吉田峻さん「農業と教育を組み合わせ次世代へ」
1992年7月20日生まれ。広島工業大学高等学校卒。
広島経済大学在学中に、学生団体『STYLE』を創設。卒業後は住民が100人未満、平均年齢65歳以上である広島市佐伯区湯来町上多田に移住し、農業に携わりながら、地域の方々と町おこし活動に参画している。
■吉田さんは広島のご出身ですね
生まれは広島市西区観音。その後幼いときにに引っ越しをして、佐伯区の藤の木団地で子ども時代を過ごしました。自分は小学校の頃からあまり変わってないって言われるけど、とにかく楽しいことが好きです。楽しいことを周りの人たちとと何かを作りあげるとか、楽しさを共有するとか、笑顔を作るっていうのは小学校の頃からそういった性格だったからかなと思います。高校は、広島工業大学高等学校に進学して、サッカー部のキャプテンを務めました。
■大学生のときに団体の立ち上げに関わったと聞きました。まずその様子を教えてください。
広島経済大学の在学中に、学生団体「STYLE」を立ち上げました。広島県内の10大学くらいから学生が集まった「インカレ」です。広島経済大学・広島修道大学・広島大学・広島工業大学・比治山大学・安田女子大学・同志社大学・広島市立大学・県立広島大学です。立ち上げるきっかけは同志社大学の学生からでした。自分たちが計画を立て、実際にアクションに起こし、まちの活性化に繋げたいという思いです。当時から関西ではそんな学生主体の活動が多くあったのですが、広島にはまだないと。それで広島で立ち上げたのです。僕たち初代のメンバーは5人くらいでしたが、すぐに増えて50人くらいになりました。収益を生む活動を行い、地域に貢献できることをしていこうという目標を立てました。「STYLE」の名前は、個人個人でそれぞれカラーが違うと思うんだけど、じゃ、その一人一人の個性を引き出してあげれるような団体を作ろうっていうコンセプトで名付けたものです。
■最初はどんな活動から始めたのですか?
最初のころは「イベント団体」でした。いろいろな大学の学生を集めてキャンプを開催しました。ただ単に体を動かしたりするだけではなくて、ゲストに議員さんにきてもらって、学生たちに伝えたい思いを語っていただきました。その後のワークショップでは、こういう話をふまえて自分達がどういったアクションを起こせるのかっていうことを話し合ったのでした。
2012年から2013年の年末年始は、エディオンスタジアムのある広島広域公園の第一球技場でみんなでフットサルをしようという「カウントダウンイベント」をやったのです。12月31日から1月1日かけて1日ぶっ通しです。300人くらい集めました。もちろん学生たちが自力で企画したものです。館長さんに会場を使わせて下さいとお願いをしに行ったり、協賛広告とかも取りに営業に回ったりしました。
それから県内のNPOや市民活動の関係者がたくさん集まる集会があったのですが、そこでSTYLEが活動紹介のプレゼンテーションの機会をいただいたのです。そこで湯来町に移住して活動されている岡真里さん(インタビュー記事あり)と出会い、田舎おこしをやりませんかって話をくださったのです。
最初にまず学生20人くらいで上多田地区を訪問したところ、地域のおじいちゃんやおばあちゃんが交流会を開いてくれました。行った学生の中にはすごい金髪のメンバーがいたんです。でもそれが地域の人にとっては刺激的で、地域の方々がすごい元気が出たっていう声が出たのです。若い人がそういったとこに行くだけで、元気がわいたというか、すごい楽しかったっていう声を聞いて、こういうところに幸せというか、小さいところだけど、笑ってくれる人がいるってところに魅力を感じて、自分は移住することを決意し、田舎の魅力を伝えていきたいなって思ったのです。
■移住をした当時はどんな様子でした?
最初は「外からのお客さん」っていう扱いでした。ただ地域の人はすごい良くしてくれて、とても温かい人ばっかりでした。そこで過疎化、高齢化が進むなかで、日本の田舎ってこんな魅力があるんだよっていうのを内部から発信する人間になろうと思ったのです。そしてSTYLEのメンバー達も訪問を重ねる中で、田んぼを任せていただけたのです。米作りはもちろん地域の人に助けてもらってですが、土作りからから始まり、田植え、秋には収穫して、お米を実際に「フードフェスティバル」に出店しました。そうすることによって、自分たち学生からすると、ビジネス感覚というか、ものを売って商売するっていう一点でメリットがあるし、地域も地域でその学生さんたちが売ってくれるから収益の半々、半々ではないけど、いくらかみたいなところもできます。米のパワーではなく、学生のパワーで頑張りました。お互いwin/winの関係で、できていると思います。
■以前から、農業に関心をもっていたのですか?
それまでは目の前にご飯があるということが当たり前だとおもっていました。でも実はご飯ってここまでくるのにそうとうな苦労があって、土作りから始まってトラクター何回もかけて、畦(あぜ)を作って、田植えをして、毎日水の管理もしないといけないんですよ。それで中干しもして、秋がきたら稲刈りという流れなんですけど。2、3月から10月までかかりますね。乾燥させて精米してやっと完成になるんです。今まで当たり前に食べていたものが、こんなに人手を経てようやく食べられるということを知って、あらためて食に関して感謝の気持ちが湧いてきました。
今まで当たり前に出てきていたものが、多くの人の手が入って、ご飯が食べれると思うと、感謝の気持ちでいっぱいになります。食の部分でありがたみを感じるという部分では、農業だけではなく、教育でも使えると思います。人の手が加えられて、始めてご飯が食べれる。今の健康状態があるのは今こうして、農家の人たちが作ってくれた経緯があって今みんな健やかに元気に外で遊べているというのを伝えたいと思います。このことは「農業×教育」みたいなところに繋がってくると考えています。これから来年、再来年となってくると、子供たちを呼んで、田舎体験でそういった農業とか、農作物、土と遊ばせてあげる環境を整えてあげたいと思っています。
■湯来との出会いから、活動が大きく転換しましたね。
はい、湯来でほんとうに良いご縁をいただきました。いま私個人では「田舎タレント」っていう肩書きで宣伝しています。また地域で取り組んでいる活動もあります。それは「上多田未来プロジェクト」です。それは地域の人たちで集まって、どうやってこの地域を存続させていくのかということを考えるプロジェクトです。やっぱり空き家問題があって、田舎から出て行った家族の人たちの家が残っていたりして、その活用とかも今、課題として考えています。次に少子化です。一番近くの学校は全校生徒が11人。1年生か6年生までだから複式学級。1年生と2年生が一緒で、3年生と4年生が一緒に授業をしています。さらに医療の問題です。近くに医療所がないので、車で20分くらい行かないといけません。あと耕作放棄地の問題。その中で一番力を入れているのは、耕作放棄地の復旧です。本当に少しずつではありますが、昔の田園風景に徐々に戻していこうっていう取組みをしています。あと、いかにして若い人を田舎の方に呼び込むのか。こちらの方で経済がスモールビジネスで回るようになったら若い人も来るだろうと思います。でも、その段階までまだいってないのが現状です。こちらもまだ土づくりの段階です。
■自分なりに、人生プランのようなものは描いていたのですか?
最初から飛び込んでいったね。でも計画が全くゼロだという訳でもないです。就職活動の時期になると、皆同じスーツをきて、おんなじトコ行って、面接でも同じような答えを言うでしょう。それは果たして正しいことなのか、という疑問が自分の中にありました。金太郎飴みたいに全部が均等になるでしょ。学生のときにせっかくこうして困っている地域と出会い、地域の過疎化がどんどん進んでいくのが気になってしまったのだから。若い人が全然いなくて働く人がいないっていう状態なんだったら、問題解決とまではいかなくとも、自分がその方法を探していきたいと思ったわけです。
■就活の時点では普通の就職をしようとは思っていなかったんですか。
そうだね。考えていなかった。自分で人生を送っていく方が楽しいんじゃないかと思って…プランニングですね。湯来町には、市長に立候補した人がいたりもしました。昔からもう江戸時代からある町で、歴史があります。地域のひとたちも、自分の代で絶やさないようにと考えていて、後継者に引き継いでいきたいと思っているのです。
■これからの湯来をどのようにアピールしていきたいですか?
自分の米作りの師匠は毎日畑に出て農作業をしています。そして田舎では近所同士の付き合いが濃いので「うわさ」は一日で広まってしまいます。週に何度も地域の会合があるので、コミュニケーションがとても密です。都会にはそういう部分がないと感じています。もちろんどちらか一方に偏るのではなく、都会と田舎の架け橋になるようにしたいです。若い人材として、都市と田舎をつなぐ役割を担いたいと考えています。あと農業は食の有難みを学べるため、道徳的側面もあって教育にもプラスに働くと感じています。
■では、最後に広島の未来をひらくことについて、どう考えていますか?
田舎の人口が減っていくことに対して、若者が町おこしの中で農業を体験し、田舎でも楽しい暮らしができるのだと知ってほしいです。新しく次世代型の暮らしのリズムが提供できたらと思います。コミュニケーション能力の向上効果を期待して田舎に来てもらいたいです。あとは、伝統ある農業を伝えていきたいです。
■ありがとうございました。
ききて・写真:向井正俊、江原大輝、有村茜音
(インタビュー日時:2015年11月29日)