河野宏樹さん「違う領域のひとと一緒に仕事するのは面白い」

51月 - による webmaster - 0 - インタビュー記事

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河野宏樹さんプロフィール
静岡県にあるホールアース自然学校職員を経て、2005年に教育事業の企画運営を専門に行なう事業所「環境教育事務所Leaf」を設立。現在は、学校、企業、自治体、公益法人等との協働を通じて環境・平和・国際協力を中心とした教育事業や、参加体験型学習のプログラム開発および指導者養成を行なっている。NPO法人これからの学びネットワーク理事、NPO法人ひろしまジン大学理事も兼務。コーヒーとMacと写真をこよなく愛する寅年。

 

■河野さんは広島生まれですね。

はい、1974年、広島市西区己斐です。子どもの頃は空き地や草むらがいっぱいあって、虫を捕ったりして遊んでました。その後、鈴が峰のほうに引っ越しました。

 

■大学は大阪に出られたんですよね。高校を出て、広島に残るか、出るかという決断は大きいですね。

大学では漠然と、環境のことを学びたいと思いました。当時環境のことを学べるところはそんなになかったので、自分の学びたい学問のところに行こうと思って大阪大学工学部環境工学科に進学しました。学生時代は何やってたんだろう。理系なので3年から研究室に配属されました。そこでのテーマは「植物を使った水質浄化」でした。ひたすら論文を読んで、いままでの知見をデータベースにするということをやっていました。

 

■学業以外の、サークルとかの活動は?

友人に誘われて、アルティメットというスポーツ。それからキャンプ場のボランティア活動をやりました。

 

■その辺の活動から、今やっていることにつながってくるのですね。

学生時代に、京都の環境市民が主催していた「環境教育リーダー養成講座」を受講しました。街歩きしたり、自然体験やったり、環境に優しい買い物ゲームプログラムを作るっていうのを最後にしました。最後に自分たち受講生でプログラムを作って実演をするそういう講座だったと思います。その講座のコーディネートをしていたのが西村仁志さん。

■はい、私ですね。環境教育とかに興味を持って指導者になろうと思ったわけ?

はい、なんとなくですね。

 

■そして、卒業後は大学院に進学されました。大学院に行くって理系では普通なんでしょう。

そうですね。ほぼ全員が大学院に進学しました。しかし大学院の時は、大学とは別の所に行って修行の日々でした。環境教育ってどんなことをやっているのかなあといろいろ見聞をひろげようと。山梨県の清里にある環境教育で有名なキープ協会っていうところの「エコロジーキャンプ」というのに参加しました。

 

■そこでまた私がゲスト講師をやっているんでした。「環境教育個人商店を作ろう!!」というテーマで。さて、そこからその先の進路をどう考えましたか?

就職活動はほとんどしていませんでした。環境教育でプロになるにはどうしたらいいのか?分からないその中で、 なんかまあ西村さんはうまく「個人商店」という形でやっているし、やり方はあるようだと思った。アメリカでも環境についての仕事をやっている人がたくさんいる。その点は日本とはけた違い。
しかし海外にできて日本にできないことはないと思いました。

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■そして大学院を終えられたら、静岡県の「ホールアース自然学校」に就職されたんですよね。

はい、代表(当時)が広瀬敏通さんという人だったんですけど、その人に会って、行きたいと話をしたらすぐに「来ていいよ」となって。

 

■なんと、卒業したらおいでといってもらったということですね。しかし、広島から大阪の国立大学に送り出して、さらに大学院まで行ってもう将来はエンジニアの道だと親は思いますよね。

いや、そもそも医学部に進んで医者になってほしいみたいな感じはありましたからね。工学部に行った時点で若干「諦め」みたいなことはあったと思います。

■既に大学入学の時点でもう親の期待とは違うところにいってるということですね。

そうゆうことです。

■ホールアース自然学校ではどんな仕事をしてたんですか。

富士山のふもと、静岡県富士宮市にあります。みんながイメージするような富士山の形そのままが見えるとこです。自然学校の写真を撮ったらそんな富士山と写るような場所なんです。えー、これが普段の景色です。

建物がいくつか。そしてそれ以外にもキャンプ場があるようなとこです。森に囲まれて、木がいっぱいあって、馬、ヤギとか、ニワトリでしょ。いろいろ動物がいる。ロバもいました。そうゆう動物をいっぱい飼ってました。こうした動物の世話が当然、一番最初にやらないといけない日常の業務でした。

五月、六月あたりは修学旅行生がいっぱい来るんですよ。年間に数万人来るんですけど、その人たちのガイドです。富士山のふもと、青木ヶ原樹海というのがあるのですが、あちこち洞窟があるんです。むかし富士山が噴火したときにドロドロと流れてきた溶岩が形成する洞窟がたくさんあるのです。こういう洞窟の中での体験活動などをガイドしました。

他にもいろんな主催事業があって、ここでキャンプしながら体験するようなものもありますし、ちょうど2000年くらいからは国とか県で、環境教育を事業化してやっていきましょうみたいなのが結構大きくなってきてたんです。そうゆう仕事もやったりしました。

 

■ホールアース自然学校の勤務から身につけた「大切なこと」を挙げるとしたら何でしょう?

さきほど説明したガイド業とか、沢山の人を相手にして呼びかけに行って、案内したりとか、コミュニケーションをとるとか言うような技術ですか。ネイチャーガイドやインタープリターとしての基本的なスキルを身につけたということです。今までほんとに海外の事例しか見たことがなかったんですけど、日本だとこういう感じでやるのね。というのが実践できたと思います。

 

■その後、広島に戻って来られますよね。いつでしたか。広島に帰ってどんなことをしようかなと思ったんですか。

2004年でした。前の年に妹が亡くなったんですよ。広島に住んでたんですけど、まあ、両親も二人になって、まあ、近くに住んだ方がいいかなと思って。広島で、個人で環境教育というのを仕事にしていけるかなと思っていました。

でも次の年、2004年に愛知万博<愛・地球博>に来いと、いう声がかかったということですね。広島にいったん帰ったんだけど、元ボスの広瀬さんから愛知万博でのチーフインタープリターを務めて欲しいとそういう声がかかったと。

 

■愛知万博のことが、今に影響していいることはありますか。

今まで対人的な環境教育を、人と直接接することが多かったですけど、愛知万博は、やたらと人来るじゃないですか。いちいち人と接してられないくらいガンガン人が来ちゃうので、人がそこに立ってなくっても、案内できるような解説版だったりとか装置みたいな仕組みを作ってやった。それって結構、勉強に なりましたね。初めてデザイナーと一緒に仕事をすることがありまして、デザイナーの領域っていうのは近いようで遠いみたいな、そこはすごい勉強になった な。全然違うお仕事みたいな。

■異業種分野の人たちとチームを組んで仕事をするみたいな。そのことが色々役に立つというか、繋がっているということですね。

それで愛知万博の後、広島で2005年「環境教育事務所Leaf」を開業します。広島ではこの世界で志賀誠治さんが第一人者でいらっしゃるのが分かって会いに行ったりとか、それから田村陽至さん、今は「ドリアン」というパン屋をやっていますが、その人も当時は自然学校的なことをやっていて、話を聞きに行ったりしました。

個人だけど多様な人のつながりで「ワーキングネット」という、それがあると比較的大きな仕事も出来る。愛知万博なんかでは一番ワーキングネットではデカイ一例なのかも知れないですけど。プロデューサーがいたり、デザイナーがいたり、ほとんどピン芸人っていう人も、

 

■色んな能力持った個人が、一緒にチームを組んで、仕事してると言う事ですね

そう、ところがこれを広島でやろうと思ったら非常に弱い。で、志賀誠治さんていう人は個人なんだけど全部出来ちゃうような神みたいな人でした。
広島では、まずは志賀さんと一緒にやっていくのが良いかなって感じでスタートしました。今でも一緒に仕事をすることもあります。

 

■広島で、何か自分らしく仕事をするっていう時の秘訣みたいなあるいは心構えなんかはあるでしょうか。

やはり、ちょっと違う領域のひとと一緒に仕事するのは面白いなって思いますね。そもそも「環境教育やってます」みたいな人いないですからね。

 

■そうすると逆に、河野さんにとってというより他の人たちにとって、河野さんみたいな存在がいるって事がありがたがられるわけだ

それもありますね。お互いにあんまりよく知らない、わかんない仕事やってるんで

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■なるほど。さて最後にこのインタビューのテーマは「広島の未来をつくる人」っていう事ですけど、「広島の未来をつくる」という展望みたいなところがあったら教えてください

環境教育なんてやってますけど、広島だと平和教育だとか国際協力って結構、世界的には強いと思うんですよね、なのでそういう平和や国際協力についても環境教育と同時にやってきたんです。中高生向けの平和の教科書をつくるプロジェクトにも関わりました。
これからの展望だと、もう少し何か地域的なものに特化して関わるっていうのもありかなって思っています。もともと広島以外のいろんな地域に行って仕事する機会も多いんですけど、広島もいろんな地域でそこを盛り上げていこうっていう人達が結構たくさんいるんで、そういう人たちと関わりながら、やっていくっていうのが、一つテーマとしてあるかなっていうふうに思ってます。

■インタビューありがとうございました。

(2015年6月10日、ききて:西村仁志)