彼女は1967年にUC Berkeleyを卒業したあと、いつか自分の「アリスのレストラン」を開きたいと空想するも当時はまだ夢のような話でした。
一方、姉の友人から話を聞いて「感覚を通して学ぶ」「為すことによって学ぶ」マリア・モンテッソーリの教育哲学に惹かれていきます。彼女はモンテッソーリ教育を既存の学校改革運動だと解釈し、感覚を通して学ぶということはカウンターカルチャー的アイデアだと言います。(ここが彼女の生き方の一貫している芯の部分だと思います。) 彼女はBerkeleyのモンテッソーリ学校でインターンとして学び、さらに翌年イギリスに飛びモンテッソーリの教師養成コースに留学したのでした。モンテッソーリ教育から学んだことは彼女がその後オープンすることになるレストラン「シェ・パニーズ」でも活かすことになります。お客様がエントランスからドアを開けて店内の設えや飾られた花、特にキッチンから漂う香りなどに感覚を呼び起こされ、魅了されていくことがとても大切だということです。
イタリアの旧1000リラ紙幣。マリア・モンテッソーリの肖像が描かれている。
さらにこのことは1995年から彼女がBerkeleyのマルチン・ルーサー・キングJr中学校でスタートするエディブル・スクールヤードの活動においても重要です。キッチン・クラスルームをつくる際、室内に置かれるものを一つ一つのものをよく考えて選択し、造り込みました。子どもたちを迎えるときには花を飾り、そして新鮮な野菜、果物を美しくアレンジするのです。このことで子どもたちが足を踏み入れたときにこの空間に「恋に落ちて」ほしいとアリスは願っているのです。料理人で、レストラン経営者のアリス・ウォータースがなぜこどもたちの教育に情熱をもっているか。その理由と教育哲学の原点がしだいに明らかになります。
11章は「Terroir」(テロワール)というタイトルです。これはフランス語で、ワインやコーヒー、お茶などの品種において、生育地の環境、すなわち地理や土壌、気候などが作物に特徴を与えていくことを指します。Aliceはこの言葉と概念をロックミュージシャンでワイン輸入商でもある友人のKermit Lynch(写真の男性)から教えてもらったと書いています。 また彼がワインについて学ぶにはブドウ畑に行くことが不可欠だと言っているのに深く賛同して、Aliceも「私がもし料理学校をつくるならば、学生にはまず6ヶ月間、料理ではなく菜園での植え付け、お世話、収穫の体験をさせる」と書いています。アリスが土や畑、そして「土地の世話をする人々」への敬意を払うことの原点はここから来ているのではと思います。
Aliceはモンテッソーリの学校とそりが合わず教師を辞め、いよいよ「アリスのレストラン」の実現に向けて具体的な準備を始めます。
第12章は「Pagnol」Pagnolとはフランスの小説家、映画監督のマルセル・パニョルです。Aliceはパニョルが1930年代に撮った港町マルセイユを舞台にしたコミカルなラブストーリー映画「Marius」「Fanny」「Ceser」(マルセイユ三部作と呼ばれている)の世界に取り憑かれます。
これらの作品のなかでは人々がバーに集い、そこに食べものやお酒があり、語り合うシーンが印象的です。Aliceは「この映画の中に生きたい」と夢想し、自分のレストランもこうした場になっていきたいと願います。
“CINEMATHEQUE”より https://www.cinematheque.fr/article/657.html
そして、彼女はこの三部作のなかの登場人物のひとりPanisseを店の名前として選び「Chez Panisse」と名付けるのでした。
AliceはついにBerkeley市内のShattuck Avenueに物件を見つけ、3年間の賃貸と3年後に28,000ドルで購入するという契約をします。お金がないので仲間に手伝って貰いながらの改装工事、フリーマーケットで什器や備品、食器をさがして購入、メニュー・レシピの考案、ワインの選定などの開店準備をしていきます。そしてついに1971年の夏の終わりに「Chez Panisse」がオープンの日を迎えるのでした。
「私は(当時の)政治に失望して、1971年にChez Panisseをオープンしました。社会からドロップアウトして、政治から離れ、自分のことだけ、そして自分の小さなお店のことだけを考えようと。
しかし、そのことは政治的になっていきました。結局のところ、食べものは私たちの人生のなかで最も政治的なことだからです。食べることは毎日体験すること、そして私たちが日々何を食べるかという選択です。日々の選択によって、世界を変えることができるのです。」
1960年代は世界が大きく動いた時代でした。
Aliceはこの時代の一部でありたい、自分の人生にとって何か大きなことをしたいと思い、最初は政治運動に、次はモンテッソーリ教育に、そして料理へと辿り着いたのです。
彼女は生涯を通じ、直感にしたがって生きてきたと書いています。
一方で彼女はマルセル・パニョルが小説や映像で描いた世界をいまも夢見ています。しかしいまの私たちは大地から離れて都市生活に向かったこと。家族や友人を大切にする伝統の喪失。子どもたちのことを忘れてしまっていること。そしてこの「ファーストフード文明」のなかで私たちが何をどのように食べるのかを学んでいないということ。パニョルの映像で描かれる、フランス・マルセイユの波止場で生きる人々はこうした価値をしっかりと保ち、映像の中で生き生きと暮らしています。
「彼らのように、私は私たちの人生を人間らしく、可能な限り美しく生きたいと切望しています。それは私たちが”パニースファミリー”の一員であるからです。」