”The Yosemite Book”(1869年版)でWhitneyに登頂不可能("rising to the height of 4,737 feet above the Valley, perfectly inaccessible, being probably the only one of all the prominent points about the Yosemite which never has been, and never will be trodden by human foot.”)と言わしめたハーフドームでしたが、その初登は意外にも早くやってきました。以下はMuirの文[1,2]にもとづく初登の記録です。
バレーの住人John Conwayは、岩登りの得意な自分の子供たちをHalf Domeに向かわせます。鉄釘を岩の割れ目に打ち込み、それにロープを固定しつつ最後の斜面(現在のケーブルルート、斜度46度)を登らせるつもりでした。子供たちは300フィートの高さまで達しましたがそこから先は岩にドリルで穴を開けない限り突破できないことがわかります。そこでConwayは、子供たちに撤退を命じます。その数年後(1875年)、同じバレーの住人George C. Andersonは、彼らが残したロープを辿り、最高到達地点まで達します。そこからは、5〜6フィート間隔で岩にドリルで穴を穿ち、ボルトを打ち込んでいきました。ボルトはロープの固定と足がかりとして使われます。そして数日後(10月12日)、ついに頂上に達しました。Mt. Shasta[3]の旅から帰ってきたばかりのMuirは、11月10日に第9登[4]を果たしました。面白い事に、切れおちている崖による視覚への影響のせいか、ドームの上から見る渓谷の眺めは、そこより低い場所に比べて劣ると書いています。また彼らしく、頂上にある植物の事が書かれています。
Muir本人としてはHalf Domeが手付かずの状態であってほしかったようですが(”For my part I should prefer leaving it in pure wilderness…”)、1919年にシエラクラブによって600フィートのジグザグの階段状トレイルが前衛のドームに、最後の部分には800フィートの長さの2本のケーブルが恒久的に建設されることになります[5]。
参考:
[1] John Muir,"The Yosemite"(1912年出版)
"The South Dome"の章にHalf Domeに登ったときのことが書いてある。South Dome はHalf Domeの別名。
[2] Francis P. Farquhar,"History of the Sierra Nevada", University of California Press
Farquharは、Muirが”San Francisco Evening Bulletin”に投稿した記事(1875年11月18日)を引用して、Half Dome登頂にまつわる話を書いている。Muirの投稿記事はオンラインでは見つからず。Farquharの本はAmazonより購入可。
[3] MuirはMt. Shastaから戻ってきた後の11月10日(Andersonの登頂から1〜2ヶ月後)に登ったと書いている。しかしBade[6]の5月4日付の手紙によれば、Shastaに行ったのは4月、また1875年11月2日には、妹にYosemite Valleyから手紙を出しており、”前夜、2ヶ月半のSierra Nevada Forestの旅から帰ってきた”と書いている。Wolfe[7]の本には10月20日付の日記があり、Tule(南シエラ)のMiddle Forkにてと書かれている。
[4] Shirley Sargent,"John Muir in Yosemite",Flying Spur Press
Muirは9人目、Galen Clarkは6人目の登頂者と書いている。出展は不明。また1919年のケーブル設営の裏話も書いている。それによると、Muirの友人だったM. Hall McAllisterが5,000ドルを寄付し、シエラクラブが工事をしたとのこと。
[5] Linda Wedel Greene,"Historic Resource Study: Yosemite", U.S Dept. of the Interior
[6]William Frederic Bade,"The Life and Letters of John Muir"(1924)
[7] Linnie Marsh Wolfe,”John of the Mountains : Unpublished Journals of John Muir”(1938)
Badeの本はMuirの手紙を集めた本だが、これはMuirの日記を集めた本。解説等はほとんどない。Amazonより購入可。註:Wolfeによる別の本に”Son of the Wilderness”がある。これはMuirの手紙などがかなり切り刻まれ、その間をWolfeの文が繋いでいくという形で書かれており、読み物としては楽しいが、資料として取り扱うときにはかなり使いづらい。Pulitzer賞受賞の本。