6/2(金)
関西空港〜サンフランシスコ(UA810)。レンタカー(AVIS)借り出し、大韓航空で来る3人と合流。サンフランシスコ・ダウンタウンには向かわず、HWY101を南へ行き、「COYOTE
POINT MUSEUM」の見学へ。その後ダウンタウンへ向かい、お連れ様はユニオンスクエア近くのカートライトホテルにチェックイン。私はベイブリッジを渡りバークレーの友人宅に宿泊。
6/3(土)
バークレーを出発。ナパバレーへと向かう。ユンヴィル周辺のワイナリー4つを巡る。試飲もさせてもらうがなにぶん運転手なので…。ユンヴィルの「VINTAGE
INN」に宿泊。おいしいワイン飲んで寝る。
6/4(日)
ナパバレーを出発。途中ソノマ、サウサリートに立ち寄りサンフランシスコに到着。ジャパンタウンの「MIYAKO INN」にチェックイン。ここで今回ヨセミテに行く6名が全員集合。近くの中華料理屋でいっしょに夕食。
6/5(月)
朝8時に「MIYAKO INN」を出発。ベイブリッジを渡りHWY580に入るが途中道を勘違いして、オークランド市内に降りてしまい、またもういちど乗り直した道が24号で、Walnut
Creekを経て580号に戻るべく680号に入るが、こんどは580号へのジャンクションをミスするなど散々で、おそらく30分以上のロス。帰りは単純にサンフランシスコのサインを見ていけばいいのですが、行きは途中の町の名前を(ナビゲーター共々)よく頭に入れて走らないとこんなことになる。
マンテカを経て、120号沿いのフルーツスタンド「GICO」で野菜、フルーツの仕入れ。BIG
OAK FLATのエントランスからヨセミテ国立公園へ入園。クレーンフラットのガソリンスタンド&売店近くの森でサンドウィッチの昼食。
ヨセミテ渓谷に降りるが、そのまま奥には入らず、41号線に入って、「トンネル・ビュー」(ホームページの表紙写真のところ)を見に行く。
アッパーパインキャンプ場にチェックイン。今回のサイト27番は、スペースが広く、シャトルのバスストップやカリービレッジに近いなかなかいい場所でした。
一緒にヨセミテビレッジへお買い物。6時前にサイトに戻る。今回はバークレー在住の友人たち5名も近くのサイトで一緒なので、この日は「チリビーンズ」で交流会。デイタイムが長く、8時過ぎまで明るい。
6/6(火)
朝食後、今日はクルマに乗りグレイシャーポイントまで上がる。8時40分出発。ヨセミテフォール〜エルキャピタン〜グレイシャーポイントへ。
お昼にカリービレッジに着き、TさんYさんSさんはランチと買い物。Kさん親子とサイトに戻り、昼食(カレーマルシェ)。午後2時、Kさんのお嬢ちゃんの「とびひ」を診てもらいに診療所へ行く。受付で氏名、住所などを記入。看護婦さんに呼ばれて体重計に乗り、子供用の診察室に行く。(ぬいぐるみや絵本などがおいてある。)
医師は女性で、丁寧に問診、触診をしてくれた。Kさんは英語がよくできないので、通訳お手伝い。抗生物質入りの軟膏を出してもらう。診察料と薬代で134ドル。カードやチェックでの支払いも可能。診断書や処方箋、レシートなど、旅行傷害保険の請求に必要な書類を全部くれた。
15時30分ラフティングへ。Kさん親子の申し込みのサポートに行くつもりが、12歳以上の「漕ぎ手」が2名必要とのことで、急遽自分も参加することになった。大人12.75ドル、子供10.75ドル。スタッフの諸注意のあと、自分でマーセド川までゴムボートを運ぶのだが、これがシンドイ。水量がとても多くゆったりと楽しんだ。
この日夕食は日本組担当で山梨名物の「ほうとう」。
6/7(水)
今日はTさんYさんSさんの20代女性3名はハーフドームへ。早朝6時45分に出発していった。
Kさん親子と私はタイオガロードを通り、オルムステッドポイント、テナヤ湖、ツォロミーメドウズ(ランチ)を経て、タイオガ峠のエントランスまで行く。ここはもう標高3000mで残雪もたくさんあった。ツォロミーメドウズのビジターセンターでは毎年レンジャープログラムでフルートの演奏を聴かせてくれる国立公園レンジャー、マーガレット・アイズラーと再会。
キャンプ場に戻りハウスキーピングキャンプにシャワーと洗濯に出かけ、お昼寝。午後6時にハーフドーム組が無事帰着。
6/8(木)
未明からひどい雨と雷。皆のテントはなんとか無事。しかし朝食はヨセミテロッジまで出かけることにする。洗面所もお湯が出るし、雨の中、気分転換にはいい。アメリカ組とこの日お別れし、私たちはワワナ〜マリポサグローブ方面へ。
マリポサグローブでヨセミテ・アソシエーションの会長スティーブン・メドレー氏と待ち合わせ。再会を喜びすこしお話。マリポサグローブはまだ雨だったがトラムツアーに寒さに震えながら参加。なんと上のほうは「雪」だった。
キャンプサイトに戻り昼食。午後はフリータイム。(私はアワニーホテルでビール。)夕食はヨセミテロッジ・マウンテンルームで野菜の補給。夜キャンプサイトで火焚いてワイン飲んでいたらクマ出現。
6/9(金)
早朝お散歩。草原に靄がかかり幻想的。キャンプサイトの後片づけ、チェックアウトを経ていよいよ出発。最後のお買い物をヨセミテロッジで済ませ、午前10時出発。帰りは順調に飛ばし、午後2時にはバークレーへ。友人宅に寄ってキャンプ道具一式を預け、巨大アウトドアショップREIに立ち寄ってサンフランシスコへ。「MIYAKO INN」にチェックイン。
フィッシャーマンズワーフで遊び、ノースビーチ(イタリア人町)でおいしい夕食。
深夜のKAL便で帰るKさん親子を見送り。
6/10(土)
ホテルをチェックアウト。残留するYさんに見送られ出発。ガソリンを補給してレンタカーを返却。ANA成田便で帰るTさんSさんの搭乗を見届けて、UA809のゲートへ向かう。チェックインの際に座席の指定がなくおかしいなと思っていたら、20名以上のオーバーブッキングがあるらしい。翌日の同便のビジネスクラス+ホテル代+国際電話代+200ドル現金又は500ドルのUA利用権でボランティア募っているが、日曜日中に帰らないと、月曜日には仕事の予定が入っている。うーん残念!
6/11(日)
満席のUA809で関西空港に無事帰国。
米国では現在、テロ対策のため空港での警備および保安検査等の強化が行われています。ヨセミテ行きはもちろん米国行き旅行を予定されている方は外務省、在サンフランシスコ総領事館等の関係機関および航空会社、旅行代理店からの情報にご注意ください。
ヨセミテへの旅を予定されておられる方は、プランニングと宿泊施設への予約を早い目にしましょう。国立公園内のヨセミテロッジ、アワニーホテル、カリービレッジは1年前からの予約、同じく公園内のキャンプ場は5ヶ月前からの予約です。6-8月のハイシーズンはすぐにいっぱいになっています。余裕をもって滞在プランをたてられることをおすすめします。
冬期〜春期(11月〜5月)には道路閉鎖、チェーン規制等も行われます。マイカー、レンタカーでヨセミテ行きを予定の方は公式サイトのConditions Updateやカリフォルニア・ハイウェイ情報などのサイトや天気予報等で十分に情報収集のうえお出かけください。
「ヨセミテ国立公園大好き!」BBSではヨセミテ訪問を予定されておられる方からのご質問を歓迎します。
このコンテンツ内の内容はご自身の責任においてご利用ください。
*文中略語の団体名は
NPS…National Park Service 国立公園局
YA…Yosemite Association ヨセミテ協会(非営利法人)
YI…Yosemite Institute ヨセミテ自然学校(非営利法人)
YF…Yosemite Fund ヨセミテ基金(非営利法人)
YCS…Yosemite Concession Services ヨセミテ・コンセッション・サービス(ロッジ、売店、ツアー等の独占営業会社)
MLC…Mono Lake Comittee(東シエラのモノレイク湖保全のためのNPO)
その他略称
TM…Tuolomne Meadows
ヴァレー…Yosemite Valley
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それではどうぞ、お楽しみください。
写真と文・西村仁志
グラニットレイク
四回目となるヨセミテへの旅は、ぜひ一度体験したかったツォロミー草原でのキャンプとハイシエラへの山行でした。ツォロミーはヨセミテ・ヴァレーからさらに1400mも高く、ヨセミテ国立公園の奥座敷ともいえるところ。これまでも毎年日帰りで訪れていたところですが、今年ついにそのチャンスがやってきたのです。
昨年9月ヨセミテの帰りにバークレー在住のキミ・コダニ・ヒル(彼女には1995年の最初のヨセミテツアーでガイドをつとめてくれた。)の家を訪問したときに、「こんどツォロミーでキャンプするときは声をかけてほしい」と頼んでおいたところ、朗報は忘れた頃にやってくるというのは本当で、今年5月に「キャンプ場予約するけど、行く?」という知らせがやってきたのでした。(頼んだ本人は忘れていたのに、よく憶えていてくれたもの)日程は8月上旬。8月2日(日)に彼女が国立公園局のボランティアとして彼女の祖父チウラ・オバタ(故人。1927年に初めてヨセミテをスケッチ旅行し日本画で描いた。UCバークレー名誉教授。)についてのスライド&トークをツォロミーで行うので、その前後7日間をキャンプしようということでした。その時期はカラーズの仕事も夏のシーズンで書き入れ時の頃とは知りつつ、ツォロミーの誘惑には勝てず、「行く」と返事をしてしまいました。
飛行機のチケットも手配し、テント、シュラフ、ストーブなど普通の海外旅行ではいらないキャンプ道具を、でかいスーツケースに一式詰め込んで7月31日関西空港から出発したのでした。
7月31日(金)
思いがけず飛行機の席はビジネスクラス。満席なのでこちらにまわされたのだと思うが、毎回お願いしたいもの。サンフランシスコ国際空港からはエアポートシャトルでバークレーへ。約1時間でキミの家に到着。まずは休憩だが翌日早朝出発なので準備も欠かせない。アウトドア用品の巨大ストアREIに行き、燃料と暖かい靴下を仕入れる。スーツケースはここに置かせてもらい、ザックに詰め替える。
8月1日(土)
キミのお父さんユージンを乗せて10:00出発。快晴。ハイウェイ580から120。カリフォルニアの大農業地帯を横切り、シエラの山々にさしかかると延々と上りが続く。年代物のトヨタカムリはちょっと息切れ気味。途中Grovelandのピクニックエリアでランチ。結局15:00すぎだから5時間かかってツォロミーに到着。国立公園入園料はキミがボランティアということもあって無料だった。
キャンプ設営。キミの友人たちベッシー、フローレンス、ローズマリーとあう。サクラメントから来たベッシーの弟ジミーと息子二人ベリーとケイシーも一緒。総勢9名の大所帯。
夕食はみな一緒に。ベッシーは食料をたくさん持ってきているので御馳走になる。
18:30からレンジャープログラム「Music Walk」に参加。これはわが日本の環境教育業界でも伝説のプログラム。オーケストラに所属していたレンジャー、マーガレットのフルートを聴きながらサンセットを見る。最高!。
夕方から高山病の症状出る。飲んでいないの酔っ払ったみたいにふらふら。酸素が足りない。ここは標高2600mなのだ。
8月2日(日)
夜何度も目が覚める。0時、3時、4時、5時、6時30分ようやく起床。寒い。ダウンジャケットを着てキミと散歩。草原には霜が降りている。可愛い花にも霜が降り、山の端から朝日が照りはじめると輝く。むちゃくちゃきれいだ。快晴。
9:00集合で、皆でパピードームそしてランバートドームへ。草原は一面のお花畑。
昼食を済ませて、この日は14:00からパーソンズロッジで、キミのスライド&トーク「チウラオバタのヨセミテ」聴衆70名、すごく集中して聴いている。スライドもよかった。チウラオバタの絵はすごくいい。繊細かつ大胆。いのちの躍動感。大自然への畏れと尊敬。自然のなかでいのちが輝いている。
帰ってきて、ライエルフォーク川で水浴び。むちゃくちゃ冷たい。でもシャワーがないので体をこすって洗う。頭も洗う。川のほとりで絵はがきをかく。
夕食。またベッシーたちの招待。サルサとショートパスタ、スィートコーン。
自分のテントに戻る。絵はがきの続きを書いて寝る。
8月3日(月)
起床7:30 よく寝た。快晴。朝食はケーキ、紅茶、お味噌汁。
この日はタイオガ峠から4時間のクロスカントリーハイキング。ゲイラーレイクとグラニットレイクを巡る。景色も、お花も最高に美しい。ゲイラーレイクの水面の向こうに残雪がたくさん頂くシエラの山々が輝いている。帰ってきてまたライエルフォーク川で水浴び。これは日課になる。
夕食のときアン・アイズラーと話す。「Music Walk」のレンジャー、マーガレットのお母さん。たぶん70代だと思うが、僕より背が高いおばあちゃん。1956-1961の6年間、ツォロミーにあったシエラクラブのSoda springs Campgroundの管理人だったと聞く。お話好きでいろいろなこと話す。毎夏ツォロミーに2週間キャンプで滞在している。南カリフォルニアのサンタバーバラから一人でクルマを運転してきている。すごい。このおばあさん洒落が利いていて、小さな丘にある私たちのキャンプサイトA46,A48,A49はすべてキミの友人達なので「Kimi's Hill」と名付けた。
8月4日(火)
またまたはやく起きてしまう。4:00に国際電話かけに行く。京都は猛暑だとか。こっちはダウンジャケット姿。摂氏6度。
この日はヨセミテ国立公園のちょうど真ん中になるマウント・ホフマンMt.Hoffman(3,307m)行き。9:00に出発。快晴。9:30にメイレイクの駐車場について歩き出す。
10:00メイレイク。またまたきれいな湖。ホフマンはなかなか厳しい。高度も3300mくらい。雪もたくさん残っていて、雪渓の上を歩く。最後は岩をかきわけて登る。12:20頂上到着。360度パノラマ。公園の北側半分が見える。初めて見る景色。頂上の北側は切り立っていて、下には凍った池が見えている。
夕食。またまたおばさま方からのご招待。ソーセージ、具たくさんのスープ。コーン。
20:00レンジャーの「キャンプファイアー」に参加。途中で隣のサイトにクマが出現し、場内騒然となる。
21:00眠たくなってテントに入るが、隣のサイトの犬が吠え、鍋をたたく音も聴こえる。なにやら付近が騒々しい。熊のおでましらしい。ユージンは僕のテントの横を歩いていくクマの姿を見たらしい。
8月5日(水)
6:00起床。快晴。この日はクラウズ・レストClouds Rest(3,025m)への単独行。7:20に出発し、ストア前でバスを待つが、なかなかこない。同様に待っていた少年達もフリスビーを始める。
8:30バスがやっとくる。8:45テナヤレイク着。少年グループはヨセミテヴァレーに行くとのこと。歩きはじめるとテナヤレイクからの川を渡るが水かさが高く、ステップストーンが20センチほど沈んでいる。靴がもうびちょびちょ。
トレイルからは花がきれい。途中珍しい鳥Blue Grouseをみる。(日本の雷鳥みたいなの)低い「ホッホッ」という鳴き声。親子でいた。
11:40頂上到着。最後は「ナイフエッジ」両側が切り立っていて、足がすくむ。ハーフドーム、ヨセミテヴァレー、テナヤキャニオン。ホフマン。テナヤレイク。眺めが素晴らしい。
12:15出発。帰り道、また例の少年達に会う。彼らは重いバックパックを担いでるために、もうヘトヘトになってる。オジサンの指導者と話してみるとロスアンジェルスの近くからきたボーイスカウトのグループらしい。自分は日本からきたと言うと「中国と一緒になって、どうだ?」という。首をかしげていると、よこから少年が「おいおいそれは香港やろ」と言っている。14:50テナヤレイクバス停着。往復約20km近く歩いている。
しんどー。キャンプ場に帰って、グリルでハンバーガー食べ、Jumping to river。ベッシーやフローレンス達はこの日帰ったため、この夕食からは急にシンプルになる。味噌汁とカレーライス。暗くなってランタンを灯して、ビールを飲みながら星野道夫さんの話になり、「森と氷河と鯨」の話をしだすと止まらなくて、気がついたら2時間以上も下手な英語で喋り続けていた。22:30またクマ出現。
8月6日(木)
この日はマウント・デナMt.Dana(3,979m)へ。8:20発。晴。公園の東側ゲート、タイオガ峠にクルマを停め歩き出す。風が冷たい。気温15度くらい。途中みる花がきれい。高度を上げていくと珍しい高山植物が次々とあらわれる。なかでも山の王様ともいわれる「Sky Pilot」の花は空の色のように青く美しい。岩がごろごろ瓦礫のようでなかなか険しいルート。
11:20頂上着。3時間。眺めすごい。眼下にはモノレイク。ネバダの砂漠や山々が見渡せる。面白いことに東の砂漠地帯から吹き上げる熱風があるので頂上のほうが暖かい。昼食をとって、ちょっと昼寝して12:00下山開始。帰りは雪渓の上をジャンプしながら降りる。下界は結構暑い。所要時間1時間50分。この日は久しぶりにTuolumne Lodgeで熱いシャワー浴びて帰る。洗濯して、ブーツを洗って、ビールを川で冷やして、日記書き。キャンプ場は静か。
18:30レンジャープログラム「ミュージックウォーク」にいく。またマーガレットのフルートのプログラム。僕のこともよく覚えてくれている。土曜日とは異なる内容。音楽のこと、自然の音のこと。耳を澄ませてみてなにがきこえるか。楽器もパンフルート、ケーナ等いろいろ出てくる。
日没と同時にほぼ満月の月が東の山の端から昇りはじめる。素晴らしいタイミング。プログラム終了後もキミと二人で残り、20:50までお月見して帰る。
8月7日(金)
6:30起床。快晴。今日で閉営だ。テント内を片づけ、このあと厄介になるメドレー家宿泊の荷物とキミにバークレーに持って帰ってもらう荷物とを分ける。
7:40出発。道沿いに車を置いて歩き出す。30分かけてPothole Domeを裏側に回り、川のほとりで朝食。ここは草原のなかをゆったり流れてきたTuolumne Riverが急に暴れ出すところ。キミはスケッチをしている。(描き上げたら僕にくれた)
9:50出発。ヨセミテヴァレーを経て、12:00El Portalのヨセミテ協会事務所に着く。下界はむちゃくちゃ暑い。ヨセミテ協会会長のスティーブン・メドレーさんと再会。
このあとは国立公園の南にあるオークハーストとバークレーで3日をすごして8月11日、日本に帰ってきました。ハイシエラですごした7日間はあっという間でしたが、短い夏を謳歌する花々や、残雪を頂き輝くシエラの山々、身を切るほど冷たいライエルフォークの清流はいまもこころの中に焼きつけられています。
ヨセミテへの旅は私にとっての聖地巡礼です。ひとりトレイルを歩いていると神の言葉も、悪魔のささやきも聴こえてきます。そんな自分自身と向き合い、いらないものをそぎ落としたキャンプの質素な生活から、ほんとうに大切なものが見えてくるように思います。
The Yosemite Association(Y.A.)
ヨセミテ・アソシエーション(YA)は、図書の出版・販売、プログラム、フィールドセミナーおよびビジター・サービスなどの事業活動および会員制度を通じてヨセミテ国立公園の支援を行っている非営利の教育組織です。
YAはアメリカで最初の「国立公園に協力する組織」として1923年に設立されました。教育プログラム、博物館の運営、研究および環境上のプログラムを支援するために国立公園局(NPS)への援助を行っています。
■2000年にYAがNPSに対して行った援助
自然解説に $158,886
情報支援に $151,871
自然解説プログラムの運営に $39,909
出版物の経費として $30,527
販売地域デザイン変更のために $13,631
その他 $65,270
合計 $460,094
■会員数(2000年度末)
8,500名 (2000年度の新入会員は897名)
■会員の特典
・季刊誌「Yosemite」の購読。(年4回)
・ビジターセンターのブックストアでの図書、地図、ポスター、カレンダーおよび他の製品の15%の割引。
・フィールド・セミナー参加費の10%割引。
・アンセルアダムスギャラリーでの購入の10%割引。
・会員ミーティングやボランティア活動への参加。
■会員の種類と年会費
A.個人会員 INDIVIDUAL MEMBERSHIP $30
B.家族会員 FAMILY MEMBERSHIP $35
C.支援会員 SUPPORTING MEMBERSHIP $30
D.貢献会員 CONTRIBUTING MEMBERSHIP $100
E. 永年会員 SUSTAINING MEMBERSHIP $250
F. パトロン会員 PATRON MEMBERSHIP $500
G. 後援者会員 BENEFACTOR MEMBERSHIP $1,000
H. 国際会員 INTERNATIONAL MEMBERSHIP $40
目的地 | 出発地 | 距離 | 難度 | 所要時間 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
ブライダルヴェール滝 | ブライダルヴェール滝駐車場 | 往復0.8km | 易 | 往復20分 | 車椅子+介助者で可 |
ミラーレイク | シャトルバス#16 | 片道1.6km | 易 | 片道30分 | 車椅子可(看板に注意) |
下ヨセミテ滝 | シャトルバス#4 | 往復0.8km | 易 | 往復20分 | 車椅子+介助者で可 |
上ヨセミテ滝 コロンビアロック | サニーサイドキャンプ場 シャトルバス#5 | 往復3.2km | 健脚向 標高差300m | 往復1〜3時間 | 冬期はビジターセンターで状況確認のこと |
上ヨセミテ滝頂上 | サニーサイドキャンプ場 シャトルバス#5 | 往復11.6km | 健脚向 標高差820m | 往復6〜8時間 | 冬期はビジターセンターで状況確認のこと |
ヴァーナル滝下橋 | ハッピーアイル シャトルバス#15 | 往復2.0km | 並 標高差120m | 往復1〜2時間 | 冬期はビジターセンターで状況確認のこと |
ヴァーナル滝頂上 | ハッピーアイル シャトルバス#15 | 往復4.8km | 健脚向 標高差305m | 往復2〜4時間 | 冬期はビジターセンターで状況確認のこと |
ネヴァダ滝頂上 | ハッピーアイル シャトルバス#15 | 往復11.3km | 健脚向 標高差580m | 往復6〜8時間 | 冬期はビジターセンターで状況確認のこと |
ハーフドーム頂上 | ハッピーアイル シャトルバス#15 | 往復27.4km | 超健脚向 標高差1463m | 往復10〜12時間 | 6月〜10月中旬のみ(オフは頂上のワイヤーが外される) |
グレイシャーポイント (4マイルトレイル) | 渓谷の南側車道 | 片道7.6km | 健脚向 標高差975m | 片道3〜4時間 | 冬期はビジターセンターで状況確認のこと |
Wawana & Mariposa Grove
ワワナはヨセミテ渓谷から南に40キロ、国立公園の南端にあるエリアです。(公園の南ゲートからは約6キロ)ここワワナも歴史のある地域で、19世紀にたてられたワワナ・ホテル本館、またマーセド川南支流を屋根付きの橋を渡るとPioneer Yosemite History Centerがあり、開拓時代の建物群を観ることができます。ホテルの前の草原には9ホールのゴルフコースが広がっており、プレイを楽しむこともできます。
近くにはジャイアントセコイアの森Mariposa Groveがあり、ヨセミテヴァレーとならぶ公園のもうひとつのハイライトです。ジャイアントセコイアは樹齢3000〜4000年にもなり地球で最も長寿の生命体といえるでしょう。ここでは森の中を巡るハイキングやトラム(屋根無しバス)ツアーを楽しむことができます。
このレンジャー、シェルトン・ジョンソンはヨセミテの名物レンジャーの一人。
クラリネットの演奏を交えてのリズミカルなトークに参加者はどんどん引き込まれていく。
ぜひ一度はレンジャープログラムに参加しよう。ヨセミテに限らず、ほとんどのアメリカの国立公園ではパークレンジャーによる無料の解説(インタープリテーション)プログラムが行われている。無料とはいっても、??らは国家公務員/プロの解説者(インタープリター)であるから、その内容は興味深く、たいへん質の高いものである。
インタープリテーション/インタープリターとは直訳すると「通訳」なのだが、この場合は英語から日本語への通訳という言語間の通訳ではなく、自然のなかのさまざまな営みの意味を人間が解釈できるように解説すること。つまり自然は人間の言葉を喋れないので、自然と人間をつなぐ「通訳」というわけだ。
レンジャープログラムに参加するには申し込みも、予備知識もなにも必要なく、情報紙"Yosemite Guide"に掲載されているスケジュール通りに集合場所にいくだけでいい。(一部には有料のもの、事前申し込みが必要なものもある。また「弁当持参」「暖かい服装で」と明記されているプログラムもあるので、ビジターセンターや"Yosemite Guide"で必ず確認必要。)1〜2時間程度のウォーク&トーク、日帰りハイキング、スライド&トーク、キャンプファイヤー&トーク、歌など形態もさまざま。またテーマも、動物、植物、地学、天体、歴史、先住民の文化、詩や音楽などさまざまである。これらはすべて英語なのだが、「英語は苦手でさっぱりわからない」という方も億劫がらずに一種のエンターテイメントと思って参加してみるといいだろう。
マーガレット・アイズラーも私の敬愛するレンジャーの一人。
彼女は以前オーケストラに在籍していたが、ヨセミテの大自然に惹かれてレンジャーとして働いている。
彼女の名物プログラムは夏にTuolumne Meadowsで日没時に行われる「Music Walk」で、
ランバートドームに登り、落ちる夕陽を眺めながらフルートの演奏と詩の朗読を行うものだ。
■概況
ヨセミテの気候は比較的温和だが、4月から10月にかけては日中あたたかく夜は冷える。冬も比較的温和で平均最高気温はヨセミテ渓谷内(海抜約1,200m)で摂氏5度〜10度。もちろん標高による影響は大きいので海抜600mから4,000mまで、ヨセミテ国立公園内はおどろくべき気候のバリエーションがある。
年間降水量は約1000mm。そのほとんどが12月から3月にかけて降る。11月にはたいてい初雪が降り、渓谷での積雪は平均74センチだが、60センチを超えることはまれ。海抜2,100mのバジャーパスではたっぷりの雪でダウンヒルスキーを楽しむことができ、またクロスカントリースキーも公園の高地部でよく楽しまれている。
春、暖かくなると川の流水量が増え、そして激動する滝をつくりだす。しかし夏の渇水期になると多くの滝が枯れてしまう。
■服装は
夏のヨセミテ渓谷内の滞在であっても、朝夕は10度近くにまで下がるということをお忘れなく。セーターやジャケットを1着入れておこう。
■ハイカントリーの気候
夏期にはクルマでタイオガ・ロードを通り、2時間ほどでツォロミーメドウズやタイオガ峠まで比較的容易にアプローチできる。しかしここはヨセミテ渓谷から1,500m以上も高所であることを忘れてはならない。
一般に高度100mで0.6度気温が下がるといわれており、単純にこれを当てはめると9度近く気温差があると思っていただいて良い。つまり8月であっても最高気温23度、最低気温1度ということになる。私も8月ツォロミーメドウズのキャンプでは昼間はTシャツ・短パン姿だが早朝はダウンやフリースのジャケットを着用した。
■ヨセミテにはどの時期に行くのがいいか
ヨセミテは四季を通じて楽しめるため、一概にいつがいいかは言えない。ただし夏期のみ、あるいは春〜秋のみオープンする道路、プログラム、施設も多いため、国立公園の全容を知ろうと思えば夏シーズンに行く必要があるだろう。
一方で厳冬期の静けさ、氷と雪のヴェールの包まれた姿も神秘的だ。
冬の積雪量によるが、ハイカントリーへのルート「タイオガ・ロード」もオープンし、ハイカントリーにあるキャンプ場も営業を開始。(雪の多い年はオープンが7月にまでずれ込んむこともある。)
5月上旬にはヨセミテ渓谷内のDogwood(アメリカハナミズキ)が開花。
5月中旬にハーフドーム頂上にアプローチするワイヤーケーブルが設置される。
1月 | 4月 | 7月 | 10月 | |
日照時間 | 3:57 | 7:38 | 9:34 | 6:45 |
晴天の日の割合 | 39% | 70% | 97% | 81% |
午後の気温(摂氏) | 9 | 19 | 32 | 24 |
相対湿度 | 86% | 69% | 50% | 64% |
乾燥した日の割合 | 74% | 80% | 97% | 94% |
月間降水量(mm) | 173 | 84 | 10 | 38 |
月間降雪量(cm) | 64.5 | 11.4 | ---- | 0.5 |
月 | 降水量 | 最高気温 | 最低気温 |
1月 | 161 | 8 | -4 |
2月 | 168 | 13 | -3 |
3月 | 149 | 14 | -1 |
4月 | 84 | 18 | 1 |
5月 | 38 | 22 | 4 |
6月 | 13 | 27 | 8 |
7月 | 7 | 32 | 10 |
8月 | 2 | 32 | 10 |
9月 | 14 | 28 | 9 |
10月 | 43 | 22 | 4 |
11月 | 89 | 14 | -1 |
12月 | 180 | 9 | -3 |
(Yosemite Associationの資料による)
(参考:"The Complete Guidebook to Yosemite National Park" Steven P. Medley)
"YOSEMITE ROAD GUIDE" & Roadside Markers
公園内の道路を走っていると、「V5」とか「G5」というサインを見かける。これは「YOSEMITE ROAD GUIDE」というガイドブックに対応したロードサインである。
頭文字のアルファベットは
B ビッグオークフラットロード(120号線西)
G グレイシャーポイントロード
H ヘッチヘッチー・マザーロード
M エルポータル/マーセドロード(140号線)
O オールド・ビッグオークフラットロード
S マリポサグローブ
T タイオガロード(120号線東)
V ヨセミテ渓谷
W ワワナ・フレズノロード(41号線)
数字は各ポイント順につけられている。眺望ポイント、川、森、キャンプ場、草原、トレイル入口などさまざまである。
このガイドブック「YOSEMITE ROAD GUIDE」の入手はビジターセンターやギフトショップで。クルマでヨセミテに出かける人はこのガイドブックで楽しさが2倍になるはず。3ドル5セント。
Fire Management
ヨセミテでは時折、自然発火による山火事が起きる。1990年には大規模な火事がおこり、そのため国立公園は夏シーズン中長期にわたって閉鎖され、一般客は立ち入れなかった。いまでもそのとき焼け焦げた森をヨセミテ渓谷からクレーンフラットに向かう道路沿いにみることができる。(余談だが、一説によるとその夏はビジターのいないヨセミテ渓谷では在庫していた食料が食べ放題だったとかで、いまでも関係者の間で「あの夏は最高だった」と語り草になっているらしい。)
当初国立公園管理事務所では山火事の消火作業を行っていた。しかし最近では自然のなかでの山火事の役割が知られるようになり、逆に森に人工的に火を入れる作業「ファイア・マネジメント」を行い、また自然発火による火災も力ずくで消火するというよりも、燃焼範囲を管理するようになっている。
火事が時折起こることで森の中に日光が入り、樹木の世代更新が促進されることが、森の健康を保つことにつながるのである。また何十年も火事のない森には乾燥した枯れ枝等が蓄積し、いったん火がつくと手のつけようがない大規模で壊滅的な火災に発展する可能性がある。
ジャイアント・セコイアの樹は、種の発芽に熱が必要不可欠(山火事の熱で松ぼっくりのかさが開き、中の種子がはじけて飛ぶ)であることも研究によって明らかになっている。また黒く焼け焦げた幹は樹皮が周囲から発達して被い、焼け焦げた部分を自分で治癒してしまうという、まさに「山火事と共生する樹」であることがわかったのである。
このような理由から、公園管理事務所では10年に一度位のローテーションを組み、公園中の森に定期的に森に火を入れる作業を行っている。
眺望のきくところでは、空に煙がたちのぼっているのを見かけることがあるかもしれない。それはたいていマネジメントファイアによる煙だ。グレイシャーポイントでは、「MANAGEMENT FIRE,DO NOT REPORT(見えている煙はマネジメントファイアだから、通報しなくていいよ。)」という標識が上がっていることがある。さらにその説明と作業エリアの地図まで掲示してあり(左写真)、公園管理事務所の仕事内容を理解してもらうという姿勢が見える。
ジャイアントセコイアの森、マリポサグローブで偶然にもファイアマネジメントの作業現場に遭遇したことがある。立入禁止にもすることなく、トラムの通る道沿いの樹からも炎が上がっていた。もちろん国立公園局の消防車が待機しており、仮設プールに大量の水を貯め、燃え具合を消防士(女性もいた)が顔を真っ黒にしながら管理していた。ふだんはビジターが目にすることのない風景だが、国立公園を裏からささえる役割の大変さと大切さを感じた。
text by 西村仁志
■アメリカの国立公園
アメリカは世界で最初に国立公園制度をつくった国である。1872年のイエローストーン国立公園創設から8年前にさかのぼる1864にはリンカーン大統領の署名によりヨセミテがカリフォルニアの州立公園に指定されている。日本はまだ幕末の頃であり、またアメリカもまだ南北戦争の最中であった。そんな時代にすでにこの国の政府関係者が自然の保護について真剣に考えていたというのは驚くべきことだ。現在では海外領を含む全米に54の国立公園があり、アメリカ国民だけではなく世界中から多くの訪問客を迎えている。
■アメリカの国立公園の姿勢
19世紀から20世紀初頭にかけ、カリフォルニアやアラスカの山野を歩き、生活し、大自然から多くのことを学びとった「アメリカ自然保護の父」ジョン・ミューアは、活動の基本的姿勢として、「自然の美しさ、すばらしさを多くの人々に知ってもらうこと。」を旨としていた。「知らない人に自然保護を訴えてもわかってもらえない。」と。ミューアは当時放置されていた森林の伐採、家畜の無制限な放牧などの危機的状況を新聞を通じて世に訴える一方で、多くの人たちを大自然の中へと誘い、自らが自然ガイドとなって自然の大切さを、「体験を通じて」知らしめたのである。アメリカの国立公園の運営方針の原点はこの「体験を通じて」にある。「立ち入り禁止」として遠ざけるのではなく、むしろ積極的にふれあって実体験してもらい、その大切さを実感し、自然保護と国立公園局(ナショナル・パーク・サービス)の良き理解者を育てることが国立公園における普及、啓発活動の役割である。つまり利用者の「自然とのふれあい活動」に政府として積極的に関与していく方針がみられるのである。
日米の国立公園の違い日米の国立公園で大きく異なるのは、アメリカの国立公園はすべて連邦政府の所有する国有財産であるということである。「えっ、では日本はそうではないのか?」と思われる方も多いだろう。日本の国立公園・国定公園は法律に基づいた地域指定であり、この中には国有林や公有地、民有地などが多くの面積を占めている。つまり土地利用の規制をかけているだけにすぎないのである。アメリカでは連邦政府直轄地であるから、国立公園内では州政府の権限も及ばない。国立公園局が自然、動植物、文化財等の保護と利用のほか、警察・消防などの公共サービス、園内施設の経営管理などさまざまな責任を担っている。
またほとんどの国立公園が有料であるという点も日本とは異なっており、ゲートでレンジャーに入園料を支払うしくみになっている。これらの収入は国立公園の維持管理に充てられるのだ。さらに、両国の国立公園にかける国家予算(日:36億円、米:1900億円)公園管理を担当する公務員の数(日:110人、米:9,500人)などを比べてみても、アメリカの国立公園の充実ぶりには脱帽せざるを得ない。(いずれも平成3年資料)
■日本からアメリカの国立公園への行き方
全米54の国立公園のほとんどは都会からほど遠い大自然のなかにあるため、日本からのアプローチ事情は良くない。一般的な観光ルートからも外れるので、個人自由旅行として行くことになる。そして空港から公園までのアクセスはもちろん、広大な国立公園内をめぐる足としても「レンタカー」が必須となるだろう。例外はハワイにあるハワイ火山国立公園(ハワイ島)とハレアカラ国立公園(マウイ島)、そして西海岸からのアクセスの良いヨセミテ国立公園(カリフォルニア州)とグランドキャニオン国立公園(アリゾナ州)であろう。これらは多くのパッケージツアーや現地オプショナルツアーのコースに含まれており、日本からも手軽に行くことができる。
■アメリカの国立公園の楽しみ方〜ヨセミテ国立公園を例に
ヨセミテ国立公園は、アメリカ・カリフォルニア州シェラネバダ山脈内にある。サンフランシスコから自動車で約4〜5時間と比較的足の便がよく、日本からも多くの観光客が訪れている。3,029平方キロ(東京都の約1.5倍)もの広大な面積のなかに「エルキャピタン」、「ハーフドーム」などの有名な巨岩群、落差700mを超える「ヨセミテ滝」など壮大な風景のヨセミテ渓谷、世界一の大きさと寿命をもつジャイアントセコイアの森、そして高原地帯、山岳地帯など多様な環境がある。
ヨセミテ国立公園には国内外から年間400万人ものビジターが訪れている。興味や体力や日程、予算に応じて多様な楽しみ方ができるのもヨセミテの魅力だ。
1.ホテル滞在型
公園内には4つのホテル、ロッジが通年営業している。ここにはレストランもあり、ホテルタイプの部屋でゆっくりと滞在しながら自然を満喫することができる。多くのVIPも泊まったという「アワニーホテル」ではジャケットやドレス姿で豪華なディナーを楽しむことさえ可能だ。これらホテルは366日前からの予約となっているが夏のいい時期にホテルの予約をとるのはなかなか困難である。
2.キャンプ型
家族や仲間たちと安価に長く滞在したいのならキャンプだろう。公園内にはクルマでアプローチできるところに多くのキャンプ場がある。各サイトごとにテーブル、クマ除けの食料ボックス、焚き火用の炉があり、トイレや水場も完備している。また公園内には食料やアウトドアグッズのショップもあるため、ヨセミテに「手ぶら」で来てもキャンプ用品一式をすべて買いそろえることが可能だ。これらキャンプ場も4ヶ月前からの受付だが、夏場に人気のあるキャンプ場は予約がすぐに埋まってしまう。
3.バックパッキング型
バックパックを担いで、公園内の広大なウィルダネスエリア(原生自然エリア)を楽しむのもヨセミテの醍醐味のひとつだ。ヨセミテでは各ルートあたりの1日の入山者数が決められていて、あらかじめ許可を申請して入山する。山中でのキャンプのルールも細かく定められていて、とくに野生のクマには慎重な対策が必要だ。
またヨセミテ国立公園では、ガイド付きのバスツアー、乗馬によるツアー、レンタサイクル、ラフティング、クライミング教室(ヨセミテはフリークライミングのメッカでもある)など充実した活動メニューがある。しかしいちばんのおすすめはデイパックを背負って、まる1日かけて自分の足で国立公園を歩いてみることだ。スケッチブックに色鉛筆などを持っていけば「にわかアーティスト」に変身することもできる。時間をかけて自分の足でじっくりと歩き、感性を開いて自然と触れ合うことが、お金をかけない最高の贅沢なのだ。旅慣れている欧米の人たちがどのように過ごしているか、よく見てみればいい。彼らはお金を使わずに旅先で楽しむ方法をよく知っている。
■レンジャープログラムに参加しよう
もうひとつのおすすめはレンジャープログラムに参加することだ。ヨセミテに限らず、ほとんどのアメリカの国立公園ではパークレンジャーによる無料の解説プログラムが行われている。無料とはいっても、彼らは国家公務員/プロの解説者であるから、その内容は興味深く、たいへん質の高いものである。
レンジャープログラムに参加するには申し込みも、予備知識もなにも必要なく、スケジュール通りに集合場所にいくだけでいい。(一部には有料のもの、事前申し込みが必要なものもある。また「弁当持参」「暖かい服装で」と明記されているプログラムもあるので、ビジターセンターや情報紙で必ず確認必要。)1〜2時間程度のウォーク&トーク、日帰りハイキング、スライド&トーク、キャンプファイヤー&トーク、歌など形態もさまざま。またテーマも、動物、植物、地学、天体、歴史、先住民の文化、詩や音楽などさまざまである。これらはすべて英語なのだが、「英語は苦手でさっぱりわからない」という方も億劫がらずに一種のエンターテイメントと思って参加してみるといいだろう。
■インターネットでの情報収集
最近ではインターネットの発達で、日本に居ながらにしてアメリカの国立公園に関する情報を入手することができる。さらには国立公園を訪れるための旅の情報ページも数多くある。参考までに入口となるURLを示しておく。
国立公園局「Park Net」全米の国立公園についての公式ホームページ http://www.nps.gov
「ヨセミテ国立公園大好き!」筆者が開設しているホームページ。リンク集も参考になる。http://www.yosemite.jp
Yosemite License Plates
ヨセミテ国立公園内の自然保護や復元のプロジェクトのための資金集めを行っている民間非営利の団体(NPO)であるThe Yosemite Fund(ヨセミテ基金)はカリフォルニア州在住者を対象に「ヨセミテの自動車ライセンスプレート」を企画運営している。このライセンスプレートはカリフォルニア州DMV(DEPARTMENT OF MOTOR VEHICLES)が発行する正式なもので、その発行時と更新時に一定の金額がThe Yosemite Fundに入るしくみになっている。
この詳細や申し込み要項はこのページから。
(ライセンスプレートの写真提供をいただいたカネゴンさんありがとうございました。)
Yosemite in winter
冬は最も静かで、厳かなヨセミテの姿と出会えるシーズンです。他のシーズンとは違う風景、楽しみ方があります。ぜひ冬のヨセミテも心ゆくまで楽しみましょう。
■どうやって行く?
アムトラック(鉄道)、VIAバス、パーラーカーツアーズのバスなどは、冬シーズンも運行されているため、特別に備えをする必要はありません。
自家用車やレンタカーで行かれる方は、道中のルートの凍結や積雪に十分ご注意ください。チェーン規制も行われますので、チェーン準備が必須です。サンフランシスコ・ベイエリアからは120号線(Manteca-Oakdale経由)はアップダウンがきついため、冬シーズンは天候の影響を受けることが多いので要注意です。140号線(Mariposa-El Portal経由)は比較的マシです。
■行動範囲は
例年11月〜5月中旬まで、グレイシャーポイントロードとタイオガロード(クレーンフラット以東の120号線)が積雪のため閉鎖となるため、観光客の現実的な活動範囲はヨセミテヴァレー地区とワワナ地区(マリポサグローブを含む)だけとなります。それ以外は山スキーを履いていくことになりますね。
■宿泊は
ヴァレー内のアワニーホテル、ヨセミテロッジは通常通り営業です。カリービレッジは冬期休業したり、一部の施設を休業することがあります。カリービレッジのキャンバステントキャビンは冬期営業用にはヒーターが入っています。
ヴァレー内のパインズキャンプ場は365日営業しています。スノーキャンプを楽しみたい方はどうぞ。
ゲートの外のEl Portalの2軒のロッジ(Ceder LodgeとYosemite View Lodge)も変わりなく営業しています。
■服装・装備など
冬のヨセミテヴァレーは最低気温が氷点下になりますが、マイナス5〜10度くらいなので、長野の志賀高原あたりと同じと考えてよいでしょう。毛糸の帽子、マフラー、防寒ジャケット、セーター、暖かい手袋、長ズボン、アンダーウエア、スノーブーツなどの準備が必要です。
雪のハイキングを積極的に楽しもうという場合には雪山用スパッツなどもあるといいですね。
■楽しい活動
冬の時期はクロスカントリースキー(軽くて扱いやすい歩くスキーです)のレンタルや、ガイドツアーなども行われます。 またバジャーパス(グレイシャーポイントロード近く)にはスキーのゲレンデ、カリービレッジにはスケートリンクもオープンします。これらも冬ならではの活動です。
これら現地ツアー・アクティビティの案内はこちらです。「Winter」のところをご覧ください。
(写真は米国国立公園局のものです)
text by 河合佳代子 Kayoko Kawai
ヨセミテ国立公園は、米国カリフォルニア州にある全米でも最も人気のある国立公園の1つだ。
私はこのヨセミテ国立公園に11週間(1994年6月〜8月)インタープリテーション部の実習生として滞在し、レンジャーの人達の中で働く経験を持つことができた。
今回は実習生の立場から見たインタープリテーション・レンジャー(後はレンジャーと記す)の現場の様子の一部を報告する。
●レンジャーが大切にしているプログラム--公園ビジターの平均滞在時間は4.2時間!
ヨセミテ国立公園では入り口で「ヨセミテ ガイド」という公園案内の新聞を配っている。その中には「ビジターアクティビティー」のコーナーがあり、レンジャーがヨセミテ訪問者を対象に行っているプログラムの一覧が記載されている。しかしレンジャーが一番好きで、公園当局が最も重要視しているプログラムはがあるのだ。それは「ロビイング」、日本語に訳すと、うろうろと歩き回る(巡回)時間である。ロビイングの時間、レンジャーは、観光客の憧れの的である制服に身を包み、幅広のレンジャーハットをかぶり、バッグには無線、救急用具等の他にみんなが興味を持つようなちよっとした小物を持って出かける。行き先は人が多く集まる名所の滝や景勝地だ。
ヨセミテを訪れる年間約400万人のビジターの平均滞在時間は4.2時間(1993年夏)である。ほとんどの人はレンジャーのプログラムを体験する時間もなく通りすぎていっていまうのが実情だ。この状況の中でどうやってこのビジターと接するチャンスを作るか、が大変重要な問題である。
短い滞在時間の人々にヨセミテの素晴しい自然、歴史を知ってもらうと同時に現在ヨセミテで起こっている野性生物との人の問題、森林火災の状況、そして人間をも含めた[エコ・システム]についてを語る。これがレンジャーの仕事である。
●レンジャーのバックグランドはいろいろ
私が大変興味があったことの1つは「どういう人がレンジャーとして働いているのか」ということである。結果として感じたのは、女性が多い、白人が多い、そして学校での専攻も経歴も多種多様な人達ということだった。ここで数多いレンジャーの内3名を紹介する。
ジュリア
彼女はアメリカ先住民の血をひき20年程前まではこのヨセミテで家族共に生活をしていたというおばあさんだ。彼女のインタープリテーションはまさに彼女の人生そのもの。彼女の持つ生活文化を実際の作業を通して教えてくれる。ドングリを砕き、粉にして主食にしていたヨセミテの先住民のその作業を実際に行いながら彼女は野外展示を見て歩く人々に語かける。「私は手にハンドクリームはつけないわ。だってクリームの匂いが粉についてしまうもの。ほらドングリにはこんなに油分があるの。だからわたしの手は見て、スベスベよ。」
ジェフ
彼の視力は健常者の3%、先天的な弱視である。彼はビジターセンターにあるすべてのもの、ヨセミテにあるもの場所を暗記している。彼は夜のプログラムではスライドは使えない。彼自身スライドをみることができないからだ。彼は視聴覚器材を使うことなしに2時間、彼の豊富な経験、知識そしてウイットのきいた語りで人々を魅了しまう。天才である。
マーガレット
彼女は夏期だけの季節レンジャーだ。夏以外は彼女は本業のであるオーケストラの楽団員として活動している。彼女のプログラムにたくさんの説明はない。ただ彼女流の自然の見方を語り、後は彼女のフルートの演奏と詩の朗読そしてヨセミテの風景を眺めて歩く。彼女と心安らぐ美しい時間を過ごす、それが彼女のプログラムのなのである。
レンジャーになるための規約はない。しいていえば「自然に感動できそれを伝えていきたいと思う人」で「運が良い人」がレンジャーになれるのではないだろうか。
●これからの広がり
私が今回実習生として滞在できたのは前職場のキープ協会そしてヨセミテ・アソシエーションの会長スティーブン・メドレー氏にご協力いただいたおかげである。
このつながりが私だけで終わることの無いようにしていかなければならないと思う。そのために日本環境教育フォーラムなどが窓口になって実習生を希望する人を送り出していくことはできないだろうか。またこのような実習生の制度は、レンジャーを目指す若者にとって職業選択の意味でも大変有効である。現在日本各地にある環境教育の施設で実習生を受け入れていけるようになれば日本の環境教育の人材育成システムも広がって行くように感じている。
Fur and Loafing in Yosemite
ヨセミテ・アソシエーションからの新刊「Fur and Loafing in Yosemite」漫画家Phil Frankがサンフランシスコ・クロニコル紙に執筆しているユニークな風刺のきいた4コママンガ。ユニークなパークレンジャー、キャンプ場と共生し大自然の生活を楽しむクマたち。「チョー普通の」キャンパーなどが登場する。詳細はヨセミテ・アソシエーションのこのページで。
Sierra Club/Fact Sheet "John Muir"より
ジョン・ミューアは、1838年4月2l日、スコットランドのダンバーで生まれた。農夫、発明家、牧夫、ナチュラリスト、探検家、作家、そして環境保全主義者と多彩な顔を持つ。11歳まで海岸沿いの小さな町で暮らしていたが、1849年、ミューア一家は合衆国に移民することを決意。まず、ウィスコンシン州のファウンテンレイクに、そして後に、ポートエイジ近くのヒッコリーヒルファームに移り住んだ。
厳しい修業が人格を形成すると信じた父親のもとで、ミューア一家は明け方から日没まで働いた。農作業のあいまに、つかの間働く手を休められたときには、ミューアは弟を連れて、自然に恵まれたウィスコンシン州の森や野原を散策した。成長するにつれて、ミューアはいっそう深い愛情をこめて自然を見つめるようになっていった。
彼はまた、発明や木工にも才能を発揮し、風変わりだが実用的な仕掛けをいくつも作りだしている。正確に時を刻む時計や、夜明け前に彼をベッドから転げ落とす愉快な目覚まし装置などである。1860年、ミューアは、彼の発明した品々を、マディソン郡で行われた州の品評会に出品し賞賛を受けた。同年、ウィスコンシン大学に入学。成績は優秀であったが、3年後、マディソン郡を去り、さまざまな仕事で日々の糧を得ながら、まだ自然が損なわれていない合衆国北部やカナダを旅した。
1867年、ミューアはインディアナポリスにある馬車の部品を扱う店で仕事中に目を負傷し、一時的に失明した。1ヶ月後に視力は回復したが、このできごとはミューアのその後の人生を大きく変えることになった。この時ミューアは、彼が本当に見たいものは自然界そのものなのだと認識したのである。それは、ミューアの放浪の日々の始まりでもあった。インディアナポリスからメキシコ湾まで、1600キロもの道のりを歩き、キューバまで航海し、パナマ地峡を渡り西海岸に到達、1868年3月にはサンフランシスコに上陸した。その後も彼は世界中を旅することになるが、その時以来、カリフォルニアは彼の第二の故郷となった。
そして、ミューアを心底から魅了したのが、シエラネバダ山脈とヨセミテだったのである。1868年に彼は初めてサンホワキンバレーを徒歩で横断し、腰まで届くワイルドフラワーの群落を抜けて初めて山間部に到達した。彼はその時の感動をこう記している。「私には、『シエラ」は、ネバダ山脈ではなく、雪の山脈でもなく、光の山脈と呼ばれるべきもののように思われた。それは私がかつて目にしたなかで、最高、神聖なまでに美しい山々の連なりであった。」その夏、ミューアは羊を率いてヨセミテに移ったのである。
1871年までにミューアは、シエラ山脈に今も息づく氷河を発見し、後に議論の的となるヨセミテの氷河作用についての学説を生みだした。彼の名は国中に広まり、当時の著名人…ヨセフ・ルコンテや、アサ・グレイ、そしてラルフ・ワルド・エマーソンなどがヨセミテの彼のキャビンを訪れている.
1874年の初めには、「シエラ研究」と題した一連の記事によって、ミューアは文筆家として成功の端緒につく。ヨセミテを去り、しばらくの間カリファルニア州オークランドを拠点として旅を続けたが、1879年には初めてアラスカの土を踏み、そこでグレイシャー湾を発見する。
1880年にはルイ・ワンダ・ストレンツェルと結婚し、マーティネスに新居を構え、2人の女児、ワンダ、ヘレンに恵まれた。それから10年の間、家族との生活にほぼ落ち着きながら、ミューアは義父とともに果樹園を経営し、大きな成功を収めた。
しかし、ミューアの放浪癖はそれではおさまらず、彼はアラスカの地に幾度も舞い戻り、オーストラリア、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、中国、日本へと旅を続けた。もちろん、彼の愛したシエラネバダ山脈にも数えきれないほど…。
後年、彼は執筆にさらに力を入れ、300にのぼる記事と、10冊に及ぶ主要な著書を出版し、幾多の旅について詳述し、彼のナチュラリストとしての哲学を説いた。また、万人に「山に登ってその福音を聴きなさい」と奨励した。ミューアの山に対する愛情は、彼の著作に一種の崇高さをもたらしてる。それを読む者は、大統領であろうと、代議士であろうと、平凡な市民であろうと、彼の自然に対する限りない愛情と情熱に鼓舞され、しばしば行動へと駆り立てられるのである。
ミューアは、『センチュリー』誌に一連の記事を掲載して、放牧によって荒廃した山間部草原地帯の危機を訴え、これが世間の注目を浴びた。彼は、同誌の編集者であるロバート・アンダーウッド・ジョンソンの助力を得てその救済に取りかかった。そして1890年には、ミューアとジョンソンの多大な努力によって、ヨセミテ国立公園の制定が国会で決議されたのである。またミューアは、セコイヤ、マウントレイニヤ、ペトリファイドフォーリスト、グランドキャニオン等の国立公園の制定にも携わった。彼がよく、「国立公園の父」と尊敬をこめて呼ばれる所以である。
ジョンソンをはじめとする人々は、たえず境界線をおびやかす牧畜業者などから、生まれたばかりのヨセミテ国立公園を保護する組織の成立をミューアに提案した。ミューアは1892年、彼の言葉によれば、「自然のために何事か為し、山々に喜んでもらうため」にシエラクラブを設立し、1914年にその生涯を終えるまで会長を務めることになる。
1901年にミューアは、『私たちの国立公園』を出版した。これがルーズベルト大統領の関心を呼び、1903年に大統領がヨセミテを訪問。ルーズベルトはミューアと共に、ヨセミテの木々のもとで、彼の革新的で、注目に値する自然保護政策の原案を形づくったのである。
ミューアとシエラクラブは、ヨセミテや、シエラネバダ山脈を守るために幾多の闘いをくり広げたが、その最も劇的なものは、公園内でのヘッチヘッチィバレーのダム化反対運動であった。しかし、1913年、何年にもわたる努力も空しく、ミューアがヨセミテそのものになぞらえたヘッチヘッチィバレーは、急成長するサンフランシスコに水を供給する貯水池となる運命を辿った。ミューアが、ロスアンジェルスの娘の家で、短い病の後に生涯を終えたのは、その翌年のことである。
ミューアの生涯は、世界中の環境保護を支持する人々を鼓舞し続けてきた。高名な登山家である東良三(あずまりょうぞう)は、その青春期にミューアに深い感銘を受け、後の日本の国立公園創設者の一人になった。彼は日本においてミューアの偉業を紹介した第一人者でもあり、ミューア自身についてはもちろん、南北アメリカの自然について20冊を超える著書を出版し、戸伏太兵(とぶせたへい)による訳書『アラスカの旅 ジョン・ミューア』(1942年、聖紀書房)の出版にも尽力した。
ミューアは、おそらくアメリカにおいて最も著名で、影響を及ぼしたナチュラリストであり、環境保護者である。彼は、私たちが継承した自然に触れ、それを保護することの重要性を説き続け、その言葉は、私たちの自然に対する認識を高めた。自然保護は、今日的課題であるが、ミューアの揺るぎない貢献は、時代を超えて、世界中の環境保護活動に携わる人々を励まし続けている。
Chiura Obata and Yosemite
チウラは岡山に生まれ、仙台で美術教師をしていた兄六一の養子となり仙台で育つ。14歳で家出し東京で邨田丹陵(むらた・たんりょう)の弟子となり、3年後若干17歳で日本美術院正会員になるが、1903年18歳で単身渡米する。サンフランシスコで舞台美術や邦字紙のイラストなどで生計を立て、1912年には妻ハルコと結婚する。1927年カリフォルニア大学バークレー校の美術部教授ワース・ライダーにヨセミテ渓谷へのスケッチ旅行に誘われたことが、チウラの大きな転機となった。(この仲間の中には写真家アンセル・アダムスもおり、ふたりは親友となる。)
チウラはシエラネバダ山中にキャンプし、2ヶ月間魔物にとりつかれたように制作に打ち込み、150枚ものスケッチを描いた。バークレーに戻り、ライダー教授により大学で日本画デモンストレーションの機会を与えられるが、多くの学生が押し寄せたため、チウラは大学の講義をもつようになる。
同年個展「ヨセミテ・シリーズ」を開催し、大きな評価を得るようになる。その後日本でも浮世絵版で有名な高見澤商店による木版画で「ヨセミテ・シリーズ」を出版している。
1941年日米は開戦。西海岸では日系人11万人が適性外国人と見なされ、強制収容所へ送られた。チウラもタンフォラン収容所に送られるが、「いかなる状況下にあっても、教育は食糧同様に重要だ。なかでも芸術は、もっとも建設的な教育だと信じる。」との信念のもとにミネ大久保、日比松三郎・久子夫妻などとともに「タンフォラン美術学校」を収容所内に創立した。同美術学校には6歳から70歳以上、600人もの人たちが受講したという。その後トパズ収容所に移り、そこでも美術学校を開校する。
終戦後チウラは大学に復職、バークレー校で名誉教授となる。その後の人生は日本の自然と文化をアメリカ人に紹介することに捧げ、また毎年ヨセミテでのキャンプとスケッチは欠かさなかった。
ヨセミテの大いなる自然はチウラのアーティストとしての感性をさらに磨き、また生きる希望を与えたといってもいいだろう。
チウラの孫娘Kimi Kodani Hillはバークレー市内に住み、チウラの作品を散逸から守り管理している。画集「Obata's Yosemite」(1995,Yosemite Association発行)の発刊にも尽力し、現在は同会の理事として活躍中である。このファミリーは4世代にわたってヨセミテに通いつづけ、キャンプ&ハイキングを愛する素晴らしいひとたちだ。
またいま、カリフォルニア大学バークレー校植物園にはチウラとハルコ・オバタ夫妻を記念した日本庭園とゲートがある。(写真は1942年タンフォラン美術学校で教えるチウラ)
(参考:下嶋哲朗「アメリカに生きた日系人画家たち〜希望と苦悩の半世紀1896-1945」日本テレビ放送網1995)
参考WEBサイト
The Great Nature of Chiura Obata
ヨセミテをチェックアウトしてベイエリアへの帰り道に120号線を使うと、OakdaleかEscalonあたりでランチタイム(もしくは早めの夕食)になる。ファーストフード店はいろいろあるのだが、それでなくともヴァレーではサンドイッチやらハンバーガーばかり食べているので、チャイニーズにはつい惹かれてしまう。
この「Pearl Palace」はオークデールの街中、120号添いにあるので、分かりやすい。店の見た目はボロいが、安くてボリュームがあり、うまい。もちろんパーキングあり。
Noriyoshi Kato "John Muir Trail"
この本のもとになった作家−加藤則芳さんのジョン・ミューア・トレイルの旅についてはNHK-BSで「アメリカ自然保護の父ジョン・ミューアの道を行く」(1995年9月)として放映されたもの。ちょうどその夏に私は初めてのヨセミテへの旅へ出かけて帰ってきたばかりだったので、この映像は鮮烈なものだった。
ジョン・ミューア・トレイルは、この本でも詳しく紹介されている通り、ヨセミテ渓谷から、セコイア国立公園まで延々340キロにわたって整備された原生自然トレイルである。
加藤さんは実はこの前年にもこのトレイル全行程踏破を試みているが、両足首の疲労による捻挫によってあえなく「痛恨のリタイア」を喫している。このことも包み隠さず、この失敗で得た教訓を活かして、2年目のチャレンジを図って成功したのだ。
よく誤解されるのだが、「バックパッキング」と「キャンピング」はイコールではない。「キャンピング」は巨大トレーラーのキャンピングカーでの生活までもが含まれるが、「バックパッキング」には妥協がない。自分の背中に背負える分だけの装備が全てで、まさに家を全部背負って歩くわけだ。私自身は重い荷物を持って歩く「バックパッキング」はあまり好きではない。キャンプ場に定住して毎日軽装デイパックで、あちこち歩き回るスタイルがいい。トレイルでも軽快で楽しい。しかしこの本を読むと、重い荷物を背負ってでも出かけてみようかとという誘惑にかられる。
この本でも紹介されているが、ヨセミテのトレイルやキャンプ場で出会うのはアメリカ人ばかりではない、ドイツ、フランス、イギリス等からきた欧州人もいっぱいいる。日本人はどうしているかというと、日帰りツアーバスでヨセミテ滞在時間は3時間。自分の足で歩くのはレストランとギフトショップの中だけという悲しい旅だ。
話が横道にそれたが、この本は実践資料類も充実しており、ヨセミテ国立公園はもちろん、シエラの山々をバックパッキングで歩きたい、キャンプしたい方の必読書としてお勧めする。この本をたよりにシエラの山々を歩きまわる楽しい人たちが増えてほしいものだ。もちろん"ヨセミテ国立公園大好き"もよろしく。(平凡社・2200円)
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西村仁志(にしむらひとし) 京都生まれ京都育ち。20代から環境教育や自然体験に興味をもち、何かしたい思いがふつふつと湧いて、周囲の心配をよそに1993年勤め人をやめる。アメリカへの一人旅のあと、無職で家族とたのしく暮らしていたら「環境共育」と"Colors of Nature"のキーワードに出会い、個人事務所「環境共育事務所カラーズ」を開業。環境共育と市民参加のコーディネートがお仕事。2006年からは同志社大学大学院総合政策科学研究科准教授を兼業。 1995年からヨセミテに通いはじめて、その奥深さと楽しさにすっかりハマってしまっている。妻と1女1男あり。 (写真はマウント・ホフマンにて) 1995 妻同行。4マイルトレイルを歩く。ミラーレイクへの乗馬ツアー。 マリポサグローブ。ツォロミーメドウズ、モノレイク行き。 1996 ハーフドーム登頂 1997 家族同行。ヨセミテ滝、イーグルピーク登頂。 1998 ツォロミーメドウズで1週間キャンプ。 ランバートドーム、マウントホフマン、クラウズレスト、マウントデナ登頂 グラニットレイク周辺クロスカントリーハイク 1999 ツォロミーメドウズで1週間キャンプ。 グラニットレイク周辺クロスカントリーハイク、マウントホフマン登頂 ライエル渓谷(ジョンミューアトレイル)ハイキング。 2000 6月 アッパーパインキャンプ場で4泊5日キャンプ。 ラフティングなど、お気楽に過ごす。 2000 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。長男同行。 Budd Creek、Budd lake、カシドラルピークをめぐるハイキング。 グラニットレイク周辺クロスカントリーハイク 2001 6月 アッパーパインキャンプ場で4泊5日キャンプ。家族同行。 2001 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。モノパスへのハイキング。マウントホフマン登頂。 2002 6月 アッパーパインキャンプ場で4泊5日キャンプ。特筆すべき行動はないがタイオガパスを越えマンモスレイクス+ホットクリークへ。 2002 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。20 Lakes Basinへのハイキング。マウントホフマン登頂。 2003 6月 アッパーパインキャンプ場で5泊6日キャンプ。公園内のほぼすべての車道を走破した。 2003 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。テナヤピーク周辺ハイキング。マウントホフマン登頂。 2004 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。コネスベイスン、カシドラルレイクをめぐるハイキング。 2005 6月 アッパーパインキャンプ場で5泊6日キャンプ。 2005 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。グラニットレイク周辺クロスカントリーハイク。ジョンソンピーク登頂。 2006 8月 ツォロミーメドウズで4泊5日キャンプ。乗馬したり、周辺ブラブラでお気楽キャンプ。 2007 3月 マリポサ3泊でヴァレーの散策とスノーシューハイク。 2008 8月 ツォロミーメドウズで5泊6日キャンプ。ドッグレイク周辺ハイク〜ランバートドーム登頂。Mt.ホフマン登頂。 詳細な経歴書はここにあります。 |