
今年の広島修道大学人間環境学部「環境教育プランニング」全15回が終わりました。大学の専任教員としてこの科目を教えるのはこれで最後になるかと思います。
毎年この授業の終わりに思うのは、企画を教えるとは、結局のところ「誰から、何を受け取り、どう次の世代へ手渡すか」という営みなのだ、ということです。企画はノウハウでありながら、それ以上に、人と人の関係の中で受け継がれていく“実践知”でもあるからです。
私のプランニングの原点は、1994年の「環境教育ネットワーク千刈ミーティング」での出会いにあります。プランナーの藁谷豊(わらがいゆたか)さん(ワークショップ・ミュー代表)と出会い、その後、藁谷さんとは「北九州博覧祭2001」をはじめ、各地の現場でご一緒し、さらに文部省(当時)主催の「野外教育企画担当者セミナー」でも研修講師をご一緒させていただく中で、企画の考え方を徹底的に教えていただきました。藁谷さんは、現場の矛盾や制約の只中で、それでも人と場を動かしていく「企画」の力を、言葉と実践の両方で見せてくれた方でした。
藁谷さんが一貫して強調していたのは、企画の手法は誰かの専有物ではなく「公共財」だということでした。現場で磨かれた方法を囲い込むのではなく、共有し、学び合い、次へ開いていく。私が大学の授業や研修の場でプランニングを続けてきた背景には、この姿勢への深い共感があります。
それは、もし社会の中のあらゆる「形」や「動き」が、官製のものだけだったり、大手広告代理店の手によるものだったりするだけになったら、どれほど息苦しく、つまらない社会になるだろうか——という感覚に根ざしているのだと思います。市民が、自分たちの暮らしや地域の課題から出発して、さまざまな動きや形を自由に発案し、表現し、つながっていける社会をつくる。そのためには、企画の手法を「プロだけのもの」にしておいてはいけない。方法は共有され、学び合われ、増殖していくべきだ——藁谷さんの言う「公共財」には、そういう民主的な希望が込められていました。
特に忘れられないのが、藁谷さんが繰り返し語っていた「企画の方程式」です。
① 企画=思い×アイデア×スキル×ネットワーキング
② 企画=市民としての問題意識+プランナーとしてのダイナミズム
①の式の肝は「足し算」ではなく「掛け算」だということでした。プロのプランナーは、魅力的なアイデアを出し、企画書や場の設計として“かたちにする”スキルに長けています。ネットワーキングの技術も、経験を積むほど精度が上がっていきます。けれども、一市民として、生活者としての「思い」——いまの社会や地域の現実に触れて生まれる切実さ——が欠ければ、この方程式の解はゼロになる。思いがゼロなら、どれだけアイデアが優れていても、どれだけスキルが高くても、どれだけつながりがあっても、企画は“動かない”。藁谷さんは、企画の技術を磨く以前に、その出発点をどこに置くのかをいつも問い直していました。
そして②は、企画が「うまく作れたか」だけではなく、「何のために動かすのか」を問う式でした。市民としての問題意識が、企画に倫理と方向性を与える。一方で、思いだけでは社会は変わりません。プランナーとしてのダイナミズム——関係者と議論し、調整し、意思決定を促し、現実を前に進める推進力——があって初めて、企画は単なる提案ではなく、場を変える力になる。私はこの二つを、藁谷さんから繰り返し教わったように思います。
私が30歳から自営した「環境共育事務所カラーズ」は、この「企画」の理念と“お作法”を身につけたことで、仕事を創ることができました。私にとって「企画」は、単なる技術ではなく、社会と関わりながら生きていくための“仕事のつくり方”そのものでした。
この学びを、私は大学・大学院の授業のかたちに移し替えました。前任校の同志社大学大学院総合政策科学研究科では、2006年から「市民公益事業の企画とプロデュース」を担当し、その後「ソーシャル・イノベーションの理論と技法」へと展開しました。そして現在は広島修道大学人間環境学部で「環境教育プランニング」として、環境教育の実践に接続し直しながら、レクチャーと実習のセットで続けています。名称や文脈は変わっても、私の中ではずっと一本の線でつながっています。企画を、特別な人のための特殊技術にしないこと。市民の側に取り戻すこと。思いを、形と動きに変えていくこと。そのための筋道を、誰にでも使える形で示すことです。
授業で扱っているのは、きれいな理論や理想論だけではありません。与件(条件)を読み、対象者を具体化し、コンセプトを言語化し、体験の流れに落とし込み、企画書として他者に伝え、必要な協力を得て、実施し、評価し、改善する。企画とは「思い」を現実の条件の中で動く「かたち」と「うごき」にする過程であり、その一連のプロセスを体で覚えることが、プランニングの学びだと思っています。アイデアを出すだけではなく、議論し、調整し、作り直し、更新していく。その過程そのものが、社会を動かす力の訓練なのだと感じています。
教える立場でありながら、毎年、学生の企画から私が学ばされます。条件の読み替え方、問いの立て方、他者の巻き込み方、そして「なぜそれをやるのか」を言葉にしようとする姿勢。企画は“正解”を当てる作業ではなく、現場に合わせて何度も組み直す営みなのだと、提出物の更新の跡が教えてくれます。うまくいったところも、うまくいかなかったところも含めて、企画は「一回きりの成果」ではなく、「次に生かせる公共の学び」になっていく。その感覚が残る授業でありたいと願っています。
企画は、未来を「当てにいく」技術というより、未来を「つくれる形」にする技術です。
そしてその土台には、良いモデルとの出会いと、良い師や仲間との継続的な対話があります。藁谷さんから受け取ったものを、公共財として次へ渡す。その往復運動は大学教員を退職してフリーになってからも丁寧に続けていきたいと思います。