F先生宅で、ジム・ネルソンさんとも再会し、ゆっくりお話をさせていただくことができましたが、さらにそのつながりからナンシー・リンゲマンさんを紹介していただきました。6月にF先生宅でご一緒させていただき、さらに帰国間近の8月末にはナンシーさん宅とガーデンを訪問、滞在させていただきました。
ナンシー・リンゲマンさんは、1967年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)でアラン・チャドウィックと出会い、その後の人生を大きく変えることになりました。彼女はチャドウィックのもとで初期の弟子として園芸を学び、自然との深いつながりを体得していきます。F先生宅(2019.7.1)とナンシーさん宅(2019.8.25)でうかがった話、そしてGreg Haynes氏が2014年3月に行ったナンシーへのインタビュー映像をもとに、チャドウィックの教育者としての姿勢や、性別にかかわらず人を尊重するまなざし、実践を通じて伝えられた自然観、そして晩年に至るまでの交流を通して浮かび上がる彼の遺産を、7つの視点からたどります。
1. 出会いと第一印象
ナンシー・リンゲマンがアラン・チャドウィックと初めて出会ったのは、1967年、彼女がUCSCの学生として学費を賄うためにカフェテリアで働いていたときであった。チャドウィックは海軍将校のような紺のスーツを纏い、勢いよく食堂に入ってきたが、その姿にナンシーは直感的な関心を抱き、「いつかこの人と知り合いたい」と思ったという。まもなく、哲学教師ポール・リーの紹介により彼と面会し、音楽やダンスに関する会話を通じて強い知的共鳴を覚えた。ナンシー自身がダンス教師としての活動を始めていたこともあり、芸術的感性において両者は深く通じ合った。この初対面の経験は、単なる偶然の邂逅ではなく、チャドウィックの園芸教育へと導かれる契機として機能した。ナンシーはその後、彼が始めようとしていた「ガーデン・プロジェクト」に惹かれ、自ら参加を志願するに至る。この出会いの物語は、チャドウィックがいかにして若者たちの心を惹きつけ、人生の進路さえも変えていくようなカリスマ性を備えていたかを示すものである。また、芸術性を介して生まれたこの共鳴は、彼の教育スタイルが単なる技術伝達ではなく、感性と共鳴による人格的な関わりに根差していたことを物語っている。
2. 学びの場としてのガーデン
アラン・チャドウィックのガーデンは、ナンシー・リンゲマンにとって単なる栽培の実習場ではなく、自然との新たな関係を築くための「生きた教室」であった。彼女はドイツ文学を専攻していたが、チャドウィックの語る植物の生命の営みや、苗の取り扱い方、土壌のふるい分け方といった細やかな作業の一つひとつに魅了され、次第に学問的関心は薄れ、ガーデンに足繁く通うようになる。チャドウィックは植物の取り扱いにおいても繊細な配慮を求め、「茎ではなく葉を持て」「微細な毛を傷つけるな」といった具体的な指導を重ねた。ナンシーはそれを厳格な命令としてではなく、植物への敬意の表れとして受け取り、次第にその世界観に共鳴していく。彼女は自らの手で種をまき、苗を植え替え、育てるという過程に深く没入し、それが人生の持続的な営みとなった。彼女の言葉によれば、以来一度たりとも、種まきと土づくりを欠かした年はないという。このようにチャドウィックのガーデンは、単なる園芸技術の習得の場ではなく、自然との関係性を身体化し、人生の意味や喜びを再構成するための場として機能していた。それは教育という枠組みを超えた、存在論的な覚醒の空間であった。
3. 性別に対するまなざし
彼女の証言から浮かび上がるアラン・チャドウィックの特異性の一つは、当時としては珍しく、性別にかかわらず弟子たちを「対等な存在」として扱っていたことである。ナンシーは、自身が妊娠してもなおガーデンでの作業に従事し続けたが、チャドウィックはその身体の変化を特別扱いすることなく、むしろ彼女の能力と意思を信頼し、可能な範囲で力を尽くすよう促した。重い作業であっても、彼は女性に「できないだろう」と決めつけることなく、仕事の本質に向き合わせようとする態度を一貫していた。このような接し方は、当時の性別役割分業の常識を覆すものであり、ジェンダーに対する固定観念をもたない彼の人間観を示している。さらに、ナンシーの証言によれば、チャドウィックは弟子たちに対して情熱と深い配慮をもって接しながらも、決して個人的な境界を侵すことはなく、常に「完全なジェントルマン」であり続けたという。このような態度は、単に男女平等の実践にとどまらず、弟子一人ひとりを独立した精神的存在として尊重する、教育者としての倫理観の表れである。ガーデンという空間が、女性にとっても自己の可能性を存分に発揮できる場であったことは、チャドウィックの思想の先進性と、人間に対する信頼の深さを物語っている。
4. 花と自然の実践へ
チャドウィックの教えは、ナンシーの生活そのものを大きく転換させた。彼女は、彼から学んだ技術と精神をもとに、自らの手で庭を耕し、花を育て、やがて小さなフラワービジネス「Flower Ladies」を立ち上げるに至る。当初は地元のガソリンスタンドの一角にカップ入りの花を並べていたが、次第に需要が高まり、仲間と共に本格的な生産・販売へと発展した。ナンシーは、季節の移ろいに合わせて多種多様な花々を育て、「自然の産物」としての花の美しさと儚さを重んじた。顧客との対話を大切にし、ウェディング用の花のリクエストには、可能な限り苗の段階から育てて応じるという姿勢を貫いた。こうした実践には、チャドウィックが重視していた「自然との協働」や「生きることと育てることの一致」という思想が深く根づいている。ナンシーは「チャドウィックの技術を完璧には継承していないが、その精神は確実に息づいている」と述べており、個別の技法よりも根本的な生命観と美的感受性が彼女の中で再解釈され、地域に根ざした暮らしへと結実している。こうしてチャドウィックの思想は、形式的な伝承ではなく、実践と創造を通じて次世代へと受け継がれていったのである。
5. 教師としてのチャドウィック
ナンシーの回想において、アラン・チャドウィックは単なる園芸技術の指導者ではなく、深い人格的信頼と精神的関与をもって接する「教師」であった。彼は知識の伝達者というよりも、問いを引き出す存在として機能し、ナンシーにとってはまさに「生きること」を教える師であった。ナンシーが妊娠・出産を経てガーデンでの作業から離れた後も、チャドウィックは彼女の訪問を歓迎し、手製のバターを受け取ることで、彼女とのつながりを大切にし続けた。また彼は、園芸書や植物学の専門知識を形式的に教えるのではなく、状況に応じて本を贈り、会話の中で知を共有した。このような教育関係は、垂直的な師弟制ではなく、互いの生活の文脈を尊重しあう対話的関係に近いものであった。ナンシーは「彼に質問を書くことは失礼だと思った」と語っており、そこには、知識が「所有」されるものではなく、「出会い」として受け取られるべきものだという暗黙の了解があったと解釈できる。チャドウィックは、形式的な指導を超えて、弟子たちが自らの感性で自然に向き合うことを促す教師であり、それゆえ彼の教えは記録よりも記憶として、経験の中に深く刻まれていったのである。
6. 苦しみと別れ
ナンシーの証言は、アラン・チャドウィックが晩年に経験した深い苦悩と、それに伴う変化を静かに物語っている。とりわけ、UCSCでのガーデンからの追放は、彼にとって精神的な打撃であり、生涯最大の喪失体験の一つであった。ナンシーが訪れたある日、彼は突然「ガーデンは閉じた」と告げ、明らかに深い感情の揺れを抱えていたという。彼女はその瞬間、「世界の一部が崩れた」と感じたが、それ以上を追及することなく静かに別れを受け入れた。身体的にも彼は激しい痛みに苦しんでいた。背中や足に慢性的な痛みを抱えながらも、労働を怠ることはなく、自然と対話し続ける生活を貫いた。彼が療術家に通う様子や、贈った書簡に「最期が近い」とほのめかされたことからも、彼の晩年が肉体的・精神的に過酷であったことは明らかである。にもかかわらず、彼は訪問者に対して常に誠実であり、弟子たちには「私はすでにすべてを与えた」と語ったという。そこには、自らの人生を自然との奉仕に捧げた一人の教育者としての覚悟と誇りが感じられる。別れは悲しみではなく、むしろチャドウィックが植えつけた精神が、弟子たちの人生を通じて生き続けることへの静かな承認であった。


7. 遺産としての教え
ナンシーが語るアラン・チャドウィックの教えは、単なる園芸技術の伝承を超えて、自然との関係性そのものを根底から再構築する「精神的遺産」として表現されている。彼女は「自分はドイツ文学の教師にはならなかったが、チャドウィックとの出会いによってはるかに豊かな人生を得た」と語る。その影響は、彼女自身のフラワービジネスのあり方、育てる植物の選び方、さらには子どもたちへの教育にまで及んでおり、自然との共生を核とする生活実践へと昇華されている。また、チャドウィックが語った「見えざる力」や自然の神秘への感受性は、ナンシーの人生観を深く形づくることになった。彼女は明確な信仰を持たないが、それでも「彼は自然と深くつながっていた」と確信をもって述べている。このような感覚は、チャドウィックが育てた多くの弟子たちにも共通し、南米パタゴニアの市場でさえ、彼の名が知られていたという逸話は、彼の思想が地理的・文化的境界を越えて広がったことを示している。ナンシーにとってチャドウィックの教えとは、教義ではなく「呼びかけ」であり、個々人がそれぞれの生活の中で応答していくべき問いかけであった。それゆえ彼の遺産は、記憶として生き続け、今も花の香りや土の手触りの中に息づいている。







