Jim NelsonさんとCamp Joy Gardens(2019.5.12)

(「塩漬け」録音データの解凍シリーズです)

アラン・チャドウィックのことを調べる中で、弟子のジム・ネルソンさんが経営する教育農場「Camp Joy Gardens」がサンタクルーズ近くのBoulder Creekにあることがわかりました。5月には各地のファームやガーデンがプラントセールを行い、園内を公開しますから、その日に合わせて訪問をさせていただきました(2019.5.12)。ジムさんはとても気さくな方で、来訪者を迎えるお忙しい中、すこしお話させていただきました。

「友人のUCサンタクルーズの日本人教員のFさんが、度々ここを手伝いに来てくれるよ」ということで、後日F先生にも連絡をとらせていただき、お目にかかりました。またその後F先生宅で、ジムさんとも再会し、ゆっくりお話をさせていただくことができましたが、多くはヨセミテ、シエラネバダのハイキングの話でした(笑)。なので以下は以前にUCサンタクルーズのインタビュープロジェクト「Cultivating a Movement: An Oral History Series on Sustainable Agriculture and Organic Farming on California’s Central Coast」で話された内容をAIの力を借りてまとめたものです。

重要な部分についてはすでに公表している論文に反映しています。
西村仁志『アラン・チャドウィックの菜園プロジェクトとカリフォルニアのオーガニック運動への影響』(人間環境学研究, 第18巻 通巻第22号, 2020)


ジム・ネルソンの哲学は、彼自身の初期の経験、指導者アラン・チャドウィックからの深い影響、そして他の多様な人物やムーブメントからのインスピレーションを通じて形成され、発展してきました。彼の哲学の核心は、美的要素と生産性を結びつけながら、化学農薬や化学肥料を使わない持続可能な生態系農業を実践し、それをコミュニティに伝えることにあります。


          Camp Joy Gardensのヴィジョン(Webサイトより)

Camp Joy Gardensは、小規模で有機的な家族農園であり、教育を目的とした非営利団体として運営されています。1971年の創設以来、私たちは園芸、家畜の飼育、食品保存、そしてシンプルな暮らしのための技術を通じて、より持続可能な生き方を自分たち自身で学び、また他の人々に教えてきました。
長年にわたり、私たちはガーデンでの実地作業を通して学ぶ機会を提供するとともに、子どもから大人までを対象としたさまざまなテーマのクラスを開講してきました。
私たちの労働の成果である果物、花、野菜は、サンタクルーズ山間部の人々に届けられます。CSA(地域支援型農業)や地元の商店・レストランを通じて、また年次イベントでは手作りの美味しい加工品として販売しています。
私たちの願いは、50年以上にわたり土地と寄り添って暮らしてきた中で得た知見の一端を分かち合い、季節ごとのガーデンの様子を発信しながら、キャンプ・ジョイ・コミュニティの人々がつながるきっかけをつくることです。

未来の農家を育てる
毎年4月から11月にかけて、キャンプ・ジョイでは4〜6名の研修生(アプレンティス)を受け入れています。研修生は無償で教育を受けることができ、食事と宿泊も提供されます。卒業生の多くは農業者、園芸家、種子保存者、持続可能性のリーダーとして活躍しています。

土地の守り手として
私たちは有機的で小規模な農業と、責任ある土壌管理に取り組んでいます。自家製の堆肥を使用し、バイオダイナミック農法(生命力農法)を実践し、動物を統合的に飼育することで、土壌の肥沃度を高めています。

受け継がれる知恵と技術
キャンプ・ジョイの創設者であるジム・ネルソンとベス・ベンジャミンは、アラン・チャドウィックのもとでフレンチ・インテンシブ農法を学びました。私たちの日々の作業はこの伝統を受け継ぐものであり、同時に私たち自身が発展させてきた技術も生徒たちに伝えることで、次世代に経験を引き継いでいます。

コミュニティとのつながり
キャンプ・ジョイでは年間を通して、苗の販売、ワークショップ、学校見学ツアーなど多彩なイベントを企画しています。ガーデンは一般にも公開されており、夏にはファームカートで花や野菜を提供し、地域の人々とその恵みを分かち合っています。

(インタビューのまとめはここから)

1. アラン・チャドウィックからの影響

ジム・ネルソンにとって、アラン・チャドウィックとの出会いは人生を変える転機であり、その影響は現在に至るまで続いている。ネルソンがチャドウィックと出会ったのは1967年、カリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)に転入した直後である。当時、チャドウィックは学生ガーデン・プロジェクトの立ち上げに携わっており、植物と土壌、そして人間との関係を通じて、生態系との共生を模索する実践的な教育を展開していた。ネルソンは、伝統的な大学教育とはまったく異なるその体験に強く惹かれ、最終学年の途中で大学を一時休学し、庭づくりに全力を注ぐことを決意した。

チャドウィックは、自らを教師とは名乗らず、「感受性と観察しか教えられない」と語っていた。彼は、言葉よりも行動と模範を通じて教えるという「見せる教育法」に徹しており、その方法はネルソンの教育観や指導法にも深く影響を与えている。また、チャドウィックは自然のリズム、たとえば月の満ち欠けに合わせた種まきや作業のタイミングを重視し、それを単なる迷信ではなく、宇宙的な秩序との協調だと説明していた。このような態度は、ネルソンに自然への畏敬の念と調和の哲学を根づかせた。

さらにチャドウィックは、園芸技術の指導にとどまらず、野菜の調理法や美しい食卓の演出、そして食べるという行為の祝祭性にまで関心を向けていた。たとえば、スイスチャードの調理について細かく説明し、ステンレス鍋を使うべき理由や、茎と葉を別々に調理する方法を伝えるなど、細部にまで美意識を反映していた。こうした総合的な教えに触れることで、ネルソンは単なる農業技術を超えて、「生き方」としての園芸の価値を実感するようになった。

ネルソンは後に、「チャドウィックの教えすべてが正しいとは思わなくなった」と述懐しているが、それは彼が独立した思考を育てられた証でもある。チャドウィックは時に独裁的で、他者と権限を共有することが難しい人物であったが、それでもネルソンは、チャドウィックの指導から「自ら考え、判断し、行動する力」を学んだと語っている。このように、チャドウィックからの影響は、技術面だけでなく、思想的・精神的なレベルにおいても極めて深く、ネルソンの農業観・教育観の根幹を成している。

2.生態学的意識と土壌への敬意

ジム・ネルソンの農業哲学の中核にあるのは、土壌を「生きた存在」として捉える深い感受性と、自然界の複雑で繊細な相互作用への鋭い洞察である。彼はこの感性を、アラン・チャドウィックとの出会いによって明確な方向性を得たと語る。チャドウィックは、土壌とは単なる物質ではなく、微生物、鉱物、有機物、そして水や空気の循環が複雑に関係し合う動的な生命体であると捉えており、その考え方はネルソンの生態学的意識の基盤を築いた。

チャドウィックはまた、「植物はすべてを与えてくれる存在」であるという信念を持っていた。彼にとって植物は、食料や繊維、建材を供給するのみならず、人間が呼吸する空気までも生み出す根源的な存在であり、その存在に対する深い畏敬の念を持つことが、真の園芸の出発点であると考えていた。ネルソンはこの考えに強く共鳴し、植物と土壌に対して敬意を払いながら接するという姿勢を、自らの実践の根底に据えるようになった。

このような思想は、ネルソンにとって単なる理念ではなく、具体的な農業の技術や日々の行為に結びついている。たとえば、彼は堆肥化を単なる廃棄物処理の手段ではなく、土壌に命を返す神聖なプロセスとして捉えている。土に何かを与えれば、それが豊かさとなって返ってくるという信頼のもと、ネルソンはすべての作業に「与える」という態度を通底させている。土壌は、適切に手をかければかけるほど、より肥沃で多様性に満ちた生命を育む場となる。この相互的で贈与的な関係性の理解は、彼の農業実践を支える倫理的支柱でもある。

またネルソンは、山岳生態学やシエラクラブの思想、レイチェル・カーソンやジョン・ミュアの著作からも多大な影響を受けている。これらの先人たちの語る「すべてが相互につながっている」というビジョンは、チャドウィックの教えと融合し、ネルソンに独自の生態学的視座を与えた。自然界のなかで人間がどのように「ケアする存在」として関わり得るかという問いに対し、ネルソンは「土を敬うこと」がその第一歩であると確信しているのである。

3.実践的な技術とエンパワーメント

ジム・ネルソンがアラン・チャドウィックから受け取った最も具体的かつ実践的な贈り物は、園芸に関する豊富で繊細な技術である。チャドウィックは、播種の仕方や苗の移植、剪定の手順に至るまで、あらゆる工程に対して細心の注意と精密な方法を教えた。彼の技術は、単なるマニュアルではなく、植物や土壌と対話するための手段であり、その一つひとつが自然への敬意と美的感性に裏打ちされていた。ネルソンにとって、これらの技術を習得することは、自然の中で生きる自信と自己肯定感を育む「エンパワーメント」の過程でもあった。

チャドウィックの教えは、「身体で学ぶ」ことを重視していた。彼は作業の意味を逐語的に説明することはせず、まず見せ、やらせてみせ、観察させるという方法で教えた。たとえば、スイスチャードの手入れを命じ、その後には収穫した葉を持ち帰らせて、調理の仕方まで丁寧に伝えた。使用する鍋の素材、火の通し方、オリーブオイルやニンニクの扱い方に至るまで、素材を尊重する姿勢が一貫していた。園芸とは食卓までを含んだ総体的な文化的営みであるという認識が、ネルソンの中に深く根づいた瞬間であった。

また、チャドウィックの教育法は、ネルソンに「自ら考える力」を育てさせた点でも特筆すべきである。チャドウィックは時に頑固で独断的であり、自分のやり方を絶対視する傾向があった。しかしネルソンは、その姿勢に同調するのではなく、むしろそれを跳ね返すことで、独立した思考と方法論を育んでいった。チャドウィックの技術は多くの場面で有効であったが、すべてが正しいわけではないという批判的視点を持つようになったことも、ネルソンの成長の一部である。

さらに重要なのは、チャドウィックが美と実用の融合を体現していたことである。作物の配置や畝の形、花と野菜の混植など、園芸の中に意識的に美を織り込むことで、ネルソンは「農」と「芸術」を切り離さずに捉える感性を身につけた。これはキャンプ・ジョイの設計思想にも色濃く反映されている。

このように、チャドウィックからネルソンへと伝えられた技術は、単なるノウハウではなく、自己の内的成長と他者との協働、そして自然との感応的な関係性を育てるための手段であった。園芸という行為を通じて、人は自然の一部として生き直すことができるという確信を、ネルソンは実践の中で手にしていったのである。

4.「見せる」教育法

アラン・チャドウィックの教育の本質は、言葉による説明よりも、行動や現場での実践を通じて学ばせるという「見せる」教育法にあった。彼は自らを教師とは呼ばず、「私が教えられるのは感受性と観察力だけだ」と述べていた。この姿勢は、ジム・ネルソンに大きな影響を与えた。チャドウィックは、形式的な講義や理論に頼ることなく、実際に作物を育て、食卓を整え、日々の作業を通じて美と生命力に満ちた環境を提示し、弟子たちにその意味を自ら感じ取らせたのである。

チャドウィックの方法は、たとえば昼食の準備にも如実に現れていた。畑で収穫されたばかりの野菜を使い、即興的に火を起こして調理を行い、即席のテーブルに花を添えて食卓を囲むという一連の流れが、まるで儀式のように展開された。ネルソンはこのような経験を通じて、単なる栽培技術以上のもの、すなわち「生き方」としての農のあり方を学んだのである。そこには、言葉を超えた感覚の伝達と、実践に根ざした美意識が息づいていた。

「見せる」教育法の背後には、チャドウィックの世界観がある。彼は、自然のリズムに調和することの重要性を繰り返し説いた。種まきのタイミングは月の位相に合わせ、植物の成長や剪定も天体の動きや季節の循環を尊重して行った。こうした感覚は当時、科学的根拠に乏しいと誤解されがちであったが、ネルソンにとっては「自然界と調和する感覚」を養ううえで不可欠な知見であった。チャドウィックが重視したのは、測定や数値では捉えきれない、自然の中に流れる目に見えないリズムへの感応力だったのである。

また、チャドウィックの教育は一方的ではなかった。弟子たち一人ひとりの感受性や興味関心を見極め、それに応じて学びの機会を与えていた。ネルソンが初めてスイスチャードを手入れした日、チャドウィックはその葉を持たせ、調理法まで教えた上で、翌日のガーデンでの食事に招いた。そこには、「教える」という行為を押しつけるのではなく、「経験を共にする」ことで理解を深めるという哲学が貫かれていた。

さらに、チャドウィックは何よりも、まず実物を見せ、形にしてから語ることを大切にしていた。言葉による説明よりも、目の前に現れた花壇や畝、美しい作物の配置、それらの調和のとれた在り方が、最も雄弁に語るのである。ネルソンはこうした実践から、「理解は、行為によって導かれる」という教育の本質を体得した。これこそが、チャドウィックのもたらした「見せる教育法」の核心であり、ネルソンが現在も自身の農場と教育活動において継承している姿勢である。

5.美と生産性の融合

アラン・チャドウィックの園芸において、美と生産性は決して相反するものではなく、むしろ深く結びついた不可分の要素であった。ジム・ネルソンはこの姿勢を受け継ぎ、自身の農場キャンプ・ジョイでも「美しくあること」と「豊かに実ること」を同時に追求する営みを重ねてきた。現代の産業農業においては、収量や効率が優先され、美や健康、調和といった価値は二次的に扱われがちである。しかしチャドウィックにとっては、庭や畑の美しさは、そこに流れる生命力のあらわれであり、同時に実りをもたらす力の源泉でもあった。

チャドウィックは、色彩の配置や花と野菜の組み合わせ、植栽のリズムといった要素に細心の注意を払い、庭そのものを「生きた芸術作品」として捉えていた。美しい畝は、単に目を楽しませるだけでなく、土壌の排水性や日照のバランスといった実用的配慮の結果でもあり、見た目の整いがそのまま生態的機能と一致していた。ネルソンもまた、野菜の列の中にエディブルフラワーや多年草のハーブを混植し、昆虫の多様性と視覚的な美しさの両立を図ることで、チャドウィックの理念を体現してきた。

キャンプ・ジョイでは、農場の一角に植えられたハーブボーダーやローズアーバー(バラのアーチ)など、観賞性を重視した空間が意図的に設計されている。これらは単なる装飾ではなく、訪れる人々が農の営みに対して親しみや憧れを抱くきっかけを生む場でもある。農の空間が、単に食料を供給する場としてだけでなく、人々の感性を刺激し、心を開かせる場として機能すること。これがネルソンの実践において、美と生産性が融合する重要な意味である。

また、ネルソンは、日々の作業の中に美的感覚を持ち込むことの大切さを繰り返し語っている。たとえば収穫した作物をかごに美しく並べる、食卓に季節の花を添える、道具を丁寧に手入れする。こうした一つひとつの行為に、美を宿すことは、農業という営みに対する敬意と愛情の表現でもある。ネルソンにとって、働くことは芸術であり、芸術はまた日々の労働の中にこそ生きているという実感があるのだ。

このように、チャドウィックの「美と実りは一体である」という思想は、ネルソンの手によって具体的な風景として継承され、さらに発展している。美しくあることを軽視する農業は、やがて土地への敬意を失い、人と自然との関係を希薄にしてしまう。だからこそネルソンは、耕すことと、感動することを同じ営みとして、キャンプ・ジョイの地で日々実践を重ねているのである。

6.独立した思考の促進

アラン・チャドウィックは、極めて個性的で強い意志を持つ指導者であり、時にその頑固さや独裁的な言動によって周囲と衝突することもあった。ジム・ネルソンもまた、その影響下にありながらも、次第にチャドウィックの方法論に対して距離をとり、自らの思考と実践を育てていった人物である。チャドウィックの教えは決して盲信を促すものではなく、むしろ弟子たちに「自分で考えること」の重要性を突きつけるような存在だった。ネルソンにとって、それは「従属」ではなく「自立」へと導く教育であった。

チャドウィックの教えは、一見すると絶対的であり、彼自身が「唯一の正解」を握っているかのように振る舞う場面も多かった。種まきの深さ、剪定の角度、調理器具の素材に至るまで、細部に対する彼のこだわりは並外れていた。ネルソンは当初、その精緻さに魅了され、徹底して模倣することに没頭した。しかし年月が経つにつれ、必ずしもすべての技法が絶対ではないこと、むしろ地域や条件、作業の目的によって柔軟に変えていくべきであることに気づいていった。そこから生まれたのが、独自の判断と批判的思考である。

キャンプ・ジョイにおける実践は、チャドウィックの理念を尊重しつつも、ネルソン自身の問い直しのプロセスに基づいて構築されてきた。たとえば、畝の設計や輪作体系、動物との統合的運用、収穫物の流通形態においても、チャドウィックの原則をそのまま踏襲するのではなく、ネルソンは地域社会との関係性や現代的課題に応じて柔軟に設計し直してきた。これらの実践は、単なる技術の選択ではなく、「どう生きるか」という倫理的・哲学的な判断の表れである。

また、ネルソンは自身の弟子たちに対しても、型にはまった教育ではなく、観察し、問い、試みることを重視する姿勢を伝えている。「教えること」と「委ねること」のバランスをとりながら、各人が自分自身の農と暮らしのスタイルを見つけていくことを大切にしている。この姿勢は、かつて彼がチャドウィックから半ば強制的に「卒業」させられた経験、すなわち師との対立と離脱という痛みを経た上で獲得した、深い教育観でもある。

チャドウィックは、自身のプロジェクトを他者と共有することが苦手であり、その限界が時に弟子たちとの断絶を生んだ。しかしその不完全さゆえに、弟子たちは自らの道を模索せざるをえなかった。ネルソンは、その過程を通じて、「教師から解き放たれること」が真の学びの始まりであると理解したのである。独立した思考とは、与えられた正解に従うことではなく、自らの足で立ち、自然や社会との関係を問い直しながら選択していく力である。チャドウィックの厳しさは、その本質に向き合わせるきっかけとなったのだ。

7.有機農業運動への触媒

アラン・チャドウィックの活動は、カリフォルニアにおける有機農業の草創期において極めて大きな影響を与えた。彼の実践は単なる園芸指導にとどまらず、1970年代以降のオーガニック・ムーブメントの形成において、思想的・技術的な触媒として機能したのである。ジム・ネルソンも、その影響を直接受けた一人であり、チャドウィックの思想を受け継ぎながらも、より地域に根ざした具体的な実践へと展開させていった。

チャドウィックが主導したUCSCのガーデン・プロジェクトは、農薬や化学肥料を用いない持続可能な農法を、実践を通じて証明した初期の試みであった。このモデルは、農業が環境破壊の要因であるという認識が広まりつつあった当時において、「人は土地を耕すことで、むしろその豊かさを高めることができる」という逆転の発想を提示した点で画期的であった。ネルソンは、この「再生的農業」のヴィジョンに心を打たれ、有機農業を「倫理的選択」として引き受けるようになった。

キャンプ・ジョイの設立は、チャドウィックの影響を受けた直接的な実践である。土地の提供者であるクレッシー・ディグビーが若い有機農業者を支援したいと申し出たのは、UCSCガーデンでのチャドウィックの活動に感銘を受けたことが背景にある。こうして1971年に始まったキャンプ・ジョイは、チャドウィックの技術と理念を継承しつつも、ネルソン独自の感性とコミュニティ志向によって発展していった。初期からCSA(地域支援型農業)や教育プログラムを導入し、生産と地域貢献、教育を統合する場として機能してきた点は特筆に値する。

チャドウィックの影響はネルソンにとどまらず、ジム・コクランのような有機イチゴ栽培のパイオニアにも及んでいる。コクランは、UCSCガーデンの一角に咲き誇る花々と野菜を目にしたことで「自分にもオーガニックで農業ができるのではないか」と感じたと述べている。このように、チャドウィックの実践は、直接的な弟子だけでなく、偶然通りかかった者にも転機をもたらすような「現場の力」を備えていた。

ネルソン自身もまた、キャンプ・ジョイを通じて多くの研修生や見学者に影響を与え、彼のもとから巣立った者たちは、各地で有機農業の実践者や教育者として活躍している。こうした「人から人へ」と伝播する波及効果は、チャドウィックの遺した最大の遺産のひとつであり、ネルソンはそれを「生きた継承」として体現してきた。

このように、チャドウィックの存在は、有機農業運動における技術革新者であると同時に、思想的覚醒を促す触媒であった。ネルソンはその炎を受け継ぎ、キャンプ・ジョイという場を通して、それを地域社会と次世代へとつなぐ橋渡し役を果たしてきたのである。

8.その他の指導者と影響

ジム・ネルソンの思想と実践は、アラン・チャドウィックからの深い影響に根ざしているが、それだけにとどまらない。ネルソンは、チャドウィックの厳格さや独自性を敬意をもって受け止めつつも、それを絶対化することなく、多様な人々から学び取る柔軟性を保持してきた。彼が築き上げた農場キャンプ・ジョイの背後には、数多くの実践者や思想家の知恵が折り重なっている。ここでは、その中でも特に重要な人物や影響を取り上げたい。

まず果樹管理の指導者リック・クランドールの存在がある。彼はチャドウィックとは対照的に、静かで寡黙、人生に対する受容的な態度をもつ人物であった。ネルソンは、剪定の技術のみならず、クランドールから「シンプルな暮らしに根ざした労働の美しさ」を学んだと語っている。彼の実践は、技巧よりも身体と季節のリズムの調和を重視しており、それがネルソンにとって重要な対照軸となった。

次に挙げるべきは、動物飼育の面で大きな影響を与えたエルマー・リンダーである。彼は何十年にもわたって鶏と山羊を飼い続けた「地の男」であり、その経験に裏打ちされた直感と知恵は、ネルソンにとってかけがえのない学びの源であった。エルマーの言葉は率直で力強く、たとえば「チャドウィックは偉大な人物だが、鶏については私の方がよく知っている」と語るように、自身の経験に根ざした判断を貫く姿勢が印象的だった。

また、有機農業の思想的支柱として、ネルソンはサー・アルバート・ハワードの著作に深く影響を受けている。『農業の遺言(An Agricultural Testament)』や『土と健康(The Soil and Health)』に記された土壌生態系の再生という理念は、ネルソンの農業観における倫理的基盤となっている。チャドウィックのカリスマ的直感とは異なり、ハワードの論理的・体系的な語り口は、ネルソンにとって「理論と実践をつなぐ羅針盤」であった。

さらに、ネルソンはレイチェル・カーソンやジョン・ミュアの著作からも、生態系への感受性と倫理的態度を学んだ。これらの影響は、チャドウィックの「感受性を育てよ」という教えと響き合いながら、ネルソン自身の生態学的思考を育んできた。また、先住民の叡智にも共鳴しており、とりわけ『オリジナルの教え(Original Instructions)』に収められたジョン・モホークの言葉は、自然との関係性を再考する重要な視座を与えている。

加えて、ネルソンは地域の有機農業コミュニティとも絶えず交流してきた。UCSCのファームスタッフ(デニス・タムラ、ジム・リープ)、ブルーベリーファームやフルベリーファームのような実践現場からも刺激を受け、意見交換を重ねている。養蜂家デイブ・ミークスからは、ミツバチの生態と農業の健全性の相互関係について学び、それをキャンプ・ジョイの一部に組み込んでいった。

このように、ネルソンの農業哲学は単一の源泉から成るものではない。彼はさまざまな人物との出会いと対話を通じて、多元的かつ有機的に自らの実践を構築してきたのである。その柔軟な学びの姿勢こそが、彼の思想に広がりと深みを与えている。

9.キャンプ・ジョイにおける哲学の発展と実践

ジム・ネルソンが1971年に創設したキャンプ・ジョイ・ガーデンズは、アラン・チャドウィックから学んだ理念と技術を基盤としながらも、ネルソン自身の価値観、経験、地域社会との関係性を反映させた独自の農業・教育・生活の場として発展してきた。そこには、単なる農産物の生産を超えた、生態系との共生、美の追求、教育的実践、そして持続可能なコミュニティの創造という、多層的な理念が重なり合っている。

キャンプ・ジョイは、単なる有機農場ではなく、「包括的な生態系農場」として設計されている。集約的な野菜・果物・花の生産に加えて、多年草と一年草の花々が昆虫の多様性を支え、果樹やハーブが季節の変化を際立たせている。ヤギや鶏の飼育も組み込まれており、植物と動物が共生することで、土壌の肥沃度や堆肥の質が高まり、循環的な農業システムが形成されている。ネルソンはこれを「自然の構造に倣った小宇宙」と捉え、全体性を重んじる運営を実践している。

土壌管理においては、「無駄になるものはない」という哲学が貫かれている。生産活動で出る有機物はすべて堆肥化され、再び土へと還元される。この堆肥循環の徹底こそが、農業の持続可能性を保証するものであり、ネルソンは「土に返す」という意識を弟子や訪問者にも根気強く伝えている。生産の効率よりも、時間をかけて土を育む姿勢が優先されるのが、キャンプ・ジョイの特異性である。

農法においては、バイオダイナミック農業の考え方も積極的に取り入れられている。チャドウィックが晩年に影響を受けたルドルフ・シュタイナーの思想は、ネルソンにとっても重要な参照点となっており、月のリズムや天体の運行を意識した作業計画、農場全体の個性を尊重する設計思想などに反映されている。ただし、デメテル認証などの形式的基準には必ずしも従わず、あくまで直感と実践に基づいて柔軟に取り入れている点に、ネルソンの姿勢の独自性が表れている。

教育面では、キャンプ・ジョイは創設当初から教育農場として機能してきた。CSA(地域支援型農業)による農産物の提供、学校ツアーやワークショップの開催、世界各地からの研修生の受け入れなどを通じて、農を通じた学びの場を開いている。カリキュラムは存在せず、日々の作業の中で感覚を磨き、判断力を養う「体験に根ざした学び」が重視されている。この実践は、チャドウィックの「見せる教育法」を継承しつつ、よりコミュニティとの協働を重視した形で深化している。

また、ネルソンは資源の再利用や低コスト運営を通じて、自給自足的な暮らしのあり方も追求している。軍の払い下げの兵舎を住居として再利用したり、農場の収益や寄付、教育プログラムを組み合わせて経営を支えるなど、経済的な持続可能性にも意識を向けている。これは、「剣を鋤に」という平和の理念を体現するものであり、ネルソンの暮らしと思想は、農場の隅々にまで浸透している。

このように、キャンプ・ジョイは、単なる農場ではなく、哲学と実践、自然と人間、教育と生産、美と倫理を結ぶ統合的な空間として機能してきた。ジム・ネルソンの人生と思想の集積が、この場所に息づいているのである。

10. 総括・現代への意義

ジム・ネルソンが築いたキャンプ・ジョイは、単なる有機農場の成功例としてではなく、現代における人間と自然の関係を再構築する試みとして極めて重要な意味を持っている。その背景には、20世紀後半以降に加速した工業型農業への批判と、それに代わる持続可能な生活様式の探求という広範な社会的潮流がある。ネルソンの実践は、そうした時代の課題に対して、知識と感受性、哲学と技術を融合させるかたちで応答してきた。

チャドウィックから学んだ「感受性に根ざした農業」は、ネルソンの手によって、より多元的で開かれたものへと発展した。自然のリズムに従うこと、土壌を育むこと、植物と動物を一体的に扱うこと、そして美を重視することは、どれも現代農業が見失いつつある原則である。ネルソンは、これらの原則を具体的な農作業と暮らしの中で体現し、それを他者と共有する仕組みを丁寧に築き上げてきた。その姿勢は、単なるノスタルジーではなく、現代社会が抱える分断と疲弊への根源的なオルタナティブである。

また、教育とコミュニティ形成においても、キャンプ・ジョイは特異な位置を占めている。ネルソンは「教える」ことを目的化せず、むしろ共に「学び合う」場としての農場を育ててきた。CSAや学校との連携、研修生の受け入れは、農場を地域社会に開くための具体的な実践であり、農業を孤立した労働から共感と共創の活動へと変容させる力を持っている。そこでは、自然との関係性だけでなく、人と人とのつながりも育まれる。これは、今日の孤立化が進む社会において、深い癒やしと再生の力をもたらすものである。

さらに、ネルソンの思想と実践は、気候変動、生物多様性の喪失、食の安全保障といったグローバルな課題とも密接に関係している。彼が重視するローカリズム、季節性の尊重、廃棄の削減、資源の循環といった価値は、まさにサステナビリティの核心にある。大量生産・大量消費の経済システムではなく、小規模で多様な農業のネットワークを再構築することこそが、今後の人類にとって不可欠であるとネルソンは示している。

ジム・ネルソンの実践は、派手なスローガンや制度設計ではなく、畑に立ち、動物の世話をし、堆肥をつくり、花の香りに耳を澄ませるという、日々の積み重ねに支えられている。それは、現代人が忘れかけた「手を使って生きる」という知の形態であり、自然とともにあることの感覚を呼び覚ます教育的営為でもある。その意味でキャンプ・ジョイは、農場であると同時に哲学の実験場であり、生態学的倫理と共感的知性を育む場である。

このように、ジム・ネルソンの農業哲学は、20世紀的近代の終焉と、21世紀の新たな価値の萌芽を告げる実践である。それは、生きることと育てること、学ぶことと癒されること、美しさと糧とが、ひとつの場所に統合されている未来像である。ネルソンの生き方は、そのまま次世代への贈り物であり、私たちに対して「いかに生きるか」という問いを静かに差し出している。