半年を過ごし、翌年5月25日に亡くなったのでした。
農場を見下ろす丘の上にアランの墓石があります。なかなか場所がわかりにくく、藪をかき分けて辿り着くこともたいへんでしたが、お参りすることができました。
(写真は2019年4月2日)