河合豊明さん「広島を異文化交流のまちに」

111月 - による webmaster - 0 - インタビュー記事

河合豊明

河合豊明さんプロフィール
1988年生まれ。現在27歳。広島県呉市生まれで中学受験をし、広島工業大学付属中学校、現在のなぎさ中学校入学後、広島県工業大学付属高校、現在のなぎさ高校に入学。広島大学を経て広島大学大学院を修了ののち、現在は広島文教女子大学付属高等学校の地理の教師をしている。

■河合さんは、広島生まれですね。

はい、1988年、広島県の呉市です。子供の頃は裏山の木に登って遊んだりしてました。小学校に上がるか上がらないかの頃には、もう自転車に乗れるようになっていたので、自転車に乗って隣町とかに勝手に探検に行って夜になると、どこに探検に行ったのか分からなくなるくらい遠くに行ってて、ほぼ毎日怒られていました。

■中学は地元ですか?

いいえ、中学校からは広島市内にでてきました。中学の時は、家から片道2時間30分かけて通っていました。朝は、毎朝5:30ぐらいに家を出て、授業が終わってすぐ帰ってきても家に着くのは19:00ぐらいで、そんな生活だったので毎日あるクラブには、参加できなくて、お昼と放課後に少しだ活動のある、生徒会を3年間続けましたね。あと、毎週土曜日、午前中だけ授業のある学校だったので、それから活動する国際交流部っていう、簡単なイベントをやっているだけのクラブと月に1回どこかの山に登る登山部の計3つの活動をしていました。

■高校の時にいくつかの外国にいかれてましたよね。

はい、高校1年生の頃に語学研修で3週間ニュージーランドへ行き、その後にはシンガポールにも行きました。ニュージーランドでは、ホームステイをしたのですが、周りの友達のホームステイ先は街中なのに、自分のお世話になったホームステイ先だけ、なぜかその町中から、速度無制限っていう高速道路で、ずーっと30分くらい走って行った先にある、丘しかない隣の家が見えないようなポッとあるような家でした。それから、ホストファーザーに、ついたぞって言われてて、ホストファーザーがヒューって口笛吹いたら向こうから馬がやってきて、それに乗って家に連れていってもらいました。その3週間の間は牧場を営んでおられる所だったので、毎日羊と馬に餌をやって、晩御飯には、今朝までメーメー鳴いてた羊をだされて、とても驚きました。

■広島大学では地理を学んでおられたんですね。

そうです。大学では地理学専攻でした。入学するまえから最初の一年は何が大学の地理かわからないし高校で勉強する地理と大学で勉強する地理とは違うって聞いていたのですが、まず、大学で勉強できる事ってどんなことがあるんだろうっていうのが知りたいと思っててとりあえず1年生の時は真面目に地理の勉強だけを受けていました。それから、2年生にあがるときに、いや、地理の勉強だけしたって、普通の地理の先生には、なれるかもしれないけど普通の地理の先生にしかなれないと思っててそれじゃなんか面白くないなって思っていました。だから、面白そうって思った授業を片っ端から受けに行ってました。授業1個づつ、とりあえず何かの形で自分が興味のある地理の先生になるために知っておいたら、なんか面白そうっていう、地理となにか関わりがありそうだなって言うのを自分で直感で感じた授業ばっかりとっていました。でも、大学4年生に上がる時にこのままではダメだと気付きました。

■卒業論文はどのようなテーマで書かれましたか?

その当時は2つで悩んでいました。一つは地震の研究、もう一つが自分が農業の研究です。結局は、農業の研究について書きました。それから、ただ面白い変な先生になるだけじゃだめだなって思ってて、じゃ大学院行こうと思ったのです。

■大学院ではどんな研究をされたのですか?

研究内容は、基本的に変わらず農業です。ただ、大学の卒論では都市部の研究だったので次はもうちょっと離れた田舎のことをやりたいと思って、瀬戸内海の島みかん畑で、ものすごく儲かっている訳ではないのに、なぜか、みかん畑がたくさん残っている。それはなぜなのかについて研究していました。

■大学院では、勉強一筋だったんですね。

いや、アルバイトもしていました。大学の中に博物館があって、そこで学芸員の仕事を少しせてもらっていました。

■よく外国に行かれてるイメージがありますが、今までに何箇所行かれてますか?

13箇所ですね。まず、高校2年生でシンガポール、ニュージーランド、大学4年生の時にインド、タイ、大学院に上がったあとにドイツ、オランダ、フランス、スイスあと、一昨年の冬に、ロシア、フィンランド、あと、2カ国は修学旅行の付き添いで、アメリカとカナダですね。

■その経験が、今やっていることにつながってくるのですね。

そうですね。やはり授業で、行った時の感覚とかを実際にペラペラ話せるのは、面白いことです。あと、インドに行った時に、睡眠薬強盗にあい、ロシアに行った時は、➖40度の世界を体験しに行ったのに全然➖10度だったりとか、どんなことがあっても多少のことじゃ驚かないし、どんなことにも、耐えれるようにはなりました。

12036591_1511114245873499_6053585602870149154_n

■最後になるんですけど、このインタビューのテーマが広島の未来を作る人ということで、地理の先生という視点からみて何か感じることがあればお願いします。

そうですね。広島って超都会でもなく田舎でもなく、こういう言い方すると悪く聞こえますが、中途半端な所ですね。でも、とりあえずなんか商品とかやわ作って売れるかどうか試してみようって、あるいみお試しするには良いところなのかもしれません。広島は平和資料とか宮島があり、外国の観光客が沢山訪れます。でも、それをみて終わりでいいかっていわれたら、そうじゃないと思います。その人たちと、広島に元から住んでる人たちがやっぱり何かしらの交流をもって、異文化理解をしていかないといけないって思います。せっかく異文化理解するチャンスがあるので、そういう土地柄でとあるから、それをいかせることをしたら、良いと思います。あと、広島はそういう異文化理解をしていく子供たちを育てやすい場でもあると思います。
広島は災害が少ない所だって言う人もいれば、このまえの土砂災害もあったから、災害が多い所だっとも言われます。でも地震は割と少ないところで、だから広島は広島で気をつけないといけないことをちゃんと発信していかないといけないと思います。だから、自分が広島をベースにあちこちに飛び回って、いたら広島の教育全体が面白いものになっていくんじゃないかなって思いまし、それがやりやすい所だなとも思います。

■インタビューありがとうごさいました。

ききて:向井咲貴