(「塩漬け」録音データの解凍シリーズです)
Master Gardenerであり、Edible SchoolyardのアドバイザーでもあるWendy Johnsonさんを訪ねて、Marin Countyにあるサンフランシスコ禅センターの道場「Green Gulch Farm」に行ってきました(2019.7.12)。
今回、Wendyさんには私のリサーチのための長時間のインタビューもさせていただき、ありがたいひとときでした。
またここは長年、ハワイ島でお世話になっている画家の小田まゆみさんがかつて住まわれ、禅の修行をされたところでもあり、食堂にはまゆみさんの作品がたくさん掲げられています。
さてカリフォルニアでの私の一年間の研究ですが、たいへん不思議なことに前年5月に京都にて入院中のまゆみさんをお見舞いに行った際に伺った話の通りに、そしてまるで何かに導かれるように展開してきました。1967年Santa Cruzから始まり、今日まで延々とつながる素敵な物語です。
派遣研究時期の塩漬けになっていた録音を、AIの力を借りてまとめてもらいました。重要な部分についてはすでに公表している論文に反映しています。
西村仁志『アラン・チャドウィックの菜園プロジェクトとカリフォルニアのオーガニック運動への影響』(人間環境学研究, 第18巻 通巻第22号, 2020)
ウェンディ・ジョンソンさんは、アラン・チャドウィックについて、彼の教え、個性、グリーンガルチでの役割、そして彼が残した深い遺産について多角的に語っています。彼女はチャドウィックの晩年を看取った弟子であり、25年以上にわたりグリーンガルチ農園で禅の修行を積んできました。
グリーンガルチへの最初の来園と活動の始まり
アラン・チャドウィックは、1971年に初めてグリーンガルチ農園にやって来ました。
ポール・リーを通じてリチャード・ベイカー老師に紹介され、禅センターに「グリーンガルチで除草を手伝いに来てください」という告知を出して活動を始めたとされています。ウェンディさんの夫であるピーターさんも、この除草作業に参加し、ユーカリの木を抜くなどして植え付けの準備をしました。
彼はサンタクルーズから来て、多くの弟子を連れていました。
彼の個性と手法
チャドウィックは「非常に要求が厳しかった(quite demanding)」人物だったとされています。
庭の鳥が作物を食べることに憤慨し、ブルージェイ(アオカケス)を殺して木に吊るしたという逸話も語られています。これは彼の「人気がない」一面を示しています。
彼の仕事は常に「大変な作業(a lot of work)」でした。
グリーンガルチからの移転
チャドウィックはグリーンガルチでの農業への関与が禅の修行と競合したため、友好的な形でグリーンガルチを去り、コベロに移ったと説明されています。ウェンディさんは、彼が「追い出された」わけではないと強調しています。コベロではスキップ・キムラなど多くの弟子と出会い、そこは彼の「素晴らしい庭園の一つ(one of his great gardens)」となりました。コベロの庭は「非常に素晴らしかった(just exquisite)」と評されています。
晩年とグリーンガルチへの帰還
チャドウィックはバージニア州にいた頃に病を患い、ポール・リーからの知らせを受けたリチャード・ベイカー老師が、彼をグリーンガルチに招き、「平和で静かな環境」を提供しました。
彼は非常に病状が重く(がんは全身に広がっていた)、庭に出ることはできませんでした。
ウェンディさんは、「私たちが庭を彼のもとに運んだ」と表現し、弟子のナンシー・リンゲマンさんが毎週美しい花束を贈ったことを語っています。
病床にありながらも教えることを強く望んだため、約15回の講義シリーズが企画され、その記録はサンフランシスコ禅センターなどに保存されています。この講義が、弟子たちが彼を「本当に見た」最後の機会だったと述べています。彼は教え始めると生き返ったように元気になったそうです。
チャドウィックの死と遺産
アラン・チャドウィックは1979年5月25日にグリーンガルチの自室で安らかに亡くなりました。
彼の遺灰の一部は英国の兄弟に送られ、残りはグリーンガルチに安置されており、ウェンディさんはグリーンガルチが彼の遺灰がある重要な場所であると述べています。
彼の葬儀はカトリックと仏教の両方の形式で行われ、多くの人々が参列しました。タサハラ禅センターで見つけられた石が墓石として置かれました。
彼の死後、最も近しい弟子たちは、彼の教えを生かし続けるために「庭師のギルド(gardener’s guild)」を結成しました。
現在のグリーンガルチ農園の庭園は、アラン・チャドウィックを追悼するために、彼の弟子で造園家であるスキップ・キムラとグレッグ・エバーハートによって1982年に着手されました。特に「ハーブサークル」はスキップ・キムラが設計したものです。
彼の哲学と影響
チャドウィックは「庭が先生(the garden is the teacher)」であるという教えを重視していまし
彼は「まず植物、それから人間(first the plants then the people)」とよく言っていました。彼は植物を深く愛し、理解していました。
彼の技術は「非常に正確で、進化しており、ほとんど神秘的(very precise and evolved and very almost mystical)」だと評されています。
彼は「ドライマインドが最高(the dry mind is best)」と常に言っており、それは水に頼らず、希望を持たないことを意味するとウェンディさんは説明しています。
彼は「有機農業の発展に計り知れない影響(huge influence)」を与えたと強く主張されています。UCサンタクルーズのファーム・ガーデンプログラムも彼がいたからこそ存在するとされています。
彼は美意識と文化のセンスを持っており、非常に教養のある人物でした。
ウェンディさんの個人的な見解と役割
ウェンディさんは、禅の修行と庭づくりは「完全に絡み合っている(completely intertwined)」と表現し、生命への深い畏敬の念と相互連結性への感謝の表れだと考えています。
彼女は、チャドウィックの最後の数日間、彼が苦痛の中で薬を拒否し、それでも教えることに情熱を燃やしていた様子を語っています。
チャドウィックは非常に強力で威圧的な人物であり、彼と一緒に働くことは簡単ではなかったと認めていますが、ウェンディさんたちは禅を学ぶためにそこにいたため、より自由に彼の教えを受け止めることができたと振り返っています。
彼が最期に要求した植物をコベロから運ぶという困難な任務を、ウェンディさんと夫のピーターさんが果たしました。この任務は、チャドウィックに「命を与えた」と感じられたそうです。



このときWendyさんに、エディブル・スクールヤード・ジャパンの関係者に向けてメッセージを語っていただきました。





