アラン・チャドウィック講話『Composting(堆肥化)』

アラン・チャドウィックの講話『Composting(堆肥化)』(1975年4月13日、コベロ・ヴィレッジ・ガーデン、Stephen Crimi編『Reverence, Obedience and the Invisible in the Garden: Talks on the Biodynamic French Intensive System』に所収)の、まとめです。

チャドウィックは、コンポストを単なる肥料製造の技術としてではなく、自然の摂理そのものとして捉える視点を示しています。産業革命以降の都市化と効率主義は、地域の循環と土壌の健全性を断絶させましたが、コンポストは人間が自然の循環に再び参加するための鍵であると彼は説きます。四大天使の力が季節と生命を貫くという宇宙的秩序の中で、ミミズや深根性植物、そして人間が果たすべき役割が明確に示されます。技術的には、適切な素材の組み合わせや温度・湿度管理が重要であり、それは単なる効率性の追求ではなく、生命の再生を支える調和の実践であると位置づけられています。


1. コンポストの本質と現代の誤解

チャドウィックはコンポストを、単なる農業技術や資源再利用の方法としてではなく、自然界における生命循環そのものとして位置づけている。現代社会では「有用性」「効率性」「収量増加」といった功利的観点からコンポストが捉えられがちであるが、彼はこれを「狂気」と断じ、自然の摂理から乖離した態度として厳しく批判する。コンポストの本質は、人間が意図的に廃棄物を肥料化するという発想ではなく、生と死の循環が絶え間なく繰り返される自然法則に基づくものである。チャドウィックは、コンポストに対して過剰な人間中心的期待を寄せる姿勢を「すでに病んでいる思考」と表現し、コンポストがもたらす恩恵は自然に対する従順さと観察から生まれるものであると説いた。この観点から、コンポストは植物生育のための「道具」ではなく、むしろ人間が自然界の一員としてその循環に参与するための行為であり、農の営みの倫理的基盤を成すものとされる。さらに彼は、現代の有機農業運動がしばしば陥る効率性偏重を戒め、コンポストの作成過程自体が自然との関係性を取り戻すための修練であることを強調した。


2. 自然の法則と四大天使の役割

チャドウィックの思想において、コンポストの循環は四大天使(ガブリエル、ラファエル、ウリエル、ミカエル)の役割と深く結びついている。彼は、季節の移ろいや元素の動態を天体的・霊的秩序の現れと捉え、腐敗と再生のプロセスを四大天使が司る宇宙的運動として説明した。この視点では、植物や土壌の生死の循環は単なる物質的現象ではなく、霊的力の顕現であり、そこに人間も積極的に参加する必要があるとされる。コンポストの過程における有機物の分解や再生は、地球の大気圏というきわめて薄い層で営まれる生命の奇跡であり、この場において太陽のエネルギーと地球の物質的基盤が融合する。チャドウィックは、こうした宇宙的次元を見失った現代農業が自然界のバランスを崩していると指摘し、コンポストを四大天使の働きに同調させることが人間の責務であると説いた。この思想はシュタイナーの人智学に通じるものであり、彼にとってコンポストは物質的施肥行為であると同時に、宇宙と大地の力を結び直す精神的実践であった。


3. 人間の責任と産業革命以降の断絶

チャドウィックは、人間が自然の一部としてその循環に参与する責務を強調する一方で、産業革命以降の社会がこの責務を放棄したと批判する。都市化と工業化によって家族や村落を単位とする自給的な生活は崩壊し、農地と生活圏は分離された。かつての「オイコス(家)」概念に基づく生活は、地域での資源循環や廃棄物の再投入を可能としていたが、近代社会では大量の資源と廃棄物が都市へ集中し、地域の外部に押し出される構造が定着した。チャドウィックは、この断絶が土壌の劣化や食料の質的低下、さらには人間の精神的荒廃をもたらしたとする。彼は、コンポストの実践を通じて再び「家」と「土地」の結びつきを取り戻すべきだと訴え、家族や共同体が日々の生活から生じる排泄物や有機物をその土地に還元することの意義を説いた。この考え方はE.F.シューマッハーの「Small is Beautiful」の思想とも重なり、小規模な生活圏における自律的な資源循環の重要性を示唆している。


4. 無廃棄の思想と生死の連関

自然界には「廃棄」という概念は存在せず、死は常に新たな生命の糧となる。この普遍的原理をチャドウィックはコンポストの核心に据えた。彼は、現代社会が病害虫や腐敗を「取り除くべきもの」と見なし、化学的手段で排除しようとすることを批判する。むしろ病害虫は自然界のバランスを維持する存在であり、コンポストの過程においても死と腐敗が生の再生に不可欠な役割を果たす。チャドウィックは、廃棄物を再び生命の循環に戻す行為こそが自然法則に従うことであり、それを怠ることが不毛と荒廃を招くと説いた。この視点から、コンポストは単に有機物を分解する技術ではなく、生と死の相互転換を促す精神的・倫理的行為と位置づけられる。また、土壌の健康を保つためには多様な微生物や生物群集が必要であり、過剰な殺菌や単一化は土壌の生命力を失わせると指摘した。コンポストはこの多様性を育み、土壌を活性化させる実践であることから、農の持続可能性にとって不可欠な基盤を成す。


5. 土壌生態系の担い手としてのミミズと深根性植物

チャドウィックは、コンポストの効果を最大化するには土壌生態系の主要な担い手であるミミズや深根性植物の働きが不可欠であると説いた。彼は、現代農業が機械化や化学肥料の多用によってミミズを絶滅的に減少させ、土壌の通気性や肥沃性を著しく低下させたと指摘する。ミミズは地中に無数のトンネルを掘り、有機物を取り込みながら糞を排出することで土壌構造を改善し、酸素や水分、微生物の循環を促す。さらに、深根性植物は硬化した土層を突き破り、土壌を解放しつつ養分を深層から表層へと運ぶ。この相互作用は、チャドウィックが「四大天使の働きを地中にまで呼び込む」と表現する生命力の循環を支える。コンポストはこの生態系の活力を高める補完的役割を果たし、深耕や緑肥作物の導入と組み合わせることで土壌全体の回復が可能になると彼は述べる。この考えは、農業生態学における生物多様性の価値を先取りしたものであり、持続的な農の実践に向けた重要な示唆を含んでいる。


6. コンポスト作成の技術的原理

チャドウィックは、コンポストの作成方法に関しても自然法則に則った技術的原理を重視した。まず、植物残渣(緑の有機物)と動物性堆肥(糞尿等)を適切な割合で積層することが重要であり、一般的には緑物4に対して動物性1の割合が適当とされる。過剰な家畜糞尿や人間の排泄物の使用は窒素過多を引き起こし、腐敗や悪臭、病害の発生につながる。また、堆積場所の形状や深さも気候条件に応じて調整する必要があり、亜熱帯の安定した気候では露天積みが可能である一方、寒冷地では風雨や低温を避けるためにピット(穴)を用いるべきだとされる。堆積中は内部温度を60℃前後に維持し、必要に応じて切り返しを行い酸素を供給する。これらの管理は単に発酵効率を高めるためではなく、病原菌や害虫のバランスを保ちつつ有機物を生命力のある腐植に変えるためのものである。チャドウィックは、技術的合理性だけでなく、地域の気候・土壌・文化に根ざした柔軟な運用を重視した。


7. 種子・植物・土壌の未来志向的理解

チャドウィックは講話の終盤で、種子を「最もイデー的で最も変容が少ない存在」と呼び、その生命力を尊重する土壌管理の必要性を説いた。彼にとってコンポストは、単に現状の土壌肥沃度を高めるための手段ではなく、未来の食文化や農業体系の方向性を示す行為であった。果樹を中心とした食生活や、作物ごとの特性に応じた専用コンポストの必要性を示唆したことは、その象徴的な例である。また、彼は過剰な商業主義がコンポストの本質を損なう危険性を警告し、フランス集約農法が経済性を優先するあまり糞尿過多に陥り、野菜の風味や土壌の健全性を失った事例を挙げている。種子や植物は宇宙的秩序の中で生きており、その生育環境を人間の便宜で変えることは長期的な不均衡を生むと考えた。未来志向の農は、こうした普遍的原理を踏まえた上で、自然のバランスを尊重し、コンポストを循環の要として活用することにより実現される。