アラン・チャドウィック講話『Raised Beds(高畝)』

アラン・チャドウィックの講話『Raised Beds(高畝)』(1975年、コヴェロ・ヴィレッジ・ガーデン、Stephen Crimi編『Reverence, Obedience and the Invisible in the Garden: Talks on the Biodynamic French Intensive System』に所収)の、まとめです。

講話「Raised Beds」は、フレンチ・インテンシブ・ベッドの実践技術を越えて、その背景にある自然哲学と宇宙的視点を提示しています。太陽と地球の相互作用、昼夜や季節の成長リズム、湿潤ガスの循環などを生命の「保存(conservatoire)」の原理として捉え、土壌改良・生態系維持・作物栽培を一体化した方法論を示します。高畝構造は排水性と通気性を高め、気流の動きを生み、健康な根圏環境を育むとされます。また、ジャガイモやキュウリの具体的栽培法、雑草や緑肥植物の活用、堆肥素材の選定など、細部まで実践的知見が語られています。全体として、本講話は園芸を単なる技術でなく、人間と自然の相互作用を通じた生命的営みとして位置づけ、その芸術性と倫理性を強調しています。


1.イントロダクション

先週の話から続けてもよいでしょうか。私は、この講話だけでなく、私たちがこれから加えていくすべての作業に通底する、大きな焦点を持ち帰ろうとしました。それは私たちが実際に適用していきたいものです。それは驚くべき「友情の結婚」とでも呼べるものです。
前回は、その視点から太陽について語りました。夜明けの奇跡、そこで何が起こるのか──そして、私たちが「光」や「熱」といった言葉で漫然と説明してしまう現象(実際には不正確な言葉)について話しました。本当は、それは家族の長(太陽)とその一員である地球との結婚なのです。毎日、太陽は地球のエゴを呼び出し、良い面も悪い面もさらけ出させ、それによってその機能が形を成し、生きることができるのです。

このことは、「フランス式集約畝(French intensive bed)」の全体像を考えるときに忘れてはなりません。「フランス式集約畝」という言葉は、「バイオダイナミクス」という言葉と同じく造語であり、単なる農法ではなく一つの「パフォーマンス(演技・表現)」として理解すべきものです。それは、いわば revolutionibus(天体の周期的運動)への入門編の壮大な演技です。

しかしここで理解してほしいのは、植物は「食料」という意味で土から生えてくるのではなく、むしろ大気から育つということです。だからこそ、土壌は本来の存在として整えられなければなりません。土壌では毎日・毎週変化が起こり、しかも季節によっては正反対の変化が生じます。私たちは現代的な機械的思考に慣れすぎていて、このことを頭の中に置くのが難しくなっています。

フランス式集約畝とその形成(これは非常に実践的な話になる予定)に入る前に、まず自然の「トーテミズム(象徴的な力の体系)」を理解しなければなりません。何かを燃やしたり、堆肥にしたりすると、その堆肥の山や火から出るガスは全体へと拡散します。

この導入として、電気について考えてみましょう。私たちはダイナモやタービンを作って「電気を作っている」と思っていますが、それは全くの誤りです。実際には、空間から流れ出るエネルギー──神の流れ──の「演技」にすぎません。このエネルギーが宇宙から流れ込まなければ、私たちは電気を得ることはできません。したがって、もし全ての電気を一箇所で作って送ろうとするなら、それは渦のような現象を引き起こします。エネルギーは食物が私たちの体に入り、エネルギーとして出ていくのと同じく、神のエネルギーが機械に狂おしいほど流れ込んでいるのです。

同じように考えると、稲妻もまた特別な現象です。雷は常に起きており、ただし目に見えるのは、土壌や岩石、大気の中に「全体性」が欠けた空隙が生じ、気候や温度の急激な変化によって極限まで達した瞬間なのです。分岐雷は地下の岩石や土壌に空洞があることを示し、シート状の雷は地表上の空気層に空隙があることを示します。それらが埋め合わされる瞬間、閃光が走り、全体性(トーテム性)が回復するのです。


2.月と太陽の作用

月は銀、太陽は金──月は引き、太陽は押す。ここに相反する二つの力があります。月は水分の九割を支配し、磁化します。それに対して、太陽はその逆方向、すなわち水分に対して反対の作用を九割もたらします。

そのため、泉は山の最も高い場所から湧き出します。そこから小さな毛細血管のような水脈が流れ出し、やがて動脈のような川筋へと注ぎ、小川に、さらに大きな川に、そしてデルタに至ります。これは私たちの体の血管系とまったく同じ構造です。

この現象は「毛細管現象」という言葉の一部とも言えますが、もし山が存在しなければ成り立ちません。言い換えれば、「山」という言葉を忘れ、四大元素の流れにおける神聖な働きそのものを理解しなければならないのです。

火についても同じことが言えます。プロメテウスが私たちに持ってきた「茴香の茎に宿る火」という話がありますが、私たちが台所で使う電気や暖炉の炎を指して「火」と呼ぶのは、単なる日常語です。ここでいう火は、錬金術の用語でいう「天界の火(firmament)」であり、全く異なる概念です。フランス式集約畝を理解するには、火と水分の対比を正しく捉える必要があります。

ここで思い出してほしいのは、「生命は生命を与え、死は死を与える。そして生命は死を経て再び生命へと至る」という全体的な循環の原理です。これはホメオパシーの原理に通じます。たとえば獣医療の現場では、病気が最も激しい毒性を示すときに、同じく強い毒(例えばクリスマスローズ Helleborus)を与えると、即座に反転し、そこに回復のきっかけが生じることが知られています。

カーネーションの畝を例に取りましょう。ある畝で最初に咲いた花を摘み取ってしまうと、その後の開花は遅れます。摘まずにおけば2日後には多くの花が咲くところが、摘んでしまうと次の開花まで5日も待たねばなりません。また、満開の時期に枯れた花を取り除かずにおくと、その周囲の花も早く衰え、さらに蕾まで開かずに終わってしまいます。これは、枯死が周囲に「死の場(トーテム的な死の領域)」を作り出すからです。

こうした事実は、私たちに「言葉による説明」から離れ、実際に現象そのものを感じ取る感覚的・絵画的な思考へ移行する必要があることを教えています。昼間の成長と夜間の成長は全く異なり、夜の成長は長さを伸ばす方向であり、昼の成長とは正反対です。しかも、日陰側の成長は日向側の2倍以上になることもあります。

この昼夜の成長の差は、実験室では「日照側と陰側の機械的条件が異なる」という程度の説明しか得られません。しかし本質はもっと深く、植物は異なる時間帯に異なる成長の仕方をし、それが全体の循環を構成しているのです。


3.春分・秋分とフランス式集約畝の設計思想

昼と夜の成長の差は、特に二つの昼夜平分(春分と秋分)の時期に最も顕著になります。植物には、冬の花、夏の花、春の花、秋の花がありますが、中には春と秋の両方に咲くものもあります。また、ある植物は社会的で他の種と共に生きることを好み、逆に孤独を好んで他を拒むものもあります。さらに、特定の数種類の植物とだけ共存するものもあります。こうした相性は、惑星の運行や自然の秩序によって決まっており、その詳細は非常に秘められた知識で、現代ではほとんど理解されていません。

フランス式集約畝では、こうした植物の行動特性を考慮し、相互作用(インタープレイ)を活かす必要があります。この相互作用は地域ごとに異なり、世界共通のマニュアルは作れません。

ここで大切な鍵となるのは、「畑に水をやるのは、それが乾くためである」という逆説的な考え方です。水やりの目的は湿らせることではなく、適度に乾燥させてから再び水を与えるというリズムを作ることにあります。このバランスが、「良い」「悪い」といった単純な評価を超えた調和をもたらします。

春分と秋分は、昼と夜が等しく、光と闇が均衡する美しい時期です。

  • 春分は、開放と高揚の季節であり、自然界全体が「恋に落ちる」ような悦びに満ちています。
  • 秋分は、その逆に、眠りと休息、そして死への静かな傾斜の時期です。

この二つの均衡期こそ、最も豊かで充実した生長が起こる時期です。四大元素もこのときは攻撃的にならず、全てが調和します。

ここで、日陰側と日向側の成長差という単純な視点に戻ってしまうのは誤りです。植物をあまりに孤立させて育てると、かえって異常な、あるいは不自然な成長を招きます。互いに近接して大気を共有することで、植物は健全な環境(コンセルヴァトワール)を形成し、そうした歪みを最小限に抑えることができます。

庭という場は、こうした調和の舞台であり、人間はその中で天上的な秩序(directoire)を担う存在です。人間の「directoire」──方向づける力や理念(idée)──を失ったときでも、畑や植物との関わりを通じてそれを取り戻すことができます。

フランス式集約畝の本質は、作物を収穫した後、畝の土壌が種まき前よりもはるかに健全で豊かになっていることです。これは現代農業の略奪的なやり方──土地を消耗させ、利益だけを追うやり方──とは正反対です。この方法は、自然と人間の喜びを結び合わせ、真の「肥沃さ(fertility)」を生み出す営みなのです。


4.集約畝の実際的構造と生態系との関わり

フランス式集約畝は、いくつかの方法で構成できますが、重要なのは、畝同士が互いに、そしてその土地全体と関係し合うことです。深根性植物の畝と浅根性植物の畝を交互に配置したり、浅根性作物の間に深根性作物を混植するなどして、根の分布を全体に行き渡らせます。こうすることで、ミミズは浅い畝でも活動し、全域にわたって土壌を耕します。また、この配置は昆虫やミミズの生態的バランスを促進し、他の農法では到底達成できない多様な活動を生み出します。

このシステムを維持するためには、休耕期にある程度の家禽を導入することが有効です。ガチョウ、ホロホロ鳥、鶏などを適切な時期に放し、畝を歩かせることで、雑草や虫を整理し、畝全体を清浄に保ちます。

この畝が生み出す肥沃さ(fertility)とは、耕作(cultivation)、施肥(fertilization)、繁殖(propagation)の三要素がバランスよく絡み合っている状態を指します。この三つが調和するとき、真の意味での肥沃さが生まれるのです。

古代ギリシャの思想においても、樹木の林(grove)を植えると、その中にはニンフやドライアド(木の精霊)といった目に見えない存在が宿ると考えられていました。信じるかどうかは別として、実際に常緑樫の林に立ってみれば、その樹冠が香りや空気を支配していることが感じられます。そこでは、人がいてもいなくても何かが働いており、私たちはそれを直接制御することはできません。

植物の群落も同じです。一群の植物が林のように機能すると、その内部では新たな生命の営みが進行します。たとえば真夏の水草の生い茂る湿地に立つと、湿気や香り、微細な振動が全身を包み、そこに無数の目に見えない生命が喜びに満ちて活動していることが感じられます。これは自然が愛する営みであり、人間はその統率者(directoire)としての役割を担うことができます。

密に植えられたジャガイモ畝やエンドウの列の内部に手を差し入れると、外の乾燥や風、寒さとは全く異なる独特の空気が感じられます。そこでは、葉と根が外界の要素に対して防御的にも積極的にも働き、内部環境を守っているのです。

この内部構造の中で特に重要なのは、地表から約5センチ下──地面の表皮のような領域です。これは土壌の「神経系」にあたる非常に繊細な層であり、ここを損なうと土壌機能全体が大きく崩れます。真夏の正午の強い日差しは、植物と太陽の間の「結婚」の瞬間を過剰に熱し、この繊細な層を傷つけかねません。植物の葉は、本来この熱を和らげる「愛のマントル」として働きます。

したがって、土壌と植物の双方において熱制御(thermal control)と毛細管作用(capillary induction)を適切に働かせることが必要です。植物自身の葉が外界の激しい要素に対する保護膜となるように、畝の設計と管理が行われなければなりません。

5.病気と健康のバランス、温湿気の保持、雑草の役割

健康というテーマは非常に大きな問題です。そこで、まず「病気」という言葉を考えてみましょう。病気そのものを治すことはできません。人が病気であるとき、その人から病気を取り除くのではなく、その人全体のバランスを回復させるのです。病気は誰の中にも存在し得ますが、発症はバランスの崩れによって引き起こされます。

植物についても同じです。植物は種子から生まれ、種子は暗闇の中から現れます。種子には「究極のイデー(idée)」と「最小限の変態(metamorphosis)」が宿っています。植物が成長するにつれて、そのイデーは変態を伴いながら形を広げていきます。このイデーを種の中心にある生命の液体のようなものと考えてください。それが根へ、枝へと広がっていくのです。

四大元素がこのイデーと完全に調和しているとき、植物は健やかに成長します。しかし、大気のやさしさや温度の適切な制御が欠け、イデーの一部が全体から切り離されると、そこに病気が発生します。すると四大元素は直ちに破壊的に働き、死へと導きます。このプロセスは、誤りを正す自然の美しい作用でもあります。

畝の設計では、土壌・大気・植物が互いに作用し合い、昼夜平分のような均衡状態を保つことが求められます。植物は暖かく湿ったガスを常に根や根毛、葉で取り込みます。これこそが生命力であり、このガスが日夜豊富であるほど、生長はみずみずしくなります。

したがって、畝の構造は常に暖かく湿ったガスを生み出し、それを根が吸収できるようにしなければなりません。また、植物には「与えるもの」と「受け取るもの」がありますが、どちらも全体の循環には必要不可欠です。役割の違いで価値を差別してはなりません。

加えて、畝の表面はできるだけ早く葉で覆うことが重要です。ここで雑草は非常に有効です。雑草は作物よりも強く呼吸し、生命力を補います。植物は人間の栽培によってある程度「エゴ」を帯びていますが、雑草はより原初的なトーテム性を保持しており、それが畝の健康に寄与します。

葉はまた、過酷な条件に対して犠牲的な盾として働きます。熱風や冷たく湿った風、過剰な日射や霜から地表を守り、必要なときに水分を保持します。逆に、葉や地表に直接水をかけると、土の「皮膚」が固まり、病気の原因となります。特に、植物の茎の首元(地表から出る部分)は非常にデリケートで、ここが締め付けられると植物は枯れてしまいます。

このような理由から、普通の畑では耕す時期が限られますが、フランス式集約畝では、短時間で耕し植え付けを終えるため、ほぼいつでも耕作が可能です。これは、人間が自然のサイクルに介入し、より高次の管理を行う芸術的行為でもあります。その結果として生まれるのが「肥沃さ(fertility)」なのです。

6.畝の具体的な設計・植え付け技術(雑草との共存、日陰づくり、排水・通気)

フランス式集約畝では、播種や植え付けの際、作物だけでなく意図的に雑草の種も混ぜて播くことがあります。たとえばニンジンを植えるとき、畝の中に雑草を共存させるのです。これによって、初期段階から葉による被覆が進み、畝内部の温湿環境が早く整います。確かにその後の除草作業は大変ですが、その労力以上に畝の健康にとって大きな意味があります。

また、背の高い植物を「生きた垣根」として利用し、日陰をつくる方法もあります。たとえばサヤエンドウを畝の中央に植え、支柱やワイヤーを立てて立ち上げれば、両側に植えたサラダ菜やホウレンソウが真夏でも長く育ちます。さらに、サヤエンドウは北斜面や西斜面でもよく育ち、その日陰で涼しい環境を必要とする作物を守ることができます。

多くの植物は半高山性であり、小高い場所や盛り土を好みます。フランス式集約畝の重要な利点の一つは、排水性が良いだけでなく、逆方向の排水(毛細管による水分の持ち上げ)も促すことです。さらに、畝の高低差があることで冬でも夏でも空気の流れが生じ、停滞を防ぎます。

平地では冷気や熱気が溜まってしまい、いわゆる「霜のポケット」や「灼熱のポケット」が発生しますが、盛り土や傾斜を利用すれば、常に空気が循環し、温度や湿度の急変を和らげることができます。この空気と温度の動きは、繰り返し述べる「revolutionibus(自然の周期運動)」の一部でもあります。

歴史的にも、こうした高低差のある畝は利用されてきました。バビロンの空中庭園もその一例で、ユーフラテス川の氾濫による泥と水の被害を避けるため、高い台座の上に畝を作っていました。下には葦と天然のビチューメン(瀝青)を敷き、その上に畝土を重ねていたのです。

同様に、吊り鉢で育つベゴニアの美しい生長も、この原理によって説明できます。真夏の暑さの中でも、吊り鉢の中は安定した微気候を保ち、水の使用量も驚くほど少なくて済みます。

このように、深い土や平らな土が必ずしも最良ではありません。小麦であれ、他の作物であれ、最も美しく健全な成長は、このような盛り土構造の畝でこそ実現できるのです。

7.ジャガイモの栽培方法と理由づけ

少しジャガイモについて話しましょう。現代では、適切なジャガイモの育て方を知る人はほとんどいません。しかし正しく育てれば、1個の種イモから4.5〜9kg(10〜20ポンド)の収穫が可能で、風味も食感も優れ、健康的なイモができます。

ジャガイモに必要な唯一の施肥は、コンフリー(Symphytum)を堆肥化したものです。コンフリーは夏でも冬でも刈り取って6週間で完全に堆肥化します。堆肥にこれを使えば、ジャガイモに病気を誘発することはありません。逆に、ナス科(Solanum)の植物に厩肥を与えると病気が発生しやすくなります。

栽培の第一歩は「チッチング(chitting)」です。これは植え付け前に1か月〜6週間、種イモを日当たりの良い(ただし直射日光は避ける)場所で芽出しさせる作業です。イモは芽が上、へそ(ナベル)が下になるように箱に並べ、光と暖かさの中で芽を出させます。こうして芽は短く太く、イモ全体は濃い緑色になり、有毒成分を含むようになります。

植え付けの際は、深く耕した畝にたっぷりとスペースを確保します。畝は少し盛り上げ、中央に浅い溝をつくってイモを植えます。その前に、半分生石灰とスス(なければ木灰)を混ぜた粉を用意し、種イモのへそ近くを爪ほどの大きさで切り取り、その断面をこの粉に浸けます。これは傷口の殺菌と乾燥のためで、後に親イモを計画的に腐らせる効果があります。

この「切除と処理」には理由があります。ジャガイモは親イモ自身から直接根を出すのではなく、芽から出た茎に根が生え、その根から新しいイモができます。親イモを丸ごと植えると、それは快適な環境で成長し続け、子を作るのを先延ばしにしてしまいます。しかし、切り込みを入れ殺菌処理をすると、数週間後にはその部分が親イモにとって有害となり、親が死に、植物は「子を作らなければ」と反応して早期に多くのイモを形成します。

芽が地上に2〜3センチ出たら、畝の両側から土を寄せて完全に覆い、ピラミッド状の盛り土を作ります。この「土寄せ」を生育期間中繰り返すことで、イモは日光に当たって毒化するのを防ぎ、より多くの収穫が得られます。

収穫時期は品種によって異なります。

  • 早生種:開花後すぐに掘り始められます。
  • 中生種:開花し、葉が黄変し始めたら収穫します。
  • 晩生種(例:ラセットやエドワード種):葉が完全に枯れ、地上部が茶色になってから収穫します。

カリフォルニアでは収穫後のイモが日焼けで傷みやすいので、曇りの日に収穫するのが望ましいですが、少し地表で乾燥させることで風味が増します。

8.堆肥化に適した植物と、フランス式集約畝の肥沃さを支える作物群

フランス式集約畝を維持するには、堆肥化に適した植物を計画的に育てることが欠かせません。畑全体の少なくとも3分の1は「レイ(緑肥区画)」として確保し、そこで堆肥用の植物を育てます。雑草も積極的に利用します。

チャドウィックが特に重視するのはイラクサ類(Urtica dioica, U. piluliferaで、これは最も価値の高い堆肥原料の一つであり、土壌に優れた質感(テクスチャー)を与えます。日陰や生け垣の下、溝沿いなど、どこでも容易に育ちます。

その他の重要な植物として、ワラビ(Pteris、アルファルファ(Medicago sativa)、サンフォイン(Onobrychis)が挙げられます。サンフォインは世界で最も重要なレイ植物の一つで、痩せた土地でも育ち、40年以上生き続け、年に5〜8回も刈り取ることができます。その堆肥は極めて高い微生物活性を生み出します。

また、マメ科植物は土壌細菌の供給源として不可欠です。クローバー類、エンドウ属、ソラマメ(Vicia faba)などは特に有用で、根粒菌によって病害(灰色かび病、萎凋病など)を抑制します。ソラマメは大量に栽培し、冬に刈り取って堆肥化し、そのまま畝に鋤き込みます。

その他、ミント類(特にウォーターミント Mentha aquaticaは殺菌力が高く、ガス環境を整える効果があります。樫(Quercus)やブナ(Fagus)の樹皮や小枝、コンフリー(Symphytum)、スイバ(Rumex)、ナスタチウム(Tropaeolum)、スギナ(Equisetum)、フェヌグリーク(Trigonella foenum-graecum)、アザミウマ抑制効果のあるキク科植物など、多くの種類が利用できます。

特にハコベ(Stellaria mediaは、ほぼ全ての既知の化学成分を含むと言われるほどの重要植物です。また、海辺で育ったハマカンザシ(Armeria)はヨウ素を、内陸で育ったものはカリウムを豊富に含みます。さらに、ボリジ(Borago officinalis)やバーベイン(Verbena)は、庭全体の健康維持と動物の行動安定にも寄与します。

ここで重要なのは、植物の正確な同定です。通俗名(common name)は地域によって異なり、誤った植物を使えば効果が逆になることもあります。したがって、図鑑や古典的植物書を参照し、学名で確認することが不可欠です。

9.キュウリなど特定作物の特別な栽培条件と、動物性堆肥の扱い方

質問:層状構造(ストラティフィケーション)でキュウリを育てる特別な方法はありますか?

チャドウィックの答え:
はい、はっきりとあります。キュウリは月に支配される作物であり、水分との関わりが非常に強いため、地面に直接植えるべきではありません。畝は地表より高くし、できれば石や木製の桟の上に設置するのが理想です。

堆肥は栄養豊富で、特に豚糞が最適です。次いで羊や牛、さらにウサギやヤギの糞がよいでしょう。ただし馬糞は避けます。これらを下層に使い、その上に芝土(turf loam)と大量の鋭砂(sharp sand)を混ぜた層を載せます。キュウリは盛り土のくぼみに植えます。堆肥にはChenopodium auridum(シロザの一種)を混ぜるとよく育ちます。水やりは頻繁かつ均等に行います。

質問:馬糞はどの作物に使うべきですか?

答え:
馬糞は必ず土中深くに施し、決して表面近くには置かないことです。熱性が強すぎて、植物を焼いてしまうからです。古代ローマのプリニウスも「家畜の糞はほとんど役に立たない」と述べていますが、これはどのような環境で飼われているかによっても異なります。たとえば大草原で採取した馬糞はヤギの糞に近い性質になり、温床やフレーム、溝での栽培に有効です。特に早生のエンドウでは、これほど生育を促す肥料はありません。

10.植物図鑑づくりのすすめと、歴史的植物多様性の話

チャドウィックは言います──
私が話しているこの「ハーブ・ガーデン」では、必ず図書館カードを用意し、皆で作業に取り組むべきです。インク用のインディアンペンや筆、そして顔料を用意します。その顔料はハーブや土から自分で作ります。根、茎、毛、葯(やく)、雌しべなど細部まで描き、薬用か食用か、その効能や関係性を記録するのです。そうして作る植物図譜は、終わりのない喜びになります。

こうすれば、もはや他人のあやふやな言葉に頼る必要はありません。「それが本物だ」と自分の目で確信でき、庭で休眠していても見つけることができます。

歴史に目を向けると、たとえばフランスによるノルマン征服以前のサクソン時代、イングランドは当時のヨーロッパ全土の100倍もの種類の植物を栽培していたと言われます。この事実はほとんど知られていません。征服後、その豊かな多様性はヨーロッパに持ち去られ、イングランドは長く園芸の中心から外れてしまいました。

植物の同定では、俗名に頼ることの危険性を繰り返し強調しておきます。例えばChenopodium(アカザ属)は地域によってまったく異なる植物にこの名がつけられており、誤用すると期待とは逆の作用をもたらすこともあります。したがって、学名で調べ、古典的かつ信頼できる図鑑で確認することが不可欠です。

11.エンディング

このようにして、フランス式集約畝は単なる栽培方法ではなく、土壌・植物・大気・人間の相互作用によって成り立つ生きた舞台となります。そこでは、熱と湿気の制御、毛細管作用、葉による被覆、雑草や伴生植物の活用、そして根圏や地表の微妙な層を守ることが、すべて一つの総合的な営みとして結びついています。

重要なのは、作物を収穫した後、その畝の土が種まき前よりも豊かで、健康で、生命力に満ちていることです。それは、今日広く行われている「土地を使い捨てる」農業とは正反対の姿勢です。フランス式集約畝は、収奪ではなく増益をもたらし、自然と人間の双方に喜びを生み出します。

この方法は、単に技術的な正確さを追求するだけではなく、植物や土壌と向き合うときの観察力と感受性を育むものでもあります。季節や天候、昼夜の変化、植物同士の相性、微生物や昆虫、そして目に見えない生命の存在までも感じ取りながら作業をすること──それこそが真の園芸家の姿勢です。

最後に、この畝づくりの核心をもう一度まとめます。

  1. 熱と湿度の均衡を保つ構造を作ること。
  2. 深根性と浅根性の植物を組み合わせ、土壌全体に生命を行き渡らせること。
  3. 雑草や伴生植物を敵視せず、生態系の一員として活かすこと。
  4. 家禽や動物性堆肥を適切に使い、生物的循環を補強すること。
  5. 土壌の表皮(表層5cmほどの層)を守り、そこに息づく繊細な生命系を損なわないこと。
  6. 植物の同定を正確に行い、正しい種を選び使うこと。

フランス式集約畝は、自然の秩序を尊びつつ、人間の知恵と手仕事を通じてその秩序を豊かにする方法です。それは単なる農法ではなく、自然との共同創造であり、庭や畑を通して人間自身の「理念(idée)」を回復する道でもあります。