中山紘之さん「十人いたら十通りの学びとストーリーがある」

271月 - による IsagawaYusuke - 0 - インタビュー記事

中山紘史2

中山紘之さんプロフィール
1981年8月5日生まれ。広島経済大学を卒業後、同大学事務職員の道へ進む。2005年より興動館教育プログラムの立ち上げに関わる。以来11年間、プロジェクトコーディネーターを兼務しながら同プログラムに関わる。現在は社会人学生として、三重大学大学院生物資源学研究科へ通いながら、学生たちと共に学び成長していける関係性を目指し精力的に活動をしている。

少し変わった大学職員さんという事ですが

広島経済大学で事務職員兼プロジェクトコーディネーターという仕事をしています。プロジェクトコーディネーターというのは学生が立ち上げたプロジェクトの活動をサポートする役割で、今は二つのプロジェクトを担当しています。

どんなプロジェクトを担当しているのですか?

今は武田山まちづくりプロジェクトとサクセスストーリー出版プロジェクトというプロジェクトを担当しています。武田山まちづくりプロジェクトは、大学敷地内の山林を整備し、そこの資源をつかってまちづくりに活かす取り組みをしています。チェーンソーを使って本格的な間伐作業をしていて、そこで得た木材を使ってやぐらを建設したり、工作教室なんかもしています。
サクセス
サクセスストーリー出版プロジェクトは、有名な社長さんに注目し、インタビュー活動をして出版しています。一般の小売書店で扱ってもらえるよう製本して営業活動もします。本の制作、出版から販売までが活動の一連の流れですね。経費は大学から借金するので、計画通り返済しないと督促状が来るので大変です。(笑

プロジェクトコーディネーターを始めたのは何時からですか?

興動館の立ち上げからですね。2006年から興動館教育プログラムがスタートしたんですが、プログラム立ち上げのための準備期間として1年前の2005年からから興動館準備室が出来たんです。その時からなのでもう11年間コーディネーターとして興動館に関わっていますね。部署のスタッフの中では一番長いキャリアです。大学卒業後、1年目はインターンシップ推進室に配属されていました。2年目には興動館準備室にいましたね。

大学在学中に事務職員の道へ進むことを決めていたんですか?

決めてなかったですね。ただ、大学祭実行委員会に所属していて大学のことについて考える機会は他の学生より多かったかな。普段から「大学を盛り上げるためにはどうやったら良いのか?」とか考えてましたから。だから大学職員という道は良いご縁もあって、自然な流れだったと思います。直感的に「あ、良いな」と感じて、学生時代に色々考えていた事や、やっていた事が活かせるんじゃないかなって。

自然に事務職員になったんですね

そうですね。学生の組合組織に所属していると事務職員さんや先生に関わる機会が多いんです。事務職員になりたい人も結構多いから試験も簡単では無かったんですが、大学祭実行委員会で活動してきたことがプラス材料になったんじゃないでしょうか。自然に職員になった気もしますが、やっぱりいろいろな人に支えられて今がありますね。

大学を盛り上げるため学生時代にしていた事と職業として関わる様になってからの違いはありますか?

当時、大学の採用試験を受験してから13年経っているから、学生の時はどうだったかな。やっぱり学生の時と今では全然違いますね。学生時代は、純粋に大学を盛り上げようという気持ちでしたね。一生懸命活動していればそれでよかったという感じでしょうか。今でも、自分の母校をみんなに好きになって欲しいという気持ちは変わりませんが、事務職員になってからは、その支援側に回るんですよ。これは大きな違いじゃないでしょうか。事務職員はキッカケ作りや仕組みやルールづくり等が主な仕事になります。現場に出て実際に「やるぞ!」っていう感じでは無く、あくまで主役は学生さん。やる気を引き出したり、やり方や手順、ルールを示したりというのが仕事ですね。

プロジェクト研修会国際交流や就職支援、学務等、部門ごとの専門性もあるのでそれぞれ仕事の内容は違いますが、やはり根本的には一緒かもしれませんね。学生さんが活き活きと学びや気付きを持って帰れる現場作りや仕組み作りは事務職員としてのやりがいですね。学生の時には見えていなかったんですが、いろいろな人が支えてくれて自分たちの活動が成り立っていたんだということがわかりましたね。1つのプログラムには色んな先生や事務職員さんが関わっていて色んな会議を経て、活動内容や申請手順、ルール等が決められています。プログラムを通じて学生さんにたくさんの学びや気付きを持って帰ってもらってほしいと必死で考えているんですよ。広島修道大学の「ひろみらプロジェクト」とかもそうじゃないかな。

学生の支援をしてきて困った事や難しかった事は何ですか?

課題や問題は日々出てくるのでその質問は難しいですね。ただ、興動館プログラムの立ち上げの際は大変でした。当時は9kgも痩せましたね。興動館教育プログラムは色んな体験を通じて色んな学びや気づき、もしくは専門的な知識の応用を通じて成長していくプログラムです。これは当時の大学にとって新しい価値観だったので疑問を持つ人も少なからずいました。何でもそうですが、ゼロから新しい価値を作り上げて動かすのは大変なんです。

興動館プロジェクトでは学生主体で立ち上げから運営まで学生が行っていますがその仕組みはどうなっているんですか?

プロジェクト立ち上げの相談に来てくれる学生には、十人十色で色んなケースがあります。一人で「こんなことやりたいんですけど」って来てくれる子もいれば、グループで具体的な活動を既にしている子たちもいます。プロジェクトを立ち上げるためには、手順があります。まずはチームづくり、それから企画書づくりですね。企画書の中では、具体的な目的を設定し、内容を考えていきます。チームづくりや企画書のつくり方等、その手順や方法は興動館スタッフが丁寧に教えてくれますよ。企画書づくりが終わったら審査会になります。経費や予算案等も提出してもらうんですが予算計画つくり方や経理の仕方もサポートしますよ。ゼロからプロジェクトを立ち上げる大変さは僕自身もわかりますからね。

基礎的な事はサポートするけどそこからは学生がプロジェクトを動かすんですね

そうですね。興動館プロジェクトは学生が主体的に行っていくものですね。アクティブ・ラーニング型の興動館科目があるので、そこで学んだことを活動に活かすことができますし、逆にプロジェクトの学びを通じて授業で専門的に学ぶこともできます。科目で学んだことをプロジェクトで活かすなど、個々の学生に合った学びのスタイルができます。外から見ると興動館教育プログラムは、プロジェクトの印象が強いみたいですが実際は講義との相互作用で成り立っているんです。
広島経済大学の人材育成目標は、「ゼロから立ち上げる」興動人を育成すること。興動人は「無から有を創造し、他者と協働し何かを成し遂げることができる人」と定義しています。そのような人材を育成するためには、従来の座学型の教育に加えて実践型の人間力教育も必要なんです。興動館教育プログラムに参加したすべての学生さんは、自身の人間力を自己分析しどのように成長したかを図る評価シートを活用しています。自己理解にも繋がると思いますし、次の目標も定めやすくなります。人間力がどう育ったかを整理して次のステップへ持って行ってもらえる様にしていますし、これが意欲的に主体的に取り組める動機づけにもなっていると思います。写真
人間力も重要ですが、知識も重要なんですね。自分もその必要性を感じて大学院に行って勉強しています。研究テーマは森林環境教育です。体験を学びにつなげる方法を日々研究したり実践しています。まず自分が試してみて上手くいったものを学生にも提供するようにしています。

学生にとって身近で一緒に成長していける関係性なんですね。

そう思ってくれると良いんですけど、僕も時には厳しいことを言う時がありますから嫌なヤツだと思われたりもしてるんじゃないですかね。それでも卒業式には肩を組みあえるような関係が理想ですね。

中山さん自身、人間力を培ったのは何時だと思いますか?

日々、学生と関わる中で鍛えられているような気がしています。チームづくりや企画書のづくり、会計帳簿だってまったくわからないところからのスタートでしたから。色んな事が初めてだったので周りの人達と一緒に人間力を育んで来たと思います。海外だってそんなに行ったことがなかったんですが引率でついて行かないといけないし、学生の前では弱音はけないしね。でも、人間力を基礎的に培った時期については、強いて言うなら大学2年の後期でしょうか。

大学2年生の後期とは具体的ですね、何があったんですか?

その時期に父が他界し、これまで行くことが当たり前だった大学生活がそうではないんだと気付いてからですね。それまで大学生活で何か活動していたわけでもなく、バイトばかりしていましたね。大学に通っている理由もわからなかったし、勉強も単位取るためだけのルーティンな生活をしていたんですが、その生活が担保されていたのは親のおかげだった事に気が付いたんです。そこからいろいろなことに一生懸命に取り組むようになりましたね。大学に行くことの意味を本気で考えました。それがターニングポイントですね。ゼミの活動や大学祭実行委員など、チャレンジすることに積極的になったような気がします。他にも株を買ったり、旅行にいったりとにかく楽しみましたね。

そんな学生時代を振り返って、今の学生にして貰いたいことやすべきだと思う事はありますか?

抽象的になってしまいますが、結構、大学は社会人として必要なことや視野を広げる機会を用意してくれています。ケニアマサイ族とみんなある程度そのプログラムに参加してはいるんですが、学んだ事や気づいた事を日常に落とし込んだり、次のステップにチャレンジしていない気がします。学びや気付きから次のステージを自分で切り開いてチャレンジしていけばもっとオリジナルのストーリーが語れるんです。就活ではそのオリジナルのストーリーが自身の差別化につながると思います。

大学が用意してくれる教育プログラムは、100人履修したら100人が同じ体験ができるんです。でも、そこからが本当のスタートなんだと思うんです。

では、学生にチャレンジさせる場としての興動館の今後の理想や改善点はありますか?

僕自身が広島で育って思う事ですが、広島経済大学だけが良くなって欲しいのではなくて広島の若者に元気なって欲しいんですよね。だから、大学という枠を外して多様な学生が集まって横断的に色んなプログラムをやって広島の魅力を上げていくことが大事なのではないでしょうか。実は、武田山まちづくりプロジェクトでも修道大学の学生がサブリーダー的な役目をしているんです。地域の人からしてみれば経済大学でも修道大学でも最後まで一生懸命活動に寄り添ってくれればどこでも関係ないんです。多様な学生が集まると色んな発想や創造がありますし、各大学の学生にも結果的にプラスの効果が育まれるはずです。これからの社会を担っていくのは私たちなので今の現状をしっかり見て体験して学んでいきたいですね。広島修道大学の「ひろみらプロジェクト」も素晴らしい事をしていると思います、出来れば一緒にやりたいですね。

本日はインタビューありがとう御座いました。熱いお話を聞くことが出来ました。

上手く答えられているかな?こちらこそ有難う。
写真インタビュアーも実際に参加してみる(写真左)

ききて:去来川 裕介