
アラン・チャドウィックの講話『The Story of the Gazelle』(1979年6月、バージニア州ニューマーケット、Stephen Crimi編『Performance in the Garden』に所収)の、まとめです。
チャドウィックのこの講話は、自然との応答的関係、贈与の倫理、霊的忠誠の意義を寓話形式で深く描いています。ガゼルは人間の変容と栄光を導く存在でありながら、忘恩と功利主義によって命を落とします。物語の結末で主人公が出発点に戻される構造は、真の豊かさとは何かを問う霊的リアリズムを示しており、チャドウィックの園芸哲学と倫理観を象徴的に体現していると言えます。
| ガゼルの物語(全文訳) むかし、むかし──あるところに一人の男がいました。まだ若い男でしたが、全財産を浪費し、食べるものにも事欠くほど困窮していました。仕方なく、ごみ山をかき回して、わずかな穀粒を拾っては口にする暮らしをしていたのです。 ある日、いつものように手で土やごみを掘っていると、ひょいと、小さな銀貨──「エイト」と呼ばれるコイン──を見つけました。彼は飛び上がって喜び、「これで何を食べようか」と考えを巡らせるうち、うとうとと、ごみ山の上で眠ってしまいました。 目を覚ますと、籐で編んだかごをいくつも背負った男が道を歩いてきます。中を覗くと、そのかごには何頭ものガゼルが入っていました。 周りの村人たちはその商人に言います。「あの男に売るなんてやめな。あいつは毎日ごみ山で種を拾って食ってるんだ。ガゼルの世話なんてできるはずがない。」 けれども男は、商人に向かってこう呼びかけます。「そのガゼル、ひとつエイトで売ってくれないか?」 商人は笑って言いました。「旦那、この一頭を持っていきな。」 こうして男はガゼルを受け取り、ごみ山に連れ帰り、二人は穀粒を分け合って暮らしました。5日間、そんな日々が続きました。 5日目の朝、ガゼルが男を呼びます。「ご主人?」 男は驚きました。「おや、ガゼルがしゃべった? そんなこと、親からも誰からも聞いたことがないぞ。」 ガゼルは言いました。「そんなことは気にしないでください。第一、私はあなたが持っていたすべてで買われたのです。第二に、私はあなたを主人と決めました。だから、あなたから逃げたりしません。ですが、ごみ山の穀粒だけでは二人分には足りません。森に行って、自分の食べ物を探してきてもいいですか?」 男はうなずき、ガゼルは森へ出かけました。 ガゼルは夕方になると戻ってきて、「甘い草と冷たい泉の水、暑さをやわらげるそよ風を見つけました」と報告します。4日間そうして過ごしました。 ところが5日目、森に行くと草は苦く食べられません。小さな蹄で地面を掘ると、そこには大きな輝くダイヤモンドがありました。「これでご主人に何かしてあげられる。でも、盗んだと思われたらいけない。そうだ、金持ちのところへ持っていこう。」 ガゼルはダイヤをくわえ、森を抜け、山を越え、谷を越えて4日間走り続け、5日目に大きな都に入りました。人々は口々に叫びますが、構わず宮殿に駆け込み、玉座に座るスルタンの足元にダイヤを置きました。 スルタンはダイヤとガゼルを見比べ、やがてガゼルをもてなし、ミルクで炊いた米を与えました。 ガゼルは言います。「主君スルタン・ダライが、あなたの姫君との縁談を望んでおります。」 スルタンは承諾し、「手ぶらで来てもよい」と言いました。ガゼルは「8日、いや11日後に主人を連れてまいります」と告げ、去りました。 主人のもとに戻ると、男は涙ぐみ抱きつきます。翌朝二人で出発しますが、4日目にガゼルは主人を打ち据え、茂みに置き去りにして一人で都へ行き、「道中、賊に襲われ主人は裸で倒れている」とスルタンに告げます。スルタンは馬と衣装を用意させますが、ガゼルは「兵士はいらない、馬具を私の首に」と言って持ち帰り、主人に身支度をさせました。 ガゼルは言いました。 「覚えていてください、あなたはもう新しい人間です。あなたはもはや乞食ではない。新しい名前もあります。」 男は答えました。 「父上、私の名は何でしょう?」 ガゼルは言いました。 「スルタン・ダライです。」 やがて都が見えてくると、ガゼルは指さして言いました。 「ほら、あの真ん中に見える、空色のマントをまとった方が、これからのあなたの義父となるお方です。さあ、馬を降りて、行って挨拶なさい。」 こうしてスルタンはスルタン・ダライを出迎え、二人は宮殿に入りました。そこでは盛大な祝宴が催されました。 翌日、ガゼルはスルタンのもとへ行き、こう告げました。 「我が主人、スルタン・ダライが、あなたにお願い申し上げます。花嫁と結婚の儀を挙げたいと、心待ちにしております。」 スルタンは答えました。 「よろしい。司祭を呼びなさい。」 婚礼は行われ、大砲が放たれ、花火が上がり、盛大な祝宴となりました。 4日後、ガゼルはスルタンに言いました。 「我が主人、スルタン・ダライは、住まいを整えるよう私に命じました。ですので7日間、留守にいたします。主人は宮殿から離れず、私の帰りをお待ちになることをお約束ください。」 スルタンは言いました。 「さらばだ、ガゼル。」 ガゼルも答えました。 「さらばでございます、陛下。」 ガゼルは山を越え、谷を抜け、平原を渡って走り、5日目に美しい町のはずれに着きました。立派な並木道の先には、ポーフィリーやアラバスター、トルコ石でできた壮麗な館がそびえていました。 ガゼルはつぶやきました。 「これこそ我が主人のための家だ。しかし、この町で生きた人間をひとりも見ていない。もし死ぬ運命ならばそれまで、生きるならば生きるのみ。」 大きな扉を叩き、「開けよ!」と叫びましたが、応答はありません。再び叩き、「開けよ!」と叫ぶと、中から声がしました。 「誰が『開けよ』と叫ぶのか?」 ガゼルは答えました。 「偉大なる女主人よ、私です、お孫でございます。」 声は言いました。 「もしおまえが孫なら、来たところへ戻れ。ここはおまえが死ぬ場所ではない。」 ガゼルは言いました。 「開けてください、偉大なる女主人。大切なお話がございます。」 老女が扉を開け、「どこから来たのだ、孫よ?」と尋ねました。 ガゼルは答えました。 「私の来たところはすべて順調です。こちらはどうですか?」 老女は言いました。 「ここは順調ではない。ここには死があり、すべてが呪いにかかっている。」 ガゼルが「この家の主は誰ですか?」と尋ねると、老女は答えました。 「莫大な富があります。厩は馬で満ち、人も多くおりますが、皆呪われています。この家の主は偉大で恐ろしい大蛇で、私をここに置いて食事を作らせています。彼は2日に1度、太陽が家の真上に来たときに現れ、食事を中庭に置くと、それを平らげ、槽いっぱいの水を飲み、休み、それからまた去っていきます。この大蛇は7つの頭を持つ恐るべき怪物です。どうやっておまえが太刀打ちできるというのです?」 ガゼルは言いました。 「母よ、人のことは放っておきなさい。その大蛇に剣はありますか?」 老女は答えました。 「ありますとも、まるで稲妻のように斬れる剣が。」 ガゼルは言いました。 「それをください。」 老女が手渡そうとしたとき、こう言いました。 「お聞きなさい! 風が強くなってきた! あれが来ます! 急いで…ああ、もう中庭に入ってきた!」 大蛇は食事をたいらげ、槽いっぱいの水を飲みました。最初の頭が入口の大きな穴から差し込まれた瞬間、ガゼルは稲妻のごとき一閃でその首を斬り落としました。しかし大蛇は痛みを感じません。次々と6つの首が転がり落ち、最後の7つ目が現れたとき、ガゼルは言いました。 「お前はこれまで多くの木に登ってきただろうが、この木には登れまい。」 そして最後の首も落ちました。 その瞬間、剣は地面に落ち、ガゼルは気を失いました。老女は大喜びで踊り、水とタオルを持ってきてガゼルの頭を拭きました。やがて小さなくしゃみをし、ガゼルは立ち上がります。 「この館を隅々まで見せてください。」 二人は館の中も外も見て回りました。それは驚くほど素晴らしいものでした。 ガゼルは言いました。 「私が主人を連れてくるまで、この館を守ってください。」 ガゼルは二日間休息し、それから宮殿へ向かって駆け出しました。 宮殿ではスルタン・ダライが待っており、彼はガゼルを見つけると腕を首に回し、心から喜んで抱きしめて言いました。 「やっと戻ってきてくれた。おまえのことを思うと、食事も喉を通らず、水も飲めず、笑うことさえできなかった。」 ガゼルは答えました。 「よろしいでしょう。あと四日であなたの家は整います。そこで出発いたしましょう。」 四日後、大勢の廷臣や宮廷の婦人たちが行列に加わり、新居への行進が始まりました。山を越え、谷を抜け、平原を渡りながら、ガゼルが道中用意した食べ物を皆で分け合いました。五日目、ついに町が見え、皆が一斉に息を呑み、「ああ、ガゼル!」と叫びました。 ガゼルは先頭に立って駆け、主人とともに館に着きます。老女は彼らが来るのを見つけると扉を大きく開け、ガゼルを抱き上げて口づけしました。 ガゼルは言いました。 「どうか私を下ろしてください。迎えるべきは私の主人であり、この方こそあなたのご主人です。」 老女は「ああ、すまない、息子よ。この方が私たちのご主人とは知らなかった」と言いました。 こうしてガゼルと老女はスルタン・ダライを館の中へ案内しました。彼はその壮麗さに圧倒されました。 そしてすぐに命じました。呪縛を解き、人々を自由にせよ。誰は掃除をし、誰は料理を作り、誰は畑へ行き、誰は厩から馬を放て、と。こうして村の生活は再び動き始めたのです。 訪れた客人たちは四日間、歓待され、豪華さと楽しさを満喫しました。四日が過ぎると、客人も廷臣も宮廷の婦人たちも帰路につき、スルタンの宮殿へ戻りました。 やがて幾月も過ぎ、スルタン・ダライとその妻は宮殿で贅沢と栄華を極め、ますますその生活を楽しむようになりました。 長らく、老女とガゼルは館の地下で暮らしていました。ある晩、ガゼルは老女にこう言いました。 「不思議だと思いませんか。私は主人のためにできる限りの善いことをしてきたのに、あの方は一度も『これらすべてはどこから来たのか』と尋ねたことがない。そして同じように他の人々のために善いことをしようとも思わなかった。」 翌朝、ガゼルは病に伏し、老女に言いました。 「私が病気だと主人に伝えてください。」 老女が上階に行くと、そこでは大騒ぎの酒宴が開かれ、笑い声が響き渡っていました。なかなか取り合ってもらえず、ようやくスルタン・ダライに近づくと、彼はこう言いました。 「それで、どうしろというのだ? 赤い粟の粥でも作って与えればいいだろう。」 妻が口を挟みました。 「夫よ、赤い粟の粥なんて馬でさえ食べません。それにガゼルは他とは違うのです。あなたの目の中の宝のような存在です。もしそこに塵が入ったら、気になって仕方がないでしょう?」 スルタン・ダライは「女、口が過ぎるぞ」と言い捨て、部屋を出て行きました。 老女は地下へ戻りました。ガゼルはその目を見て何があったのか悟りました。 少ししてガゼルは再び言いました。 「主人に伝えてください。私は生きているというより、むしろ死に近いと。」 老女が再び上階へ行くと、前よりもさらに騒がしい宴が続いており、やっと叫び声で伝えると、スルタン・ダライは苛立って言いました。 「だから粥を作れと言っただろう。それを食べないなら、死ぬなら死ぬまでだ。どうせただのガゼルだ。結局、私はあれを『エイト』で買ったんだ。価値はそれだけだ。」 老女は言いました。 「主人、それがあなたの口から出る言葉ですか?」 しかし彼は妻を叱りつけ、「口も目も耳も閉じろ」と言って老女を地下へ追い返しました。 スルタン・ダライが部屋を出ると、妻はすぐに召使いを呼び、敷物、柔らかなクッション、タオル、水を用意させ、ミルクで炊いた米を作らせました。 そして地下へ駆け下り、ガゼルの頭をクッションに乗せ、水でその額を冷やしました。 ガゼルは横を向き、静かに息を引き取りました。 町の人々はガゼルの死を聞くと、泣き叫び、大きな嘆きと悲しみに包まれました。スルタン・ダライはそれを見て激怒しました。 「どうして私のためのようにこんな騒ぎをするのだ。やめろ!」 すると妻は言いました。 「夫よ、あなたは賢者だと思っていましたが、そうではないようです。ガゼルはただのガゼルではありません。皆があのガゼルを愛し、私の父にあなたを求めてくれ、この町と人々を私たちに与えてくれたことを知っています。すべてガゼルのおかげなのです。」 人々も言いました。 「私たちはガゼルを愛していたからこそ泣いている。そして、ガゼルが悲しみのあまり死んだのなら、それは私たち自身のための涙でもあるのだ。」 しかしスルタン・ダライはますます怒り、ガゼルの遺骸を館の裏手の井戸に投げ捨てるよう命じました。 妻はそれを知ると、急使を父スルタンの宮殿へ走らせました。報せを受けた父スルタンはすぐさまやって来て、深く嘆き悲しみました。彼は裁判官、廷臣、民衆を集め、スルタン・ダライの館へ向かいました。 井戸のもとへ行くと、それは宝石をちりばめた大きな円形の造りでした。スルタンは階段を下り、皆が後に続きました。彼はガゼルの亡骸を抱き上げ、地上へ戻りました。 そして丁寧に埋葬し、墓を覆いました。スルタンは村全体に四日間の喪を命じました。 四日目の朝──妻は夫の隣で眠っているうちに、父の宮殿にいる夢を見ました。そして目覚めると、それは夢ではなく現実でした。 同じ朝、スルタン・ダライも夢を見ていました。ごみ山で穀粒を探している夢です。目覚めると、それもまた夢ではなく、現実だったのです。 |
1. ガゼルの登場と倫理的転換の始まり
『The Story of the Gazelle』の冒頭において、チャドウィックはアメリカ大陸における環境破壊や生態系の劣化に強い警鐘を鳴らす。その後、現代的な功利主義的世界観から脱却し、自然や美、霊性と深く関わる物語世界へと聴衆を導く。この語りの枠組みの中で、「ガゼル」の登場は、極貧の青年のもとに差し出された象徴的贈与として機能する。青年がごみ山で拾った銀貨「エイト」で購入したガゼルは、ただの動物ではなく、人間と自然の関係性を倫理的に変容させる媒介的存在として描かれる。
物語の前半において、ガゼルは青年の「主人」としてではなく、「忠誠の伴侶」として行動する。自らの意思で主人に仕え、食糧を求めて森に入り、ついにはダイヤモンドという象徴的価値を発見する。そして、その宝石を持ってスルタンのもとに赴き、青年のために王女との結婚と新たな地位を獲得する。ここで注目すべきは、ガゼルが単に青年の「召使い」ではなく、むしろ彼に代わって世界と交渉し、青年の可能性を開示する存在である点である。
このように、物語の序盤におけるガゼルの行動は、贈与・忠誠・媒介性を通じて、人間が本来持つ可能性と、それを支える自然界の無償性の象徴として機能している。そしてその基盤には、「自然や他者との関係性をいかに倫理的に受け止めるか」という問いがすでに埋め込まれている。この段階で物語は、自己と世界の関係をめぐる深い変容の旅を準備し始めるのである。
2. 変容の果実としての富と忘恩の兆し
『The Story of the Gazelle』の中盤では、青年とガゼルの関係性が、忠誠と変容を通じて社会的上昇と繁栄へと具現化していく過程が描かれる。青年は「スルタン・ダライ」という新たな名と地位を得て、王女との婚姻を果たし、宮廷的栄華を手に入れる。この変容の全過程は、ガゼルの働きと倫理的判断力によって導かれており、青年自身はほとんど能動的な行為を示さない。ガゼルは彼に名を与え、礼儀を教え、沈黙すべき場面を指導し、未来の家まで準備するという徹底した「霊的代理者」として機能している。
しかし、この黄金の時代の只中において、物語は微細な緊張を孕みはじめる。すなわち、青年が得た富と地位に見合うような「内的変容」を遂げていないことへの予兆が現れる。彼はガゼルの功績や行動の意味を省みることなく、安楽と快楽のうちに日々を過ごすようになり、やがてその関係は非対称なものへと転じていく。とりわけ注目すべきは、ガゼルがかつての貧者の「主人」であったことが忘れ去られ、逆に青年がその忠誠を当然のように受け取る態度を示し始める点である。
この段階で物語は、恩義の所在や贈与の応答といった倫理的問いを浮上させる。チャドウィックが描くガゼルは、富や力をもたらす存在であると同時に、それらが正しく理解され、応答されなければ失われることの象徴でもある。したがってこの場面は、単なる成功譚の頂点ではなく、忘恩という内的腐敗の予兆として機能しており、後の崩壊への伏線としてきわめて重要である。
3. ガゼルの死と倫理的破綻の露呈
物語の終盤において、『The Story of the Gazelle』は劇的な転換を迎える。青年=スルタン・ダライが、かつて自らを救い導いたガゼルの病に対し無関心かつ冷淡な態度を取ることで、倫理的崩壊が明白となる。この場面において、チャドウィックは、恩を忘れた人間の姿を通じて、「内的変容を欠いた成功」の脆弱さを象徴的に描く。青年は宴と快楽に没頭し、忠実なる存在の苦しみに耳を貸すことなく、ついには「たかがガゼル」「エイトで買ったにすぎない」と発言するに至る。この言葉は、それまでの贈与的関係をすべて商品的価値へと貶める暴力的な断絶であり、象徴的にすべての倫理的基盤を破壊する瞬間である。
この態度に対して、妃と老女、そして町の民衆たちの反応は対照的である。彼らはガゼルの死を深く悼み、その死が単なる動物の死ではなく、「私たち自身の喪失」であると語る。これは、ガゼルが社会全体に対して霊的・倫理的中心として機能していたことを示しており、人間の自己変容と社会的正義が不可分であることを象徴している。
青年の態度は、現代社会における「使い捨ての関係性」や、「成果の私有化」に対する鋭い批判として読み取ることができる。ガゼルの死は、物質的繁栄と引き換えに霊的倫理を失った文明の帰結であり、チャドウィックの園芸的世界観においては、生態系と人間の霊性を切り離すことの不可能性を訴える寓話的構図として展開される。
この段階で物語は、「恩義に報いる」という根源的倫理の失敗と、それが共同体全体に波及する悲劇性を明示し、次の段階―喪失と回帰―への道を開く。
4. 共同体の哀悼と真の価値の回復
『The Story of the Gazelle』のクライマックスは、ガゼルの死をめぐる共同体の反応において到達する。スルタン・ダライがガゼルの死を冷笑的に受け流し、ついにはその遺体を井戸に投棄するよう命じたとき、物語は個人の倫理破綻を超えて、共同体的価値の喪失とその再構築を主題に据える。ガゼルは単なる主人の従者ではなく、町の人々にとっても象徴的な存在であり、その死はすなわち「私たちの中の善きものの死」として受け止められる。このように、個人が倫理的責任を放棄する一方で、共同体はガゼルに対して深い哀悼を表明し、その存在がいかに共同の繁栄と精神的基盤を支えていたかを明らかにする。
妃の父であるスルタンがこの報せを聞いて流す涙と、その後の一連の行動──判事と民衆を伴い自ら井戸に赴き、遺体を回収し、四日間の喪に服する──は、失われた倫理的秩序の回復の試みと見ることができる。この場面では、哀悼という行為そのものが、忘却された価値に対する応答として機能している。すなわち、死者への哀悼は過去への感謝にとどまらず、現在の倫理を再構築する行為でもある。
ガゼルを悼む人々の言葉──「ガゼルが死んだのではない、私たち自身が失われたのだ」──は、チャドウィックが提示する深層的な倫理観を象徴している。それは、人間と自然、贈与と応答、霊性と社会性が密接に絡み合う関係性のネットワークが断たれたときの悲しみであり、同時に、その再接続の必要性を示唆する感情的・霊的覚醒でもある。
このように、共同体の哀悼は、単なる物語的終幕ではなく、真の価値を再び問い直す契機として、読者に深い倫理的覚醒を促す場面として機能している。
5. 夢の回帰と霊的リアリズムの寓意
『The Story of the Gazelle』の最終場面では、物語全体の構造が「夢」と「現実」の転倒によって閉じられる。スルタン・ダライは目覚めると、かつての「ごみ山で種を探していた」貧者としての自分に戻っており、妻は「夢から覚める」と同時に父の宮殿にいた。だが語り手はこの「夢」を否定せず、「それは夢ではなかった、それが真実だった」と明言する。この逆転の構造は、単なる幻想や懲罰的な寓話ではなく、霊的リアリズム(spiritual realism)の表現であり、チャドウィックが提唱する園芸哲学と深く結びついている。
ここで提示される「真実」とは、目に見える現実や社会的地位ではなく、人間がいかに他者(=自然、動物、精霊)と関係を築き、それに応えるかという倫理的姿勢にある。つまり、スルタン・ダライが忘却し、破壊したのは、単にガゼルという存在だけではなく、無償の贈与と忠誠によって織りなされた関係性そのものであった。ガゼルは物語全体を通して、人間が自然界との霊的つながりを通して変容しうることの可能性を体現していたが、それが蔑ろにされた瞬間、すべては瓦解する。
この「夢の回帰」は、功利的関係性に溺れた人間が、自らの出発点へと強制的に引き戻される構造であり、チャドウィックの倫理的宇宙観における「再生の条件」として位置づけられる。園芸とは、単なる技術ではなく、「自然への応答的関係性を日々耕す行為」である以上、それを放棄した者には、霊的な土壌が失われる。そしてその失われた土壌の象徴が、最後に青年が戻された「ごみ山」なのである。
この結末は、チャドウィックが一貫して語ってきた、「自然との共鳴なしには人間は真の意味で生きられない」という思想の寓話的結晶であり、読む者に深い倫理的・霊的反省を促す終止符となっている。